2018.09.14
YAMAP MAGAZINE 編集部
山は安全に楽しんでこそ、ですが、残念なことに山での遭難事故報道は後を絶ちません。今年の春に新潟県阿賀野市の五頭連山で起きた親子遭難事故は、ヤマップとしても大変ショッキングな出来事でした。「もし、ふたりがGPSアプリで現在地を確認できていたら……」おこがましいかもしれないけれど、そんな思いもふと過ぎりました。自分たちにも何かできないものか……。
そこでヤマップでは、トークイベント【山岳遭難ルポの第一人者が教える!「山で死なないためのリスクマネジメント」〜秋の低山に潜む”道迷い遭難”の恐怖〜】を開催(2018年8月29日/渋谷ヒカリエ KDDI ∞Labo)。山岳遭難ルポの第一人者であるフリーライターの羽根田治氏をお招きし、道迷い遭難のリアルと、山における基本のリスクマネジメントについてお話を伺いました。本記事ではイベントの模様を振り返りながら、安全に山を楽しむために知っておきたいTipsを紹介します。
講演を快諾してくださった羽根田氏。ルポライターとして生還者へのインタビューを行うほか、2013年〜は長野県の山岳遭難
さて、遭難と聞いてあなたは何を思い浮かべるでしょうか。滑落、転倒、疲労、病気……。どれも山岳遭難の原因には違いありませんが、ダントツで件数が多いのは何と言っても「道迷い」です。遭難は高くて危険な山で起こるもの、と思っている方がいるかもしれませんが、こと「道迷い遭難」のリスクは、実は低山にこそ潜んでいます。なぜなら低山には林道や作業道、けもの道、廃道などが混在していることが多く、通れる道が限定されている高く厳しい山に比べて、迷いやすいポイントが多いからです。
加えて、低山がゆえに生まれやすいある種の ”油断” も一因と言えるでしょう。「低いから何となる」という謎の安心感から、事前の情報収集や準備を怠ってしまったり、いざ道に迷った時にも「とにかく下れば何とかなるだろう」と軽く考えてしまったり。こうした心の隙が遭難リスクに繋がっていきます。
夏の高山に比べれば標高も低く、初心者でも気軽に楽しめる。そんな秋の低山にも、遭難のリスクは潜んでいます。羽根田氏いわく特に注意したいのは、次の3つ。
季節や標高に関係なく、これだけは絶対に守ってほしいこと。それは “引き返す勇気” を持つことです。山行中、「あれ、何かおかしいな」「道に迷ったかも」と思うことがあったら、その一瞬の違和感を無視せずに辿ってきた道を引き返してください。戻ったらその分、労力がかかるし、面倒くさい。そう思うのは当然ですが、そのまま突き進むのはリスクを高める危険な行為です。
実際、山岳遭難事故に遭われた方々は皆口々にこう言います。「もう少し行けば道が開けるかもしれない」「そのうち下山できるだろう」「何とかなるさ」……。落ち着いて考えれば何の根拠もないはずなのにこうした無謀な思考に陥ってしまうのは、物事を自分の都合の良いように考えてしまう “正常性バイアス” や “楽観性バイアス” と呼ばれる心理が働くからです。
正常性バイアス
ある程度までの異常を異常と感じず、正常範囲内のものとする心のメカニズムのこと。過度の緊張によって心に余計な負担をかけないという安全装置としての働きがある一方、リスクを感知できないというデメリットもある。
楽観性バイアス
「どうにかなるだろう」「多分大丈夫、下山できるよ」などと物事を良い方に考え、自分の都合のいい方向に考えてしまう心のメカニズム。
根拠なき希望的観測・楽観主義のもとに突き進んでしまうのが、一番危険です。そうこうしているうちに行き止まりや崖に遭遇するリスクが高まり、どんどんと深みにはまっていきます。「違和感を感じたら引き返す」は、ぜひ徹底してください。
もっと言えば、山では今やるべきこと、決断すべきことを先延ばしにしてはいけません。例えば靴紐が緩んできたなと思ったら、すぐに結ぶ。面倒だからと先延ばしにして
いていると、不意に踏んづけて転倒や滑落につながる危険性があります。あるいは、汗をかいているなと感じたら、気づいた時点で上着を脱ぎ調節する。これを怠ると、気づかぬうちに汗冷えして低体温症になるリスクが高まります。
「100%遭難しない山はありません」と、羽根田さん。道迷い遭難以外にも、山登りには様々なリスクが潜んでいます。そしてそれらは、標高の高低やコースの難易度、季節、天候に関係なく、どんな山にも存在するもの。羽根田さんのお話を聞いていると、山登りを楽しむためには、まず、山にはリスクがつきものだと認識すること。そして備えることが大切なのだと実感します。
イベントレポート後半では、その “備え” の部分をさらに深掘り! 羽根田さんとヤマップ代表・春山の対談の模様をお伝えします。
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