「秩父」といえば秩父市。そんなイメージを持つ方が多いと思いますが、そのお隣の横瀬町もなかなかに味わい深い町だということをご存知でしょうか。武甲山への玄関口、冬はあしがくぼの氷柱と、少しずつその名が知られるようになっています。特急では西武秩父駅のひとつ手前の停車駅で、都心からのアクセスも抜群。今回はそんな横瀬町でライターの武石綾子さんが過ごした、2日間のマインドフルネストリップのレポートをお届けします。
2021.02.20
武石 綾子
ライター
土曜日の西武鉄道。車窓からはうっすら雪化粧をした秩父の山々が見える。
前から後ろから聞こえてくる「プシュッ」という音に「ビールにすれば良かったか…」と考えながら珈琲をすすっていると、車内アナウンスが聞こえた。
「本日は臨時で芦ヶ久保駅に停車いたします」
(あしがくぼ…今日の夜、行くところか)あまり深く考えずに聞き流してしまう。その場所で思いのほか幻想的な風景に魅せられるのはもう少し未来、6時間程後の話。電車は芦ヶ久保に停車した後、数分で目的地の横瀬駅に到着した。
旅の始まりは西善寺。横瀬駅から車で10分程の禅寺だ。駐車場からは猛々しい武甲山の全容が見える。秩父札所めぐりで八番に位置していることから、地元では「はちばんさん」で通じるという。山門をくぐると樹齢600年にもなる埼玉県の指定天然記念物コミネカエデの大きな木が鎮座しており、紅葉時期は特に賑わうそう。今日はこちらのお寺で、写経と座禅を体験する。
写経というと、正座をしながら長い文章をひたすら書く修行、という安易なイメージを持ってしまう私。しかしここでの体験はとても入りやすい。まずは1枚練習がてら書いてみて、2枚目が本番。写すのは『延命十句観音経』という短い経典だ。
パソコンやスマートフォンに慣れきってしまった昨今、こんなにじっくりと文字を書くのはいつぶりだろう…。若干緊張しながら筆を進める。1枚目は少しぎこちなかったが、2枚目は大分慣れ、20分程度で書き終えた。文字をなぞりながら、その言葉の持つ意味について考える。短いながらも、この経典には説法の本質が詰まっているという。
「願意」という文字の下は、願いを書き入れるため空白になっている。聞くと、真ん中に描かれているご本尊、十一面観音が願い事を聞き入れてくれるのだとか。
「お焚き上げしますからね。中を見たりしませんから、何を書いても良いですよ」
なんと、願いを聞いてもらえるものとは知らなかった。じっくり考えて叶えたい事を書きこんだ後、経典は本堂にお供えをする。手を合わせた後、奥の座敷へと移動し座禅の準備。短い時間の体験ではあるけれど、より深い禅の世界へ入っていく。
座禅をする際の足の組み方には作法がある。両足を互いのももの上にしっかりと乗せる結跏趺坐(けっかふざ)。これが本来のやり方というので真似てみると、ものの数秒しかもたない。
「座りやすい姿勢でね。無理して集中できなかったら意味ないですから」と住職。お言葉に甘えて一番リラックスできるあぐらの姿勢を取った。
坐蒲(ざふ/座布団のようなもの)も用意されていて慣れていない人にも配慮がなされている
そしてもうひとつ、座禅といえばやはり警策(きょうさく/修行者の肩や背中を棒で打つこと)だろう。ここではそれも自己申告でいい。「集中力が切れてきた」「眠い」と感じたら合掌。すると住職がさささ、と移動してきて左右一発ずつ喝を入れてくれる、という流れだ。
まずは15分、2回目はもう少し長めに坐る。
「皆さん、自分の人生を振り返ってみてください」
「何も考えるな」と言われるのは無理な話だが、「人生を振り返れ」と言われると素直に物心ついた年齢まで遡ろうとするから不思議だ。
「幼稚園から小学校、あの時あの人と知り合って、あそこでつまずいたか…?」などと考えが巡り、なんとなく思考がネガティブになりそうなところで合掌してみる。大きく前かがみになって警策を左右一発ずついただく。
この日はほとんどの人が合掌し、警策を受けた
あまり痛くはない。しかし頭がすっきりする感覚。人生の振り返りは高校2年生くらいまで来たところで終了。隣に座っていた方が、「なんだかすごく良い時間だったなぁ…」と独り言のようにつぶやいた。
座禅を終えた後にはあたたかいお抹茶を頂ける
「警策は肩こりにもきくんですよ。座禅会は定期的にやっていますからまたぜひ。”趣味、座禅”ってなんだかかっこいいじゃないですか」
そう言って笑う住職のお話を聞いていると、ずっと動かずにいたのになぜだか身体がリラックスしてすっきりしている自分に気付く。西善寺での体験には一切の強制が無い。厳しすぎたり、時間が長すぎると辛く感じてしまうものだけれど、その度合いがきつすぎずゆるすぎず“ちょうど良い”。それでいて勤行の本質のようなものが、ほんの少しだけ理解できた気がする。「趣味、座禅」確かに、ちょっと言ってみたいかもしれない。
旅の楽しみはやっぱり食。西善寺を後にし、夕食会場の「麺屋木の子茶屋」へ。
昔懐かしい雰囲気の店内は常連さんらしきお客さんで混み合っている。着席しようとすると、おかみさんから「デザートを摘んでおいて」と紙皿を渡された。なんとお店の自家菜園で栽培している季節の果物をいただけるのだ。冬のシーズンはプチ苺狩り体験ができる(ひとり5個まで。ちなみに夏はプラム狩り)。
名物は一見うどんのような太めのおそば。それだけにとどまらず、抹茶塩でいただく鮎の炭火焼に、甘じょっぱい味噌がおいしいぶたみそ丼。これでもかというくらい秩父グルメのコースを堪能。デザートの苺もひとつ残さず完食した。
初日最後に向かうのはあしがくぼの氷柱。正直想像を遥かに超えるスケール、少なくとも想像の5倍を超える美しい景色が待っていた。
芦ヶ久保駅から歩いて10分程。山林沿いに連なり、幻想的な景色を創り上げているこの氷柱は横瀬町民ひとりの声に端を発し、8年ほど前に開始された。秩父・横瀬町の気候と地元ボランティアスタッフの手により造り出される幅200m・高さ30mにもおよぶ壮大な氷の芸術。山の斜面に沢の水を散水し、自然の寒さにまかせてじっくりと凍らせる。駅からのアクセスの良さや、なによりその美しさが評判をよび、今では期間中約12万人もの人が足を運ぶという。昨年は暖冬により凍らなかったとのことだが、今年はそんな心配はまったくいらない様子だ。秩父の氷柱スポットは他にもあり、それぞれ特徴があるとのことなので、また訪れてみたくなった。
青や黄色にライトアップされる景色を眺めながら始めて、特急列車が芦ヶ久保駅に臨時停車する理由を理解した(遅い)。それだけの価値は充分ある。まじまじと見ているとすぐ真横を電車が通った。氷柱横を走る際はスピードを落としてくれるらしい。この地ならではの粋な演出だ。
もうひとつの目玉は、幻想的な氷柱の中で鑑賞する伝統芸能。本来4月と10月の神事でしか見ることのできない「里宮の神楽」と、悪魔払い(疫病避け)の願いを込めて舞われる「芦ヶ久保の獅子舞」。ごく限られた週末の日程のみ、いずれかの演目を鑑賞することができる。
この日鑑賞できたのは 神楽「変面想(変わり面)」。絶世の美女と言われる妹、コノハナサクヤヒメの持っている鏡に映る自分の醜い姿を見て、姉のイワナガヒメは心身が乱れ鬼になってしまう。妹から鏡を奪い、暴れまわる鬼を武神が退治し、鏡を取り返すというなんとも切ないお話。全17の曲目のうち、昨今の感染症を鬼になぞらえ「退治できるように」という願いを込めて選ばれたという。「鬼倒せー!がんばれ鬼殺隊ー!」ととなりに座っている兄弟が叫んでいる。飽きてしまいそうなキッズたちの心もがっちりとつかんでいるようだ。
幻想的な氷柱を堪能した後は、名湯・武甲温泉へ。開放的な露天風呂の後、内湯では炭酸泉につかり冷えた身体を温める 。
露天風呂の様子。写真は昼間に撮影したもの
宿泊先は併設されている別館。部屋にはこたつとストーブが…! まるで実家に帰ってきたかのような安心感。こたつで横になりたい気持ちをおさえつつ、なんとか布団にもぐりこむと、いつの間にかぐっすりと眠っていた。
翌朝7:00。言わずもがな、秩父の朝は寒い。この日はマイナス7度。きんと冷えた空気が、都会からほど近い町でありながら「山の朝」を感じさせてくれる。
再び西善寺に趣き、昨日座禅をくんだ畳の上で早朝ヨガからスタート。手足をこすって温めながら、深呼吸する。じんわりと身体が温まってくる。
ヨガ講師は横瀬出身の小泉先生。一人ひとりの様子を見ながら丁寧に指導してくれる
先生の丁寧な指導に合わせて少しずつ身体を動かしていく。穏やかな動きから始まり、後半はしっかりと全身を使っていく1時間のプログラム。
「はーい、大きく息を吸って」
目を瞑って自分の身体の状態を確認する。ポーズを取ることに夢中になっていると呼吸を止めてしまいそうになるけれど、先生の声がけに合わせていると無理なく深呼吸ができ、気持ちよく身体がのびる。少しハードなポーズも、登山前の身体には良い準備体操。充実した一日になりそうな予感。
すっきりと目覚めて山門を出ると、ちょうど快晴の下、武甲山の姿がはっきりと見える。前週に来た寒波の影響で山肌は白い。チェーンスパイクをザックにしのばせ、いざ一の鳥居登山口へ。
今回の登山ルート。YAMAPの該当地図はこちらから
武甲山御嶽神社、一の鳥居登山口
怪我の無いよう、入念にストレッチ
今回は複数人での登山。山頂までは概ね2時間半ほどの道のり。歩き始めは気持ちの良い樹林帯が続く。登山口は少し凍結していたものの、樹林帯の道に雪はなく、順調な滑り出し。
最初のうちこそ世間話に花を咲かせていたけれど、自然と会話が少なくなり、皆黙々と歩く。仲間と歩いていても、特に合図が無くても、自然と自分の世界に入れてしまうのが登山の良いところ。くわえて、冬だと冷たい空気に頭が冴えるのが気持ち良い。
昨日の座禅では過去を振り返ったけれど、この日は少し未来のことを考えながら歩を進める。写経に座禅、ヨガに登山。静と動のバランスが良いと、より一層心も整うようだ。
YAMAPで行程やコースタイムを確認しながら登る
1時間程すると少しずつ足元に凍結が見えてくる。休憩がてらザックをおろし、チェーンスパイクをつける。
ガイドに指導を受けながらチェーンスパイクを装着
「お~、これは歩きやすいですね!」
はじめてチェーンスパイクをつけたメンバーが雪の上で足を動かしながら声を弾ませる。一緒に登った仲間が「山のはじめて」に遭遇して楽しそうにしている瞬間を見ると毎回嬉しい気持ちになる。
黙々とひたすら歩く時間もあれば、新しい発見や感動があり声を掛け合うこともある。みんな協力しながらも思い思いの登山を楽しんでいる。無理せず、自分らしく。そんな過ごし方ができるのは、きつすぎず、ゆるすぎない。武甲山がやはり“ちょうど良い”山だからなのだろう。
御嶽神社の鳥居が見えたら山頂はもうすぐだ。秩父市街はもちろん、天気が良ければ群馬の方の山々まで見渡せる。
山頂の絶景をたっぷり味わった後は近くのベンチで一息。それぞれ持ち寄ったお菓子や行動食をシェアしながら、珈琲片手に景色を眺めてほっと一息。山で飲む珈琲ってなんでこんなにおいしいんだろう。
山頂付近ではYAMAPのオリジナル珈琲で休憩。ティ―パックタイプになっているのでアウトドアでも簡単、便利
下山後の楽しみは昼食。休憩時間にお菓子やらパンやら食べたのに、しっかりお腹が空いている。昼食会場は「あしがくぼフルーツガーデン」と聞いて、甘いものでも食べられるのかな? と楽しみに向かう。
うどん屋さんである。
暖簾のインパクトがすごい。ちなみにうどんには手作りのおまんじゅうがついてくる嬉しいサービスがあるようだが、フルーツのメニューは無さそうだ。お店のお母さんに聞いたところ、あしがくぼ果樹公園村の近くにあることが由来。十数軒もの農園が集まる果樹公園で、季節によって様々な果物が楽しめるとのこと。
良い意味で想定の反対をいきながら、肝心のうどんはコシがあって登山終わりの空腹をしっかり満たしてくれる。
次は煮込みそばもいいなあ。そんなことを思い出しながらうどんをほおばっていると、地元の先客が声をかけてくれた。
「ここ、良いところでしょ? B級グルメの宝庫だし。横瀬のこと、好きになって帰ってくださいね」
その言葉がとても印象に残った。住んでいる人がその町を好きだということが、結局は一番のPRになるのだ。
西武鉄道の特急で旅に出る時は、多くの人が西武秩父駅で降りるものだろう。もちろん、誰もが知っている有名どころへ行くのも楽しい。しかし時には、「あえてひとつ手前の駅で降りる」という提案をしたい。時間も空間もちょうどよく心地よいこの町で、肩ひじ張らずに自分と向き合う時間を過ごしてみてはいかがだろうか。