アークテリクス 「 アルファ SV ジャケット」の誕生〜進化の軌跡に迫る

ARC'TERYX(アークテリクス)のアイコン的アイテム「Alpha SV(アルファ SV)ジャケット」。初代モデル誕生から22年となる今年、9代目となる新モデルが登場しました。その性能・特徴はいかに? 進化の軌跡や開発秘話とともに、人気ブランドの定番ジャケットの魅力に迫ります。

2020.10.08

小川 郁代

編集・ライター

INDEX

アークテリクスの進化の象徴「アルファ SV ジャケット」とは

世界最古の鳥類といわれる始祖鳥(アーケオプテリクス)の化石をモチーフにした、印象的なブランドロゴ。これを一度も見かけない日はそれほど多くないと思えるほど、アークテリクスは数々の人気アイテムを世に送り出し、今日も多くのユーザーに利用されています。

バックパックやジャケットなどが街中で使われることも多いため、ファッションブランドととらえる人もいるでしょう。しかし、山やアウトドアアクティビティを愛する人なら、アークテリクスが、フィールドで活躍するアスリートや登山の専門家からも絶大な信頼を受ける、コアなアウトドアブランドだということを知っているに違いありません。

ブランドを代表するアイテムのひとつに、「アルファ SV ジャケット」があります。
アルパイン、ロック、アイスクライミングのための製品を集めた「アルファ」シリーズに属するハードシェル。シリーズのなかでも、もっとも過酷な条件での使用を想定した、「SV(シビアウェザー)」に分類される商品です。

2020年秋冬シーズン、「アルファ SV ジャケット」は生まれ変わりました。1998年のリリースから数えて、今回のモデルで9代目。初代から変わらぬコンセプトのもと、時代に合わせてリデザインを繰り返し、その時々のベストな形を更新して進化し続ける「アルファ SV ジャケット」は、ブランドの顔であり、アークテリクスの進化の象徴でもあります。

アークテリクス | 誕生からメジャーブランドへ

今でこそ、高機能で洗練されたアパレルやバックパックが注目を集めていますが、アークテリクスの原点はクライミングのためのハーネスの製造。自然豊かなカナダ・ノースバンクーバーのクライミングエリアにある小さなガレージで、2人のクライマーが手作りしたハーネスを売り出したことが始まりです。

Rock Solid社としてスタートした後に、1991年に現在のアークテリクスへと社名を変更し、その後1992年に発売した「ベイパーハーネス」という商品が大きな評判を呼んだことで、アークテリクスは一気に世界中のクライマーに知られるブランドに成長しました。今もハーネスはブランドの核となる製品です。

design from scratch(ゼロからのデザイン)。
既存のものに手を加えるのではなく、一度最初に立ち返ってその製品に何を求めるのかを見つめなおし、白紙の状態から作り出す。この姿勢が、アークテリクスものづくりの原点にあります。

新しい発想を具現化するためには、必要な技術も道具も、自ら作り出さなければなりません。それを可能にするのが、アークテリクス本社のデザインセンター内にある、機械工房の存在。アパレルデザインには不似合いな無骨な作業場で、新製品の開発に必要な道具や金型が作られ、それをベースに、実際の生産ラインで使われる機械が開発されます。自社内にこのような恵まれた環境が整うのは、他のアパレルブランドではおそらく例を見ないでしょう。これがアークテリクスの最大の強みのひとつであることは間違いありません。

なぜGORE-TEXなのか

ハーネスからスタートしたアークテリクスが、アパレル製品の開発を始めたのは、ブランド誕生から6年がたった1995年のことでした。

本社のデザインセンターがあるノースバンクーバーは、年間の平均降水日数が178日と、世界的にも非常に雨の多い地域。製品テストや新しいデザインのインスピレーションを得るために、ことあるごとにフィールドに出かけるデザイナーたちも、多くの確率で雨に降られます。

彼らのものづくりへの情熱が、そこに刺激を受けないはずはありません。他社のシェルを使って感じていた不満を自分たちで解消し、今までにない納得のいく、オリジナルのハードシェルを作りたいと考えたのです。

そこで目を付けた素材が、GORE-TEX。彼らはゴア社に対して、自分たちの理想のシェルづくりに必要なオリジナル素材の開発を依頼します。

一般的にあまり知られてはいませんが、ゴア社は素材メーカーでありながら、自社素材の納入先であるブランドの「製品」に対して、防水性の保証をする制度を設けています。それと引き換えに、製品に対しては、ゴア社による徹底した管理が行なわれます。

すべての製品サンプルが企画段階でゴア社に送られ、自然界のあらゆる環境を再現できる社内のハイテクレインルームで、厳格な防水テストを受けなければなりません。

そして最終的なテストをクリアしたものだけが、ようやくゴア社の製品基準を満たした製品として世に出ることを許されます。店頭に並ぶ商品に付けられている「GUARANTEED TO KEEP YOU DRY」と記された、通称「黒タグ」がその証。ゴア社の基準を満たした製品にだけ付けられる保証書なのです。

防水透湿素材はGORE-TEXだけではありません。ほとんどのメジャーなアウトドアブランドが、さまざまなオリジナルの防水透湿素材をこぞって開発し、GORE-TEXとオリジナル素材の両方を製品に使用しています。しかし、アークテリクスは、「アルファ SV ジャケット」の初代モデルを発売した1998年以来、一貫してGORE-TEX以外の防水透湿素材を使いません。
その理由は、GORE-TEXに対する絶対的な信頼があるからです。

GORE-TEX以外の防水透湿素材は、素材メーカーがさまざまなメンブレンに、自社や提携工場を使って生地を貼り合わせて、2または、3レイヤーに仕立てます。実はこの生地を貼り合わせる行程が非常に難しく、同じ防水透湿メンブレンを使っていても、それぞれの工場の技術や管理体制の違いによって、品質にバラつきが生じる可能性は否定できません。
それを避けるために、ゴア社はGORE-TEXメンブレンに生地をラミネートする行程を自社で一貫して行ないます。

もちろん現在のクオリティにたどり着くまでに、GORE-TEXにも数々のトライ&エラーがありました。しかし、その経験こそが貴重な財産であり、ゴア社創立から40年余りの経験で得た情報とノウハウが、何にも代えがたい価値であることを、共に進化を続けてきたアークテリクスは、誰よりもよく理解しているのです。

初代「アルファ SV ジャケット」の誕生へ

こうして出会ったGORE-TEXとアークテリクスは、いよいよ理想のシェルジャケットづくりを始めます。

開発当初の1995年ごろのシェルといえば、伸縮性のない生地にシームテープを貼ることで風合いはさらに硬くなり、動きやすさのために余裕を持たせたシルエットは、まるで筒のよう。手足を曲げると余った生地がダブついて、運動性や視認性にも大きく悪影響を与えていました。

理想のジャケットの実現のために、アークテリクスのデザイナーがゴア社に対して求めたのは、具体的に提示した透湿性の数値をクリアしつつ、充分な耐久性も備えるバランスのよい素材の開発。それと同時に、当時は22㎜幅がスタンダードだったシームテープを細くすることに取り組みました。結果として発売時には、18㎜にまで細くすることに成功。その後も15㎜、13㎜と次第に精度を上げて、現在ではわずか8㎜幅を実現しています。

ここまで幅にこだわる理由は、透湿性のないシームテープを貼る範囲が広いほど、ジャケット自体の透湿性が低下するから。またシームテープにはストレッチ性はないので、動きやすさを確保するためには、少しでも貼る面積が狭いほうがよいのです。
しかしこの方法は非常に特殊で高度な縫製技術を要するため、他のメーカーが何度チャレンジしても成功はしませんでした。8㎜シームテープの使用は、アークテリクス独自の技術です。

世の中にないものを作り出す力

止水ファスナーの登場は、アウトドア業界にとって大きな1歩でした。今では当たり前に使われていますが、実はこれも、アークテリクスの提案がきっかけで開発されたものです。

当時のジャケットは、すべてのファスナーがフラップ付き。せっかく素材が防水でも、ファスナー部分から浸水するため、フラップでカバーする必要があったのです。
しかしそれでは、雨の中グローブをした手でポケットからものを出し入れするのは至難の業。ポケットを使えないかざりにしないために、ファスナーに止水処理をして、なんとかしてフラップを無くせないかと考えたのです。

当初はあまり乗り気でなかったアメリカのYKK社に何度も掛け合い、ようやく開発にこぎつけたこの止水ファスナーが、さまざまなアイテムの使い勝手を爆発的に進歩させたのは言うまでもありません。最新の「アルファ SV ジャケット」に使われているのは、開発当初は必要だったファスナー上部の水の侵入を防ぐカバー(ガレージ)を無くしたタイプ。これも、アークテリクスのアイディアによって生まれたものです。

ほかにもアークテリクスの発案で誕生し、現在のスタンダードになったものが、袖口のフィッティングに使われるハードカフ。以前はボディと同じ生地に面ファスナーを縫い付けていたものを、水を含まない素材に面ファスナーを圧着する形に。これが生地が水分を含んで面ファスナーの付きが悪くなるのを解消し、見た目もかなりスマートになりました。

こうして、3年以上の年月をかけて開発された、従来の常識をくつがえす理想のハードシェルジャケットは、1998年に初代「アルファ SV ジャケット」として発売されます。

アークテリクス初のアパレル商品は、その年のアウトドア製品の展示会で業界に衝撃を与えました。真っ先に注目されたのは、むき出しになったファスナー。ゴア社のレインテストの厳しさを知る業界関係者は、揃って「こんなファスナーでテストをクリアできるとは信じられない」と口にしたといいます。

アウトドア業界と共に驚きを見せたのは、ファッション業界でした。それまでカッコ悪くてとても好き好んで着られるものではなかったアウトドアシェルを、ここまでスマートにしたブランドとして、アークテリクスの名がファッションの世界にも知られるきっかけになったのです。

9代目「アルファ SV ジャケット」の目に見えない進化

初代の発売から22年、今期登場した9代目「アルファ SV ジャケット」のトピックスは、アークテリクスのリクエストで生まれた新素材「GORE-TEX PRO most rugged technology」の採用です。GORE-TEX史上最高の耐久性を備え、特に油汚れによる剥離への耐久性を、透湿性を損なうことなく大幅に向上させました。

防水透湿素材の最大の敵であるメンブレンの剥離は、その大きな原因のひとつが油。着用や手で触れることによって素材に染み込む汗や皮脂が、メンブレンと生地のラミネートにダメージを与えるのです。

この皮脂の影響をブロックするために、以前はもっとも影響の大きい首の後ろに当たる部分に、油を遮るためのパッチを内蔵していましたが、「GORE-TEX PRO Most Rugged Technology」の登場により素材自体に耐油性が備わったことで、その必要がなくなりました。表面からは見えないわずかな違いですが、この進化は、製品自体の耐久性を大幅に上げることになります。

耐久性とサスティナビリティ

この素材の開発をアークテリクスがゴア社にリクエストしたのには、製品の耐久性に対する強いこだわりがあります。シビアな環境で使う道具に耐久性が必要なのはもちろんですが、もう一つの大切な理由が、耐久性を高めることが、ひとつのものを長く使い廃棄するものを減らすことにつながるから。そしてそれが、自然環境に与える影響を減らす、サスティナビリティの哲学につながるからです。

裏地に関しては、でき上がった生地を染色するのではなく、ポリマーの段階で色を付け、それを繊維に形成する「ドープダイ」という方法を用いました。従来の方法で染色をした場合に比べ、熱や電気、水の使用量を減らして環境への負担を軽減することができます。

そして、アークテリクスがゴア社と共に目指す次の長期的な目標は、温室効果ガスを排出しない、カーボンフリーの撥水剤への移行です。
現在、タウンユース用の「Everyday」シリーズではカーボンフリーの撥水剤が採用されていますが、アウトドアで使用するのに充分な撥水性は、残念ながらまだ得られていません。近い将来、すべての製品で使えるカーボンフリー撥水剤の開発、もしくは、まったく違うアプローチから撥水効果を発揮する素材の開発を目標に、ゴア社と共に研究を進めています。

裏側でわかるアークテリクスの「仕事」のクオリティ

こうして過去最大の耐久性を手に入れた「アルファ SV ジャケット」ですが、残念ながら耐久性の本当の良し悪しは、何年も過酷な環境で使った後にしかわかりません。しかし、耐久性を高めるためにアークテリクスが実行している「仕事」を見れば、製品に対する姿勢や、高い技術力をダイレクトに感じることができ、それがまだ見えない耐久性に対する信頼に繋がるでしょう。

その「仕事」はジャケットの裏側に見ることができます。写真に見えるライン状の部分が、アークテリクスがこだわるシームテープ。8㎜と13㎜の2種類を場所によって使い分けます。

生地を縫い合わせたときにできる「縫い代」は、シームテープを貼るために縫い合わせた糸のギリギリまでカットされます。そして縫い目をカバーするようにシームテープを貼るのですが、幅8㎜のテープを、縫い目が中心に来るように、まっすぐよれずに貼ることがどれくらい難しいか、紙にセロハンテープを貼る場面を想像すれば簡単にイメージできるでしょう。しかも貼るのは、厚みのある100デニールのゴアテックス素材。直線だけでなく、3Dで立体成型されたパターンは、縫い目もかなり複雑です。

シームテープは重なり部分が多いほど、そこからはがれる可能性が高くなるため、テープはできるだけ長く、分割せずに貼られ、貼り合わせた部分に角が出ないよう、ジョイント部分は円形のパッチで保護されます。
その工程がどれほど正確に行なわれているかは、写真から充分に感じ取れるでしょう。このクオリティの仕事が、すべての製品のすべての縫い目に対して行なわれています。

こちらは、ジャケットの裾を圧着処理した部分。裾を絞るドローコードのアジャスターを避けるために、このようなカーブを描いて圧着をしなければなりません。修正テープやテープのりを使う場面を想像してみてください。これがどれほど高度な技術が必要とされる仕事なのかがよくわかります。

アークテリクスの製品が生まれる場所

「259時間、190行程」。
「アルファ SV ジャケット」1着をつくるためにかかる時間と行程です。そのひとつひとつに、正確で高度な技術と、それを継続する技術者のモチベーションが求められます。

それを可能にするのは、アークテリクスが自社工場を持つこと。生産工程を直接コントロールすることで、高い製品クオリティを保つことができます。
自社工場以外での生産は、アークテリクスの製品だけを生産する専用の設備を持った協力工場で行なわれます。そこには、1枚のジャケットに対して分厚いファイル1冊分にも及ぶ仕様書が用意され、普通なら指定されない、見えない部分を縫製する糸の色にまで細かく指示がされます。こうすることで、自社工場をそのまま再現した生産環境を、外部の協力工場につくることができるのです。

「アルファ SV ジャケット」は、1着のジャケットとして決して安いものではありません。しかし、これだけの技術と時間、手間をかけて作られることがわかると、充分納得できる金額のように思えます。生産効率を重視するのなら、もっと違うアプローチがあるでしょう。事実、多くのブランドとアークテリクスの製品が違うのは、アークテリクスがそれ以上に大切にしていることがあるからです。

ぜひ売り場に出かけて、ジャケットを裏返し、ポケットやフードの奥、小さなパーツまでくまなく観察してみてください。実物を見れば、人の手がこれを作っているのが信じられないほどの、正確で美しい仕上げに必ず驚くはずです。その様子は周囲から少し怪しく見えるかもしれませんが、ショップスタッフはきっと温かい目で見守ってくれるでしょう。彼らにとっても商品の裏側は、多くの人に知ってもらいたい自慢の種なのです。

原稿:小川郁代
撮影:永易量行
協力:アメア スポーツ ジャパン アークテリクス

小川 郁代

編集・ライター

小川 郁代

編集・ライター

まったくのインドア派が、ずいぶん大人になってから始めたクライミングをきっかけにアウトドアの世界へ。アウトドア関連の雑誌、書籍、ウェブなどのライターとして制作に関わるかたわら、アウトドアクライミングの環境保全活動を行なう、NPO法人日本フリークライミング協会(JFA)の広報担当としても活動する。