自然体験からはじまる知の源|経営学者・野中郁次郎さんの「野性」【前編】

直接的な経験からしか得られない、無意識も含めた身体知と、他者との共感こそが全ての「知」の源──。こう提唱しているのが、世界的な経営学者で、企業にイノベーションをもたらす知識創造のあり方を体系化してきた野中郁次郎さん(一橋大学名誉教授)。その考えは、経営の世界にとどまらず、アウトドアを楽しむ人にとっても、共感できるところが多くあります。自然体験で育まれる知にあるのは、日本の風景を豊かにするヒント。現代の日本人が忘れかけている、「圧倒的なリアリティー(いま・ここの感覚)を大切にしながら生き方を問い直すこと」について、YAMAP代表の春山慶彦が野中先生にお聞きしました。

2022.10.28

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

YAMAP代表 春山慶彦(以下、春山)
初めまして、YAMAP(ヤマップ)の春山と申します。YAMAPは、携帯の電波が届かない山の中でもスマートフォンで現在地と登山ルートがわかる登山地図GPSのアプリです。 山の情報をウィキペディアのように簡単にシェアしあって、情報を充実させる機能を持ってます。

経営学者 野中郁次郎さん(以下、野中)
はるばる福岡から一橋ICS(一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻、東京都千代田区)まで、ありがとうございます。僕はアナログな人間で、携帯はいまだにガラケーです。スマートフォンのアプリはよくわからない部分もあるのですが、YAMAPの事業はユーザーさんを巻き込んで集合知を創り、そこから自然環境にいいインパクトをもたらせる素晴らしい取り組みだと思っています。

野中先生との出会い


春山
僕はもともと起業家になりたいとか、経営者になりたいとは思っていなかったタイプで、写真家になるのが夢でした。でも、一時期とある雑誌の編集部で働いた経験があり、そのときにお世話になった上司が、野中先生の『知識創造企業』(*)をものすごく大事にされていました。
*日本企業のイノベーションを知識の重要性から説いた経営学の名著

それまで経営本というものを読んだことがなく、非常に難しかったのですけど、経営の真髄が書かれていたと記憶しています。その後も野中先生の数々の著作を読み、ちょっと不遜かもしれないですが、僕の経営のレベルが少しずつ上がるたびに、野中先生がおっしゃっていたことが自分に深く響いてくるように感じています。

野中先生が提唱している、個人の知から組織にイノベーション起こしていくプロセス「SECI(セキ)モデル」ですが、僕の中では、これに勝る経営モデルはないと実感しています。そういう経緯もあって、本日お目にかかれて非常にありがたいです。

野中先生が提唱する、個人の知から組織にイノベーションを起こしていく「SECIモデル」


野中
それは大変光栄です。

春山
僕は野中先生の著作を読んでいて、「戦略は生き様」ということをおっしゃる方に初めて出会って、とても驚きました。

でも突き詰めていくと、戦略は「生き様」にならざるをえないと思うんです。小手先のテクニックだけでは、「やっぱりこの戦略って大丈夫かな」と迷いが生じたとき、「それでもここに行こう」と決断するのは、最終的にはその人が「どうありたいか。どう生きたいか」という意志だと思っています。

これはつまり「生き様」そのものです。野中先生の本を読み、経営を実践するようになって、そのことがより一層身に染みてわかるようになりました。

野中
そうなんです。戦略っていうのは根本的には生き方の話なんですよね。極論すると「お前はなんのために生きてるんだ?」ということです。

でも、やっぱりその場の空気に沿って語らないといけないですね。時間と空間を共有していないと、本当の意味での共感は生まれてこないのでね。この前、女房にね、「お前なんのために生きてるの」って聞いたら怒り出してね。「今さら何よ」ってね(笑)。

春山
確かに(笑)。

戦時中、疎開先での空襲経験


春山
1960年代から組織のイノベーションを研究されている野中先生ですが、経営学者としての自分を支えた実体験がどのようなものだったのか、教えていただけますか。

野中
僕はもともと戦前の生まれで、小さい頃に戦争の経験があって、そこで一度死にかけているんですよ。

終戦が小学3年生だったかな。ちょうどその1年前の1944年の夏。米軍によってサイパン島が陥落。そこを軍事拠点として、空母と大型爆撃機「B29」を使うことで、米軍がサイパンー東京間を往復できるようになりました。ここからB29をはじめとした爆撃機による東京空爆が始まっていきます。

僕はもともと地元が東京の下町、本所区(現・墨田区)深川というところで、すでに東京では空襲がひどくなっていたので、このときは静岡にある吉原町(現・富士市)に疎開していました。富士山が遠目に見えるところだったんですけどね。駿河湾の近郊にも米軍の空母が入ってきて、そこにはたくさんの戦闘機や爆撃機が積まれていたわけです。

春山
野中先生を含め戦時中に生きた人たちは、今では考えられない経験をされていますね。

野中
そんなある日、米軍の戦闘機がだんだんと近づいてきてね。彼らはまずは富士山めがけて来るんですよ。そこで富士山を右折すると東京なわけです。疎開先の上空に、まず「ブォーン、ブォーン」って戦闘機がやってきてね。そして、富士山を右折していく。

そのときに、艦上戦闘機「グラマンF4F」っていうやつに、近接で機銃掃射をやられて、死にかかったんですよ。もう本当に近くから機銃掃射をしてくるんで、戦闘機の窓ごしにパイロットの顔が見えるんですけど、そのときにその顔が笑って見えたんです。

我々の世代、元都知事の石原慎太郎とか、作家の曽野綾子とかも、同じようなこと言ってるんです。笑って見えるだけなのかもしれないですけど、少なくとも僕にはそう見えました。これに小学生ながら「何としてもけしからん。今に見てろ!」と思ったんです。

我々のような戦争を経験した世代は、経営者であろうが、誰であろうが、「どうにかして日本を立ち直らせてやる」「アメリカを見返してやる」というモチベーションが根底にあったような気がします。

僕自身も日本企業の経営レベルを上げることで「アメリカにリベンジする」という強い思いを持ったままアメリカのビジネススクールに留学したのですが、そうしたら見事に向こうの教育に洗脳されて帰ってきちゃったんですね(笑)。

春山
そうですよね。2017年には母校のビジネススクール(U.C. Berkeley Haas School of Business)から、生涯功労賞までいただいてますよね。人生とはおもしろく、不思議なものです。

野中
そうですね(笑)。

圧倒的な「リアル」から出発する


野中
もうひとつ、僕たちの世代は、特攻隊に支えられてきた面があると思っています。僕個人の人生をとってみても、自分のことをいろいろな意味でバックアップしてくれたのは、特攻隊の生き残りの方々です。

例えば、台湾で特攻隊として待機していた間に終戦になって、そのあとに富士電機に入ってきた「奥住さん」という方には本当にお世話になりました。人事担当で、なぜか僕は直接の部下ではなかったのに、色んな意味でサポートしてくれたんです。アメリカのビジネススクールに留学したときには、経済的にも支援してもらいました。

小型ビジネスジェット機で世界シェア1位の「ホンダジェット」を開発した藤野道格さん(ホンダ エアクラフト カンパニー 社長)も、親父さんが特攻隊の生き残りです。

あとは、大手製薬会社エーザイの内藤晴夫社長。内藤社長は我々の「SECIモデル」を世界で最初に経営に取り入れ実践してくれた人なんですが、彼もお父さんが特攻隊の生き残りです。

だから僕らや、その少し後の戦後世代というのは、こうした戦争で生き残った人々からの影響を強く受けて、かつての日本軍が戦争中にどうだったのか、そういう話を聞いて育ったんですよ。だから、戦争という極限状態を、直接的、あるいは間接的に体験しています。

そういう戦争経験者との接点がなくなって、その物語を聞かなくなった世代ってのはまた感覚が違うと思います。

春山
そうですね、生きている感覚や世の中の見え方はまったく異なると思います。

野中
戦争のような究極の「リアル(いま・ここ)」を経験しているから、僕たちは「リアル」に対する感覚が違う。目の前の「リアル」を全身全霊で受け止めて、そこから身体に染み込んでいく知識、つまり「身体知」というものが一番大切なんじゃないかと。だからなのか、頭や数値だけで物事を分析していくことに対しては、なんか根底に不信感があるのですよね。本質を捉えるために必要なのは、「頭だけじゃダメじゃねぇか、考える前にまず感じろ」と (笑)。

春山
さっき戦争体験っておっしゃいましたけど、先生の著作を読んでいて思うのは、やっぱり圧倒的なリアリティー。いわゆる“学術”ではなく、戦争体験に根ざした圧倒的な現実の体験で経営を語っていらっしゃる。リアルに根ざしたビジネスを通して、社会にインパクトを出そうとしている人たちにとって、野中先生のその姿勢は、大きな励ましになると感じています。

人間の裏側まで直視した富士電機時代


野中
僕にとっては、やっぱり会社に勤める経験をしたっていうのが大きかったですね。富士電機に9年間いたんです。

あの頃、まだ大卒というステータスに権威があったんですね。早稲田大学を卒業して富士電機にたまたま入ったんだけど、そのときに配属されたのが、東京都日野市の「豊田(現・東京)工場」。今のJR豊田駅の前にあった工場でした。そして、僕がそこに配属された初めての大卒だったんです。

豊田工場の総務課勤労係というところで働いていました。人事や勤労関連、組合対応とかね、勤労係という仕事のはずだったんですが、人事だけじゃなくて、教育とか、ありとあらゆることをやりました。そこの係長が「難しいことは大卒にやらせろ」って言ってね(笑)。

例えば、組合の仕事に関しては、僕が組合の執行委員になっちゃったんですよ。組合の選挙にトップ当選しちゃって。勤労係っていうのは、組合からみると敵。でも、新入社員の教育をやっていたので、彼らは僕のことしか知らない。いつも現場にいたので、工場の所長と仲良くなってしまったんですね(笑)。その組合の執行委員に勤労係が立候補してトップ当選したのは、初めてだったんですよ。

勤労係の仕事は、社員教育が中心でしたが、社員の突発的な事件や事故にも対応しました。要するに「安全保障」。事故が起こるとまず僕が行くんだよね。その事故が殺人、自殺。それから喧嘩、山の遭難、行方不明などが発生したときに自分が行く。

春山
もはやなんの仕事かわかりませんね(笑)。

野中
何よりも印象に残っているのが、同期の事件です。僕と一緒に配属された9人のうちの1人が鉄道で自殺した。その始末のため、僕が事故の現場で関連書類をもらって、その結果を人事に報告しなければいけないので、自殺の原因に関しても調べました。なんというか、人間関係のギリギリのところまで。

それから、工員による殺人事件もありましたね。そういう時も淡々と事後処理をやっていました。社員が山で遭難してしまったこともあります。僕は本部長だったから、山岳部と山には登らず、警察回りの対応をやっていました。 あの時代に、ありとあらゆる人間の側面を経験したっていうのは、やっぱり大きかったですね。人間、いつ何があるかわからない。ならば、後悔しないように生きないといけないという思いがふつふつと湧いてきました。

春山
なるほど。そういった実社会の深いところまで踏み込んだ経験が、先生の言葉がもつ圧倒的なリアリティーを形づくっているんですね。

起業の前に旅をしよう


野中
僕自身、学者としては「情報(information)」の研究からスタートしました。もともとはハーバート・A・サイモンの「情報処理(information processing)」モデルを参照して、1974年に『組織と市場』という本を書いています。当時はまだ知識って時代じゃなかったんですね。意外にも、知識(knowledge)と情報の区別がしっかりとされていなかったんです。

でも、やっぱり情報処理モデルには限界があって。人は情報ではなくて、意味をつくり、意味で動く生き物。だから、新しい知を創るということは、新しい意味を創っていくことなんです。そして、この意味を創るプロセスには、どうしても「感覚」とか「身体」が入ってくる。それで「知識創造」なんてホラを吹いたら、それが世間で当たっちゃった(笑)。

さらに、今は行動をともなったワイズ(知恵、wisdom)の時代だと思っています。大きな志を持って、周りの人を巻き込んで動かしながら、全体での知識創造を力強く推進していける熱い人間力、つまり究極の実践知ですね。

これからは、新しいものを創造していくだけでは意味がないと思っています。社会や自然環境への「真・善・美」の実現に向けた活動に本気で取り組まない限り、企業は「公器」としての存在価値をもたなくなってしまいます。お金もうけだけでは、もう企業としての存在意義がなくなってきてしまうのではないかと。

実践で得た知恵によって、社会や自然環境への「真・善・美」が実現できると野中先生は提唱する

春山
そうですよね。はじめが「情報処理」で、次に「知識創造」、そして今は知識の実践を通して「ワイズ」(知恵、wisdom)まで高めるという野中先生の理論の変遷は時代に先駆けていて、示唆深いです。

春山
イノベーションというか、事業でインパクトをどう出すかを突き詰めると、やっぱり情報だけでなく、知識の奥に潜む、実践で得た「知恵」にたどりつかないといけない。

さらにその知恵とセットになるのは、「社会観」な気がしています。私たちはどういう社会をつくりたいのか。どうすれば人間だけでなく、他の生物も含めて、生きやすい環境がつくれるのか。社会観を醸成する上で、やっぱり「リアル」を直接、経験しないといけないと思います。

野中
そうですね。

春山
先生もおっしゃっていましたけど、直に感じるとか、圧倒的な体験の量や深さ、広さを持っておかないと、深い洞察力や、本質を捉えた社会観みたいなものが醸成されないと思っています。だから僕は、若いときは、いろんな世界を見て回った方がいいと思ってるんです。

今、大学生の間で「起業部」のように、学生起業を推進する活動が盛んになってきています。学生の間にやりたいことがあれば、起業もいいとは思うんです。でもその前に、まずは自分の目でいろんな社会や世界を見て回って、圧倒的な経験知を貯めていく方が、自ずと「善い仕事」ができるようになるんじゃないと考えています。

野中
なるほど、それは確かにそう言えるかもしれないですね。

撮影:藤田慎一郎
執筆:宇野宏泰

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YAMAP MAGAZINE 編集部

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登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。