鋸山登山道、奇跡の復興ストーリー「台風被害から地元の山を救え」

私たち登山者が安全に楽しく山を歩けるのは、そこに「道」があるから。「登山道」は登山者にとって欠かせないものですが、自然災害によって、ある日突然、姿かたちを変えてしまうことがあります。千葉県・鋸山も、そんな山の一つです。令和元年9月に関東地方を直撃した台風15号の被害により、一時は登山道が崩壊。普通には歩けない状態が続いていたといいます。しかし、今、鋸山は着実に復興へと向かっています。しかも、復興を推進したのは「鋸山を愛する一人の地元登山者」。鋸山の登山道復興までの道のりを取材しました。

2020.01.30

宇佐美 博之

フォトグラファー

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台風15号が残した山中に残した爪痕

令和になって初めて迎えた夏、日本列島は度重なる台風と豪雨に見舞われた。9月に日本列島に上陸した台風15号もその一つで、伊豆諸島や関東地方南部を中心に猛烈な風と雨をもたらし、各地に甚大な被害をもたらした。大規模停電の様子や、屋根を覆うブルーシートなど、テレビを通して目にする痛ましい映像の数々は、今も記憶に新しい。

ニュースではあまり語られなかったかもしれないが、台風15号の被害を受けたのは「街」だけではない。登山道をはじめとした山中にも大きな爪痕を残していたのである。

鋸山の木々はなぎ倒され、荒れ果てていた

はじまりは、たったひとりのユーザーの孤独な行動だった

千葉県房総半島。自身も台風の被害に遭いながらも、地元の山に刻まれた災害の爪痕に心を痛めるひとりのハイカーがいた。YAMAPユーザーの「やまっぺさん」だ。年齢は40代後半で、房総半島に家族と一緒に住む、一般的なサラリーマンハイカーである。彼のホームマウンテンは自宅近くの鋸山。

鋸山には何度も足繁く通っているのだそう

「台風が過ぎ去ったあと、ふと眺めた山の様子に驚いた」とやまっぺさんは語る。遠目にも、それまで見慣れていた景色と違うことがわかったからである。しかし、自宅周辺にも被害が出ている状況で、すぐに山の復旧を進めることもできず、悶々とする日々が続いたという。

やまっぺさんの気持ちが動いたのは、それからしばらく経って、鋸山の状況をWeb上で目にしたとき。

「その光景は想像を絶するものでした。もう、じっとしてはいられなかったですね。それからは毎週末、仕事のわずかな合間を縫っては、ひとりチェーンソーを片手に、荒れ果てた鋸山の登山道整備に取り組みました。最初のうちは登山道とも認識できないほどにまで倒木が折り重なる状況で、1日に数メートル進むのがやっとでした。」

やまっぺさんの想像をはるかに上回る被害がそこには広がっていた。鋸のような岩山の稜線に木々が生い茂る鋸山。その特徴的な山肌がごっそりと崩れ落ちる箇所が無数に点在していたのだ。

登山道の崩壊は、山の形が変わってしまうほど

なかなか先の見えない状況が続いていたが、誰にもこの現状を打ち明けずにひとりで作業を続けたのは理由があったからだという。その様子をYAMAPで日々、活動日記としてアップはしていたものの、彼には衝動的に始めた登山道整備に対して葛藤があったようだ。

まずは一登山者が個人で登山道の整備をしていいのか、という問題。アルプスのような国立公園は決められたルールの中でしっかりとした仕組みがあって専門業者や山小屋のスタッフが整備を行う。一方で、鋸山のような里山ではどうすればよいのか分からず、頭を悩ませたそうだ。

次第に集う同志、そして繋がる絆

「それでも、荒れた山をこのまま放置することはできなかった」と、やまっぺさんは当時の想いを語る。

個人が勝手に山の整備なんてしてはいけないのではという気持ち。気軽に手伝いをお願いできるような被害状況ではないこと。ますます悶々とする頭の中を整理し続けながら、黙々とひとりで作業をこなした。

しかし、やまっぺさんのそんな想いは、彼が想像していなかった方向へと広がりを見せることになる。YAMAPの活動日記のコメント欄に、やまっぺさんの活動に対する励ましの言葉が多く集まるようになったのだ。なかには多くの仲間に声をかけ、大勢で手伝いに駆けつけると提案してくれるユーザーもいたそうだ。たったひとりで倒木と一日中格闘する大胆で寡黙な行動が、地元千葉県の山を愛するYAMAPユーザーを突き動かし、新たな鋸山登山道整備の動きへと加速していったのである。

さらに、広がりはそれだけに留まらなかった。鋸山周辺にネットワークを持つ仲間が、観光協会や市役所にこの取り組みをつないでくれたことで、やまっぺさんの想いから動きだした小さな流れは、ここから別の流れへと合流し始めることなる。
鋸山では、地元の富津市、鋸南町、地元の町おこしを行う「金谷ストーンコミュニティー」などが連携し、被災前から「日本遺産」への登録の動きがあった。やまっぺさんと仲間たちの活動は、これらの団体と協業の形に発展し「鋸山復興プロジェクト」という名前までつくほどに大きなうねりへと発展していったのだ。

冷たい雨に打たれながらも進む復興の歩み

YAMAP MAGAZINEでは、ぜひともやまっぺさんたちの活動内容を取材したいと、11月23日の登山道整備にお邪魔した。

この日はあいにくの悪天候で、朝から氷雨が降っていた。それにも関わらずYAMAPユーザー、前出の「金谷ストーンコミュニティ」のメンバー、「房総横断・鋸山トレイル実行委員会」のメンバーなど、山を愛する多くの方々が富津市公式のボランティア活動として集まっていた。

雨にも関わらず老若男女が集まった

それぞれに鋸山を復興させようと、冷たい雨が降るなか、互いに声をかけ合いながらスコップや熊手を手に作業をされていたのが印象的だった。山の斜面が未だ崩壊している痛ましい状況や、通行止めの区間はまだまだ多い。

山を守りたいという想いに年齢なんて関係ない

しかし黙々と作業を進める背中と、その後ろにだんだんと開かれていく道を眺めていると、熱い思いが込み上げてきた。

大きな流れへと繋がった今、やまっぺさんの想い

日をあらためて、やまっぺさんにお話を伺った。

「自分でも驚いてるのが正直なところです」

鋸山復興の動きが活発になることを嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうにやまっぺさんは語り始めた。

「鋸山を含めた千葉の山の安全は、人知れず山を整備してきた多くのボランティアの方々の想いと労力に支えられてきました。そのおかげで私たちは、当たり前のように山を歩くことができていたんです」

そして今回の台風被害を期に、麓の集落の方々の高齢化による整備活動の存続危機についてもあらためて考えるようになったそうだ。

熊手にスコップ。歩きながらゴミも拾う

「今は現役で働いている若い世代も、いずれは退職して地元の山で過ごす時間が増えていきます。だからこそ若い世代の人たちにも、将来の山の姿に思いを馳せながら、ぜひ行動を起こして欲しいと思っています。今回の私のように、突拍子もない行動をしてほしいとは言いません。誰かが登山道を整備してくれていることを、ハイカーひとりひとりが頭の片隅に意識してほしい。そうすることで山との触れ合いをより一層大切にでき、美しい自然が保たれていくと思うんです」

やまっぺさんは、笑顔で話を続けた。

「千葉の山は低山しかなく地味に思われがちなんだけど、東京湾越しの富士山や都心の眺め、里山らしい木々や草花の表情がすごくいいんですよね。私たち登山者も癒やされて、自然と笑顔になります。たくさんの笑顔が山にあるだけでいいんです。それはきっと、山を通して街の人々の活力にもなると私は思っています。」

やまっぺさんのその言葉を聞いた時、なぜ彼の周りに多くの仲間が集まったのか、その理由がわかった気がした。やまっぺさんの山を想うピュアな優しさと、山を守りたいという芯のある行動に、みんな惹かれているのだろう。鋸山は、必ずまた元通りの美しい山になって、多くの人に愛されていくのだと思う。

ひとりの登山者からはじまった復興の道を、ぜひあなたも歩いてみてはどうだろうか。いつもよりもちょっと目線を変えて、ゴミを拾ってみたり、整備してみるのもいいかもしれない。それがきっと、美しい登山道につながっていくはずだから。

鋸山とは

鋸山は千葉県安房郡鋸南町と富津市との境に位置する標高330mの山だ。その名の通り鋸の刃のような険しい稜線を有する個性的な低山である。山中にはかつて室町時代から昭和57年まで、房州石(金谷石)と呼ばれる石材を切り出した石切場跡が残る。この石切場の迫力は誰をも魅了するだろう。JR内房線の浜金谷駅から徒歩でアクセスできるのも魅力だ。徒歩の他にロープウェイや登山自動車道もあり、体力に合わせたコースが選べる。また温暖な房総半島に位置してるので1年を通して山歩きが楽しめる。

登山道整備を始めたいと思ったら?

一登山者が登山道整備を始めたいと思っても相談先に苦慮することだろう。もちろんsnsなどで公にボランティアを募集し整備活動をしている山域もある。アルプスのような国立公園に関しては自然公園法などに基づき、決められた事業執行者が整備することになっている場合が多いようだ。まずはWebなどで実施団体の情報を探し、相談してみよう。また、肩肘を張らない日々の小さな心がけも、山の整備に貢献することは常日頃から意識しておきたい。「登山中に見つけたゴミを拾う」「小さな折れ枝などが登山道を塞いでいたら、できる範囲で除去する」などの小さな行動も、登山者全員が意識すれば大きな力になる。

宇佐美 博之

フォトグラファー

宇佐美 博之

フォトグラファー

写真スタジオ勤務後に山小屋管理人として7年間山に生活の場を移す。現在は山岳を中心に雑誌媒体などの撮影をこなす。ライフワークとして、季節を問わず日本各地の山を歩き、写真作品制作も行う。