旅の舞台は、伊勢神宮を起点に熊野三山へと続く「熊野古道 伊勢路」。古くから人々の憧れを集めてきた祈りの道です。今回は伊勢路のちょうど中盤あたりに位置する、港街が美しい「紀伊長島(きいながしま)」周辺を散策しました。
旅人は、低山トラベラー・山旅文筆家の大内征さんと、登山を愛するモデルの菖蒲理乃さん。伊勢路のしっとりした雰囲気や、ノスタルジックな海街で過ごす時間を楽しんできました。
今回のコースは、現在開催中の「熊野古道 伊勢路デジタルバッジキャンペーン」の対象エリア。ぜひ奮ってご参加ください。
2024.12.06
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
YAMAP MAGAZINEに寄稿するのは、じつに1年ぶりのことらしい。ちょうど昨年のこの時期に、冬を目前にした熊野古道伊勢路を旅したのだ。
【前編】熊野古道伊勢路と低山で楽しむ、海と岩の絶景旅|海に岩の殿堂、山には巨岩
【後編】熊野古道伊勢路と低山で楽しむ、海と岩の絶景旅|海に岩の殿堂、山には巨岩
太陽の神たる天照大御神(アマテラスオオミカミ)が坐す(まします)伊勢の地らしい秋晴れの空の下で、真っ青な熊野灘に寄り添われながら祈りの道を歩くという、なんともすばらしい山旅だった。
あのときの記事を読んで「年末年始に同じコースを歩いたよ!」という友人や読者からの反応があったのも嬉しい出来事。早いもので、あれから1年が経つわけだ。その間、読者のみなさんはどんな風に山を楽しんでいたのだろうか。
ぼくはというと、相変わらず日本中の低山霊峰や信仰の道を歩いている。気がつけば、もう20年近くやっていることが変わっていない。旧知の友人からは「ブレないよね」といじられるけれど、それは誉め言葉だと受け取るようにしている。
山旅という言葉が意味するところや楽しみ方は、人それぞれだろう。“低山トラベラー”を名乗って活動するぼくにとっては、低山ならではの自然とそこにある現象を感じることであり、ふもとの町や山中の集落で人や文化に触れること。寄り道や想定外も大歓迎。まだ見ぬ風景や知らない風土に巡り合いたくて、今日も今日とて山旅に出る――そんなスタンスで、日本のローカルの再発見を楽しんでいる。
そんなわけで、じつはこの秋も歩いてきた熊野古道伊勢路。およそ170kmもある道のりから切り取った今回のセクションは、大内山からツヅラト峠を経て紀伊長島の「魚まち(うおまち)」までのコースだ。
昨年はスリルある“海辺”を歩いたけれど、それとは対照的に今回はノスタルジックな“海街”に寄り道するのがポイント。
旅のパートナーは、ふたたび菖蒲理乃さんとのタッグ。これは嬉しい。そしてYAMAP MAGAZINEでもお馴染みの川野恭子さんによる撮影と運営メンバーを加えた総勢5名のロケ隊が結成された。昨年とほぼ同じ顔ぶれで伊勢路旅の続きができるのが、本当に嬉しい。
どこを旅するのかも大事だけれど、だれと旅をするのかも大切にしたいこと。ぼく以外の4名の女性たちは、まるで再会を喜ぶ姉妹のようだ。その光景にどこか既視感のようなものを感じつつ、今年の伊勢路ロケも賑やかにスタートしたのだった。
長く険しい伊勢路の道のりには、峠から山や海を遠望したり峠を越えて港街や海辺を歩いたりと、ほかの熊野古道とは異なる魅力がある。そんな伊勢路らしさをぼくなりに表現するなら、やはり「峠越え」と「街歩き」そして「海の景観美」の三つの魅力ははずせない。
令和6年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて20周年であり、伊勢路を擁する三重県にとってアニバーサリーイヤー。熊野古道にも熊野三山にも、例年以上にハイカーや観光客が訪れているそうだ。熊野詣をライフワークとしているぼくとしては、そうした魅力が登山者にも浸透してきたことが、素直に嬉しい。
熊野古道を歩いていると、無数の谷と尾根を結ぶ峠に“らしさ”を感じる。歩く距離の長さにしては山頂を踏む回数が極めて少なく、それなのに険しい。それは、とりもなおさず「峠」を何度も越えなければならないから。伊勢路には峠の名所が数多くあり、それゆえに歩き応えも見応えもある。
昨年歩いた松本峠と馬越峠は、伊勢路の中でも名峠と呼べるほど歴史的・景観的な価値をもつ峠だ。そして今回のコースにもツヅラト峠が待っている。山頂には“踏む”喜びがあるけれど、峠には“越える”喜びがあるものだ。
古道や峠道を歩くときに注目したいのは、道のりに点在する「石」の使い方だろう。石畳には熊野古道らしい創意や普請の歴史を感じられるし、石仏や石標なども一つひとつが味わい深い。ちなみに、個人的には石垣も大好物。とくにツヅラト峠の「野面乱層積み」は必見。もはやアートだ。
これは棚田でも見られる工法で、おなじ三重県の名所「丸山千枚田」でも同様の石積みを見ることができる。おもに地盤のゆるい場所や雨によって崩れやすいところに用いられるようだ。それにしても、複雑で美しい積み方!
一方で古道の外側に目を移してみると、リアス海岸や多島の複雑な美しさと、浜辺の直線的な美しさという、ふたつの”海の美”を備えた海岸線がすばらしい。
たとえば昨年歩いた七里御浜(しちりみはま・三重県熊野市〜紀宝町)は日本でもっとも長い砂礫海岸で、海に突き出す鬼ヶ城はまるで岩の殿堂のようだった。そして、その向こう側に広がる青い海こそが熊野灘。規格外の大海原の風景に圧倒される、忘れがたいほどの美しさ。
今年は雨に泣かされる日が多く、ロケの日程は初秋からたびたび延期を繰り返した。はたして伊勢路を再訪することになったのが11月初旬のこと。ちょっと天候について調べてみると、多雨で知られる紀伊半島の東側は11月から4月までの期間にぐっと雨量が減る傾向がある。つまり伊勢路を旅するなら、秋から冬の季節が最適解、ということになる。
今回のセクションの名所となるツヅラト峠は、三重県の大紀町と紀北町にまたがる交通の要衝で、熊野古道伊勢路のなかでも来訪者の多い人気の峠。JR梅ケ谷駅から登るのがポピュラーだけれど、今回はとある理由からJR大内山駅をスタートとする。紀伊長島駅をかすめて、紀北町長島地区に残る漁師町「魚まち」をゴールとした。
ここからは、大内山駅からツヅラト峠までを旅の前半として、ツヅラト峠を中盤として、魚まちを後半として、それぞれの見どころを写真とともに案内していく。これから歩いてみようと思うハイカーにとって、なんらかの参考になれば嬉しく思う。
さて、この写真を見て欲しい。これは10年ほど前にプライベートで伊勢路を歩いたときに撮った、完全に個人的な思い出の一枚である。なにを見せられてるんだと言わず、ぜひお付き合いいただきたい。
低山トラベラーと名乗る「山がテーマの大内さん」としては、大内山という地名はスルーできない超個人的な聖地。しかも駅があるというのだから、なおさら行ってみたいと思っていた。そのときの喜びの感情が写真に表れている。もちろん電車に乗ってここで下車し、ホーム上の安全を確認してから撮影したものだ。
年甲斐もなく恥ずかしいけれど、時を経て、またこれをやりたくなってしまった。そんな私的な理由によって、集合場所は大内山駅と相成ったわけ。メンバー全員をぼくの都合に巻き込んでしまったけれど、こんな戯れに時間を使うおじさんを温かく見守ってくれて、みんなありがとう。
で、その再現の成果が、こちら。
どうだろう、このジャンプ力。10年経っても変わらない身体能力ということでよろしいだろうか。今日はこれから13km、コースタイム5時間ほどの道のりを歩く。この通り、身体は絶好調。くだらないことに真剣に取り組む心のゆとりも健在だ。さあ、先へ進もう。
大内山駅から大紀町側のツヅラト峠登り口までは、YAMAPのコースタイムで約70分。しばらくは国道42号を歩くことになる。道中では、ひさしぶりに揃ったメンバーとする他愛のない世間話が楽しい。素朴な神仏の石像や古めかしい石の道標、水の清らかな大内山川の美景の出迎えも見逃せない。なにもないようでいて、意外と飽きない道だ。
大紀町側のツヅラト峠登り口から、ようやく山に入る。すこし薄暗さを感じさせる森の中だけれど、今日は幸いにも気温が高め。
そこに、まるで春を思わせるやさしいカラーリングの理乃さん。山の中では目立つ色合いだけれど、なぜか雰囲気は自然に馴染んでいる。さすがはモデルさん、そして昨年に続く伊勢路のリピーターである。
さみしい色合いの森の中で見事に映える、お手本のようなコーディネート。ぼくにはちょっと難しいかな……。
熊野古道といえば石畳を連想する人が多いだろう。もちろんそれも特徴のひとつだけれど、割合でいったら極めて少ないのが実際のところ。道のほとんどが自然道であり、ときおり街や集落に出ると舗装路になる。
だから熊野古道をしっかり歩く場合、自前の登山装備がそのまま活かせる。日ごろから山旅をしているハイカーや絶景高山に足を運んでいる熟練の登山者こそ、距離の長い熊野古道を歩く準備ができているというわけだ。そんなみなさんに、ぜひ熊野古道伊勢路を歩いてみてほしい。
すこし先へと進むと、謎のタックルボックスが出現した。開けてみると、なんと熊鈴のレンタル。ここで借りた鈴は、逆側の登り口に設置されたタックルボックスに返す仕組みになっている。これにはロケ隊も感心しきり。シンプルだけど、いいアイデア!
今年も里に下りてくる熊の姿があったそうだから、なんの対策もしていない人にとってみれば嬉しいサービスだろう。とはいえ、これはあくまで備えをしていない場合の急場の対処と心得よう。ぼくとしてはマイ熊鈴とホイッスルをもつことをオススメしたい。そして、熊鈴を鳴らして安心するのではなく、周囲をよく観察して、動物の臭いや気配に気を配ることも忘れずに。
ちなみに、ぼくは自分の熊鈴にホイッスルをセットにして常備している。使うときはザックにつけるのではなく、手に持って振り回す。トレッキングポールを使っているときは、持ち手のストラップにつける。こうしておけば鈴の音は絶えず鳴り響き、広く自分の存在を示したいときには速やかにホイッスルを使うことができる。
動物の生息域に足を踏み入れているのはぼくらの方だから、見通しの悪いカーブやヤブがあるときは「これからそっちに行きますよ」という意味でピー!と音を送る。知らない土地の山ではよく指笛を鳴らしながら歩くのは、もはやクセだ。子どものころは宮城や山形の渓流に入って釣りをすることが多かったので、動物の臭いと気配にはとても敏感。あのときの経験と習慣は、いまも活きている。
そのむかし、峠というとちょっと怖い場所だった。坂の地形は向こう側の様子を見ることができないため、峠を越えることは“異界”へ入ることと同じ意味合いをもっていた。こっち側とあっち側の境だから、峠には悪いものが入ってこないようにする守り神や、旅人が安全を祈願する神仏が祀られるケースがとても多い。
伊勢国と紀伊国の境だったツヅラト峠では、そういう怖い話よりもむしろ、苦労して登ってきたことを称えてくれるかのような絶景に驚かされることになる。ここで理乃さんはもちろんロケ隊の歓声があがったことは言うまでもない。
かつては、伊勢側からやってくる旅人にとって、熊野灘の美しい海をはじめて目撃する場所がこのあたりだったのだ。峠からすこし上がったところにある展望ポイントは、このコースで唯一といっていい絶景スポット。東屋もあるので、ランチや休憩にもばっちり。ぼくらもここで、ちょっとひと息。
ツヅラト峠という不思議な名称は、その発音からも推測できる通り、九十九折れ(つづらおれ)の道が山の斜面を這うことに由来している。たしかに、紀北町側へと下山する道にわかりやすい九十九折れの道があった。そこを過ぎれば紀北町側の登り口に出て、やがて集落になる。高速道路の下を抜けると、紀伊長島の街はすぐそこだ。
中辺路や小辺路のように不便な山中を長く歩き続けるのではなく、峠を頂点として街から街へと“縦走”する歩き方が、伊勢路を楽しむコツとなる。電車やバスが使えるのも大きなメリット。通過する地域にスーパーマーケットがあれば、補給のための寄り道も計算できる。
こうした方法で長距離を歩きつなぐスタイルは、まさしくロングディスタンストレイル。何回かに分けて計画的に歩けば、170kmの伊勢路踏破も夢ではない。
紀北町の長島地区を地図で見ると、なかなか複雑な地形をしている。陸地の奥までえぐるような入り江は「江ノ浦」と呼ばれる小さな湾で、そこに寄り添う漁師町が「魚まち(うおまち)」である。ノスタルジックな雰囲気が漂うこの港が楽しいと聞いて、今回の寄り道&ゴールに定めた。
さあ、ここから先はノープラン。ふたりで気ままに“海街”をぶらぶらして、ほどよく日が暮れたところで今回の旅を終える。行きたいところを決めて行く旅も好きだし、行きたいところなど決めずに行く旅も好き。お互いの山旅へのスタンスをリスペクトして決めごとを作り過ぎず、現地で判断するくらいがちょうどいい。
そうとなったら、理乃さんもぼくも直感のままに、時間が許す限り歩き回る。
食とお酒に目がない理乃さんは地元の味覚を瞬く間にかぎつける天才! 干物に和菓子に手羽先にと、理乃さんのお導きで気ままに買い食いを楽しむ。
歴史や町並みが好きなぼくは神社や路地を見つけては、うんうんと聞いてくれる理乃さんにここぞとばかり説明をする。求められなくても話しはじめちゃうのって、歴史好きあるあるだよなあ。
下調べをせずに歩く旅は想定外があって楽しい。しかしながら、情報がなさすぎるのは寄り道に困るというものだ。そういうときは、地元の人からネタをもらうのが一番。たとえば商店でなら地元民の通う定食屋のことを、飲み屋でなら地元の銘菓や民芸品のことを、さりげなく聞いてみるなど。
そんなことを考えているところで通りかかったのが「魚まちのたまり場」というコミュニティスペース。ここで出会った方に、旅の締めくくりによさそうなスポットを教えてもらうことに成功した。
その場所こそ、江ノ浦大橋の上! 魚まちの全体を見下ろせるループ橋である。これはさすがに来るつもりはなかった場所だ。行き交う漁船と素朴な海街を染める夕景とが、旅人の旅情をかき立てる。タイミングがよければ、ひとつ向こう側の可動橋が開くシーンを見ることができるそうだ。
このように暮らしの目線からすこし高いところに立ってみると、街の見方や旅の解像度が確実に変化する。なにも想定していないなら、すべてが新発見だし、すべてが初体験なのだ。そうやって“想定外”を過ごす楽しい時間は、想定以上にはやく過ぎ去ってしまう。わかっていても、旅を終えるときは、やっぱり少しさみしい。
ということで、まだ空の明るさが残るうちに特急電車へ乗り込んだロケ隊一行。土地を代表する名産のミカンと名物の牛乳を帰路のお供に、今年も最高だった熊野古道伊勢路の旅を車内でふり返る。
二年続けて一緒に旅をした理乃さんは、山も歩けて海も楽しめる伊勢路の素晴らしさに、あらためて感動していた。旅慣れた機材で撮影に臨んでいた恭子さんは、昨年のダイナミックな海とはまた違った伊勢路の素朴な風景に感じ入っていた。
ぼくはというと、まだ歩いていないセクションへと、すでに気持ちが飛んでいる。今回の旅の出発点こと大内山の牛乳は、コーヒー味が好み。これをビール代わりに少しずつ味わいながら、つぎなる伊勢路の旅に思いを馳せる。やっぱり来年も秋かなあ。
【私的な余談】帰宅後、旅の余韻の中で
そうそう。帰宅して、ロケ中に撮った自分の写真を見返していたところ、一枚の写真が目にとまった。淡く美しい夕空と港を背景に、ロケ隊の4人が写っている。とてもいい表情をしていて、まるで“四姉妹”のような雰囲気。そしてここは“海街”――。
なんか、そんな映画あったよね、という私的な余談。でもせっかくなので、写真は記念に載せておくことにしよう。伊勢路の旅の素晴らしさが、四姉妹の表情に表れていると思うから。
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現在、YAMAPを使って伊勢路を巡ると期間限定のデジタルバッジがゲットできる「熊野古道 伊勢路デジタルバッジキャンペーン」が開催中。今回は、伊勢路の世界遺産登録20周年を記念した特別仕様になっています。
条件をクリアした方には、オリジナル手ぬぐいのプレゼントも! ぜひ大内さんと菖蒲さんの旅も参考に、参加してみてくださいね。
原稿:大内 征
モデル:菖蒲理乃
撮影:川野恭子
協力:三重県東紀州振興課