日本を代表する「巡礼の道」として知られる紀伊半島南部の「熊野古道」。世界遺産にも登録され、注目を集める熊野古道ですが、実は人口減少や一次産業の衰退によって、その文化は大きな危機を迎えているのです。YAMAPでは、この危機を解消すべくユーザーの力を借りて、熊野古道に新たな観光資源を生み出す取り組み「熊野REBORN PROJECT」を2020年10月にスタート、その活動の様子をYAMAP MAGAZINEでレポートしてきました。
最終回となるこの記事では、3回の座学と2泊3日のフィールドワークを経験した各参加者が創造した「熊野古道中辺路と、その玄関口である和歌山県田辺市の観光活性化策」についてのアイデア発表会の様子をレポートします。
熊野REBORN PROJECT #05/連載一覧はこちら
2021.02.05
YAMAP MAGAZINE 編集部
2021年1月23日15時。昨年の8月に募集を開始、10月から本格始動した「第1期 熊野REBORN PROJECT」最後の取り組み「アイデア発表会」が開催されました。
本来ならばこのアイデア発表会、東京都心の会場を舞台に参加者や関係者、メディアを一堂に会して開催する予定でしたが、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言によって、やむなくオンラインでの開催に…。やはり最後は全員で半年にわたる努力を讃えあい、そしてそれぞれのアイデアに意見を交換したかったのですが、参加者の安全と感染拡大予防の観点から、苦渋の決断となりました。
しかしながら画面越しに発表されるアイデアはいずれも熱量が高く、また斬新なものばかり! 当日は田辺市長の真砂充敏(まなごみつとし)さんを始め、本プロジェクトに協力してくれた田辺市の面々も参加していましたが、どの顔も驚きと喜びの表情に溢れていました。
それでは前置きはこの辺りで失礼し、各参加者の発表をさっそくご紹介していきたいと思います。本来ならその全てをお伝えしたいのですが、スペースの関係もあり要約してお伝えすることはご容赦ください。
でも、その内容は要約しても輝きを失わない個性あふれる提言ばかり。ぜひ綺羅星の如きアイデアの数々をご堪能あれ!
会のスタートは、田辺市上秋津名産の「俺ん家ジュース」で乾杯!
緊張と期待が交錯する発表のトップバッターは直人(なおじん)さん。
直人さんが今回のプロジェクトを通して、熊野古道と田辺市に抱いた印象は「豊かな森が生み出す紀州材・梅や柑橘をはじめとした農作物、美しい海に育まれた海産物、熊野古道に代表される文化、再生可能エネルギーの発電、旅の疲れを癒す温泉、地元が大好きで精力的な人々など、ありとあらゆる魅力がすでに存在している」ということ。
「ただ、田辺市が非常に大きく(田辺市は近畿地方最大の自治体)、その魅力が広大な市内に散らばっているため、旅行者にうまく伝えきれていないのではないか?」という仮説が発想の出発点です。
そこで思いついたアイデアが「田辺市の魅力が詰まった小さなエリアを作ってはどうか?」というもの。名付けて「田辺Circle Life City構想」。田辺市で生み出される資源を循環させ、自給自足に近い生活を体験できる小規模な観光エリアを作ろうというプランです。
「紀州材を用いた家づくり、地元食材を使った食事、もちろんエネルギーは水力・地熱・太陽光など、田辺市で生産できる再生可能なもの。これによって環境負荷が少なく地域の自然文化に根ざした未来の街づくりができるのではないか?」と直人さんは語ります。
ただ…これでは、閉じた環境になってしまい、人を呼ぶコンテンツが足りていません…。そこで思いついたのが「食による観光誘客」。ここにしかない農産物やジビエ、柑橘など地産地消の食材を使った料理を「田辺Circle Life City」の中で提供し、このエリアに人を惹きつけようというアイデアです。
直人さんは未来の田辺市の姿を、スペインにある食の街「サンセバスチャン」に重ねていました
これによって、既存の観光資源である「熊野古道」と新たに作る「田辺Circle Life City」の間にシナジー効果が生まれ、オンリーワンの滞在型観光を提案できるのではないかということを直人さんは力説していました。
都内の企画制作会社でプランナー業務に従事するりおさん。このプロジェクトに参加するまでは、熊野古道を旅したこともなく、田辺市についてもあまり知らなかったということです。
プロジェクトに参加した感想は「熊野古道と田辺市は、さまざまな魅力に満ち溢れており、知れば知るほどファンになった」とのこと。ですが東京で暮らしていると、なかなか情報が入って来ず、今は漠然と「このまま一度きりの関係で終わってしまうのではないか?」という不安に襲われているそうです。
りおさんはこの「不安」を出発点として、旅行者と地域を継続的につなぐアイデアを発表してくれました。
内容は、旅をしている最中の「旅中」だけではなく、旅の検討・計画をしている「旅前」、そして旅が終わった後の「旅後」の体験を提供し、旅行者と地域に継続的な関係性を構築していくというもの。熊野古道と田辺市は世界遺産や美味しいものもあり、「旅中」は充実しているのですが、「旅前」と「旅後」が弱いのではないかと仮説立てていました。
その課題を解決するプランが「行かないトラベルガイド」というガイドブックの発刊。通常のガイドブックの様な観光情報に留まらず、地域密着型の活動や、その活動にどうすれば外部の旅行者でも参加できるかについて、紹介されているのが特徴です。
具体的には、地域で行われている活動をクラウドファンディング、オンラインショッピングで応援する方法や、オンラインイベントへの参加方法、さらには現地で開催されるお祭などへの参加方法が紹介されているのだと、りおさんは語ります。
読者はこの冊子を読むことで、都市に暮らしながらも熊野古道、田辺市のローカルな活動と継続的につながることができるのだそうです。
冊子を発刊して、「熊野への旅を計画している人」や「熊野の旅から帰ってきた人」に届け、「旅前」と「旅後」の接点を作ることに挑戦したいとの意気込みを表明して、りおさんは発表を締め括っていました。
コロナウイルスの流行によって2020年1月以来、ずっと在宅ワークを続けているというべんけいさん。自由度が高い働き方ながら、やはり閉塞感や運動不足を感じており、その解決策として日頃から登山を楽しんでいるということでした。
べんけいさん曰く、「登山(歩く)という行為は、それ自体が思考ツールである」とのこと。呼吸を整え集中することで、マインドフルネス的な効果や思考の整理がなされると感じているそうです。
そんなべんけいさんは、登山で得たその気づきと熊野というフィールドを組み合わせて、アイデアを発表しました。題して「ひとりワーケーションプログラム」。ターゲットは「山好き」「在宅勤務者」「ひとり合宿をしたい人」の条件のうち、2つ以上に合致する人とのことです。
プランの概略は、午前中に熊野古道を歩き、午後は滞在施設でリモートワークをするという旅のスタイルをインフラ含め整備するというもの。
旅行者は、熊野古道を徒歩で移動し、拠点を変えながら午後は仕事に従事します。また、その旅を支援するために「宿泊施設に執務スペースやネット回線、作業用モニターなどを用意する」「拠点間を移動する際の荷物搬送サービスを充実させる」といったアイデアも用意していました。
これらを整備することで、旅行者は熊野古道を堪能しながら、仕事も進めることができるのではないかとべんけいさんは考察します。
長い距離にわたって山道がつながり、適度な区間ごとに宿泊施設がある熊野古道ならではのワーケーションを作っていきたいと、発表の最後にべんけいさんは熱く語っていました。
まみさんは、このプロジェクトで感じた熊野古道の印象を「還る」という言葉に象徴してくれました。「自然の流れに還る」や「大人が子どもに還る」といったイメージから、この言葉を紡ぎ出したそうです。
中でも、植林体験でどんぐりから育てた苗を山に還した(植えた)ことが鮮烈な記憶に残っているそうで、多くの旅行者にも植林を経験して欲しいと考えているとのこと。
でも、そこでネックになるのが重くて危険な鍬を持っての山登りです。ご自身も鍬で怪我をしないか? そして、誰かを怪我させないか? がとても不安だったそう。その解決策として考え出したのが、下記のアイデア。
熊野の山から切り出された木で作られたこちらの器は、育苗ポットとして、どんぐりから苗を育てることに使えて、育った苗を山に植林する際には、先端がスコップの役割を果たすという優れもの。しかも、植林後には自宅に持ち帰って小物入れにできて、ずっと熊野を身近に感じられる宝物になるというプロダクトです。
なんでも、このデザインは知り合いのデザイナーさんの力も借りて、この日のために作ってきたという力の入れよう。
また、まみさんは現在、本当に良いものを伝えていくサイトのプロジェクトに参加しているということで、今後はサイトの中でも熊野で生み出される本物のプロダクトを世の中に広めていきたいと語っていました。
長崎・福岡・東京の3地域を拠点に活動するコピーライターのただしさん。発表は言葉のプロらしく、コンセプトに関する話から始まりました。
ただしさん曰く、「熊野にはすでに”どんな人も分け隔てなく受け入れ、その再生を支える”というよみがえりの地ならではのスーパーコンセプトが1000年にわたって受け継がれている」とのこと。この脈々と続く尊い価値を武器に熊野をREBORNしていくべきだと、ただしさんは説明します。
一例として挙げたのが「大アカネ祭」。これは、「スギノアカネトラカミキリムシ」という虫の食害によって変色・虫食い跡が発生してしまった木材「アカネ材」からインスピレーションを得たものです(熊野古道周辺のアカネ材に関する取り組みは過去のレポートをご覧ください)。
その概略は、心に傷を負った日本中のアカネさん達を熊野に招待し、ゆっくりと過ごしてもらって心の傷を癒してもらおうというもの。傷を癒したアカネさん達には、熊野アンバサダーとして、熊野古道やアカネ材で作った家具の素晴らしさを世に広める役割を果たしてもらおうというプランです。
「仕事や家事、育児や人間関係で弱っているアカネさんや、経済的に困っていて旅を楽しむ余裕がないアカネさん。そんな日本全国のアカネさんを熊野に招待して、アカネ材の傷と自分が心に抱える傷を重ね、ありのままの自分を肯定し、そして癒されて元気によみがえる。結果、熊野を好きになって、その素晴らしさをPRしてくれるようになる」とただしさんは語ります。
アカネ材と日本全国のアカネさんをリンクさせたプラン。実は第2回の座学でアカネ材の存在を知って以来、ただしさんがずっと力説し、育ててきたアイデアなのです
施策内容は複数あったのですが、ここでは最も力を入れて説明していた「乳岩ワーケーション」についてご紹介します。
「乳岩」とは、熊野古道滝尻王子そばにある大きな岩。この岩には、かつてこの場所に産み落とされたままになっていた乳飲児が岩から滴り落ちる乳と狼の世話によって生き延びたという伝説が残っています。
「乳岩ワーケーション」は、この伝説にインスピレーションを得たもので、子育てで手一杯のワーキングマザーが対象。具体的には、田辺市上秋津地区にある「秋津野ガルテン」と地域の託児施設が連携し、ワーキングマザーが秋津野ガルテンでリモートワークをしたり、自然に癒されたりしている間、託児施設が子供の世話をしてくれるというもの。これによって子育てと仕事の疲れを癒し、元気にREBORNしてもらおうという取り組みです。
これこそ「よみがえり」と「分け隔てなく、いかなる人も受け入れる」という熊野の物語を体現する取り組みになるのではないかと、ただしさんは力説していました。
いつもはライターとして、日本各地を旅し「貧乏旅行者」を自称する熊山さんの発表は、他の参加者とはちょっと目の付け所が違う「旅費どうするか問題」。その問題を旅行者向けの技能実習制度的なアイデアで解決しようという試みです。
2泊3日のフィールドワーク後も熊野古道を引き続き歩いて、その様子をSNSで発信していたという熊山さん。知人からは「行ってみたいけど遠くて高い」という声が多く寄せられたそうです。
そういった人達に対して、収入を得ながら旅する方法を提案できれば、旅行者も増えて滞在日数も長期化し、熊野との間に深い関係性が芽生えるのではないかと熊山さんは続けます。
その具体的なアイデアこそが、「タナベ的技能実習制度」。旅行者が熊野古道を歩きながら地元の産業に従事し、収入を確保、事業者はその支払いを地域通貨で行うという試みです。
旅行者は、熊野古道周辺で営まれている「林業・農業・漁業・工業」などの人材不足産業に1日数時間従事し、事業者はその謝礼として、宿泊場所と食事、そして地域通貨を支給します。地域通貨は、宿泊費や交通費、お土産の購入などに活用できるとのこと。また、旅で余った地域通貨は、田辺市のふるさと納税にも充てることができ、旅の後も有効に使えるようにしてはどうかと熊山さんは提案していました。
この仕組みによって、旅行者は現地の人々と触れ合い、熊野を学び、収入を得ながら旅を続けることができます。結果、旅行の期間が伸びて地域との継続的な関係性も構築できるのではないかと熊山さんはその可能性に言及。「働きながら旅をする」という新しいスタイルの提案に参加者一同、興味津々の様子でした。
プロのカメラマンとして世界各地の絶景を写真に収めてきたよこたさんが提案したのは、意外なことに「ポケモン」を活用した地域活性化の取り組み。
よこたさんが感じている課題は「田辺市と熊野古道には、観光としての魅力は潤沢にあるけれど、それらの魅力は来てみなければわからない」と言う点。そのため、手をつけるべきは既にある観光コンテンツの改良ではなく、いかに田辺市と熊野古道を訪れる人の数を増やすかということだと語ります。
その打開策として提案したのが「ポケモン」です。少し前に話題になった「ポケモンGO」の人気は依然として根強く、また、その長い歴史から、30代以上の大人にも親和性が高いキャラクターであると、よこたさんは力説します。
また、ポケモンローカルActsという取り組みでは、ポケモンを使った地域創生事業も試みられており、ポケモンと地域の特産品のコラボ商品も数多く生み出されているそうです。
「ポケモンGOは現実世界とリンクし、自分で移動しながら楽しむゲーム形式であるため、熊野古道というフィールドとも相性がいいのではないか」とのこと。
ポケモンを活用し、今の熊野古道とは縁がない新しい層の誘客が実現できれば、それがきっかけになって熊野古道の良さを理解してくれる人が増えていくのではないか? よこたさんは、ポケモンに新たな客層開拓の可能性を感じているとのことでした。
都内のデザイン会社に勤務するデザイナーのゆーみんさん。ワークショップで現地の人々の話を聞いた感想は「結構色々な取り組みが既に実施されている…。私にできることがあるのだろうか?」という不安だったそうです。
でも実際に熊野を歩いてみると、たくさんの気づきを得られたとのこと。例えば「熊野古道を歩いていても、意外と地元の人とは会えない」と感じたそうです。ずっと熊野とつながっているためにも、地元の人と交流し、知り合いを作るような機会が欲しかったと言います。
また、旅の中で色々な熊野の魅力を見つけたというゆーみんさんですが、感じたのはその説明の少なさ。例えば宿で出された料理の食材は現地でどのように栽培されたものなのか? 温泉にはどういった言い伝えや効能があるのか? そういった情報をもっと表に出していけば体験の価値自体が上がるのではないかと振り返ります。
そこで考えたアイデアが旅行者と現地の人々をつなぐコンテンツの造成とフィールドワークの組み合わせです。
コンテンツとしては、一般の観光情報だけではなく、みかんの名産地、和歌山ならではの食べ方「和歌山むき」の方法や、真砂市長が隠し持つ熊野古道への異常なほどの愛や知見、そういったディープで地元に密着した情報を発信してはどうかと提案していました。
よりディープなストーリーを展開することで、人々の熊野に対する関わり方が深まるのではないかと考えているようです。コンテンツの名前は題して「くまの遠吠え」。
また、フィールドワークのアイデアで多くの参加者から注目を集めたのが「聴き部」という存在を作り出すというもの。地元の方が旅行者と一緒に熊野古道を歩き、さまざまな相談に乗りつつ、旅行者のインサイトや事業ヒントも同時に得る、そこで得た気づきを地域のブラッシュアップに結びつけるという考えでした。
さらにこのアイデアの秀逸なところは「聴き部養成講座」を実施するという点。地元の方が、旅行者の良き相談相手となり、必要な情報をヒアリングするための「聴く技術」を習得する講座を地域内で実施するというアイデアには多くのコメントが寄せられていました。
今回の男性メンバー中で最年少の喜一朗さん。大学時代にも熊野を歩いた経験があり、その際には地元の方の自宅に宿泊させてもらい、夜通し語り合ったこともあるそうです。そんな喜一朗さん、今回のプロジェクトを通して「やっぱり熊野は自分にとって特別な場所。熊野とは生涯をかけて関わっていきたい」と感じたとのこと。
そんな想いを胸に喜一朗さんは、熊野を過去・現在・未来の3つに分けてアイデアを考えていました。
まずは過去。喜一朗さんは熊野の過去を「様々な物語が記憶された場所」だと定義します。それらの物語に目を通し、過去の熊野を追体験することで、旅行者は熊野をより深く理解できるのではないかと仮説立てていました。
そこで考えたアイデアが、熊野の歴史や出来事、熊野を舞台とした創作物をアーカイブ化し、熊野に興味を持った人が参照することができる「熊野文庫」を作ってはどうかというもの。すでに計画の実現に向け、関連書籍の情報収集をスタートしているという熱の入れようでした。
喜一朗さんのプレゼン資料の一部。情報量がスゴイ! この資料はプロジェクト終了後もアップデートしていき、熊野の魅力をもっと知るために活動を続けていきたいとのこと
続いて熊野の現在についてのアイデア。喜一朗さんにとっての熊野の現在は「山と道が豊かな魅力的な場所」。何でも熊野の山には「熊野三千六百峰」という言葉もあり、実は一大低山スポットなのだとか。喜一朗さんはその低山の魅力をもっと世に広め、そして整備する仕組みを実現したいと思っているそうです。具体的には、熊野の登山情報の充実やハイカーも参加できる古道整備の仕組み化などを促進したいとのこと。旅を通して旅行者が山を楽しみ、そして山に価値を還元する潮流を作りたいと語っていました。
そして、最後が熊野の未来について。熊野の未来は「余白に溢れている場所」だと喜一朗さんは語ります。そしてその余白に絵を描いていくための努力を、これから行っていきたいという決意表明で発表は締めくくられました。
日頃は不動産情報メディアの運営に携わっているというほしぴーさんのアイデアは、様々な人々が人生の転機に熊野を訪れる理由を作り出したいというコンセプチャルなもの。
熊野はそもそも「よみがえりの地」として知られていますが、熊野古道を「変化するための再出発の道」としてブランディングしてはどうかという考えです。
「結婚・離婚・転職・リタイアなど、人生に起こる様々な変化を整理し、受け入れ、またリスタートするための場所・行為として古道歩きを位置付けることができれば、より多くの人が再生を求めて熊野古道を旅するのではないか?」とのことでした。
また、発表中にチラリと話をした「架空の熊野の国をつくる」というアイデアがみんなの意見を集め、非常に面白い成長を見せることに。
ほしぴーさんが考えていたのは、熊野に足を踏み入れた旅行者が、架空国家「熊野国」の民として登録され、継続的な情報の受信やオンラインコミュニティーへの参加ができるようになるというもの。つまりは、熊野を経験した人々が、距離的な制約を超えて大きなひとつの集団になるというアイデアです。
そこに対して、YAMAP代表の春山から出たのが「距離的な制約だけでなく、時間的な制約も超えることができれば面白いのではないか?」という意見。
つまりは、大昔に熊野古道を歩いた後鳥羽上皇や藤原定家、そういった先人達も含めてコミュニティー化し、現代を生きる私達が熊野古道を歩くことで、その巨大なコミュニティーの一員になれるというアイデアです。
すでに登山の世界には「ヒマラヤンデータベース」という記録があり、過去から現在まで、ヒマラヤに登った人達が記録されているのですが、その熊野版を作ってはどうかというのです。さらには、その記録に先人達が熊野を歩き紡ぎ出した創作物、そしてこれから熊野を歩く人々の思いや写真も一緒に格納される。
そういったアーカイブができれば、その記録は、過去から現在のみならず、未来へも継承される熊野の財産になるのではないかと話は盛り上がりを見せていました。
ラジオの構成作家やライターとして活躍するまりこさんは、フィールドワーク終了後も熊野古道に滞在し、中辺路を歩いたという情熱の持ち主。しかし残念なことに途中で体力の限界を迎え、脱落してしまったそうです…。彼女のアイデアはそんな経験から導き出されたもの。ゆっくりと熊野古道歩きを楽しみたいシニアハイカー向けのプランです。
シニアハイカーは「山歩きの経験がある」「環境保全や歴史文化などに関心が高い」「比較的時間に余裕がある」「可処分所得も高め」と、地域が求める旅行者像に合致すると、まりこさんは分析します。
ただ、熊野古道にはシニアハイカーが安心して歩けるインフラの整備がまだ不完全だと感じたそうです。その解決策として、路線バスや食、温泉情報、宿における体のケアサービスの充実が必要ではないかと提案していました。
また、日頃から熊野の情報を入手し、熊野への親近感を醸成するサウンドメディア「おとなう熊野」を創刊してはどうかと続けます。
「おとなう熊野」は、熊野古道に身を置かずとも、熊野古道歩きを擬似体験できる音声メディア。熊野古道の音や名所旧跡の紹介、田辺市に住む人々の語りなどで構成されます。使用者は身近な散歩道を歩きながら音声を聞くことで、熊野古道の観光や歴史文化に触れることができ、熊野古道を歩いている気分になれるのだそうです。
シニアハイカーはこのツールを使いながら、熊野古道に対する親近感を醸成しつつ、自宅の周辺などを歩いて体力を鍛える。そして来るべき古道歩き本番に備える。そうすることで、古道文化を深く理解しつつ、きちんと中辺路を完踏できる体力も身につけることができるのではないかと結論づけていました。
都内でインフラ関係の仕事に従事するなおさんのアイデアは、非常に現実的で効果がありそうなもの。ずばり経済的な観点からの田辺市地域活性化です。
「これからの少子高齢化時代にあって、地方の規模縮小は避けては通れない道。地域内で生み出される価値だけでは、その流れに逆らうことはできません。状況を打開するには、いかに外部からの価値流入を促進するかが肝要。そして、その経済活性の中心地は田辺市であるべきなのです」となおさんは語ります。
その意図は「経済は中心から末端に流れる」という経済の基本的な法則。田辺市が活性化しない限り、熊野古道も含めたその周囲の里山に経済の恩恵がもたらされることはないというのがなおさんの考えです。
では、どうやって田辺市の経済を活性化するのか? その解決策として挙げられたのが「バイオマスを活用した発電事業」と「首都圏からの観光誘客事業」でした。ここでは、特に時間を割いて説明された「首都圏からの観光誘客事業」についてご紹介します。
まずは前提として、現在の熊野古道一帯における観光の状況分析がなされたのですが、南紀白浜空港の年間旅客者数や和歌山県内の宿泊者数などのデータも駆使しながら説明される非常にロジカルな分析に一同、圧倒されていました。
そして、その分析の結果として紡ぎ出されたアイデアが「GOTO世界遺産熊野古道事業」。自治体が航空会社から飛行機の座席を買い取り、ディスカウントして旅行者に提供するという試みです。
旅行者としてはありがたい限りですが、買取額を下回る値段で座席を販売した場合、その損失を自治体が被ってしまうことになります。
しかしなおさんは「この損失には価値がある」と続けます。それは、格安運賃によって田辺市を訪れた人々が地域で観光をし、地域経済に貢献するという点。地域が潤えばそれは回り回って自治体の損失を補填することにつながるというのです。
さすが専門家ならではのアイデアに田辺市熊野ツーリズムビューローの多田さんも熱心に耳を傾けていました。
まどかさんは、劇団に在籍する現役の女優さん。そんなまどかさんから出たアイデアは、ずばり「熊野のロードムービーを創作する」というもの。その目的は、旅行者はもとより、熊野に住む人々にも熊野をもっと愛してもらおうというものでした。普通の発想であれば「ロードムービーを作って、熊野をPRしよう!」となると思うのですが、それだけに留まらないのがまどかさん特有の着眼点。
まどかさん曰く、「熊野詣を舞台にしたよみがえりの物語『小栗判官』に代表される説経節には、救いを求め、もがきながら生きる人々の姿がある」といいます。そしてそれは、現代のロードムービーと同じ本質なのだそうです。
「順調な生活に波風が立ち、挫折を経験して旅に出る。そして、救いがあって、魂が再生する」この一連の流れが両者で共通しているとまどかさんは力説します。
であれば、この伝統を継承し、熊野古道を歩くロードムービーを作ってはどうかというのが今回のプラン。作中には、熊野の人々にも多数登場してもらい、作品への愛とともに郷土愛を育んでもらう予定だとのこと。時空と架空の壁を超えて、小栗判官も登場するのだそうです(笑)。
すでにご自身の周囲で活躍する俳優や脚本家、監督などにも声をかけ始めているというまどかさん。予算の獲得など乗り越えなえればならない課題は数多くあるものの、ぜひとも実際に製作に入りたいと意気込みを語っていました。もちろん全員大賛成! ぜひ自分も出演したいという声が多数上がっていました。
実に4時間あまり。濃密な発表会も終わりに近づき、最後は田辺市の皆さんからの総評です。ディスプレイに映る田辺市の面々は、いずれも満面の笑顔。各参加者の発表内容が持つ可能性や今後の展開について、本当に楽しそうに話をしていました。
また、田辺市の皆さんが共通して抱いていた感想が「皆さんが、これほどまでに熊野古道と田辺市のことを考えてくれて、そして愛してくれているのが本当に嬉しい」ということ。その言葉に参加者一同も、達成感に満ちた笑顔で応えます。
そして、いよいよ会も終わりの時間、最後は真砂市長から参加者一同に閉会の言葉がありました。
「我々も地元を良くするべく、様々なことを日々、話し合っています。でも、それだけでは足りない。皆さんが持つ我々とは違った視点、それぞれ違った分野を持つ皆さんだけが発信できる唯一無二の言葉、これを聞くことが今回の取り組みの大きな狙いでした。その狙いは期待を超えて達成できたと思っています。本当に楽しい、そして参考になるアイデアを聞くことができました。でも、これが終わりではないと思っています。皆さんの意見を聞いた後、これから実践に移していくことが大切なんです。これから先も皆さんと一緒に前に進めることを期待しています」。
取り組みとしては一旦区切りを迎えた「第1期 熊野REBORN PROJECT」。しかし、真砂市長の言葉にもあるように、これからが本番とも言えます。
熊野に住む人々と都市に住む人々、その交わりによって生まれた可能性の種は、これから芽吹きの時期を迎えるのです。
Withコロナの時代を迎え、私達の生活は大きく変わろうとしています。都市に集中していた人々の暮らしは、その様式を根底から見直されつつあります。その中で地方に目を向け、未来のヒントを探そうとする人々も増えてきているようです。
それは、移住といった極端なものだけではありません。都市に暮らしながら緩やかに地方と繋がる。人生の分岐点に立った時に、道を選ぶヒントを地方に求める。都市で得た知見をもって、地方の創生に協力する。そういったしなやかな生き方が、これからの私達には必要なのかもしれません。
熊野古道。千年を越えて歩き継がれる祈りの道は、今なお人々に生まれ変わりのきっかけを与え続けてくれています。
いざ、よみがえりの道へ。第1期 熊野REBORN PROJECT 完結。