これを売っても大丈夫? 霊験あらたか、七面山・一ノ池の「おつち」

圧倒的な山行日数を誇る山岳/アウトドアライターの高橋庄太郎さんが、知られざる【山の名・珍スポット】をご紹介。法華経の聖地として知られる南アルプスの「七面山」では世にも珍しい「おつち」なるものが入手できるのだとか。果たしてどんな効果が…?

高橋庄太郎の「いつかは行きたい!」山の名スポット、珍スポット #08連載一覧はこちら

2021.02.03

高橋 庄太郎

山岳/アウトドアライター

INDEX

法華経の聖地、南アルプスの七面山

仏寺を創始することを「開山」と呼ぶように、日本において山と宗教は切り離せない。山頂や山麓には多くの寺院があり、昔から現在に至るまで白装束の修験者が修行を行なっている山域も各地にある。

そのひとつが、南アルプスの外れにある七面山で、隣の身延山とともに法華経の聖地となっている。僕はどちらの山にも登ったことがあるが、やはり訪れる人が多いのは久遠寺で有名な身延山。ロープウェイもつけられており、多くの観光客も足を運んでいる。

しかし、“聖地”らしさでは、個人的には七面山のほうが“いかにも”と感じる。その理由は、七面山山頂から連なる稜線のたたずまい。山頂付近には鬱蒼とした森が広がる一方、敬慎院をはじめとする寺院が並ぶ山頂の一段下にある稜線が、なんとも独特の神秘さを醸し出しているのである。その象徴ともいえる存在が、大小の「池」だ。

稜線上にある一ノ池。昔は木の小舟が浮かんでいたらしい

とくに、いちばん大きい「一ノ池」は、“持ち帰ることができる”ちょっと珍しいお土産的なものを生み出す「産地」でもある。これを知ったときは、ちょっと驚いてしまった。今回は、その話をしていきたい。

歴史ある表参道を登り、稜線へ

その前に、七面山について、もう少し。この山は登山道としても使われている“表参道”を歩いているだけで、その歴史と風格に圧倒されてしまう。なにしろ開山は12世紀。今から700年以上も前なのだ。

700年にわたって修験者や参拝者によって踏みしめられてきた表参道の様子

途中にはこのような灯篭がいくつも並び、新旧の石碑も点在している

稜線付近まで登ると、敬慎院に至る門が現れる

身延山久遠寺に属する七面山敬慎院は、荷物を運ぶケーブルこそつけられているものの、歩いてしか行けない稜線の上にある。非常に立派で、これをどうやって維持しているのか不思議になるほどだ。

七面山敬慎院。宿坊として、6500円で宿泊もできる

この敬慎院に到着すると、誰もが内部で休むようにと声をかけてもらえ、休憩室では無料でお茶をいただける。本当にありがたいことだ。資料などが入ったファイルもあり、七面山の歴史を知ることもできる。

敬慎院の休憩室。テーブルの上にはポットや湯呑が置かれている

そのファイルを開いていたときのことだ。なにやら僕の興味を刺激するものが、売店で手に入ることがわかった。それは「おつち」というものである。

お守り的な存在!? いったい「おつち」とは?

ここで「一ノ池おつち」の説明書きの一部をそのまま書き起こしてみると、「七麺大明神がお住まいの、一ノ池のほとりの御土を、洗って乾燥させた物です。七麺大明神のお力が備わった御土で、岩の周りに砕いて撒いて、家のお清めに使っていただけます」となる。なにやら不思議な力を持っている土らしい。

しかしまあ、このような形で「土」が販売されているとは珍しい。これまで僕は「霊山」を含むさまざまな山に登り続けてきたが、このように「土」が売られているのを見たのは初めてだ。

ファイルの説明書き。その下に「護符」の説明があることからも、「おつち」が聖なるもののひとつとして位置づけられているのがわかる

僕は休憩もそこそこに、売店へ足を運んだ。そして、無事に「おつち」を入手。価格はたしか500円であった。

「おつち」は小さな袋に入っており、さらに御守袋に入れられていた。右の袋に筆書きされている文字は判別しにくいが、おそらく「御池土」だと思われる

僕はまっ茶色の土を想像していたが、袋から取り出した「おつち」は、白に近いグレー。土のわりには清潔感が漂っている。さすがは聖山の池の土だ

こうなると一ノ池も早く見てみたくなり、僕は再び登山靴を履いた。敬慎院本殿は渡り廊下で池大神堂(池大神宮)とつながっており、それらの間を通っていくと、一ノ池へ降りていけるようであった。

本殿の北側にある池大神堂。池大神とは、その名の通り、この裏にある「一ノ池」の守り神だ

こちらが渡り廊下。下は門のように空洞になっており、その先には水面が見える

一ノ池の水はうっすらと白濁し、不思議なグリーン

うっすらと白濁した水。これが聖なる一ノ池

そんなわけで降り立った、一ノ池の池畔。稜線上にこんなに大きな池があるのは珍しい。これはおそらく、この近辺が二重稜線になっているからだ。二重稜線とは、地層がずれて線状にくぼんだ場所がある地形だが、このくぼみに沿って、一ノ池以外に二ノ池、三ノ池などが並んでいるのである。

ちなみに、七面山には七つの池があるといわれている。だが、そのなかの“第七の池”は誰も見たことがない。それどころか、もしも見てしまうと目がつぶれてしまうらしいのだ……。

池畔の泥の上には小さな幟のようなものがいくつも立ててあった。いかにも宗教の聖地らしい

たしかに一ノ池はどこか神秘的だ。しかし、僕が想像していた風景とは少しイメージが違う。池の水はほんのり白濁し、なんだかトロっとしているように見えなくもないが、あれだけ白い「おつち」がここから生まれてくるとは思えなかったからだ。

池の水は白っぽいが、池畔の泥はまっ茶色だ

霧が出てくると、一ノ池はますます神秘的。どこかに神様がいらっしゃる感じがする

じつは「有限」。これからのことが少し不安に

後ほど調べてみると、「おつち」が採取されるのは、一ノ池の南池畔。立ち入り禁止の場所である。残念ながら見ることはできない。そして、「おつち」が白い理由は、珪藻土だからだという。要するに、植物性プランクトンが化石化したものだ。さらにおもしろいのは、それがこの池で生まれたわけではなく、遠い昔に海底に堆積したものに由来するということ。つまりここは太古、海の底だったのである。

それを知ると、僕は心配になった。一ノ池の珪藻土は、無限にあるはずがない。こんなふうに「おつち」として販売していたら、いずれ消滅してしまうのでは? このまま採取し、販売し続けても大丈夫なんだろうか? 僕はもう買っちゃったけれど……。

砕かれた「おつち」。きめ細かい粒子で、まるで灰のようであった

「効能」あり。登山にも持っていけるかも?

自宅に戻った後、僕はお清めにしようと、「おつち」を砕き、庭にまいた。それもすべてを……。じつは忘れていたことがあり、すべて撒いてはダメだったのだが。

「おつち」の説明書きには、次のような一説もあった。
「火傷等に水で溶いて塗って頂くと、治りが早いといわれております。※食べることはできません」。
事実、珪藻土は切り傷を含む、皮膚の怪我に効能があるといわれている。少しだけ残して、いつも登山中に持ち歩いているファーストエイドキットのなかにでも入れておけばよかったかもしれない。まあ、非常食にはならないようだけどね。

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高橋 庄太郎

山岳/アウトドアライター

高橋 庄太郎

山岳/アウトドアライター

出版社勤務後、国内外を2年間ほど放浪し、その後にフリーライターに。テント泊にこだわった人力での旅を愛し、そのフィールドはもっぱら山。現在は日本の山を丹念に歩いている。著書に『トレッキング実践学 改訂版』(枻出版社)、『テント泊登山の基本』(山と渓谷社)など多数。イベントやテレビへの出演も増えている。

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