槍ヶ岳で滑落、イライラして集中力を欠いた結末|山岳SOS!命を救う遭難回避術①

YAMAPユーザーの実体験をもとに、山岳遭難ルポの第一人者・羽根田治さんから遭難しない方法を学ぶ連載企画「山岳SOS!命を救う遭難回避術」をお届けします。なぜ遭難してしまったのか、どうすれば遭難しなかったのか。遭難事故の核心に迫ります。
今回の舞台は槍ヶ岳(長野県・岐阜県、3,180m)。山頂直下の最後の鎖場を過ぎ、平坦な場所まであと数メートルの地点で滑落、負傷してヘリによって救助された登山者の体験談です。

2024.09.04

羽根田 治(監修)

フリーライター/長野県山岳遭難防止アドバイザー/日本山岳会会員

INDEX

遭難事故の全容を追う


● 遭難者…60代男性、登山歴11年
● 事故現場…槍ヶ岳 (長野県)
● パーティ…Aさん(遭難者本人)、Aさんの妻の2名
● 時期…8月上旬
● 登山計画…上高地から槍沢ロッヂ、槍ヶ岳登頂を経て、槍ヶ岳山荘、上高地に戻る2泊3日の約38kmの山行
(標準的なコースタイムは約16.5時間)

【遭難するまでの経緯】

1日目(事故前日)
● 天気もよく順調に進む
● 槍沢ロッヂに宿泊し、18時就寝

2日目(事故当日)
● 4時42分、槍沢ロッヂ出発
● 暑さと急登で疲労を感じながらも登り進め、10時58分槍ヶ岳山荘へ到着
● 槍ヶ岳山荘にて昼食休憩をとる
● 目の前には晴天の槍ヶ岳。その穂先を眺めているうちに登頂したい気持ちを抑えきれなくなり、疲労感を差し置いてアタックすることを決断
● 12時42分槍ヶ岳の穂先へ登頂するも、混雑により滞在時間わずか6分で下山開始
● すぐにでも降りたかったが、混雑のため登り同様、下山時も行列ができ順番待ちをしなければならない状況だった
● 前方では不慣れな登山者数人が鎖場・梯子を下りるのに苦戦しており、Aさんは待たされ苛立ち(いらだち)を感じる

【遭難時の状況】

● やっとAさんの順番になり、いざ下山開始
● 最後の鎖場を過ぎ、平坦な場所まであと数メートルの地点でバランスを崩し5メートルほど滑落
● すぐ先(下方)にいる下山途中の登山者を巻き込まないよう、左手をついて停止する

【通報から救助まで】

● 左手指が曲がり痛みを感じたものの、頭や足に異常はなく自力で歩いて診療所へ
● 慈恵医大槍ヶ岳診療所(槍ヶ岳頂上直下に毎夏開設される)で医師がすぐに処置が必要と判断、医師により長野県警に救助要請
● 約30分後、事故現場周辺でパトロール中のヘリにより救急搬送される
● 中指・薬指・小指の3本が剥離骨折、脱臼の大ケガを負う

事故はなぜ起こった? 羽根田さんが考察する原因と対策

1.感情の乱れと油断が生じた

【原因】
・槍の穂先からの下りで、先行する登山者に苛立ち(いらだち)を感じたことが、その後の慎重さを欠く行動につながった。
・最後の鎖場を下り終えて油断してしまったことも一因。

【対策】
・感情の乱れは行動に悪影響を及ぼします。ヒューマンエラーを予防するには、冷静になること、平常心を保つことが大事です。
・危険箇所を通過したあとは緊張感が緩みやすいので、意識して気を抜かないようにしましょう。

2.水分・塩分補給が不充分だった

【原因】
・当日はかなり暑い日で、多量の発汗があり、足もつり気味だったとのことから、脱水状態に陥っていた可能性がある。

【対策】
・登山中の水分補給の目安は、1時間あたり「体重(kg)✕5 (ml )」といわれています(体重50kgの人なら、1時間で250ml程度)。体内の水分が不足しないよう、こまめに補給しましょう。
・ミネラルウォーターや塩飴などで、汗とともに排出される塩分もいっしょに補給してください。

3.疲労を軽視してしまった

【原因】
・槍ヶ岳山荘に着いた時点で、Aさんにはかなり足にきている自覚があったが、その場の状況に流されて、山頂に向かった。

【対策】
・体に違和感を感じたときは、無理をしてはなりません。充分に休憩をとってから登る、あるいは翌朝登るという選択肢を考えましょう。

九死に一生を得たのは「たまたま」だった

遭難してしまったAさんが助かったのは、滑落した場所が山頂直下の平坦な場所まで数メートルのところだったから。診療所の開設期間だったことも不幸中の幸いでした。

もし数メートルで止まれず崖の下まで滑落していたら…Aさんは助からなかった可能性も。

事前に「槍ヶ岳の下りは混雑する場合がある」という情報を知っていたら、「待たされるのは普通である」と冷静に考えることができたかもしれません。また、下ったあとは近くの山小屋に戻るだけなので「急ぐ必要はない」と気付けばそもそもイライラすることはなかったかもしれません。

遭難は他人事でないからこそ、対策が必要

今回の事故では、遭難救助費用として総額約10万円かかりましたが、万が一のために備えていた登山保険でカバーすることができたそうです。しかし、捜索期間が長引き、民間のヘリや多くの人員が出動すると、その分だけ費用がかさみ、救助費用が数百万円にのぼるケースもあります。

遭難者は必ず「まさか自分が遭難するとは」と言います。誰にでもありえる山岳遭難だからこそ、備えが大切。ヤマップグループの「外あそびレジャー保険」なら最大300万円の遭難救助費用に加え、ケガも補償します。万が一のための装備の一つとして、登山保険への加入をご検討ください。

承認日:2024年9月3日
承認番号:YN24-107

羽根田 治(監修)

フリーライター/長野県山岳遭難防止アドバイザー/日本山岳会会員

羽根田 治(監修)

フリーライター/長野県山岳遭難防止アドバイザー/日本山岳会会員

1961年埼玉県出身、那須塩原市在住。 山岳遭難をはじめとする登山関連の記事を、山岳雑誌やウェブメディアなどで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続けている。 おもな著者に『ドキュメント生還2』『ドキュメント道迷い遭難』『野外毒本』『人を襲うクマ』『これで死ぬアウトドアに行く前に知っておきたい危険の事例集』(以上、山と溪谷社)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処 ...(続きを読む

1961年埼玉県出身、那須塩原市在住。 山岳遭難をはじめとする登山関連の記事を、山岳雑誌やウェブメディアなどで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続けている。

おもな著者に『ドキュメント生還2』『ドキュメント道迷い遭難』『野外毒本』『人を襲うクマ』『これで死ぬアウトドアに行く前に知っておきたい危険の事例集』(以上、山と溪谷社)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(無意識社新書)、『山はおそろしい必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)などがある。