岐阜県飛騨市にある『池ヶ原湿原』は別名『岐阜の尾瀬』と呼ばれる美しい湿原。今年4月、この湿原の魅力を紹介し、YAMAPユーザー対象の『湿原保護活動ツアー』を募集したところ、多くのユーザーさんからの応募がありました。今回はツアーのメインであった「ヨシ刈り」の様子をはじめ、近隣集落「種蔵」や飛騨古川の市街地散策について、アウトドアライターのユーコンカワイさんが紹介してくれました。
2022.08.23
ユーコンカワイ
アウトドアライター&グラフィックデザイナー
僕が最初に『池ヶ原湿原』の記事を書いたのは今年4月。その時までは、その湿原の名前すら知らなかった。しかし、記事を書くにあたって、現地ガイドの岩佐先生のお話を聞くうちに、僕は池ヶ原湿原が有する「果てしないメルヘンポテンシャル」にすっかり魅了されていったのだ。その結果、今ではその名前を聞くだけで、僕の淀んだ瞳は少女漫画のようにキラキラと輝いてしまうようになってしまったのである。
そんなメルヘンの聖地『池ヶ原湿原』のことを今一度おさらいしておこう。場所は岐阜県飛騨市の北部。「奥飛騨数河流葉(おくひだすごうながれは)」という、やたら強そうな名前の県立自然公園内に「ニコイ高原」があり、その中央部に池ヶ原湿原は横たわっている。
約4ヘクタール、東京ドーム1個分の広さを誇るこの湿原は、5月になるとミズバショウとリュウキンカが咲き誇り、5月以降も季節に応じて様々な癒しの表情を見せてくれる。綺麗に整備された木道は非常に歩きやすく、その風情と相まって近年では『岐阜の尾瀬』ともいわれるようになった。しかも、木道からトイレに至るまでバリアフリー対応しているため、車椅子やベビーカーの人にも嬉しい環境となっている。
そんな素敵な池ヶ原湿原が楽しめるのも、実は地元の方々による必死の保全活動があってこそ。
実はこの数十年で湿原周辺の森林環境が大きく変わり、森の保水性能が変化。湿原内の水の流れが滞留して栄養過多の状態になった。その養分を吸った「ヨシ」が大量に繁茂し、その影響を受けて湿原本来の植生が失われ始めてしまったのである。そのため、地元の自然ガイドさんやボランティアさんが、毎年コツコツとヨシを刈るという涙ぐましい努力をしてくれていたのだ。
前回の記事で、そんな池ヶ原湿原の“魅力と課題”の両面をお伝えし、その上でYAMAPユーザーに対して『ヨシ刈りを手伝って湿原維持に貢献しよう!』というスペシャルツアーを企画した。
内容はただの環境保全ボランティア活動だけではなく、飛騨の人との交流あり、美味しいものあり、ディープな町歩きありの1泊2日の贅沢なものだ。ただ正直、暑い時期のヨシ刈り作業に、お金払ってまで来る人いるかなー…、なんて心配をしていたが、そこは自然を愛するYAMAPユーザーたち。蓋を開けてみたら、なんと全国から予想を遥かに超える応募が殺到。そしてその応募者の中から、世代も性別も居住地域もさまざまな10名が選ばれ、7月中旬にツアーが敢行された。その時のツアーにこめた想いは以下の5つである。
①池ヶ原湿原の課題に対し、エンタメ的に超楽しく取り組む!
②保全に取り組んでいる人たちとの交流を深め、課題をより深く知る!
③その地とその人たちが好きになることで、また来たくなる!
④中の人と外の人のタッグで、保全活動を持続可能なものにしていく!
⑤結果、池ヶ原湿原のメルヘンは永久に不滅となる!
これは池ヶ原湿原を愛する飛騨の人たち、そしてYAMAP並びにYAMAPユーザーによる、新時代のサステナブルチャレンジである。さあ、果たして、実際のツアーの様子はどうだったのか?ヨシ狩りの最中に「くそう!暑い!ツラい!やってられっか!」と鎌を投げ出して帰っちゃった参加者とか出てやしないか? では早速、その一部始終を振り返っていこう。
参加者を乗せたバスが池ヶ原湿原の駐車場に到着すると、「広い駐車場!」「綺麗!」と感嘆の声がもれた。駐車場には、長年ヨシ刈り作業をしてくれている地元ボランティアの人たちの姿もある。その人たちは、ある意味、駐車場よりも広く、そして綺麗な心を持った勇者たちだ。そして、その勇者たちを束ねるのが、池ヶ原湿原自然保護センター所長であり、飛騨の森ガイド協会会長の岩佐勝美先生である。先生から改めて池ヶ原湿原湿原の魅力・価値・課題のお話を聞き、参加者たちはやる気スイッチをオンしていったのである。
湿原への入り口には、外来生物を持ち込まないように 靴の洗い場が設置されている。車椅子用のトイレがある方の入り口には、なんと車椅子用の洗い場(おそらく日本初)も新設されており、バリアフリー湿原の本気度を見せつけられる。
靴の泥を落として進むと、突然バン!と広がったのが池ヶ原湿原だ。時期が7月ということもあり、湿原は緑のさざなみが揺れる草の海となっていて、緑と空の青とのコントラストが美しい。そんな出会い頭のメルヘンに対し、参加者たちは思わず「ほおおおお」と、声にならない声を漏らした。
ヨシ刈りポイントに到着すると、YAMAPチームは3班に分かれて木道周辺のヨシ刈りをスタートさせた。一見すると、湿原のすべてがヨシに見えるが、他にもいろんな植物が生えている。ヨシはそれらの植物に紛れるように伸びているので、そいつを探し出して手に持った鎌で刈り取っていくのだ。
これだけ聞くと「一気に刈れないの? 選んで刈るとかなんだか大変そう…」と思った人もいるだろう。僕も最初はそう思った。しかし、実はこの“他の植物に紛れている”というのが参加者にとってはプラスに働いたのだ。のちに参加者たちは「黙々とした単純作業になると思っていたけど、なんだか宝探しみたい。これ結構ゲーム性高くて楽しい!」とか、「選んで刈り取っていくから没頭できる。一つのことに集中しているから、瞑想しているみたいに心まで落ち着きます」と語った。僕も実際にこの作業をしてみて、「楽しい」「癒される」という感想を抱いた。実はこのヨシ刈り作業って、情報過多でマルチタスクな都心の人にとって、最高のマインドフルネスじゃないかとすら思えてしまったほどだ。
また、一人の没頭時間も癒されるのだが、手仕事をしながらだと近くの人との会話もやたらと弾むのだ。参加者同士はもちろん、地元のボランティアさんとの交流が進んでいく。ヨシという共通敵に立ち向かい、池ヶ原湿原という共通愛で結ばれた者たちの結束力は、時間と共に緩やかに固まっていく。その時間と比例するように、ヨシがみるみる減っていくのだ。これは正直、快感以外の何物でもない感覚である。休憩時には、地元の方が用意してくれた冷やしキュウリを頬張り、疲れた体に美味しさと優しさが染み渡っていく。それらの時間は、本当に豊かで、自然とみんなの顔が穏やかな笑みで包まれていった。
そもそも、普段は一般の人が入ることができない湿原の中に佇んでいるだけでもメルヘンの極みであり、湿原を守る妖精にでもなったような気分なのである。これはツアーに参加しないと得る事ができない特別感だ。やがてヨシ刈り作業が終わる頃には「え!もう終わり?まだ物足りない!」「まだあそこにヨシが!お願い!あとちょっとだけ刈らせて!」など、名残を惜しむ者が続出したほどである。
ヨシが減っていく快感、そして、ただ楽しんでいただけなのに、いろんな人と仲良くなり、いつの間にか環境保全に寄与し、地域の人にも喜んでもらえたという半端ない充実感。参加者たちは、普段の登山では得たことがない、何か新しい感覚の達成感を味わっていた。もはやこれは、クライミングやボルダリングなどにも匹敵する、
「ヨシガリング」
という名の新たなアクティビティの誕生だ。この歴史的な日から、池ヶ原湿原はヨシガリングの聖地となったのである!
ヨシ刈り作業は終わったが、池ヶ原湿原のメルヘンはまだまだ終わらない。作業後には、なんとシラカンバの林の中で「森の演奏会」が行われたのだ。疲れた体にフルートの優しい音色が染み渡り、頬を撫でる風も心地いい。途中、中島みゆきの「糸」が演奏されたが、この場に居合わせた人たちが、まさに織りなす布のような気がした。
贅沢な森の時間を堪能し駐車場に戻ると、地元の方による「薬草カレー」が用意されていた。飛騨は薬草文化が生活に根付いている土地なのだ。これがまた体に優しいだけじゃなく、抜群に美味しいのである。
ヨシ刈りで交感神経を、森の演奏会で副交感神経を刺激し、その上で腹ペコの体に薬草カレーとは…。飛騨は、一体どれだけ我々の心身を健康にしてしまえば気が済むのか? もはやサウナよりも「ととのう」世界がここにはあったのである。
しかし、これで終わりじゃないのがこのツアーの凄いところ。ここまでで、「環境保全の課題は、人と人の繋がりをもって、エンタメ的に解決できる!」という一つの可能性を体現することができた。ここからは、飛騨の文化・歴史、グルメ、そして人と触れ合うことで、さらにこの地のファンになってもらい、持続的に湿原保全活動に参加するきっかけを作るためのツアーの始まりである。
向かったのは、「種蔵(たねくら)」という集落。ここは“棚田と板倉の里”と呼ばれ、珍しい石積み造りの棚田や、火災時に延焼を免れるために建てられた板倉(壁を板材で作った倉)が点在している。その光景はもはや“日本昔ばなし”のような世界観で、日本の原風景ここにあり!といった趣の場所なのだ。
ガイドをしてくれたのは岩佐先生。「小高い丘の上になぜ水田があって、どうやって水が引かれているの?」「家の数より板倉の数の方が多いのはなぜ?」「石積みの中に、出っ張った石があるのはどうして?」など、クイズ形式で楽しく解説してくれる。地元をよく知るガイドさんと一緒だと、個人旅行では見落としてしまうディープな魅力を知ることができるのだ。
その後、温泉に入ってから向かったのは、コテージ&キャンプ場の「ナチュール宮川」。そこで始まったのは、もちろん!お・ま・ち・か・ねの「飛騨牛BBQ」である! 霜降りがほどよく入った肉は柔らかく、芳醇な旨みが舌の上に広がって、ほっぺたをボトボトと落とす者が続出した。肉を焼く音と、ビールのプルタブをプシュッとする音が交互に展開し、参加者たちの談笑が止まらない。まだ出会って間もないが、共にヨシと戦った戦友同士、すでに熱い絆が結ばれていたのだ。楽しく、そして美味しい宴は深夜まで続いたのであった。
翌朝、一行がバスで向かったのは、今年7月にオープンしたばかりの「飛騨産直市そやな」だ。名物店長の「トマト店長」による威勢のいい掛け声の中、朝採れたての新鮮野菜を物色する。飛騨の野菜は、広葉樹の森で育まれたミネラルたっぷりの水で作られているので、一際美味しいのである。
その後、飛騨市まちづくり観光課の齋藤課長のガイドで町並み散策。「飛騨古川まつり会館」では、齋藤課長による飛騨愛&まつり愛が爆発し、参加者は引き込まれるようにその熱い解説に耳を傾けた。飛騨古川では、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている「古川祭」が例年4月に開催される。この街はとにかく祭りを中心に世界が回っており、その渦の中で人々は関係性を築きあげ、郷土を愛し、その誇りを胸に外から来る人をもてなしてきた。そんな熱量に触れると、誰もが飛騨のファンになってしまうのだ。飛騨の魅力は数あれど、その真の魅力は、やはりどこまでいっても「人」なのである。
旅の最後を締めくくるのは、参加者一同での振り返り会。参加者からは「とにかくヨシ刈りが思った以上に楽しかった」という一致した意見が出た。そこにプラスして、「飛騨市の魅力を、自然、文化、人、そして良い部分も悪い部分も、立体的に知ることができてよかった」とか、「普通の観光のように、ただ綺麗だね、楽しかったね、では終わらない特別な体験ができた」といった感想も出た。自ら問題意識と鎌を持ってヨシを刈ったことで、名前もよく知らなかった湿原は「私たちも関わった池ヶ原湿原」となり、同時に「飛騨の土地と人の魅力」の虜にもなっていった参加者たち。
「今後は観光以外の関わりを継続したい」「もっと湿原の保全活動に参加したい」との声も聞かれ、参加者の意識は確実に“第2フェーズ”に入ったことを感じた。きっとそのフェーズが第3、第4と深化していくことで、旅の満足度はさらに高まり、そうした人が増えることで、このような活動が持続可能なものになっていくのだろう。
保全活動や登山道整備などを続けている人たちに対して、「手伝いたい」「役に立ちたい」というニーズは確実に存在し、しかもそれが凄く楽しいんだということも今回のツアーで立証できた。飛騨市には、池ヶ原湿原以外にも、保全・整備活動を続けている場所がまだまだある。YAMAPでは、今後もそれらのコンテンツに注目し、麓の魅力と合わせて、YAMAPならではの発信やツアーを行っていく予定である。
飛騨市の自然は美しい。その背景には、長い時間をかけた人との共生の歴史がある。その中でも池ヶ原湿原は、人々の愛に支えられた地上の楽園だ。その名を知らなかった人、行ったことがない人は、ぜひ足を運んでいただきたい。そして、その裏側にある人々の保全活動に思いを馳せながら、湿原が奏でるメルヘンに身を委ねてほしい。そうすることで、そこに咲く一輪の花や、水流の中を泳ぐイワナ、鳥の声や柔らかな風、その一つ一つがさらに輝いて見えてくるはずである。「素敵だな」って思ったその瞬間から、湿原保全の新たな歴史は始まっていくのである。
飛騨市地域おこし協力隊の隊員募集中!
飛騨市では池ヶ原湿原の保全をはじめ、さまざまな業務を担ってくれる地域おこし協力隊を募集中。気になったらまずは気軽にお問い合わせを!
【地域おこし協力隊募集について飛騨市スタッフからのコメント】
飛騨市まちづくり観光課長の齋藤です。飛騨市は面積の93%が森林。豊かな自然を守り、未来へどう繋いでいくか? まちづくり観光課では池ヶ原湿原をはじめ、深洞湿原、天蓋山、北ノ俣など様々な自然フィールドの保全と活用を進めています。
今後、重点事業として取組むにあたり、一緒に頑張ってくれるバディを探しています。自然が好きで、地域と繋がり、情熱的に働いてくれる方いませんか? まずは、地域おこし協力隊での採用を考えています。(任期3年 報酬240万円/年 活動費200万円/年 副業可)。少しでも興味があるという方、まずはご連絡ください。なお、飛騨にお越しいただければ、私、齋藤が自然フィールドをご案内しますよ!
■ 飛騨市役所まちづくり観光課
0577-73-7463
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https://www.hida-kankou.jp/access/
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取材・文:ユーコンカワイ
写真:西條聡
協力:飛騨市・池ヶ原湿原自然保護センター