九州脊梁山地にある「日本三大秘境」の椎葉村には、地域おこし協力隊への参加をきっかけに移住し、その後も起業など新たな挑戦を続ける人が多くいます。
YAMAPの人材育成事業「インタープリター」の受講者にも、移住した協力隊経験者が多数。自然と共に生きる暮らしに惹かれ、人と人が出会う場所――それが椎葉村です。今回は編集者の後藤麻与さんと村を訪れ、その魅力を探りました。
移住や多拠点生活、地域に関わる働き方を考える人にとって、ここでの暮らしは新しい一歩のヒントになるはず。個性豊かなインタープリターの暮らしと、体験ツアーをご紹介します。
2026.02.25
Goto Mayo
編集者兼ライター
宮崎県北西部に位置する椎葉村の森林率は94%。山里に広がる手つかずの自然と暮らしが息づく村です。小丸川・耳川・一ツ瀬川の源流域に位置し、水質のよさは国内でも屈指。標高1,000m級の山々に囲まれ、苔むす森や御池、樹齢800年越えの巨木など、美しい原風景が日常に広がります。登山や渓谷歩き、川遊びなど、本物の自然に触れられるアウトドアフィールドとしても評価されています。
また、26地区に受け継がれる椎葉神楽や世界農業遺産に認定された焼畑農法など、自然と共生してきた知恵と文化が今も生活の中に息づいています。
平成の大合併では独立の道を選び、人の繋がりを力に“自分たちらしい暮らし”を築いてきました。便利さよりも豊かさ、自分のペースを大切にしたい人に選ばれる場所です。

YAMAPと椎葉村は2019年から、家族向け登山ツアーやワーケーションの実証実験などの地域プロジェクトに取り組んできました。2022年には連携協定を締結し、自然観光資源の再発見と磨き上げ、自然ガイドを育成する「インタープリター事業」を展開しています。(詳しくはこちら)
YAMAP専属ガイドであり、インタープリターの指導者でもあるひげ隊長が、椎葉村の「自然観光コンテンツを作りたい」「雇用を生みたい」という想いに応え、毎年受講者の個性に合わせた独自プログラムを実施。
2026年3月までの取り組みの中で、人材育成に加え、新規事業や雇用創出の支援、伝統文化を守るクラウドファンディングなども実現してきました。

取材の始まりからよく耳にしていたのが、「椎葉って、自由なんです」という言葉でした。「やってみたい」という気持ちを大切にしてくれる空気が、椎葉村にはあります。地域おこし協力隊も、決められた仕事の後任ではなく、村の未来を考える企画者として迎えられることが多いのだとか。背景も分野も異なる人たちが集まり、各々の関心を手がかりに、この地で新しい生き方を見つけています。椎葉村の魅了とは? 3人にお話を伺いました。

前職では自治体で住民と事業者間の調整役だった。今は旅行業の「CHENAM」を起業し、秘境の魅力を世界中の人に届けたいと考えている
忙しい日々の中で、仕事や人間関係のストレスを抱え、気づけば“逃げるように”山へ向かう時間が増えていたという山之内さん。そんな時に目にしたのが、YAMAPの「ひげ隊長の弟子募集」の記事。これをきっかけに、協力隊として移住を決意します。
伝統文化の継承や山の見回り、野生動物と向き合う暮らし。自然との関わりが濃く、命の循環を実感できる日常に、強く惹かれたといいます。「一番面白いのは、村の人たち。木にとりもちを仕掛け野鳥を捕って食べていた昔話や、ランニング中に猪から追われた話など、何気ない会話の一つひとつが新鮮で、都市との価値観の違いに驚きました」。
満点の星空と雲海のダイナミックな風景の素晴らしさもさることながら、道端でキツネやフクロウに出会い、季節ごとに違うカエルの声に耳を澄ます。そんな小さな発見の連続が、暮らしそのものを豊かにしてくれたそうです。現在は秘境のインタープリターとして、古道や山里、民俗文化をテーマにしたツアーを企画・ガイドしながら、SNSや仲間とのポッドキャストを活用し、素朴で温かい地域文化を発信しています。

前職では不動産の営業で駆け回っていた。今は仕事の傍ら親戚が運営する農家民泊の手伝いも行う。写真は宿にあるいけすのヤマメ
母親の故郷が椎葉村だったこともあり、熊岡さんにとっての椎葉村は、子どもの頃から夏休みや正月に訪れていた馴染みのある場所でした。湘南の会社で営業マンとして働き、転勤で国内外をめぐる中、最後はベトナム勤務へ。帰国を前に「もう電車に乗る生活には戻りたくない」と感じ、移住を決意します。
協力隊として観光協会に入り、観光や物産の仕事に3年間携わりました。任期後も「とにかく椎葉に残りたい」と模索する中、協力隊OBが立ち上げた会社に誘われ、現在は物販を軸に地域の仕事に関わっています。平日は働き、休日は畑に出る。人との距離が近く、時間に追われない日々を楽しんでいます。
そんな彼にとって、人との関係を繋ぐ大切な入口になったのが、神楽や狩猟といった地域の文化でした。「この村の人たちは、神楽や狩猟、ジビエの文化をすごく大事にしているんです。ここで人間関係をつくるには、文化が一番のコミュニケーションツールだと思っています」。声をかけられたら参加してみる。困っていたら助ける。そうした積み重ねの中で、“助け合い”を育んでいく理想の田舎暮らしを見つけていました。

以前は住まいと研究拠点を行き来しながら地域調査をしていた。今は「いつか椎葉大学を作りたい」という夢を持つ研究者に
滋賀県出身の森内さんは、文化人類学・民俗学を専門に研究してきました。日本民俗学発祥の地でもある椎葉村の存在は以前から知っており、「いつか訪れてみたい場所」だったといいます。そんな折に目にしたのが「秘境のキュレーター、山奥学芸員を募集」という求人でした。研究者として自由度が高く、本気で向き合えそうな環境に惹かれ、お試し移住を決断。自治体の方の案内で訪れた図書館や交流拠点、ブックカフェを目にし、「ここなら生きていける」と感じ、移住を決めました。
かつて拠点としていた民俗学の聖地・遠野(岩手県)では、生活の都市化が進み、研究対象だった“生きた語り”が失われつつあることに違和感を抱いていたといいます。椎葉村で出会ったのは、昔ながらの日本の暮らしが今も現役で続く日常。現在は妖怪や神話ではなく、村の人々の普段の暮らしそのものを調査対象にしています。
「ここでは博物館に行かなくても、暮らしの現場そのものが研究対象。地区単位で人と向き合うことができ、全数把握できる環境に手応えを感じています」。さらに、女人禁制の神楽にも自ら働きかけ、舞い手として参加。文化と暮らしの間に立ちながら、小さな変化を次の世代へと繋いでいます。
椎葉村では、移住者3人がインタープリターとして企画・案内するツアーに参加することも可能です。ここからは、自然と文化の面白さがぎゅっと詰まったツアーの一部ご紹介します。
山之内さんが案内するツアーの舞台は「壇ノ浦の戦い」で敗れた平家一族が逃れ住んだと伝えられる「白鳥山」。平家最後の地とされる山域を歩きます。
YAMAPの地図はこちら

出発地点は標高1,483m。歩き出してすぐに絶景を満喫
テーマは、平家物語冒頭にもある「諸行無常」。この世のすべては同じ姿のままではいられない──山之内さんは、山の中で起きている変化を感じながら、自然や自分自身との対話を楽しんでほしいと語ります。

九州脊梁山地は西日本最大級のブナ原生林が広がり、九州の重要な水源地でもあります。ツアーでは、ブナの種類や生態、森が水を育む仕組みについて解説がありました。
特に印象的だったのが、ブナの樹皮に見られる模様の話。この模様は、菌類と藻類が共生する地衣類によるもの。菌は安定した住処や空気中から得た水分を、藻は光合成による栄養を提供します。水をたっぷり蓄えるブナの樹皮は、共生にとって理想的な環境なのだそうです。「この辺りは超一等地“ブナヒルズ”ですよ!」と山之内さん。

大きなブナの木は1日で2トンの水を蓄える
尾根沿いをゆったり歩いたあとは昼食。各々が思い思いの場所で、地元の恵みを味わいます。

写真は画家の生島国宜さん。彼も福岡から椎葉へ移住した協力隊員
そのあとは森を観察する時間も設けられ、自然をより身近に感じながら歩みを進めます。

アクティビティは自然の中での音探しの場合も
やがて湿地帯にある御池(みいけ)へ。苔に覆われた木々が立ち並び、神秘的な空気が漂います。この場所は、かつて雨乞いの神聖な場だったとも伝えられています。

天然の冷蔵庫・風穴に手を入れると心地いい風を感じた
加えてこの御池は、平家落人が自害したとされる「消滅」の伝説と、白鳥の導きで定住した「再生」の伝説が、尾根を挟んで語り継がれる場所なのだそう。人生の儚さと尊さに思いを馳せながら、静かに手を合わせました。

2025年の7月末には、こちらで江戸時代前のものと思われる銅鏡が見つかったとのこと。平家所縁の椎葉さんが見つけたそうで、村では「宝に呼ばれたのでは」と語られているそうです。

山頂では、折り重なる山々を眺めながらかつての主要交通網「駄賃付けの道」に思いをめぐらせます。

歩き終えたあとにふるまわれたのは、山之内さんお手製のクロモジ茶。土地の土を使った器とともに、深い余韻を残す時間となりました。
熊岡さんが案内するツアーは、自身が手がける「椎葉の秘蜜」を通して、百花はちみつの奥深い味わいと、椎葉村に受け継がれてきた伝統的な採蜜の魅力を伝える体験です。

蜜は全て椎葉村内で採れたもので、100%椎葉産の天然資源
まず訪れたのは、調理場を備えた交流拠点施設「かてりえ」。ここで生産者から受け取ったはちみつを、一本ずつ丁寧に瓶詰めする作業を見学します。

「椎葉の秘蜜」は、プロジェクトハニー推進協議会に加盟する生産者のはちみつのみを使用。巣箱の設置から採蜜まで手作業で行われ、糖度78度以上という厳しい基準を満たした天然蜂蜜です。
次に向かったのは、巣箱が設置されている場所。一軒家の庭にある在来種の茶の木(山茶)を見せてもらいました。もともとは自家用だった茶畑も、今では熊岡さんの会社と協働し、茶葉を活用しています。

無農薬栽培。手入れの時期ではないため、今は雑草もある
椎葉村に根づく焼畑文化の跡地では、休耕期に茶の木が育ちやすく、茶の花は蜂たちの大切な蜜源にもなっているそうです。「3年前からウチで製茶を始め在来種の茶葉にこだわりたかったので、地主さんに管理をお任せいただくかわりに茶葉を譲ってもらえないかとお話しました」と熊岡さん。

ここが熊岡さんの母親の実家。ポニーや牛、日本鶏のチャボなど動物がいっぱい
続いて訪れた「綾乃ファーム」では、実際に設置されている巣箱を見学。重箱式と椎葉の伝統的な丸洞式の違いや、ミツバチの生態について学びました。こうした伝統を支えているのが、現在協議会に加盟する22名の養蜂家たちです。中心が70代で上は92歳とのこと。熊岡さんが次の世代となる日も近いかもしれません。

熊岡さんも去年から丸洞式で個人用として養蜂を始めた

椎葉村は日当地区と日添地区にわかれる。ここは夏涼しい日添地区

最後は、椎葉村を一望できる場所で、市販のはちみつとの食べ比べ。山茶も一緒にいただきました。これまでにない風味を味わいながら、ニホンミツバチとその生育環境が、この村の暮らしと深く結びついていることを実感する時間となりました。
森内さんが案内するツアーは、民俗学の父・柳田國男が『後狩詞記』を記した舞台をめぐり、椎葉村と民俗学の出会いをたどる体験です。

庄屋を務めた松岡家屋敷の大イチョウ。樹齢は700年以上
はじめに訪れるのは松尾庄屋跡。ガイドブックを手に、「この場所は何か」「民俗学とは何か」と問いを投げかけながら、普通の人々の暮らしを記録する学問の面白さに触れていきます。

コラムもありZINEのようなガイドブックを手にしてまわる

Q&Aの時間で正解が出ると歓喜する森内さん。民俗学をこよなく愛する人
車で笹の峠の登山口へ移動し、古道を歩き始めます。柳田が訪れたのは1908年。当時、椎葉は複数の村に分かれ、それぞれに庄屋が置かれていました。この日、訪れたのは旧松尾村。庄屋跡で庄屋の仕事内容や功績をお話いただきました。

駄賃付けの道は昭和初期まで使われた幹線道路で、物資だけでなく芸能や文化も運ばれていたといいます。

柳田は美郷町南郷区(旧南郷村)で借りた馬に乗り、松尾の庄屋で宿泊してから峠を越えたと伝えられています。森内さんからここで拾った蹄鉄を見せてもらい、研究者の醍醐味ともいえる発見の喜びを共有しました。
柳田の旅の予定では、当初ここへ来る予定はなく、熊本の講演会で偶然焼畑の話を聞いてやって来たのだそうです。その時の滞在は1週間で、88年の生涯でも一度きりでしたが、晩年まで椎葉村で見聞きしたことを、本や講演を通して広げたと語られています。

笹の道を歩きながら、植物や建築物、キーパーソンまで村固有の文化について話してもらった
当時33歳の柳田は農林水産に関わる官僚だったそう。天災・人災による食糧難を少しでも法の力で救いたいと、全国の農村部を歩きました。そんな彼が椎葉村で発見したのは狩猟に関する巻物。村の人々が協働で行う狩猟の仕方に「共同のユートピア」を見出したといいます。実際に、椎葉では今でも助け合いの精神を意味する「かてぇり」という言葉が使われ、インフラの整備までもが地区の協業により回っています。「今の時代に必要とされている、持続可能な技術と人の繋がりの両方が椎葉には備わっているんですよね」と森内さん。

山登りが苦手な森内さん企画は山頂まで15分のコース

『後狩詞記』を書いた当時、柳田はまだ「民俗学」という言葉すら知りませんでした。のちに名を轟かせた彼の足跡をたどりながら、私たち自身もまた「暮らしの歴史」をつくる一員なのだと、日々の生き方を見つめ直す体験となりました。
今回ご紹介した3人がガイドするツアーの詳細はこちら。リンク先にお申し込みとお問合せ先があるのでぜひご覧ください!
椎葉村での定住を選んだ人たちは、暮らしの中でこの土地の魅力を掘り下げ、自分なりのかたちでアクションを起こし続けています。
文化や伝統を守りながら、外に向けて開かれた地域へ。人の生き方から、その変化が確かに広がっていく椎葉村の今を、ぜひ現地で体感してみてください。