日本各地の低山里山を巡り、地域に根付く文化と歴史を紐解きながらそのおもしろさを伝えてくれる低山トラベラーの大内征さん。そんな大内さんが今回訪れたのは、大和と伊勢神宮を結ぶ「伊勢本街道」のうち、奈良県宇陀市榛原(はいばら)萩原から同県御杖村の桃俣(もものまた)まで。ゆっくり歩いてみると、伊勢への巡礼、女神の旅の神話、古くからの交易や山岳修験の名残など、様々な魅力が見えてきました。
2022.03.25
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
いささかふるい話だけれど、高校の修学旅行の行き先に奈良を選ばなかったことを、ぼくは少しばかり後悔している。通っていたのは県立の男子高校で、珍しいことに3つの行き先から好きなコースを選ぶことができるという仕組み。その当時完成したばかりの瀬戸大橋を軸としたコースに惹かれ、修学旅行の定番・奈良にはしなかったのだ。
後日、奈良を見聞した同級生から神社仏閣やシカのエピソードを聞いても、そのころのぼくは「ふーん」くらいの反応だったように思う。もうひとつの行き先は北海道だったけれど、それさえ当時は反応は薄かったはずだ。時を経ていま、山を旅する面白さに目覚めてからというもの、奈良の印象はとても好い。
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ぼくにとっての奈良は、神秘そのものだ。神秘というと神懸った超常現象を真っ先にイメージするかもしれないけれど、ぼくは“神”の部分を「自然」とか「山」とかに置きかえて捉えている。つまり、奈良には自然の中に秘められた宝物がたくさんある、という具合に。そんな宝物を求めて縦に長い奈良の地を南北縦断したことが、これまでに度々あった。
たとえば吉野の桜と修験の聖地を巡ったり、室生火山群に大地創造のロマンを辿ったり。山の辺の道では素朴ながらにして深い里山の歴史や文化に触れ、大神神社のただならぬ神域に身を置く機会を得たりもした。龍神信仰の伝わる数々の滝を山中に訪ねたことは特に思い出深い。そのどれもが最高の旅だったけれど、思い返すと、あの修学旅行の後悔があったからこそ、欠けたなにかを補うように奈良を旅するのだろう。
ここのところ春の気配が漂い始め、ぼくは毎日のように日本各地の地図を眺めている。そんな中で、奈良を“横断”する歩き旅をしてみようと、ふと考えた。地図の中に、三輪山と伊勢神宮とを東西に結ぶ直線がふと目に留まったのだ。このライン上に「伊勢本街道」が重なっている。ここを歩いてみるのは良さそうだ。
毎年少しずつ、自分の旅の好みや登山スタイルが変化している。いまは遠くまで歩くロングトレイルが楽しくて仕方がない。もちろん山道をメインに歩くのだけれど、ときに町に下り、ときに集落を通過するような古い街道を歩くことが増えた。そうした古のトレイルは通商や生活のために拓かれた道であり、信仰や文化の伝播に欠かせない道だったりもする。だから、歩きながらその沿線について学ぶことができるという点で、街道歩きはとても優れた地域理解の手段だと、ぼくは思うのだ。
伊勢本街道は、まさしく歴史文化トリビアの宝庫。歩く前にちょっと下調べをしておくだけでも、格段に楽しい歩き旅になることだろう。この道について、個人的な視点が3つある。
伊勢本街道は、周辺地域から伊勢神宮を目指す参宮街道のひとつで、奈良の桜井と伊勢神宮とを結ぶ参詣の道、いわば巡礼路である。峠道には難所が多く、かつて宿場の機能を担った集落が数多く点在する長く険しい道のり。歴史や文化に触れながら各地の低山を歩くぼくにとって、この道はとても魅力的に映っている。
今回の歩き旅では山頂を目指すような登山はしないものの、いくつもの峠を伝って山越えをする。ゆえに、山歩きの経験と装備は必須条件となるだろう。なにしろ道の大半が山地を通っているのだから。
同じ紀伊半島にある熊野古道と雰囲気が似ているところがあり、たとえば中辺路の滝尻王子から熊野本宮大社までを二日かけて歩いた経験がある人ならば、このような“むかし道”の難易度を想像することができると思う。逆にいえば、登山を嗜む人にこそ、ぜひ歩いてもらいたいロングトレイルでもある。
伊勢神宮が現在の地に定まったのは、かの地に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)の功績によるものだった。重要な大神をお祀りするのにふさわしい地を求めて、奈良をはじめ近畿や東海を旅した女神。道すがら、一時的に天照大神を遷座した地は“元伊勢”と呼ばれており、奈良はもちろん京都などにも点在する。ぼくも過去に何ヶ所か訪ねたものだ。
山好きによく知られた三重の名峰・御在所岳は、倭姫命が天照大神を祀る仮宮を営んだことがその名の由来である。海まで見渡すことのできる絶景の頂から、はるか海岸線の先に発見した地こそ、現在の伊勢神宮。女神さまも山を越えたというわけだ。
そんな倭姫命が“神の御杖代”となって巡幸した道が伊勢本街道と重なるということで、後世の参拝者たちにとっては「神の御心にかなう道」としてこの道が好まれた。現代に生きるぼくも歩いてみようと思った動機のひとつである。
古くて長い道だけに、道中の見どころには事欠かない。神代の世に倭姫命が活躍した道であることは前に触れたけれど、中世の南北朝時代には重要な交易路として整備が進み、江戸時代中期には本居宣長の紀行の舞台になるなど、時代時代の鏡となった伊勢本街道。いま歩いてみると、のどかで雰囲気の明るい田舎道といった風だから、かつてこの道を歩いた旅人の歩調を想像しながらのんびりと歩きたいものだ。それでこそ、ここでしか感じられない“神秘”を味わう第一歩となる。
たとえば、古い道標と新しい道標とが混在している様子を見かけると、各時代ごとに街道を大切に保存してきた歴史をうかがい知ることができるだろうし、役行者や弘法大師にまつわる文化資源があるのも榛原からほど近い吉野金峯山と高野山の影響力が感じられる。宿場町には風情のある貴重な家屋が立ち並び、かと思えばひらけた谷戸には小川がせせらぐのだ。女神が旅した道にして、風光明媚な山間の道、歩き旅を好む人にとって最高の舞台ではないか。
そんな具合に、自然と人間の営みがほどよく交わる道中の風景を楽しみながら、榛原駅と桃俣の白髭稲荷神社までセクションハイクした。この間、距離にしておよそ20km、歩行時間は7時間ほどである。YAMAPによれば、ペースはほぼ平均値。途中、足を止めてシャッターに夢中になる時間があったり、木々の中に佇んで春の匂いを楽しんだり、峠を吹き抜ける早春の風を浴びたりと、自由気ままな歩き旅はやはりいいものだ。
そういえば、桃俣のある御杖村(みつえむら)には、倭姫命にまつわるエピソードが多い。倭姫命がこの地で一泊された際、ここを天照大神鎮座の候補地のひとつとして杖を証しに残したという説や、新しい杖に替えて使い古した杖を置いて行ったという説があるそうだ。これを神の杖として「御杖」と呼び、村の名称の由来となった。さらに、神末(こうづえ)という地名も、この“神の杖”の転訛なのだという。地名って本当に勉強になるし、なにより旅を面白くしてくれる。
もう1日あれば桃俣からその神末まで歩き、道をつなぐことができたのだけれど。春を間近に天候が安定せず、残りのセクションは個人的な宿題とすることにした。一度にすべての行程を歩く「スルーハイク」が難しければ、区間を歩きつないでいつかロングトレイルを完成させるなんて楽しみ方もアリだろう。そんなことに思いを馳せながら、西日を受けて黄金色に輝く白髭稲荷で旅を締めくくった。
了)
伊勢本街道のある紀伊半島は、日本人が古来より守り伝えてきた信仰である、「神道」「仏教」「修験道」の代表的聖地が集まった場所です。
この紀伊半島が持つ4つの「道」(伊勢本街道/葛城古道/小辺路/弘法大師の道)の歴史や地理的な魅力について、YAMAP MAGAZINEで紹介しています。
3人の山と歴史の知識人に鼎談(ていだん)形式で語っていただいた、こちらの記事も併せてご覧ください。