富士山は、五合目から登るもの——。
いまではそれが当たり前となっています。
けれど、かつての富士登山は、麓の街から始まっていました。北口本宮冨士浅間神社を経由する「富士みち」は、信仰や人々の営みを背負いながら、山頂へとつながる一本の道。
ゼロ合目から歩き出してみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。街から森へ、文化や信仰の痕跡を踏みしめ、やがて雲の上へ——。
本記事では、富士みちを起点に、ゼロ合目から山頂までを歩き通す「ZERO to FUJI」という登り方を紹介します。それは、ただ山頂を目指すだけではない、古くて新しい、もうひとつの富士登山のかたちです。
2026.05.12
大堀 啓太
ライター・編集
登山者にはあまり知られていない、江戸時代から歩かれている富士山への古道が、いまも息づいています。
それが、山梨県大月市から富士山の山頂に続く「富士みち」。
富士講の人々が富士山を目指した参詣道で、関東一円から富士みちを通じて富士吉田の街に人々が集まりました。そして、富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社を起点として吉田口登山道につながり、六合目で吉田ルートに合流。富士山の麓から山頂まで続く、数少ない道です。

江戸時代の古地図。富士みちは、麓から山頂へと人々が歩き続けてきた、富士山登拝の中心的な道だった(画像:ふじさんミュージアム提供)
江戸時代の古地図や明治期の写真を見ると、「富士みち」が富士登山の主要な道として使われてきたことが分かります。五合目から登る現在のスタイルが一般化する以前、富士山はこの道を通って、麓から登るのが当たり前だったようです。

四合五勺にある大きな岩壁(御座石)に掘られた文字。山岳信仰の様子がうかがえる
「富士みち」は、富士山を神聖な山として信仰する民衆の集まり「富士講」により、たくさんの先人が登った山岳信仰の道。健康や一家繁栄・商売繁盛などを願い、心身の浄化を目的として、富士山に登山する「登拝」がかつては盛んに行われていました。

明治末から大正時代の頃に登拝した富士講の信者たち
また、富士修験の道でもありました。山伏は、自然そのものに神仏を見出し、富士山という霊山に入って修行することで、煩悩を払い、超自然的な力を身につけていたようです。

要所に設置された案内板からは、昔あった建物や当時の様子を知ることができる
深い森に包まれた道沿いには史跡や当時建っていた茶屋などの名残がそこかしこにあり、思いを馳せればかつての賑わいが肌で感じられそうなほど。

トップに立つと一望できる富士山のお鉢
多くの人にとって、富士山は五合目から始まる登山です。富士宮ルートや御殿場ルートなど、いまではそれが“普通”になっています。けれど、かつては麓の街から歩き出すのが当たり前でした。
ゼロ合目から歩いてみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。信仰や修験の道として、江戸時代から続いてきたこの道を、現代の登山の楽しみ方として捉え直す。それが「ZERO to FUJI」です。

現在の登山ルートの多くが、交通事情や観光の発展とともに整備されてきたのに対し、富士みちは、麓から山頂へと人が歩き続けてきた歴史そのものをなぞる道です。どこから登るかという選択は、富士山との向き合い方を選ぶことでもあります。
今回、そんな「ZERO to FUJI」を、サロモンスタッフの矢野可菜さん、富士吉田市富士山課の小沢智成さんと一緒に、富士山頂までの道のりを歩き通してきました。

サロモンスタッフ 矢野さん:辛くて、辞めたいと思ったんです。正直、泣くつもりはなかったんです。でも、歩いてきた道や景色を振り返った瞬間、自然と涙が出ました。富士山を“ただ登っただけじゃない”感覚を得ることができたのが、とても印象的でした。

富士みちをゼロ合目から歩き、信仰や修行の「道」と呼ばれてきた理由を肌で感じたという矢野さん。街から山頂までをつなげて歩くことで、人の営みの積み重なりが実感として伝わってきたといいます。そして、日本最高峰へ登る苦しさを超えた先に、思わず涙がこぼれるほどの深い感動があったようです。
ただの登山ではない富士山への「道」を一泊二日で歩いた、その様子をみていきましょう。

北口本宮冨士浅間神社の入口にある大きな鳥居
「富士みち」から続く登山道の入口となるのが北口本宮冨士浅間神社。世界遺産・富士山の構成資産のひとつであり、1900年以上の歴史があります。
入口の鳥居をくぐり、立派な杉並木と石灯籠が両脇に佇む参道を進むと出迎えてくれるのは、木造の鳥居としては日本最大級の冨士山大鳥居です。荘厳な姿を前に身が引き締まり、登山への静かな高揚感が湧き上がってくるようです。

まずは、登山の無事を願ってお参り。そして、北口本宮冨士浅間神社の西宮本殿右手後方にある登山門を過ぎれば、いよいよ富士山山頂への道のりが始まります。

遊歩道周辺の森ではその昔、薬草を採ったり、畑を耕していたりしたそう
中ノ茶屋までの吉田口遊歩道は、1929年から富士登山バス(富士山自動車株式会社)が運行されていた道路。そのためか、道幅は広く、足元には石が敷かれ、道が整備されていたことがうかがえます。多くの登山者を運んだ富士登山バスですが、1964年に富士スバルラインが開通したことで廃業となりました。

アウトドアブランドSALOMON(サロモン)と富士吉田市の連携プロジェクト「Mt.FUJI Re-Style Project」によってリニューアルされた中ノ茶屋
北口本宮冨士浅間神社の登山門から馬返しまでの中間地点にあるのは、300年以上の歴史をもつ中ノ茶屋。昔から多くの登山客を見守ってきました。

リニューアルされた建屋はきれいで、トイレも清潔
サロモンのシューズがレンタルできたり、スナック菓子やチョコレートなど行動食の買い足しもできたりします。装備をいまいちどチェックして、最後の身支度を整えるのに便利なポイントです。

名物は「みたらしだんご」や「かりんとうまんじゅう」。甘味をとって身も心も満たし、再び吉田口林道を90分たどると、馬返しに着きます。

馬返しは、険しくなる登山路の手前で、乗ってきた馬を帰して徒歩に切り替えた場所です。

馬返しには、富士山の歴史に触れられるものがあります。それが、石造りの鳥居の両脇に配置されている、合掌する猿の像。
一夜にして富士山が湧き出たという伝説。それが庚申(かのえさる)の年であったことから、富士山の使いとして、猿が鎮座しています。
こうした由来や伝承を思い浮かべながら歩いていると、頭で理解していた歴史が、少しずつ足裏の感覚として積み重なっていくようです。

写真に写る当時の建物は倒壊のおそれから、2026年以降に解体と再建が計画されている
いよいよ登りがきつくなり始め、ひと息つきたいときに現れるのが、一合目にある鈴原社。かつて、建物の中には大日如来像が奉られていましたが、いまは富士吉田の街に安置されています。

足元に目をやると、多くの人が往来していた痕跡がみられます。石畳で整備され、登山道というよりは古道といった印象。
雨などで降った水を逃がす排水溝や、水を留めて浸水させる浸透桝もあちこちに。水で削られやすい土壌を守るために施された先人の知恵に、感嘆するばかりです。

苔が生い茂り、広葉樹や針葉樹が林立する道を三合目まで登り詰めれば、森がふと開けた場所に出ます。見晴らしが効き、ゼロ合目からの登りを振り返りながらお昼休憩するのに、もってこいの場所。
江戸時代から二軒の茶屋が立ち並び、早朝に出発した登山者も、この場所で昼食を取ることが多かったことから「中食堂(ちゅうじきどう)」という名だったそう。見晴らしの良い場所でお昼を、という登山者の気持ちは、今も昔も変わらないようです。

明治末から昭和初めの頃の三合目は行き交う人々で賑わっていた「中食堂」の様子。いまは建屋もなく静まり返った場所で、案内板だけが当時の賑わいを伝えている
お腹を満たしてふたたび歩みを進めると、四合目「大黒小屋」、四合五勺「御座石」、五合目「中宮」と次々に出てくる先人の足跡。
体は疲れを感じ始めているにもかかわらず、知的好奇心が刺激され、軽快になる足取り。街から続く道を、自分の足でここまでつないできたという感慨も背中を押してくれます。

そして、いつの間にか一日目の宿泊ポイント、五合目の佐藤小屋に到着。

夕食の美味しいお鍋に舌鼓をうち、早めに就寝をして、明日に備えます。
サロモンスタッフ 矢野さん:山頂付近の0度近い気温を想定した装備を背負いながら、夏山の暑さに苦しみましたが、小屋のなかは快適で、あたたかい食事に元気が出て、体をしっかり休められました。(取材は2025年9月)

まだ暗いうちから二日目の行動を開始。山頂まではまだ半分。五合目はゴールではなく、「ZERO to FUJI」の通過点です。

ゼロ合目から登ってきた場合は、富士吉田ルートと合流する六合目で入山料を払う
煌々と照明が照っているのが、六合目にある富士山安全指導センター。七合目より上の山小屋の灯りが、まるで先導のよう。

ヘッドライトを点け、目指すのは富士の頂き。余計な思考は追い出され、ただ目の前の一歩に集中します。
やがて、東の空にオレンジ色が差し、浮かび上がる空と雲の境界線。視界がクリアになるほど、一歩一歩に込められる力が大きくなっていきます。

七合目でご来光を迎えました。
サロモンスタッフ 矢野さん:ご来光って、なんでこんなにもグッとくるんですかね。まるでDNAに刻まれているかのように日本人のなかにある風景で、心が洗われるようです。
ゴールのような感動と充足感に包まれますが、先はまだ続きます。

傾斜は徐々にきつくなり、足元はゴツゴツとした溶岩の岩場へ。息も上がり、足も重たくなってきましたが、転倒しないように一歩一歩足を運びます。

「食行身禄」が祀られている八合目の「冨士山天拝宮」に参拝
山頂への道中には、富士講の中興の祖といわれる「食行身禄(じきぎょうみろく)」が祀られている「冨士山天拝宮」や、古くから信仰の対象とされてきた神聖な巨岩「亀岩」など、富士山に根付く信仰が目に入ります。

明治末から大正時代の富士講の人々
「食行身禄」は、それまでの修行者が中心だった富士信仰を、一般庶民にも広めた人物。1733年には飢饉に苦しむ人々を救うため、断食入定し即身仏となり、江戸庶民から救世主として崇められました。

富士信仰においては白装束を着用し、金剛杖を持って「六根清浄」を唱えながら登頂を目指した

八合目過ぎにある「亀岩」。日本最高地点に鎮座する龍神が祀られた祠がある
亀岩を過ぎれば、山頂まであと少し。上がった息を整えるために立ち止まって、ふと振り返れば、これまで登ってきた道のりが背中を後押ししてくれるようです。

サロモンスタッフ 矢野さん:わたし一人でここまで来られたかどうか。当時の富士講の人々も集って登ることで、不安を和らげたり、励まし合ったりしていたのかな。あともう少し、がんばれ私の身体。

九合目から先の急な登りで、最後のひと踏ん張り。そして、久須志神社の鳥居をくぐった先が、吉田口の山頂です。

サロモンスタッフ 矢野さん:数ヶ月経って思い返すと、不思議と辛かったことは忘れていて。思い出すのは、一緒に歩いた人たちとの時間なんです。
「ZERO to FUJI」の先にあるのは、山頂へ登り切った達成感だけではありません。麓の街から歩くことでしか見えてこない富士の文化や人々の想いに触れる、もうひとつの富士登山体験なのです。
富士吉田市富士山課 小沢さん:富士吉田市では、富士みちとそこから始まる吉田口登山道を、自然と歴史の両方を感じられる道として大切にしてきました。森の美しさや苔むした景色など、麓から歩くことで初めて気づく富士山の表情があります。ゼロ合目から歩く体験を通して、登山だけでなく、街や文化も含めて富士山を楽しんでもらえたらうれしいですね。

「ZERO to FUJI」の大きな特徴は、ゼロ合目から山頂まで歩くことで、激しい標高差による環境の変化です。
市街地に近い森から始まり、樹林帯、砂礫の登山道、そして風雨や低温にさらされる高所へ。装備には、こうした幅のある環境変化に対応できる柔軟さが欠かせません。

ウェア選びで意識したいのは、「行動中」と「止まったとき」を分けて考えること。
歩いている間は汗をかき、立ち止まると一気に体が冷えます。行動中は体温調整しやすく、速乾性のあるウェアを重ねたレイヤリングを基本に、休憩や山小屋では迷わず羽織れる防寒着を用意すること。とくに富士山では、寒くなってから考えるのではなく、寒くなる前提で準備することが、低体温症などのリスクを予防するうえで重要です。
雨などの濡れへの対策も最優先事項のひとつ。五合目以降は遮るものがなく、風雨を直接受けやすくなります。上下セパレートのレインウェアなど、行動中でも着脱しやすく、確実に体を守れる装備を選びましょう。

そして、山小屋泊では「着替え」も重要な装備と言えます。
汗などで濡れたままのウェアで過ごすのではなく、しっかりと着替えることで低体温症などの体の不調を防ぎ、あたたかく快適に過ごせるのです。着替えることで、睡眠の質が向上し、富士登山の確率も上がるはずです。

足元は、長い距離と変化に富んだ路面を歩き通せる安定感と安全性が鍵となります。
シューズは、足首をサポートできるミドルカット以上の登山靴が向いています。森の道から溶岩混じりの登山道、砂礫の下りまで続くため、軽さよりも安定感とグリップ力が大事です。
また、木や草、火山岩の砂礫から肌を守るためにも、ロング丈のトレッキングパンツを穿きましょう。

小物では、ゲーターがあるとシューズ内への砂利の侵入を防げて、行動中のストレスを軽減。脚の負担や下山時の転倒リスクを予防するため、トレッキングポールがあれば便利です。

ーーーーー
富士山をどう登るか。
その選択ひとつで、見える景色も、感じる時間も変わってきます。
次に富士山を目指すなら、五合目ではなく、ゼロ合目から。「富士みち」を起点に、「ZERO to FUJI」をぜひ歩いてみてはいかがでしょうか?
本記事で紹介した「富士みち」の様子は、YAMAP YouTubeチャンネルで動画も公開されています。
ぜひ合わせてご覧ください。
【サロモン×YAMAP①】ゼロ合目から登る富士山「富士みち」
(2026年5月12日時点では【前編】のみ公開、【後編】は5月28日公開予定)
原稿:大堀啓太
写真:武部努龍
協力:富士吉田市、ふじさんミュージアム、アメアスポーツジャパン(SALOMON)