玉置山の歴史と文化|吉野と熊野を結ぶ、大峰奥駆道を歩く修験者たちの最終目的地

日本各地に点在する里山に着目し、その文化と歴史をひもといていく【祈りの山プロジェクト】。今回のナビゲーターは、神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家で山伏でもある中村真さん。奈良県・南部地方の里山「玉置山」にまつわる山岳信仰に迫ります。

(初出:「祈りの山project」2018年6月4日)

2021.05.10

中村 真

イマジン株式会社代表 / 神社愛好家

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吉野と熊野を結ぶ、大峰奥駆道を歩く修験者たちの最終目的地

紀伊半島のちょうど真ん中。南部に熊野三山を、北部に天川村や吉野を望み、北西に高野山、北東に伊勢を眺める日本最大の村・十津川村に聳える玉置山。

大峰山脈の南端に位置するこの御山は、熊野川水系支流の北山川と十津川村の深い渓谷に挟まれた1076メートルの低山である。しかしその山頂からは熊野の山々を見渡すことができ、その遠望には太平洋が広がる神秘の山といえる。

古来、紀伊半島の山々を駆け巡ることを修行として大峰奥駆道の修験者たちの最終目的地として捉えられていた玉置山は、修行を締めくくる場所という意味合いから「結願天(けちがんてん)」と呼ばれた日本有数の霊山といえる。ここもまた御山自体がご神体であり、御山そのものが神おわす社である。

いまでは9合目の駐車場まで車であがることもできるが、もちろん麓の村から徒歩で登ることもできる。現代的ではあるが車道と山道を繰り返しながら2時間ほどで山頂に辿りつく。その山頂付近には熊野三山の奥の院として名高い玉置神社が鎮座している。日本という国が出来上がっていく建国神話の主人公である初代天皇陛下・神武天皇にまつわる伝説や、熊野信仰の中心地ともいえる熊野本宮大社とのかかわりを造営神話として残す古社である。

紀伊半島の霊地霊場とそれらを結ぶ祈りの道・熊野古道は世界遺産に登録をされて久しく、いまでは多くの観光客が押し寄せる日本を代表する観光地となった。しかしそれらの信仰は地元地域の暮らしと、厳しい山中に身を置き「行」をおこなう修行者たちが自然との共生を図りながら長い時間をかけて守ってきたものであり、表面的に有名な観光地巡りをするだけでは、その本来の魅力を知ることが出来ないのではないかと思う。

今では熊野三山を知らない人はいないのではないかと思うほど、週末ともなれば熊野速玉大社にも那智の大滝にも本宮大社にも人が溢れている。もちろん高野山や伊勢地方などは言うに及ばずである。これらを点として見てしまうとその魅力は限定的だが、それらを結ぶ熊野古道を含んで俯瞰的に紀伊半島を感じてみると、そこには壮大な信仰ワンダーランドが広がっている。そのまん真ん中に位置するのが玉置山なのだ。その山名の由来は、熊野三山の奥の院とされる玉置神社の信仰の原点であり元つ宮とされる玉石社にある。先に紹介したふたつの伝説が物語るのは、日本創生とともにこの社の存在があったという世界感である。

時は今からさかのぼること2678年前。現代の天皇陛下に繋がる初代・神武天皇がこの国を建国したとされている年。この建国神話にはそれまでのプロセスが紹介されており、神代の時代、神々の住まう高天原をおさめていた天照大御神が孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)を地上に降臨させ、その曾孫として筑紫の国・日向で生まれた神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)が、奈良の地を目指し旅立つ話である。九州から東にむかって進み奈良を目指したこの行程を以てして「神武東征」という建国神話をご存知の方も多いだろう。所謂その神話のエンディングに向けた話に登場するのが玉置の山なのだ。様々なエピソードの末に、ようやく熊野に上陸した神武天皇は、現地氏族の神格化と言われるヤタガラスの案内で熊野の森に分け入っていく。その時に神々の証である神宝「十種神宝」の中から「玉」を置いて、その後の武運を祈願されたと伝わっている。

また紀元前37年、時は第10代・崇神天皇の御代。熊野本宮大社から三珠の玉がこの地に飛来したとも伝わる。人々は熊野からやってきたのだから熊野権現の子供だろうと信じ崇拝し始めたのが、玉置神社の信仰の基となった玉石社の始まりともされている。いずれにしても「置く」のか「飛んできたのか」の違いはあれど、玉のような石を崇め奉ったプリミティブな信仰がこの地で生まれたことを物語る。そして両伝説が、もしかすると同一人物なのではないかと言われている初代・神武と10代・崇神を繋げているのも興味の対象である。それほど古くから現代に繋がる主たる神々の系譜に連なる誕生譚をもつ玉置の山は、世界遺産などに登録されなくとも十分に人の心に沁み込む信仰を擁しているのだ。

ぜひ玉置の山の大神様に会いに出かけてもらいたい。玉置の山に置かれた石を感じてみてほしい。そこには宗教という概念が生まれるよりもずっとずっと前から、自然そのものを神と感じ拝んできた人々の想いに触れることができるだろう。

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一の山に、百の喜びと祈りあり。その山の歴史を知れば、登山はさらに楽しくなります。次の山行は、奈良県・南部地方の里山「玉置山」を歩いてみませんか?

中村 真

イマジン株式会社代表 / 神社愛好家

中村 真

イマジン株式会社代表 / 神社愛好家

イマジン株式会社代表 / 尾道自由大学校長 / 自由大学神社学教授。神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。広告代理店・音楽レーベルを経て2005年にインディペンデント・パブリッシャーとして2012年まで雑誌『ecocolo』や書籍『JINJABOOK』などを発行する出版社株式会社エスプレの代表を務める。同年、プランニング会社であるイマジン株式会社設立。同時に広島県尾道市の街興しに参 ...(続きを読む

イマジン株式会社代表 / 尾道自由大学校長 / 自由大学神社学教授。神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。広告代理店・音楽レーベルを経て2005年にインディペンデント・パブリッシャーとして2012年まで雑誌『ecocolo』や書籍『JINJABOOK』などを発行する出版社株式会社エスプレの代表を務める。同年、プランニング会社であるイマジン株式会社設立。同時に広島県尾道市の街興しに参画し、尾道自由大学を創立し校長を務める。その他、日本人冒険家のマネージメント団体『人力チャレンジ応援部』や、全国の農家と都市部の若者を繋げるインターネット上の農業大学『TheCAMPus』の立ち上げにも参加。全国各地の地域プロジェクトと連動し多拠点での暮らしを実行中。神社や日本人の心の在り方を模索する中で山と出会い、神や仏と出会うために山に登る『登拝』をライフワークとし、各地で『献笛』をおこなっている。