奄美大島|孤高の天才日本画家、田中一村が愛した南海の絶景と太古の森を歩く

鹿児島県の沖合に位置する「奄美大島」。遠く離れた南の島といったイメージがありますが、沖縄本島と九州本土の間に位置し、羽田や伊丹、福岡などの空港からも直行便が出ている島なのです。今回は、奄美群島の美しい自然と文化を満喫できるロングトレイル「世界自然遺産 奄美トレイル」から、奄美大島の名瀬エリア周辺のコースを「日本のゴーギャン」とも呼ばれる画家、田中一村の足跡を追って旅します。

2021.12.15

上川 菜摘

エディター

INDEX

奄美に魅了された日本画家・田中一村との出会い

ここに1冊の本がある。

奄美旅行が決まった時に知人から教えてもらった、田中一村(たなかいっそん)の生涯を綴った本だ。一村は50歳のときに奄美大島に移住し、鮮やかな奄美の風景をたくさん描き残した日本画家。そのことから「日本のゴーギャン」とも呼ばれているそうだ。

一村が絵画のモチーフにしていたのは、黄色に熟したアダンの実や力強いソテツ、色とりどりの鳥たちなど、異国情緒にあふれたものばかり。「こんな風景をこの目でも見たい!」。表紙を見た瞬間、一村の描く世界観に魅了されてしまった。

1908年栃木県で生まれた田中一村。東京、千葉と活動の場を移し、最後は奄美の風景を描き続けた。写真は小学館文庫「日本のゴーギャン 田中一村伝」

生涯最後の作品に取り組む決意を持って奄美に移り住んだ一村の絵は、亜熱帯の植物や鳥などが大胆な構成で描かれている。今回の滞在で、一村の絵のようなハッとする光景に出会えるだろうか。一村が描いた奄美の自然を辿りながら旅してみたいと思う。

鹿児島空港からは飛行機で約1時間、あっという間に奄美空港に降りたった。夕方の便だったのであたりはすっかり薄暗い。外に出るとやはり暖かく、「奄美に来たんだ」と嬉しくなった。

奄美には3年前にも旅行で来ていた。その時はマングローブ原生林のある住用地区に訪れたのだが、マングローブでカヌーをする観光客を見て「次に訪れる時にやってみたい」と密かに思っていた。その願いを叶えるため、明日はマングローブの森へ。また、気になっていた金作原(きんさくばる)トレッキングにもこの機会に行ってみようと思う。

空港からバスで奄美一の繁華街・名瀬市街地に向かい、この日は街中のホテルへ。まるで遠足前日の子どものように浮き足立って、濡れてもいい服を枕元に準備し、早めに眠りについた。

カヌーでマングローブの森へ、いざ

奄美には豊かな自然やマングローブの森があるが、自由に出入りできる場所ばかりではない。奄美群島認定エコツアーガイドに案内していただくのが一番良いだろうと、認定ガイドによるエコツアーに参加することにした。

この日、同じツアーへの参加者は全員で8名ほど。関東や関西などさまざまな場所から集まったメンバーとご一緒したのだが、話を聞くと、加計呂麻(かけろま)島に訪れたりダイビングツアーに参加したりと、余すことなく奄美の自然を楽しんでいる方ばかりだった。

今回アテンドしてくださるのは、認定ガイドの水間さん。マングローブの原生林が広がる住用地区に向かう車内でも、マングローブの成り立ちなどの話をしてくださった。マングローブは住用川と役勝川が合流する河口域にあり、奄美群島国立公園の特別保護地区に指定されている。

住用湾に流れ込む広大な河口干潟にマングローブ原生林が広がっている

到着したらさっそくカヌー体験の開始だ。パドルの使い方や漕ぎ方のコツなどのレクチャーを受け、ライフジャケットを着用。パドルを持つと、冒険心がふつふつと湧き上がってくる。スタッフの方が手伝ってくださり、スムーズにカヌーに乗り込んだ。

最初に丁寧なレクチャーがあるので初心者も安心して利用できる

水面に景色がきれいに映るほどマングローブの川はゆっくりと流れていた。波はなく穏やか。カヌーを漕ぎはじめると、周囲には我々以外にもツアー客がたくさんいて、川には色とりどりのカヌーが行き交っている。ぶつからないよう道を譲り合った。

「この森に生えているのは、奄美大島から東南アジアの熱帯に分布する常緑樹、オヒルギ・メヒルギなどです。この木々の枝や根っこ、あらゆる所に、野鳥・甲殻類などさまざまな生き物が生息しているんですよ」と水間さん。時折水の中を魚の影がヒュッと抜けるのが見えたが、その都度「あれはミナミクロダイですよ」などと教えてくれた。

満潮だから水路の奥まで漕いで行くことができた

低い木々のトンネルを抜け、マングローブを間近に見ることができるのはカヌーの特権である。木々が折り重なり作られる空間はとても幻想的だった。潮位が高くないと通れないコースもあるそうだが、この日はちょうど満潮の時間だったのでいろんな場所を抜けることができ、本当に気持ちよかった。

海側は高さ1mほどの木が育っていて、役勝川との合流地点には4m以上ある高木も多くみられるのだとか

太古の森をゆく。金作原トレッキング

マングローブカヌー体験を終え、ランチを済ませた後はいよいよ金作原へ。片道約50分の車内では、名瀬の一部分は埋め立ててできていること、開発中のエリアのことなど、奄美の街の成り立ちなども詳しく教えてもらった。森の奥へ奥へと車が進んでいくにつれ、気分が高揚していく。最後は未舗装道路になり、「これこれ、この感じが良いね」と森の雰囲気に心の中で拍手を送った。

天然の亜熱帯広葉樹が多く残る金作原の入口に立つと、目の前には緑いっぱいのジャングルが広がっている。天然の木々に囲まれた森の中では、今にも野生動物の息づかいが聞こえてきそうだ。

金作原は、認定ガイドとの立ち入りが推奨されている

もちろん、ここで葉っぱや種などを採取するのはタブー。草木にむやみに触ってもいけない。だが、ツアー中は「この木を触ってみてください」と幹の一部に触れるポイントなどもあり、森をより身近に感じることができた。生きた化石とも呼ばれるヒカゲヘゴなどのシダ類が生い茂った森の中にはときおり光が差し込み、下から見上げるとどこを切り取っても美しい光景が広がっている。

ヒカゲヘゴなど亜熱帯植物の美しい森に光が差し込む

水間さんはタブレットを使いながら、奄美群島の固有種であるアマミノクロウサギの写真や鳥の鳴き声など、奄美に生息する生き物についても話してくれた。奄美の自然とは切っても切り離せないハブに関してはただただ「怖い」というイメージしか持っていなかったが、実際の歯なども見せてくれ、特徴を詳しく教えてくれた。むやみに怖がるのではなく、習性を知ることで遭遇を避けたり、出会った時に慌てず対処もできる。自然を学ぶことの大切さを改めて感じた1日だった。刺激的な時間はあっという間に過ぎ、ツアーの時間は終了。奄美特有の自然と存分に触れ合うことができ、満ち足りた気持ちで帰路についた。

植物の話や森の成り立ちを詳しく教えてくださったガイドの水間さん

島人と触れ合う奄美の夜

ツアー終了後、この日の宿である「花海house」へ。ここはオーナーの岡田夫妻が切り盛りするアットホームなゲストハウスだ。繁華街や名瀬港が近く、観光の拠点としてもぴったりな場所だというのもあったが、ここを選んだのは、地元の方の息づかいに触れたかったからだ。

奄美のことをあれやこれやと教えてくださる岡田夫妻。共用スペースの机を指差し、「ノープランの方にはあそこで観光ルートを一緒に考えたりもするんですよ」と笑う。まるで実家に帰ってきたような、温かい歓迎ぶりが嬉しかった。

「奄美のイメージは花と海なんです」と宿名の由来を教えてくれた岡田オーナー夫妻

「奄美には美味しい飲食店がたくさんあるからぜひ外で食べてほしい」という想いから、基本的に夕食付きのプランはない。そこで夜は、噂に聞いていた「あまみの魚たち」を事前に予約していた。開店と同時に予約客で埋まる人気店である。

繁華街から外れた、民家の中に佇む一軒

名瀬漁協で競りのある日は毎朝出向き、その日水揚げされた納得いく魚だけを競るという店主の神山さん。「魚は素材が命。一番美味しい調理法を考えて提供するんです」。気さくな人柄ながらも、「素材選びに妥協しない」と断言するのが印象的だった。

元々魚屋に勤めていたということもあり、魚を見る目は確か

メニューは潔く、“あまみ浪漫コース”5,800円のみ。この日はアサヒガニの身がたっぷり入った茶碗蒸しに始まり島ダコのやわらか煮、ウロコごと焼かれたアマミスズメダイ、さつま甘エビとタカエビがたっぷり乗った甘エビ丼など、全部で8品が登場。料理を出す際に一品一品詳しく説明してくれるので、魚の名前もすっかり覚えてしまった。

メニューは仕入れによって異なる。刺身や煮付け、焼物、蒸物など、さまざまな調理法で奄美の美味しい魚を食べることができる

郷土料理と同じく、奄美の魚は奄美でしか食べられない。昼間のマングローブと金作原の風景を反芻しながら、奄美のおいしい魚に舌鼓――。なんて贅沢な一日だろう。充実感に浸りながら、お店を後にした。

名瀬の奄美トレイルを歩く

2日目は、奄美トレイルコースに設定されている名瀬の街を歩くことにした。名瀬には賑やかな繁華街もあるが、少し離れるだけで美しい海や港、気持ちいい展望台などがある。ついレンタカーで移動してしまいがちだが、あえてそういった場所をつないで歩くことで、記憶にも残るのではないだろうか。そうだ、写真もたくさん撮ろう。

そんなことを考えながら、朝食をいただく。昨晩あんなに食べたのに、なぜか具沢山の鶏飯をするっと食べられるのが不思議だ。朝からしっかりパワーチャージし、本日のフィールドへ向かった。

花海houseの朝食。鶏飯は家庭によってスープの味が違うそう。島野菜を使った副菜もたくさん添えられていた

名瀬エリアには3つのコースがあり、今回はA区間(小浜町・浦上町・大熊展望広場)を歩いてみることにした。今日は、名瀬の街並みを見下ろす大熊展望広場をスタートし、市街地に向かう。

YAMAPの該当地図はこちらから

トレイルコースはエリアごとにMAPがあり、観光協会や空港などで販売されている(500円)

ガジュマルの木が植えられた展望台には、トレイルコースの看板があった。展望台を出発し、ゆっくり坂道を降りていく。今回のコースはおもに車道を歩くのだが、観光ではあまり通ることのない民家や地元の方の生活圏を歩くのが新鮮だった。今日はマイペースにいこう。コース上にコンビニなどもあるので、荷物は最小限でOKだ。

大熊漁港まで下ったら、海の匂いがしてきた。お店や民家が並ぶ街並みを抜け、国道58号線方面へと歩く。国道から町なかへ入り、田中一村終焉の家へと向かった。

家のそばには、田中一村の生涯を記した碑がある

長年住んだ島内の借家からこの家に移った一村は、ここを「御殿のようだ」といって喜び、創作意欲を燃やしていたという。そんな矢先に心不全で倒れ、永眠したそうだ。引越しからわずか10日後のことだった。注目されることなく生涯を終えた「不遇の画家」と表現されることも多いが、きっと、倒れる直前までは新しい家に胸を躍らせ、幸せな時間を過ごしていたのではないだろうか。

庭にはアダン、ガジュマル、ゴムノキなど、一村が好んだ南国の木々が植えられていた。島へ単身移り住み、全てをかけて取り組んだ一村の絵はとてもエネルギッシュだが、モチーフにされている木々をこうして目の前にすると、同じような力強さが伝わってくる。一村の絵に出会ったことで、奄美の自然がまるで芸術のように見えてしまうから不思議だ。

終焉の家を後にし、海に向かって歩き出した。車が行き交う車道を歩いていると、旅行者目線が抜けてここで生活しているような気分にもなる。

ふたたび海が見える道へ戻ってきた。山羊島トンネルを抜けると、目の前に名瀬臨海大橋が現れたのだが、ここはこのコースの中でも写真映えするスポットのひとつ。

海に浮かぶ名瀬臨港大橋。写真を撮りながら進む

海を見ながらゆっくりと橋を渡り、さらに進んで名瀬の繁華街へ。路地に設置されたスピーカーからは地元ラジオ・あまみエフエムが流れている。この離島では、飛行機便やフェリーの情報、天気予報など、さまざまな奄美の情報が手に入る地場のラジオは貴重な存在。道中、ラジオの音が聞こえてくると、つい耳を澄まして聞き入ってしまった。

ゴールは、奄美市名瀬の中心商店街にある観光交流センター、奄美市AiAiひろばだ。向かいには永田橋市場、末広市場というレトロなふたつの商店街があり、珈琲屋さんや精肉店、雑貨屋などさまざまなお店が並んでいる。Aコースの完歩記念に、永田橋市場の「ハレルヤ食堂」でおいしい島ラーメンをいただいた。

ゴールの奄美市AiAiひろばの目の前にある永田橋市場と末広市場

名瀬のトレイルコースは見どころいっぱい

ラーメンを食べてすっかりご満悦の私。シメの気分に浸っていたが、名瀬にはあと2つのトレイルコースがあることを思い出した。すべて歩く時間はないが、コースそれぞれの見どころのスポットを回ってみようか……。午後から借りていたレンタカーで、駆け足で回ってみることにした。

Cコース(長浜町・朝仁・大浜海浜公園)は、奄美市AiAiひろばと市街地西にある大浜海浜公園を結んでいるが、見どころはなんといっても中間地点にある朝仁海岸とゴールの大浜海浜公園。どちらもとにかく美しいビーチなのだ。

朝仁海岸の道脇に、アダンの実がなっていた。一村の絵を見て「アダンの実を探すぞ」と意気込んでいたが、どうやら奄美ではありふれた光景らしい。近くには、黄色く熟した実も落ちていた。

(左)ハマヒルガオが咲く朝仁海岸。(右)アダンと同種のタコノキ

大浜海浜公園は、近くにスパリゾート施設やウミガメに餌やり体験が出来る奄美海洋展示館などがあり、観光で訪れるのも楽しいエリア。美しい夕日が眺められる場所としても有名だそうだ。美しい砂浜がどこまでも続いていて、端までゆっくり歩いてみたかった。

濡れてもいいサンダルをザックに入れておけばよかったと後悔

Bコース(古田町・朝戸・小湊)は、同じくAiAi広場と市街地の南にある小湊厳島神社を結ぶルート。ここでは、小湊厳島神社裏手にある展望台にもぜひ足を伸ばしてほしい。この日は、たくさんの蝶がひらひらと舞っていた。

神社へ参拝した後、裏手にある階段を登って展望台へ向かった

もしかしてあの蝶は、大分・くじゅう連山で見かけたアサギマダラだろうか……。遠く海を渡る習性を持つ蝶たちの大冒険に想いを馳せながら展望台へ向かうと、目の前に真っ青な海が広がった。

展望台からは小湊の町並みも一望できる

旅の終わりにふさわしい、真っ青な奄美ブルー。おだやかな波が岩礁に当たり、白波を立てている。いつでもこの美しい海を見ることができるのが、このトレイルコース最大の魅力である。

余談だが、奄美にはハブがいるので山登りの文化があまり定着していないのだそう。今は人が住むエリアにハブが出てくるのは少なくなったらしいが、夜に散歩する時などは、懐中電灯で道を照らしながら歩くといいと、地元の人に教えてもらった。

さて、2泊3日の旅はこれで終わり。

コンパクトな旅だったのでまだまだ物足りないが、空港へと車を走らせた。少し時間があったので、最後は田中一村記念美術館に立ち寄ることに。ここには、一村の東京時代・千葉時代・奄美時代の作品約80点が展示されているのだが、モチーフやタッチが時代によって変わっていく様が興味深かった。晩年の絵からは、満ち溢れる自信と豊かな感情が伝わってくる。奄美の風景を描きたいという情熱が、時代を超えて伝わってくるようだった。

田中一村記念美術館の庭には「一村の杜」があり、ソテツやアダンなど南国の樹木が綺麗に植えられている

一村の絵は、いつも鮮やかに生き生きとしたイメージを放っている。今となっては胸のうちを知ることはできないけれど、奄美の自然に惚れ込み、この地で絵を描きながら生涯を終えられたことは、芸術家にとって幸せなことではなかったのだろうか。

そういえば、一村の絵によく描かれる鳥、アカショウビンをこの目で見ていない。水間さんのお話だと、3月後半から9月前半にかけて見ることができるそうだ。奄美トレイルは奄美大島以外の島にもたくさんコースがあるので、また歩きに来なければ。帰りの飛行機で、また奄美に来る理由を見つけていた。

旅のインフォメーション

奄美トレイル名瀬エリア周辺の観光スポット情報

奄美大島へのアクセス

<飛行機>
羽田空港-奄美空港 約2時間
伊丹空港-奄美空港 約1.5時間
福岡空港-奄美空港 約1.3時間
那覇空港-奄美空港 約1時間
鹿児島空港-奄美空港 約1時間

<船>
鹿児島港-名瀬港 約11時間
那覇港-名瀬港 約14時間

上川 菜摘

エディター

上川 菜摘

エディター

九州・熊本在住。地元の出版社に編集者として所属し、冊子編集・ライティングから企画や広告の立案まで幅広くクリエイティブに携わる。2020年独立。九州ローカルの冊子編集や取材に従事。登山愛好家でありアウトドアライターとしても活動中。興味関心は持ち物の軽量化、国内外を歩いて旅すること。