少しだけ角度を変えて捉えてみると、地球上の陸地は山の頂と海の間にあるといえます。その両者の間には人々の暮らしがあり、自然や文化といった「多様な風土」が詰め込まれているはず。今回、低山トラベラー/山旅文筆家の大内征さんが、秋田県と山形県にまたがる秀峰・鳥海山(2,236m)の山頂から、裾野に広がる里山や水辺、田園風景を歩き、やがて海に至りました。水の流れに沿うように山から海へたどる旅で導き出した「人と地球がつながっている感覚」とは、一体どのようなものだったのでしょうか。
文=大内 征(低山トラベラー/山旅文筆家)
2022.10.11
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
いささか恥ずかしい告白をすると、ぼくは山で泣いたことがある。といっても、怖くて泣いたわけではない。地球という星の大自然を前に感極まってしまった、といえばわかってもらえるだろうか。もう10年以上も前の鳥海山で、森と海と雲と星に囲まれた圧倒的な山の存在感に感動したときのことだ。
どうにも抗えない純粋な感情というものが自分の中に備わっていたことは、個人的に大きな発見だった。山でとつぜん目覚めた新たな自分の一面に驚きながらも涙をぬぐい、登山をはじめてほんとうによかったなあと、そのとき心から山に感謝をした。
面白いのは、言葉を失うほどの絶景に遭遇すると、過去のさまざまな出来事やふるさとのことを思い出してしまうということ。理由はわからないけれど、それが人間というもののようだ。気がついたら、故郷宮城の方角に向いて手を合わせ、これまでありがとう、あのときはごめんねと、両親や友人たちのことばかりを思い出していた。山に行くと素直な気持ちになるというのは、どうやら本当のことらしい。ぼくにとって、そういうことを最初に実感した山こそが、鳥海山であった。
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時を経て、この夏の終わりのことである。YAMAP MAGAZINE編集部から「地球とつながる。」という紀行文のテーマを預かった。途方もない難題の執筆に、いったいどうしたものかと文字通り途方に暮れていたところ、ふと思い出したのが鳥海山での体験だった。あのときの感動と感情に「地球とつながる」ことを考えるヒントがあるのではないか――そう直感し、ぼくは鳥海山の土を久しぶりに踏みたいと思ったのであった。
久しぶりに立った鳥海山の頂には、当時の思い出と遜色のないスペクタクルな眺めが広がっていた。これだけ海が間近にありながらも標高2,000mを超えるような独立峰は、日本広しといえども鳥海山くらいのものだろう。アルプスのように屹立した山岳の連なりは近隣になく、となり合う日本海とともにこの土地の暮らしの情景を織りなしている。山と里と海とが交わるこの壮大な“鳥海山ワールド”の向こうに、ぼくは地球そのものの姿をうっすらと感じていた。
山の北麓に広く目を向けると、青い海へと落ち込んでいく大きくてなだらかな緑の裾野がある。火山らしく起伏した岩稜に大きな谷が口を開け、数多の池塘を抱える高原が広がり、そして幾重にも重なる棚田へと風景が移り変わっていく。海に近づくにつれて、わずかに町が拓かれている。山の営みと人の営みとが控えめに調和した、東北らしい暮らしの風土だと感じ入った。
一方で、外輪山の険しい岩尾根が、最高地点の新山をぐるりと囲んでいる。この絶景が、鳥海山の南側の見どころだ。尾根についた道は、山頂から七高山を経て下山する際によく歩かれる天空のトレイル。天高くジャンプすれば、そのまま日本海にダイブできそうなくらいに、海が足元まで迫っている。この道を歩けば、だれだって気分は上々だろう。
東を遠望すると、奥羽山脈の分厚い山稜が横たわっていた。秋田・山形・岩手・宮城の県境がひしめく長大な山岳地帯を贅沢に眺められる特等席。南には月山や朝日連峰といった山形の名峰が意外と近い。
そんな鳥海山ワールドを存分に味わえる登山コースが、山の四方にいくつかある。中でも秋田県にかほ市側にある鉾立登山口をスタート&ゴール地点として、登りに千蛇谷コースを、下山に外輪山コースを選択するのがもっともポピュラー。帰りには鳥海湖をまわって御浜小屋に戻れば、登りで歩いてきた道に復帰することもできる。時間にゆとりがあるならば、ぜひ寄り道していきたいルートだ。
YAMAPによれば、このコースで約16km、10時間ほどの山行となる。早朝に出れば日帰りも可能だけれど、山頂直下の御室小屋(例年7月上旬から8月末頃まで営業)に泊まることができれば言うことなし。晴れさえすれば、標高2,000mから見下ろす日本海の落日が荘厳だし、見上げる月星は小屋の屋根にこぼれ落ちてきそうなほど夜空に溢れている。日中に見晴らす広い風景とともに、夜の空の近さは光源の極端に少ない鳥海山の魅力のひとつだといえるだろう。
ところで、鳥海山は山肌に刻まれた無数の皺のような谷筋が印象深い。何度も噴火を繰り返して複雑な地形をつくった火山ゆえの造形美であり、加えて豪雪地帯ならではの厳しい風雪が山肌を削ってきた痕跡でもある。太陽の陽射しがその筋ひとつひとつに影をつくり、ことさら美しく山肌を浮き立たせていた。
あたりまえのことだけれど、標高の高い低いにかかわらず、山には谷があるものだ。山の上空で雲に姿を変えた海の水は、やがて雨となって山に還り、地中をつたって谷に水を集めながら川となり、清らかになって海にそそぐ。冬になると雨は雪となり、深い谷には夏でも雪渓が残る。太古から変わらない地球の水の循環システム。その恩恵によって、人間は地球とわかちがたい関係を結んできた。
水が地域を循環する構造を「流域」という。流域は、湧き出た水が届く範囲であり、人や物が移動し信仰や文化が伝播する舞台でもあった。考えてみれば、山は地域を東西南北に隔てて土地由来の文化を醸成するけれど、川は地域を縦横無尽に貫いて文化を結合するインフラなのだ。隔てるものと、結ぶもの。
そう考えると、地図を片手に地域や流域に注目してみるのも、山旅をする面白さのひとつになり得る。鳥海山が育んできたふもとの風土を感じながら、湧き出る水をたどって里を訪ねるのは、思わぬ発見があって面白いはずだ。
翌日は、鳥海山の頂から眺めていた広大な裾野の中に身を置くと決めていた。なにしろ「地球とつながる。」をテーマに訪れているのだから、ピークハントだけで帰ってしまうのはもったいないだろう。山頂から海辺までつぶさに歩いて、紀行文を書くためのヒントを少しでも探りたい。
山から望むふもとの風景には、どのような風土が定着したのだろうか。逆に、あちら側から見る鳥海山はどのように見えるのだろう。きのうはそういうことが気になってしまい、やや興奮状態で過ごした。こどものころのような、空想を旅する夜だった。
翌朝、真っ先に向かったのは、鳥海山の湧き水のポイント。大小さまざまな谷が雨水をたっぷりと吸収し、長い年月をかけてあちこちに水を配っている。そうした湧水のひとつが、元滝伏流水である。
幅30mにおよぶ岩肌からは、一日5万トンもの水が湧いているそうだ。迫力ある水量によって水煙があがり、周囲には常に清浄な空気が漂う。ときおりさし込んでくる木漏れ日がその水煙を照らすと、たちまち幻想的な雰囲気に様変わり。気がつけばカメラを構える愛好家の姿が多く見受けられる。ぼくは何人かと言葉を交わして、地元ならではのスポットを聞きこむことに成功した。
流れてくる水に触れてみると、ひやっと冷たい。鳥海山の麓に暮らす人々にとって、こうした冷たい水が絶えず湧き出ていることは、大いなる恵みだったに違いない。ところが、その冷たさに深刻な課題もひそんでいた。農作物の育成に小さくない影響があったのだ。
上郷地区にある温水路に向かったのは、その“地域課題”に対峙した地元の人たちの成果を確かめるためだった。
温水路とは、冷たい水を温めるための構造をした水路のことである。幅が広く水深が浅いため、太陽の力がすみずみまで行き届き、水が温まりやすくなる構造をしている。加えて階段状になっているため、段差を滑り落ちた水には泡が立ち、空気が混ざる仕組み。
元々あった棚田をより良くしたいと願った地域の人たちによるこのアイデアによって、周辺一帯の扇状地には文字通り“扇”のように美しい棚田が広がる結果となった。
思うのは、在野の工夫ということである。とかく新しい何かを外から取り入れがちな風潮にあって、元々そこにある自然資源を活かすということが素晴らしいと思うのだ。上郷地区の人たちはそれをやってのけた。
つまり、自ら考えるものの、自然の力にもちゃんとたより、課題を解決したり目的を達成したりすること。人間らしく「地球とつながる」方法のひとつを実践したのだなと、ぼくは感心した。
ぼくは、山を歩くたびにいつも感動する。何度も登ったことがある山でも、まるで初めて訪れたかのように、驚いたり足をとめたりしている。あの日をきっかけに、いまでは自然と涙を流すようにもなった。きっと、美しいものが好きなのだろう、歩くことが楽しいのだろう。同じことを何度も繰り返しているけれど、不思議と飽きることはない。むしろ、山には感謝するばかりだ。
歩くことは感じることであり、考えることでもあり、絶えず自然に感化され、自ら変化することでもある。そういう法則を、ぼくはぼくの中に見い出した。感情と身体と自然は三位一体。そう感じながら自分の足で大地を踏みしめるとき、ぼくは地球と、深くつながる。
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旅のクライマックスに訪れたのは、鳥海山の眺めがよい海辺。元滝で地元の人に教えてもらった場所だ。そこから仰ぎ見る鳥海山は、翼を大きく広げた鳥が海辺で休んでいるかのよう。まさしく“鳥海”という名にふさわしい山容だと個人的に合点し、その美しい姿にまた目頭を熱くしたのだった。
ふたたび涙とともにこの山に還ったぼくは、陽が沈むその瞬間まで“鳥”に寄り添うことにした。海面には、うっすらとその姿が映っている。この澄んだ海にも、鳥海山からの水が注がれているのだ。そしてまた雨となってあの頂に水が還る日に想いを馳せ、ぼくはそっと、涙をぬぐった。
写真=鈴木 千花
取材協力=鳥海山・飛島ジオパーク公認ガイド 伊藤 良孝