九州と朝鮮半島の間に浮かぶ長崎県「対馬」。この島には太古の昔、日本がユーラシア大陸と陸続きだったことを証明する動植物が今なお生息しています。また、大陸文化との交流拠点だった歴史を持ち、固有の文化が色濃く残っているのです。
しかし現在、美しい自然と文化は大きな危機を迎えています。それは「海洋ゴミ」問題。実は対馬は、日本で一番海洋ゴミが漂着する島なのです。ヤマップは、対馬市と一緒にこの問題に向き合うプロジェクトを発足。今回はその第一弾として、パタゴニアや海洋ゴミ問題に関心のある企業を対象に行ったモニターツアーの様子をレポートします。
2022.11.16
米村 奈穂
フリーライター
長崎県対馬市は、九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ島で、韓国までわずか49.5kmという場所にある。島の9割を森林が占める豊かな自然には、ツシマヤマネコやシマトウヒレン(キク科の植物)など、対馬でしか見られない大陸系の希少な動植物が生息する。日本有数のリアス式海岸は総延長が911キロにも及び、距離にすると福岡から静岡までに相当するという。
美しい自然に囲まれた対馬が、なぜ日本一海洋ゴミが漂着する島といわれるのか? その要因は立地の特徴にある。対馬海流が東シナ海から日本海へ流れ込む入口に位置することと、北西の季節風の影響により、東アジア諸国から大量の海洋ゴミが漂着している。全長82kmの細長い島は、日本海に流れ込む海洋ゴミの防波堤となっているのだ。
今回のモニターツアーには、このような対馬の現状を理解し、各々が自分の所属する会社で貢献できることを模索するために、5社から14人の参加者と、パタゴニアの店内オブジェなどを手掛けるアーティストチーム3人が参加した。カヤックや登山で対馬の自然を楽しみながら、海洋ゴミが漂着した海岸やリサイクル処理場を見学しプラスチックゴミの問題を学ぶ。対馬のA面とB面の両方を見つめるツアーとなった。
初日は浅茅湾でのカヤック体験。海に入る前に、対馬の海洋ゴミの現状を学んだ。まずはパタゴニアの桑原茂之さんから、スタディーツアーのきっかけとプロジェクトの目的の説明があった。パタゴニアは、漁網をリサイクルした素材で商品を作っていたことがきっかけで、対馬市とヤマップが一緒にやろうとしていた海洋ゴミ問題の取り組みに参加している。
このプロジェクトには次の三つの目的がある。
まずは啓発。プラスチックゴミのリサイクルは色々考えられているけれど、一番いいのはゴミが流れ着かないこと。そのための啓発活動の最初のアクションがこのスタディーツアーだ。
二つ目はリサイクルの活性化。リサイクル商品を作ることが正解なのか、ゴミを埋めることが正解なのか、自分でもまだ正解が分からないと桑原さんは言う。しかし、リサイクル商品をつくり、それが一般の人の手に届くことによって、人々の自然保護に対する意識を高めることにつながればと語る。
三つ目は日中韓でこの問題に取り組むということ。漂着ゴミの67%は韓国と中国から流れ着く。日本のゴミが少ないということではなく、日本のゴミはまた別のところに流れている。アジア全体で取り組む必要がある。
次に、プロジェクトマネージャーであるヤマップのひげ隊長から、ヤマップの目的も語られた。ヤマップと対馬市は3年前から一緒に島内における自然観光の活性化を図ってきた。対馬にはその立地から、韓国の観光客が多かった。しかし、日本人にこそ見てもらいたい、体験して欲しい自然がある。日本の観光客にも来てもらうために、リゾート地のような形ではない自然観光を目指してきた。ひげ隊長は、対馬に通ううちに、海洋ゴミのことが気になってしょうがなくなったという。
しかし、ヤマップは登山アプリの会社。海に関しては弱い。そこで、YAMAPに入社する前、アウドアショップをしていた頃から付き合いのあったパタゴニアの桑原さんに声をかけた。二人ともサーファーだったこともあり、海を愛し海で遊んできた。ヤマップとしてやりたいことは、対馬の海洋ゴミ問題をいろんな人の知恵を借りて啓発すること。でも隊長には具体的な夢もある。
「今日、僕が着ている短パンは、パタゴニアのバギーズショーツという名作なんです。これは100%漁網でできたネットプラスという素材からできています。南米の漁網などをリサイクルしたものです。僕はここがちょっと引っかかる。日本で着るのになんで南米やねんと。対馬にも漁網が大量に流れ着いている。これを対馬の漁網で作れたら素敵だなと思ったんです。アジア版ネットプラスを作ることが僕の夢です」
続いて、現地のガイドにバトンタッチ。カヤックツアーを主催する一般社団法人CAPPAの松井秀明さんから対馬の海洋ゴミの現状と対策の説明を受ける。
一般社団法人CAPPAは、行政と連携して対馬の海洋ゴミ対策を行う団体だ。海岸のモニタリング調査や、協議会の運営、海洋ゴミ授業の開催、カヤック体験を交えた環境スタディーツアーの開催など、対馬の海洋ゴミ対策の最前線に立って活動している。
対馬には中国や韓国からのゴミが多い。漂着するペットボトルを例に取れば、その割合は、韓国が34%、中国28%。それらのゴミは海流に乗って日本海に入る前に必ず対馬海峡を通る。狭い海峡のど真ん中にある対馬には、どんどん海洋ゴミが漂着してしまう。つまり、日本海の入り口にある対馬で海洋ゴミの回収をしないと日本海が汚染されてしまう。対馬は海洋ゴミ対策をする上で重要な場所なのだ。
年に4回、6箇所で行う海岸のモニタリング調査では、どんなゴミが、どれだけ流れ着いているのかを調べて、市や県に報告している。ゴミの発生源となっている国は、ラベルの文字やバーコードの番号で識別する。インドネシアやシンガポールなどの東南アジア諸国からも流れ着く。それだけペットボトルは頑丈だということだ。作業の話をきいていると、ゴミを回収してからも大変だということが分かる。
対馬の海を学んだ後は、着替えて簡単なカヤックの講習を受けていよいよ海へ。二人一組になりカヤックに乗り込む。船を漕ぎ出す浅茅湾は、対馬の中央部に位置し、無数の入江と島が点在するリアス式海岸で、初心者でもカヤックを安全に楽しむことができる。湾の南側には、翌日登る城山が見えた。無人島を目指し出発したが、天候により目的地を上陸可能なプライベートビーチに変更。先ほどまでの難しい顔と比べ、参加者の表情がどんどん笑顔になっていく。
カヤックのガイドをしてくれたのは、CAPPA代表の上野さん。浅茅湾には人工物がほとんど見当たらず、古代の人々が見ていたままの景色が残る。上野さんは当初、漂着ゴミを人に見せることにためらいがあったという。島を訪れる人には美しい自然と古代から残る歴史的史跡を見せたい。島の人にもそれを自慢にして欲しかった。でも今やプラスチックは、私たちの生活に欠かせないものになってしまった。プラスチックとどう付き合っていくのかが島に住む僕らのテーマだと語る。
「どこへ行っても、美しい景色を見たり美味しいものを食べたりすれば誰でも感動する。全く人工物がないところで漂着ゴミを見たときのお客さんの反応は、やっぱり拾って帰ろうと、心に届くんです。ネットや写真で見るよりも、島に来て感じてもらった方が、これからどうプラスチックと付き合っていこうかと考えてくれる。メリハリを効かせた観光をして欲しい。ゴミのイメージだけを持って帰ってもらうのは僕も辛い。今日は楽しみながら、何かを感じながらスタディーツアーに参加していただければと思います」
海から上がった後は、対馬クリーンセンター中部中継所を見学した。海で回収されたゴミのうち、リサイクルできるものはここに運ばれ、発泡スチロールは汚れや不純物を取り除きペレット化される。ペレットは燃やして熱エネルギーに変えられる。これまでは、福岡に運んで処理していたが、輸送費などを考えると島内で処理した方がメリットは大きい。来年にはボイラーを導入予定。海洋ゴミを燃やす熱を利用した温泉施設ができる予定だ。
細かく砕かれ、再生素材に一歩近づいたゴミの姿を見た参加者からは質問が飛び交った。「プラスチックの種類は?」、「もう少し小さくしてくれた方が使いやすいかも」、「年間の生産量は?」などなど、プラスチック素材を扱うメーカーからは具体的な質問が出ていた。現状の問題は、人手不足で安定供給ができいないこと、プラスチックの素材を明示できないこと、粒度の調節が細かくできないところなど、まだまだ山積みのようだった。しかし、新たな姿に生まれ変わったゴミの姿を見るとワクワクした。
移動中の車内で、CAPPAの末永さんに対馬の海洋ゴミ回収の先頭に立つ同団体の活動内容を伺った。海を綺麗にしたいという理念のもとに活動を行う団体はたくさんある。CAPPAが他と違うのは、行政と民間をつなぐ中間支援組織であること。会員を募って会費で運営したり、寄付を募ったりしている団体が行き詰まる根本的な原因は活動資金だ。
CAPPAも最初はボランティア団体だった。海岸清掃をし、ワークショップを開いて解決策を話し合い、綺麗になった海岸で記念写真を撮って…、しかし漂着したゴミは再漂流して、島のまた違う場所に移動したりする。真剣に海洋ゴミ問題に取り組もうと考えるほどに、堂々巡りで意味がないと思うようになり、絶望感を感じていたという。
根本解決のためには、啓発や教育、リサイクルメーカーとの交渉や学術的な海洋ゴミの研究、海に携わる人たちとの協力関係の構築など、様々な取り組みと横のつながりが必要だと考えていた。その後、市の担当者の理解もあり、専門家や、行政などの関係者を集めた協議会を設置することができた。行政との協力関係と、予算をもらい安定した運営ができること。このような運営形態は、世界的に見ても珍しいと語る。
今は、大人に対する普及啓発に力を入れている。ワークショップに参加した小学生から「自分たちはマイボトル、マイバックを使って、ゴミをなるべく出さないようにしています。他に何をしたらいいですか?」と聞かれたことがあるという。逆に、プラスチックのなかった世代の方が、ゴミ問題に対する意識が低い場合もある。もしかするとそれは、ただ知識がないだけかもしれない。大人に対する普及啓発は今後の柱になっていくとも語る。
海洋ゴミの根本の問題は、一般廃棄物として処理される生活ゴミと、リサイクルできるゴミの分別がきっちり行われていないこと。各行政で厳しく取り決めをすれば、質の良い状態でリサイクルに回せるし海洋ゴミも減る。捨てる人たちの協力がなければ海洋ゴミは減らない。
1日目の最後に、対馬中央部の東側にある赤島海岸に立ち寄った。そこには、数日前の台風で流されてきた巨大なゴミが大量に漂着していた。ここは、案内してくれた末永さん曰く、対馬の海洋ゴミの象徴であるマイクロプラスチックがどういうものか分かる場所だという。足元の白砂と思っていた小さな白い粒は、手のひらに乗せると花びらのようにハラハラと落ちた。それは、劣化したプラスチックだった。砂浜を探そうと思っても難しく、海岸には大小のプラスチックが堆積された地層が形成されていた。
翌日は山登りからスタート。登るのは、667年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の命により築城された金田城跡が今も残る標高276mの城山。登山口までのバスの中では、対馬の歴史に詳しい対馬観光物産協会の西さんが、対馬の名前の由来や、7世紀から明治時代まで、国境の島として国々の交流と衝突の最前線にあった歴史を詳しく説明してくれた。最後には拍手がおこるほどの興味深い内容で、あっという間に登山口に到着。
今日歩くのは、明治時代につくられた山頂そばの砲台に続く馬車の道。大砲や火薬を運ぶために整備された道で、初心者でも歩きやすいコースだ。城山は7世紀につくられた石垣が、2.2キロに渡り山を囲む。ジグザグに通る馬車道は、所々で7世紀の石垣を突き抜け、城の中に入ったり出たりしながら山頂を目指す。
2日目の最後は、それぞれがどんな形で海洋ゴミ問題の解決に近づけるかを話し合い、提案するワークショップの時間が設けられた。多岐に渡る分野の参加者からは、それぞれの得意分野を生かしたアイディアや改善点が出された。
プラスチック素材のメーカーや産業廃棄物の処理会社の方々からは、製品化するにはある程度の供給量が必要であること、プラスチックの種類が分からないと製品化しづらいことなど、海洋ゴミをリサイクルする段階での専門的な意見が出された。中には、対馬を訪れた釣り客はクーラーボックスの持ち込みを禁止し、リサイクルされたクーラーバックを買ってもらうという、島内で生産から消費まで回してしまうというアイデアもあった。
パタゴニアチームからは、商品の陳列に使うハンガーを対馬の海洋ゴミから作れないかという意見が出た。パタゴニアの韓国支社と連携して日韓共同でこの問題に取り組みたいとも。
アーティストチームからは少し違う視点の意見が。「使わなくなったものが海に流れていて、資源の方からこっちにやって来てくれるとポジティブに捉え、新しいものにつくり変えていけないか。迎えに行かなくても来てくれるというポジティブなメッセージを、作品を通して出せたらと思う」と。この新しい視点には、現場で海洋ゴミの回収に携わる地元の方も励まされたようだった。
参加者の提案を受けて、対馬市SDGS推進室の前田さんは次のように語った。「ストーリーを語れるツールをつくりたいという言葉が印象的だった。自分たちが拾った海洋ゴミが新しい商品に生まれ変われば、島の子ども達は夢を持てる。コストはかかるけど、ストーリーが語れる、夢を持てるツールをこの場にいる皆さんと一緒に作っていきたい」
ひげ隊長は、ヤマップの専属ガイドとして自然教育を担当し、全国に子どものための自然学校をつくろうとしている。「正直、大人のことは諦めていました。次の世代の子どもたちに、僕たちがつくった間違ったものを押し付けるのではなく、新しいものをつくって欲しい。そういう思いで自然教育をやっています。だから海岸清掃を子どもにさせているのが耐えられなかった。大人が作った大人のゴミを、なんで子どもに拾わせてるんだと。それが許せないからこそ、一度は諦めた大人たちにもスタディーツアーを通して、今、伝えたいなと思っています。是非、知恵や力を貸してください」
この二日間でよく耳にしたのは、正解が分からない、果てしない…という出口の見えなくなるような言葉だった。けれど最後には、プロフェッショナルが集結すれば、わずかでも可能性は広がることが分かった。もっと様々な分野の人たちに海洋ゴミの問題を知ってもらい、知恵を出し合い、その出口を少しずつでも広げていければと思う。プロジェクトに賛同する人々が得意なことを持ち寄って対馬に集まり、美しい海が守られると同時に、島に新しい価値が生まれる。そんな日が来ることを願わずにはいられなかった。
撮影:米村奈穂