シカと人の関係を再構築する獣医師・齊藤ももこさん|「山を守る人たち」が語る未来

登山ができる離島として注目されている長崎の対馬。実はシカ・イノシシによる農林被害が深刻化している、日本の縮図的な場所でもあります。そこで獣害対策で活躍しているのが、獣医師の齊藤ももこさん(一般社団法人・daidai代表)。「獣害から獣財へ」をビジョンに、被害を起こす生き物という見方だけでなく、山の恵みとして、人へとポジティブにつなげる活動をしています。「これからの山の10年」を考える今回のYAMAP10周年特集。鳥獣の増加による山への深刻な影響とともに、山の動物と人との未来のあり方についてお聞きしました。

2023.04.07

武石 綾子

ライター

INDEX

生命の循環につなげる「獣害から獣財へ」

daidaiは、肉や革の活用のほか、自然教育にも力を入れて活動している

ー齊藤さんはご出身が北九州市で、神奈川にある日本大学の獣医学部を卒業されています。対馬とはどのようなきっかけでご縁を持たれたのですか?

一般社団法人・daidai代表 齊藤ももこさん(以下、齊藤):大学のときに、環境省のツシマヤマネコに関するインターンに参加したことが対馬と接点を持ったきっかけです。

2週間ほどの滞在でしたが、圧倒的な自然と人情味あふれる島の人たちにひかれ、春夏の長期休みのたびに通うようになり、どんどん好きになっていきました。

進路を検討する時期、獣医学部だったこともあり周囲には動物病院を志望する人が多かったのですが、 対馬の鳥獣を研究したい気持ちもあって決め切れずにいたんです。

そんなタイミングで対馬市から、シカやイノシシの被害対策や資源の活用に取り組む「地域おこし協力隊」の案内が届いて、運命めいたものも感じました。

はやいもので、移住して10年。地域おこし協力隊での経験を踏まえ、2016年に一般社団法人daidaiを設立しました。

ジビエ(狩猟や有害鳥獣捕獲による野生鳥獣の食肉)の活用と、イノシシ・シカの革を使ったレザークラフト、獣医の資格を活かした被害に関する調査と教育を事業の柱に、日本の縮図的な課題を抱える対馬から、獣害問題の解決モデルを作るという意気込みで、奔走しています。

ー移住された当時、 対馬の山にはどのような課題があったのでしょう?

齊藤:畑を荒らすイノシシへの対策が優先課題と考えられていたのですが、シカの数も増え続けており、島のほとんどの地域で、山中の草が食い荒らされるまでに至ってしまっていました。

長崎県の推定では、4万頭強のシカが対馬島内に生息しているとされています(*1)。

(*1)長崎県の調査によると、シカの推定生息数(2020年度)は約41,700頭。自然生態系への影響が少ないとされる頭数は3,500頭。イノシシは個体数の調査をしていないが、江戸時代に全滅した後に1995年に再発見され、2020年までに約80,000頭が捕獲された。

私が移住した当初から、対馬島内の至る所で捕獲が行われていました。しかし、ハンターのほとんどが65歳以上。「四つ足を殺すと呪われる」といった地域の言い伝えや、「殺生」に対するネガティブな印象を持つ地元の方が多かったことが、シカとイノシシの捕獲が積極的に進まない一因になっていました。

一言で「捕獲」といっても、「狩猟」や「有害鳥獣捕獲」など種類があります。狩猟はスポーツハンティングや食肉の確保など個人の趣味として実施するものです。

有害鳥獣の捕獲は、畑を守ることや、動物の生息数の調整や、それによる生態系の保全や維持などを目的としています。

対馬では、年間を通じてイノシシやシカの「有害鳥獣捕獲」が行われています。地域に貢献する行為なのですが、対馬では捕獲は「野蛮な行為」と思われてしまう悪循環に陥っていました。

狩猟体験のイベントで、シカを実際に捕獲している様子

齊藤:物事はすべて表裏一体だと思っています。捕獲は生き物を捕える行為。しかし、同時に、山を守り、その生命を受けて我々が生きられるという、生命が循環する尊い行為でもあるんです。

「捕獲のポジティブな面や、必要性を伝えることができれば、対馬でも多くの人に共感してもらい、応援してくれる人や関わる人が増えるはず」

そんな想いで「獣害から獣財へ」をビジョンに掲げ、daidaiの活動を始めました。

移住した当時は25歳。対馬の狩猟免許取得者の中では最年少で、女性はほぼいない状況でした。しかし、この10年で変化を感じるようになりました。

「じいちゃんの山を守りたい」と、20〜30代の若者や女性も含め、この3年間で島内の狩猟免許取得者は120人ほど増えています。

ーdaidaiの取り組みは地域で、受け入れられているのですね。

齊藤:「イノシシやシカの数を適正値におさえる」という観点ではまだ道のりは遠いですが、ポジティブに考えないと楽しくないですからね(笑)。

活動を共にする仲間が増えたこと、シカを資源として有効活用するためのアイデアが多く出てきたことなど、前向きな変化は多くあります。レザークラフトの製造・販売もそのひとつです。

イノシシやシカの革でつくられた色とりどりの製品

イノシシ革の印鑑ケースに名前を刻印し、成人祝いとして贈呈する取り組みをはじめて8年がたちます。今では対馬の若者、子どもたちのほとんどが私たちの製品を所有してくれているんですよ。

島を離れる人への贈り物として選ばれることが増えたのもうれしい変化です。「獣害から獣財へ」という想いが少しずつ浸透しているのかなと感じていますね。

ツアーの運営や企画を通して、私たちの活動や対馬の魅力を発信してくれるヤマップのような協力企業も増え、活動の幅を広げられていることにも感謝しています。

獣害対策は「森の資源の健全な消費」

捕獲や調査には地域の人々と協力が欠かせない

ー 九州百名山の白嶽(518m)で知られる対馬ですが、実は山林が9割を占めるそうですね。「これまでの10年」で、山の環境の変化にはどのような印象をお持ちですか?

齊藤:10年より長いスパンの話かもしれませんが、人と山との関わりに多様性がなくなっている印象はあります。でも、一昔前は生活の中でもっと材木を使う場面があり、山と人の暮らしが身近にありましたよね。

対馬の暮らしでも、おじいちゃん、おばあちゃん世代は、子どもの頃はご飯を釜戸で炊くため、五右衛門風呂に薪をくべるために「たきもん拾い」といって、木を拾いながら帰ったと言います。

山は生活とつながった目線で捉えられていて、燃料・資源の宝庫だったんですよね。それが、利便性の向上に伴い、森の資源が段々と使われなくなってしまいました。

人が山に入らなくなれば、森は適切に管理されなくなります。今、林業の世界では「日本の歴史上、一番森で覆われている」とよく言われているそうです。

かつては木々が資源として伐採されていたので、若い木も老いた木もあって代謝が促されていました。それくらい頻繁に森を利用していたから、沢山の人が山に入ることで野生動物にとってはすみにくい環境だったのではないかと思います。

今は、限られた人たちだけが森に入るのみ。森で育っている木々の量に対して使うペースが伴っていないことから、放棄林が増えているようです。

人の目も届かず、放棄された山々は野生動物たちの良いすみかとなり、爆発的に増えた野生動物たちは森の中でえさ資源を確保できなくなり、えさを求めて人里に出てきている状況です。

森を適切に管理することで、木や動物、すべての生態系のバランスが保たれるんだと感じます。人がもっと森の資源を適切に使う、健全な消費という関わり方が実現できれば、状況は改善できると思います。

民間の力で実現する持続的な取り組み

ー次の10年で解決すべき、鳥獣被害の課題を伺うとしたらどのような点でしょうか?

齊藤:行政に頼り切らず、民間の力で、どのように課題の解決につなげる持続的な仕組みを作れるか、という点です。

対馬の場合、シカをはじめとした獣害対策はありとあらゆる産業に影響をおよぼす本当に深刻な問題です。

農林業だけでなく、生態系が崩れることによって「山の保水力が失われることによる土砂災害」「土砂が海に流れ込むことによる水産業への影響」「自然景観や水産物などの観光資源の枯渇」など、すべてがつながっています。

地域全体の問題なので、もちろん行政との連携は必須です。ただ、予算や仕組みづくりの面で行政に頼り切るのは永続的ではありません。

我々のような民間の組織が経済的に自立できる事業としていくことで、改善できることが多くあると感じています。

狩猟や捕獲も適正値に近づけられるようコントロールしていくのはもちろん、消費者の意識や行動を変えるための働きかけをすることで、「待ち」の姿勢ではなく、努力次第で、自分たちが状況を良くしていけると信じています。


ー「これからの10年」という観点では、具体的にはどのようなアクションになっていくのでしょうか。

齊藤:これまでは市の解体処理場で加工したお肉を仕入れ、販売していましたが、「会社」として体力もついてきたので、自前の加工施設を建設します。

ガラス張りで、一般の方にもお肉の加工プロセスを見てもらえるようにする予定です。個体を仕入れ、適切な対価をハンターさんにお支払いする仕組みを作ることで被害対策が促進できるようにしたいとも考えています。

林業のスタッフもいるので、薪の販売もできます。登山やキャンプに来た人たちが、対馬の薪に火をくべて、新鮮なお肉やお魚をおいしく食べられるように。

人も山も海も、すべてのつながりを感じて、心が豊かになる。民間の事業者の力を結集することで、そんな循環が生まれる場所が作れたらうれしいですよね。

捕獲の際はシカと至近距離で向き合う

ー対馬で野生動物の命と向き合うことは、都心部からの観光客や子どもには忘れられない貴重な体験になりそうですね。

齊藤:さっきまで生きていたイノシシやシカって、解体後もしばらくあたたかいんですよ。冬に触るとポカポカするんです、湯たんぽみたいに。

その状態のお肉を触って初めて「命の尊さ」に気付くことができる。「生きていたんだな」という実感と、「食べること」がつながる感覚を多くの方に知ってもらいたいです。

「食べる」という行為、動物との関わりを通じて、環境を良くするために何ができるのか考えてくれる人が増えていったら素敵ですよね。

対馬には登山や釣りなどを楽しみに来る方が多いです。アクティビティだけでなく、地のものを消費して、その場所への理解を深めて帰路につく、そんなアウトドアのスタイルが根付いてほしいと思います。

対馬を訪れる人の行動が、地域や自然にとっても良い循環を生むような、そんな仕組みを作っていくことが次の10年の目標です。

武石 綾子

ライター

武石 綾子

ライター

静岡県御殿場市生まれ。一度きりの挑戦のつもりで富士山に登ったことから山にはまり込み、里山からアルプスまで季節を問わず足を運んでいる。コンサルティング会社等を経て2018年にフリーに。執筆やコミュニティ運営等の活動を通じて、各地の山・自然の中で過ごす余暇の提案や、地域の魅力を再発見する活動を行っている。