「正しく知って、正しく恐れる」登山者が今、クマに関して知っておくべきこと

連日のようにニュースを賑わせた2025年のクマ騒動。YAMAP×県央ネットやまなし「山のぼり・まち歩きバッジキャンペーン」がクマ騒ぎの影響で中止になったことから、「登山も危険なの?」と不安を感じた方も多いのではないでしょうか。

とはいえ、山はもともとクマが住処としている場所。「街での出没頻度が増えた=登山の危険度も増加している」というわけではないようです。 大切なのは、彼らの生態を学び「正しく知って、正しく恐れる」姿勢。 今回の記事では「県央ネットやまなし」協力のもと、クマ研究の第一人者である東京農工大学大学院の小池伸介教授に、いま起きている環境の変化と山に入る際に意識すべきポイントを詳しく伺いました。

2026.01.27

武石 綾子

ライター

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改めて、2025年の「クマ騒動」を読み解く

ー2025年は、特に東北地方を中心にクマによる人身被害報道が相次ぎました。どのような背景があったのでしょうか?

小池: 直接的な引き金となったのはクマの主食である堅果類(ドングリ)の凶作です。ドングリの仲間は豊作・凶作を複数年ごとに繰り返す性質があるので、どの地域でも周期的に、場合によっては連続的に凶作がおこります。2025年は特に岩手・秋田地方で顕著で、食べ物を求めて人里にクマが降りてきてしまったということですね。

ドングリ類の豊凶周期は年や地域によって差があります。例えば、奥多摩・奥秩父付近は2025年、並作だったと言われています。日本全体で同じようにクマが街に出没しているわけではないんですね。凶作の地域の方が人里に出没する可能性が高くなりますが、クマは群れで行動することはなく個体差もありますので、地域ごとに状況は様々。「クマのニュースが多い」という印象だけで判断するのではなく、冷静な情報収集と対処が必要です。

<参考データ>人身被害件数(月別)出典:環境省「令和6年度のクマ類の動向」
※令和7年度のデータが発表前であるため令和6年度発表のデータを転載。

東北・北陸地方では令和5年度も高い数値を示しており、令和7年度(2025年)だけが特異でないことがうかがえる

地域によってドングリの豊凶作の時期が異なるため、エリアにより波形が全く異なる

なお、人里にクマが出る問題はドングリの凶作だけに起因しているわけではありません。背景には40〜50年の間に起きた日本社会の変化があります。山と街の間にある中山間地域が衰退したことで、野生動物の分布が人の居住域まで長い時間をかけてじわじわと広がってきているんです。昔は人々が中山間地域で農業や林業に従事しつつ山に入っていたけれど、高齢化などにより衰退してそのバッファがなくなり、同時にクマの数が徐々に増えていることも、市街地におけるクマ出没の主な要因です。

本来クマは人に対し強い警戒心を持っているものですが、集落付近の山で生まれ育ち餌を獲得する成功体験を積んだことで、人間に動じない個体が増えている可能性があります。特定のクマの行動変容なのか、そうした個体数自体の増加なのかは断定できませんが、日本全体に生息するクマの中では、これらはあくまで特殊なケースです。

通常の登山におけるクマの人身事故率は極めて低い

ー報道などの映像を見ると「山はもっと危険なのではないか」と必要以上に恐怖を感じてしまう人もいるかと思います。

小池: ここは冷静に切り分ける必要があります。昨年報道されていた里に降りてくる「人に動じないクマ」は、前述の通り特殊な行動変容を起こしています。

一方で、例えば奥多摩や奥秩父といった深い山に住むクマの生態が、今年急激に変化した・凶暴化したという事実はありません。依然として山に住む多くの個体は、人間を避けようとする強い警戒心を持っています。生ゴミの管理が行き届いていない山小屋やキャンプ場などの付近で出没が増加するケースはありますが、少なくとも、山に住むクマの行動様式は基本的に変わっていません。

クマの事故は多くの場合一般的な登山道ではなく「イレギュラーな場所・状況」で起きていて、普通のハイキングでクマ被害に合うことはめったにないと言っていいと思います。

ーイレギュラーな場所・状況とは?

小池: 単独での山菜やキノコ採り、渓流釣りや沢登り、バリエーションルートなどですね。あまり人が来ず音も伝わりにくいような場所だと、遭遇する可能性は高まります。トレイルランニングも、軽装かつ「走る」(クマが人間の接近に気付いてもその場を立ち去るまでの時間がない)という行為なので通常のハイキングよりは注意が必要ですね。見通しの悪い沢や尾根ではより一層、自分たちの存在をアピールすることを意識すると良いと思います。

<参考データ>「人身事故情報のとりまとめに関する報告書」出典:日本クマネットワーク 2011年3月発表

P.48記載の東北地方における事故発生時の行動内訳。「山菜採り」「キノコ採り」が約半数であり、登山中の事故は少数であることがうかがえる。本調査以降全国的な統計は取られていないが、各県別の集計を見ると現在も傾向としては同様である

今一度確認したい、登山者が実践すべき身を守るための装備と行動

ー登山中のクマ遭遇を避けるためには、どのような工夫が必要なのでしょう?

小池:基本の対策としては、 鈴(音のなるもの)で常に存在を知らせることです。鈴をぶら下げるだけで、事故を未然に防げる可能性が高いと考えれば、これほど費用対効果の高い対策はありません。特に雨の日や沢沿いなど音が消されやすい場所では、複数人で大声を出す、手を叩くといった、より積極的なアピールを組み合わせると良いですね。基本的にクマは警戒心が強い生き物ですから、しっかり存在をアピールできれば効果はあると思います。

小池:さらに対策を強化したい場合は、クマ撃退用スプレーがあります。これは「お守り」のようなもので、安価ではありませんが5年ほどの有効期限の間、「安心を買う」と思えば安いものです。ただしザックの中に仕舞い込んでいては意味がないので、取り出しやすい位置にセットすること、いざという時に適切な方法で使用できることが重要です。山に持っていくのであれば事前に使い方を確認して、シミュレーションをするようにしてください。米国のクマスプレー規格であるEPA認証を受けた商品だと安心です。

<参考>日本クマネットワーク(JBN)の公式YouTubeチャンネル
スプレーの使い方など、クマやクマ対策に関する情報を発信

あとは、クマに叩かれた際、ヘルメットがあるだけで致命傷や重症化を避けられる可能性が格段に上がります。近年の事故分析から、重傷化の原因は「顔面や頭部への攻撃」であることが分かっていますので。

ーもしスプレーを使う暇もなく、至近距離で対峙してしまったら?

小池: 状況にもよりますが、大切なのは自分自身がパニックにならないこと、そしてクマをパニックにさせないことですね。特に避けるべき行動は、大きな声を出して驚かせる、背中を向けて走って逃げる、この2つです。走るものを追いかけるクマの特性への懸念もありますが、後ろを向いてしまうとクマの様子が見えないという意味で危険度が高まります。

その場でできることは「ほとんどない」という前提で、手立てとして覚えておいてほしいのは「地面にうつ伏せになり、両手で首の後ろをガードする姿勢」。これはクマによる人身事故の死因第一位である「失血死」を防ぐためです。首の太い血管を守り、ザックで背中をガードする。そして、顔面を地面に伏せることで、できる限り重症化を防ぐということですね。

ー最近はYAMAPをはじめ登山アプリ等で、クマの目撃情報やフン、足跡が可視化されるようになりました。登山者はこれらの情報とどう向き合えばいいでしょうか。

小池: 環境省が「クマの分布図」を公表していますが、山はクマの住処ですから、通り道にフンや足跡があるのは自然なことです。非常に行動範囲が広いのですでに大分遠方に移動している可能性もある。それを見て「怖いから行くのをやめる」というのはやや過剰な反応かもしれません。

一方で、分布図の境界線付近や、普段は出ないような季節・地点に目撃が集中している場合は、注意が必要です。それは山におけるクマの食糧事情に何らかの異変があり、クマの行動圏が拡大しているサインかもしれない。情報をただの「点」として見るのではなく、それがクマの本来の生息域の中なのか外なのか、という視点を冷静に持てると良いですね。

ーありがとうございます。改めて登山者に対してメッセージをお願いします。

小池: 山にはクマ以外にも多くのリスクが存在します。統計を見れば、ハチに刺されて亡くなる人や、道迷いで遭難する人の方が遥かに多い。年間数百万人という登山人口がありながら、登山道でのクマによる死亡事故がほとんどないという状況を考えれば、極端に恐れる必要は無いということが伝わるかと思います。正しい知識を持ち、適切な対策をして、万一の場合に備える。準備を整えたなら、ゆったりと山歩きを楽しんでいただければと思います。


最後に、今回の記事制作にご協力いただいた「県央ネットやまなし」より、登山者の皆様へメッセージをいただきました。

毎年多くの方にご参加いただいていた『山のぼり・まち歩きキャンペーン』ですが、連日の報道による社会的な不安の高まりを受け、参加者の皆様に心から安心して楽しんでいただくことが難しいとの判断から期間途中での中止という苦渋の決断をいたしました。

結果として、2025年の甲府を中心とする「県央ネットやまなし」エリアではクマによる登山中の人身被害は確認されていません。また、本記事における小池先生のお話にもある通り、通常の登山においては過度な緊張や心配をする必要はないことがおわかりいただけるかと思います。

クマも自然の一部として捉え、必要な対策をした上で、皆様が再び山梨での山歩きを楽しみに訪れてくださることを心よりお待ちしております。


文章:武石綾子
クマ写真:澤井俊彦
協力:甲府市役所産業部農林振興室林政課

本記事で解説いただいた小池先生と、写真を担当された澤井さんの著書『ツキノワグマのすべて』も、ぜひお手に取ってみてください。

武石 綾子

ライター

武石 綾子

ライター

静岡県御殿場市生まれ。一度きりの挑戦のつもりで富士山に登ったことから山にはまり込み、里山からアルプスまで季節を問わず足を運んでいる。コンサルティング会社等を経て2018年にフリーに。執筆やコミュニティ運営等の活動を通じて、各地の山・自然の中で過ごす余暇の提案や、地域の魅力を再発見する活動を行っている。