登山の事故・遭難を予防する|プロ直伝の安全装備術

夏山シーズン、これから山の計画を立てる人も多いと思いますが、夏は遭難も増える時期。そこで、今回は「MOUNTAIN SAFETY(山の安全)」をテーマに「安全登山のための装備術」について山のプロに教えてもらいました。

お話を伺ったのは、国際山岳ガイドで石井スポーツ登山学校校長の天野和明さん、三重県のアウトドアショップmoderate(モデラート)店長の飯田崇士さん、人気の登山ガイド・渡辺佐智さん、THE NORTH FACEで商品企画や販売戦略などを手掛ける・千葉弥生さんの4人です。事前にYAMAPユーザーから集めた安全登山に関する様々な質問に、山のプロはどのような回答をしてくれたのでしょうか?

2024.07.22

大関直樹

フリーライター

INDEX

2020年以降の登山者の傾向とは?

写真左から、YAMAP・斉藤克己、THE NORTH FACE・千葉弥生さん、モデラート店長・飯田崇士さん、国際山岳ガイド・天野和明さん、登山ガイド・渡辺佐智さん

Q1:まず初めに、2020年以降の登山者の傾向について教えて下さい?

モデラート店長・飯田崇士さん(以下 飯田):コロナ禍をきっかけに、登山を始めた人が増えた印象があります。登山スタイルについては、初心者の方が、いきなりUL(ウルトラライト)のアイテムを使っているのをよく見るようになりました。

*UL(ウルトラライト):軽量化を優先した山道具のこと

飯田さんが店長を務める三重のアウトドアショップ「モデラート」は、老舗登山ブランドからULブランドまで幅広い品揃えが特徴

――それは、どうしてでしょうか?

飯田:SNSなどでULが流行しているのを見て、初心者の方も使うようになったのだと思います。

登山ガイド・渡辺佐智さん(以下 渡辺):私もSNSやYouTube動画を参考にして登山をする方が増えた印象があります。情報にアクセスしやすくなったのはいいことですが、ネット情報は正しいものあれば、そうでないものもあります。ネットから情報を入手するときは、「これは本当に正しいものなのか」と、立ち止まって考える必要があると思います。

――なるほど。では正しい情報を入手するには、どんな手段がよいでしょうか?

渡辺:ネットよりも情報が体系的に書かれている書籍がおすすめです。必要な情報が順番に並んでいるので、段階を踏んで登山スキルをアップすることもできます。

国際山岳ガイド・天野和明さん(以下 天野):出版社は書籍の内容に責任を持っていますが、個人発信の動画情報は責任を持たないというのも大きな差です。

THE NORTH FACE・千葉弥生さん(以下 千葉):自分の場合は、たまたま登山に詳しい人が周りにいたので、見聞きした情報が正しいかを確認ができたんですけど、そうじゃない場合は大変ですよね。

――登山経験者が身近にいない場合は、ガイドさんと一緒に山に登るのもいいですよね。

天野:確かに。ガイド登山はコストがかかりますが、「自立した登山者になりたい」というお客さんのニーズがあれば、それにお応えすることができます。

―─登山専門店に行くというのも、ひとつの方法ですよね。

飯田:そうですね。僕らのお店も手軽に参加できるツアーなどを開催しています。また、お客さんとお話して、登山に対する様々な知識をお伝えすることもできますので、登山専門店もうまく利用していただけたらと思います。

登山装備を選ぶ時に着目すべきポイントは?

Q2:最近の登山装備は、新しい素材が次々に登場して、進化が激しいと思います。どんな点に注意して装備を選べば良いのでしょうか?

飯田:まずは、自分の体のストレスポイント(弱点)を知ることですね。それをカバーしてくれる機能のあるウェアやギアを選ぶのがよいでしょう。例えば、汗かきの人なら、速乾性が高いものや防臭効果があるウェアをおすすめします。

渡辺:ただし、防臭機能のあるウェアも効果を実感できる人とできない人がいることがありますよね。

飯田:はい。それを知るためにも、自分で試してみることが大切です。

――まずは、そのウェアを着て山に1度登ってみる。もしかしたら、失敗するかもしれないけど、そこで学んだことを次の買い物にフィードバックするってことですね。

天野:実際に購入するときは、ある程度の価格のものを選んだ方が、失敗しないと思います。値段の高いものが、必ずいいものとも限らないですけど。そんなに高い山に行かないから安いのでいいやと思って購入すると、失敗する確率が高くなりますね。

縦走にチャレンジ!その時持って行くザックとは?

Q3:今年の夏、南アルプスの縦走にチャレンジしようと思います。テント泊なので、荷物も重くなりそうなのですが、いつも使い慣れているUL系のザックで行くか悩んでいます。

飯田:必要な携行品をしっかりと見極められているなら、UL系ザックでも大丈夫だと思います。しかし、初めてのテント泊縦走だと不安なので、荷物は多くなりがちです。それなら背負い心地のよいフレームの入ったサポート性が高いザックの方がいいんじゃないでしょうか。

渡辺:初めてのチャレンジ山行にUL系ザックを使うのは、ちょっと怖いものがあります。

千葉:若年層の方々でしたら体力もあるので、多少簡易的なザックに重い荷物を入れても歩けるかもしれません。しかし、体が小さかったり体力が備わってない方だと体に負担がかかる心配がありますね。

飯田:チャレンジの山行に出かける前に、UL系ザックを背負って近くの山に登ってみるのがいいかもしれません。いつもよりもちょっと長めに歩いてみて、テストしてみることをおすすめします。

天野:チャレンジ山行だから、なるべく荷物を軽量化したいというのは悪くないと思います。ただ軽量化にはネガティブなものとポジティブなものがあると思います。

ネガティブなものは、自分の体力が衰えていくのを軽量化で埋め合わせようとするもの。ポジティブなものは、歩行距離や歩行時間など自分の力を伸ばす目的のために軽量化するものです。

明治大学山岳部出身の天野さんは、日本人として初めて国際的な山岳賞・ピオレドール賞を受賞している

天野:先日、僕がリーダーを務める登山ツアーに参加された79歳の女性のお話です。日帰りなのに荷物が大きかったので「何が入ってるんですか、荷物はもっと軽くできるんじゃないですか」と聞いたんです。

すると「普段から軽い荷物を持っていると、テント泊のときに自分が大変になるから軽くしないのよ」っておっしゃったんです。年齢的にその方は人生の大先輩なんですけど、思わず「えらい!」と言っちゃいました(笑)。

普段から何かあっても対処できるようにツエルト、ファーストエイド、2日分の水も持っていくそうです。このように普段からトレーニングをして体を作っている人が、チャレンジの山行で荷物を軽量化したら、より山を楽しむことができると思います。

夏山登山の脱水症対策

Q4:去年の夏、水が重いからと少なくしたら熱中症になりかけました。ただ、持ちすぎるとバテててしまいそうで不安です。持っていく水の量の目安はありますか。

渡辺:一般的には次の式が登山中に必要な水分量と言われています。

登山中に必要な水分量【ml】=(体重+荷物)【kg】× 5 × 行動時間【h】

 

渡辺:例えば体重が50kgで8kgの荷物を持って7時間行動すると、2Lぐらいは水分が必要になります。

ただし、これはあくまで目安の数字なので、汗かきの人はもっと多く持って行くとよいでしょう。夏山シーズンが本格化する前に、近くの山に出かけて、自分の体と相談しながらどれぐらいの水を持っていくとバテないかを知ることが大切だと思います。

渡辺さんは、女性や初心者にもっと山の魅力を知ってほしいと、積極的にメディア出演やガイド山行を行っている

YAMAP・斉藤克己(以下 斉藤):バテないためのギリギリの水を持っていこうというのは、とてもリスキーなことではないでしょうか。例えば女性で「トイレに行きたくないからあまり水を飲まない」という人もいますが、それって本当は怖いですよね。

渡辺:怖いですね。脱水症状になると、あっという間に体が動かなくなります。必要な水分量はもちろん、水はどこで補給できるのかを事前に考えておくことも重要だと思います。

斉藤:昨年の夏は、北アルプスの一部の山小屋で深刻な水不足になりました。飲み水の提供を制限していた山小屋もありましたね。水の補給ができないのは大変なので、今年の夏に北アルプスに行かれる方は、事前に情報を調べてみましょう。

登山ビギナーの北アルプス・テント泊装備をチェック

Q5:今年の夏に1泊2日で北アルプスでのテント泊縦走を計画しています。登山歴は5年ぐらいで高尾山から始めて最近は徐々に活動の幅を広げています。北アルプス・テント泊ともに初めてなので、登山経験豊富なみなさんに装備についてアドバイスをいただけたらと思います。

YAMAPユーザーのIさんが北アルプステント泊縦走で用意した装備

1 ファーストエイド
2 パーカー(防寒着)
3
4 マット
5 サングラス
6 レインコート
7 タオル
8 使い捨てカイロ
9 グローブ
10 モバイルバッテリー
11 ヘッドランプ
12 ダウンベスト(防寒着)
13 テント
14 シュラフ
15 水筒
16 風防板
17 クッカー類

 

アドバイスその1「コットンを避けた防寒着の選び方」

千葉:防寒着として選んだパーカーは、コットン素材ですね。コットンは汗をよく吸収してくれますが、乾きにくいという欠点があります。森林限界を越えた稜線で風に吹かれたら、汗冷えで体温を奪われて低体温症になるリスクすらあるんです。防寒具に限らず、登山のウェアはコットンではない素材を選んだ方が安心だと思います。

千葉さんは、THE NORTH FACEの商品開発の担当者。登山者に少しでも快適に山登りを楽しんでほしいと日々、開発に取り組んでいる

Iさん:なるほど!ウェアの素材まで気にしたことがなかったので、今度から気をつけるようにします。

アドバイスその2「テントやシュラフは登山用のもので小形軽量化しよう」

飯田:今後、装備を軽量化したいならテントとシュラフをキャンプ用ではなく登山用に買い替えたほうがいいと思います。

斉藤:登山用シュラフなら現在の3分の1ぐらいの大きさになるかもしれないですね。

Iさん:そもそも、キャンプ用と登山用のシュラフが違うということを知りませんでした。

登山用シュラフは、スタッフバッグに入れることでコンパクトに携行できる

アドバイスその3「まずは初心者向けの山を選んで練習しよう」

天野:少し厳しい言い方ですが、この装備を見ると北アルプスに行くのはまだ早いなと思います。余計なものが多いし、もっと小さくできるものもあります。もちろんコストとの兼ね合いもあるんですけど、きちんとした装備じゃないと危ない目に遭う可能性があります。

斉藤:例えば、こういう装備の人だったら、どのへんの山に行くといいですか?

天野:そうですね北アルプスでなくとも、標高2,000mぐらいの山でも、テントを張って歩ける山はたくさんあります。まずは、寒くない時期にそういうとこから行ってみるのがいいんじゃないでしょうか。

Iさん:登山は、キャンプの延長線上の話じゃないんだなっていうのを認識できて、とても勉強になります。

Iさんが荷物を自分でパッキングした状態のザック。バランスが取れておらず危険な状態

アドバイスその4「パッキングを習得しよう」

渡辺:Iさんのパッキングを拝見すると、テントをザックのトップに、マットをボトムにつけていますが、これだけ色々な部分が出っ張ると山中の狭い登山道で岩や樹木に引っかかったり、他の登山者とすれ違うときにぶつかるリスクがあります。

パッキングは、外側に出っ張りがないように納めるのが基本です。ザックの容量の関係で、どうしても外付けにするなら、マットを二つ折りにして背中につけるのがいいと思います。

渡辺:もうひとつ、サイドポケットに2Lのペットボトルを入れていますが、これだと左右のバランスが不均等なんですね。バランスよくパッキングするには、自分の重心に近い背中側に重いものを入れます。細かいものを入れていくときにも、左右の重さが均等になるように詰めていきましょう。

バランスが悪い状態で長時間歩くと、それが疲労につながってしまいます。また、ザック横のコンプレッションベルトを締めると、さらにバランスよく歩けます。

パッキングを工夫するだけで、登山の疲労度が変わってくるので、自分でいろいろ試してみてください。


A:使用頻度の低いもの(着替え、シュラフ等)
B:重量のあるもの(水、クッカー等)
C:軽いもの(防寒着、レインウェア等)
D:使用頻度の高いもの(行動食、地図等)

Iさん:正直に言うと、バッキングにまで気が回っていなかったのですが、これを機にきちんと考えてみます。みなさんのアドバイスを参考にこれからもっと山を楽しんでいきたいと思います!

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今回の「MOUNTAIN SAFETY」では、山を安全・快適に歩くことのできる装備をテーマにお送りしました。上記のまとめ記事で紹介できなかった質問もありますので、YAMAP公式YouTubeチャンネルにて、アーカイブ動画をチェックしてみてください!

【ゲスト紹介】
天野和明(あまの かずあき)
1977年、山梨県生まれ。国際山岳ガイド。インドヒマラヤ、カランカ(6,932m)北壁をアルパインスタイルで初登攀し、フランスの山岳賞「ピオレドール賞」を日本人として初受賞。石井スポーツ登山学校校長も務める。

飯田崇士(いいだ たかし)
三重県四日市にあるアウトドアセレクトショップmoderate(モデラート)の店長。登山やトレラン、スノーボード、MTBなど、幅広いスタイルで山遊びを楽しむ。アクティビティが終わった後に飲むビールも大好き。

渡辺佐智(わたなべ さち)
登山ガイド、スキーガイド。春から秋は登山ガイド、冬から春はバックカントリーガイドとして四季を通して活動。初心者の視点に立って丁寧なアドバイスを心がける。モットーは「楽しく安全登山!」

千葉弥生(ちば やよい)
THE NORTH FACE事業部アウトドアグループ・マーチャンダイザー、アウトドアアパレル企画担当。幼少期から家族登山で山に親しみ、大学時代には登山サークルに入部。7年前からはクライミングも始めた。

(MC)YAMAP 斉藤克己
大学で探検部に入部し山を始める。登山専門出版社を経てYAMAPにジョイン。現在は、地方創生担当として登山と観光を結びつける「トレッキング・ツーリズム」事業やアウトドアブランドのプロモーションなどを担当。

原稿:大関直樹
イラスト:北構まゆ
会場提供・協力:株式会社ゴールドウイン

大関直樹

フリーライター

大関直樹

フリーライター

小中学校はボーイスカウト、高校はワンダーフォゲル部で自然に親しむ。好きなものは、タバコとお酒と競輪。最近は、山頂で一服すると周りの目が厳しいので肩身が狭いのが悩み。「みなさんが山で嫌な思いをしないように風下でこっそり吸いますので、許してください」