鹿児島県いちき串木野市|不老不死の薬を見つけに!? 冠岳の徐福伝説を辿る

鹿児島県いちき串木野市と薩摩川内市の境に位置する冠岳は九州百名山の一座。西岳(516m)、中岳(496m)、東岳(486m)と3つの峰が連なり、低山でありながら奇岩や神社、仏像が数多く残る霊峰としても知られています。しかもこの山、今から2200年前に中国から不老不死の薬を求めてこの地を訪れた謎多き人物「徐福」に関する不思議な伝説が伝わる場所。今回はその謎を解き明かすべく、冠岳といちき串木野市を巡る旅に出ます。

2022.10.27

上川 菜摘

エディター

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不老不死伝説が残る山

いつまでも若々しくありたいし、できれば長生きだってしたい。
40手前になって、「老い」をひしひしと感じるようになった。山に登る足取りが重くなったり、顔の陰の部分が目立つようになったり。終活するにはまだ早いと思っているが、若さや美貌を維持できる薬があるなら、ちょっと試してみたい……。

なぜこんなことを考えているかというと、つい最近「不老不死伝説の残る山」があると聞いたからだ。その山は、九州の鹿児島県西部にそびえる霊峰・冠岳(かんむりだけ)。

この山は、紀元前200年頃、秦の始皇帝の命により、不老不死の薬を求めて日本にやってきた謎多き人物・徐福(じょふく)が訪れ、冠を捧げた地だと伝えられている。

実はこの山、2年前に登ったことがあるのだが、その時はピークの一つ、西岳と登山口をピストンしただけだった。周回するのが楽しい山だと聞いたので、きちんと歩いてみたい。あわせて、不老不死伝説も辿ってみようではないか。そんな興味本位もあり、車を南へと走らせた。

美しい光景が広がる東シナ海が見えてきた

東シナ海に面したいちき串木野市は、古来より海外との行き来があり、漁業を中心とした営みが濃い町。海と歴史・文化の関わりを深く感じることができる土地だ。

朝一番にたどり着いたのは、青い海にぽっかりと浮かぶ小さな島、照島(てるしま)。島へは朱色の太鼓橋が架けられ、木々の中に建つ「照島神社」へ参拝することができる。しかし島へ渡る前に、すぐ近くにある漁業協同組合へ立ち寄る必要があった。

出迎えてくれたのは、照島神社の前氏子総代・迫田さん。昔から漁師メンバーを中心として、交代で神社を守っているのだという。

照島神社の前氏子総代・迫田さん(左)。鹿児島県漁業協同組合の理事でもある

今回お聞きしたかったのは、不老不死の薬を求めてこの地にやってきたという「徐福」にまつわる伝説。秦の時代、始皇帝に命じられて日本にやってきた徐福は、ここ照島に上陸したと伝えられている。

「その通り。照島は、今からおよそ2200年前、秦の使者である徐福が上陸した地だと言われています。その際、徐福はいろんな技術を持った3000人の家来を引き連れてきたそうですよ」と迫田さん。

さらに「照島は、一般的に航海安全の守護神として崇められてきました。徐福はこの地に上陸した後、照島から見える山容に特別なパワーを感じて、冠岳に向かったのではないでしょうか。徐福は冠岳で、その景色の素晴らしさから、厳かに冠をぬいで山頂に納めたと言われているんですよ」と、冠岳の名前の由来を教えてくださった。

照島神社は、海の神様や山の神様の他、馬の神様も祀ってある。それにちなんだ行事「串木野浜競馬大会」もあり、たいへん盛り上がるのだとか。

迫田さんにお礼を伝え、漁業協同組合を後にした。橋を渡って照島へ渡り、階段を登って神社へ。神様に向かって手を合わせ、旅の祈願をした。

その後、迫田さんが教えてくれた「方士徐福登陸の地」へ。この地が、徐福が上陸したと言われている場所。残念ながら遠くて写真には写らなかったが、冠岳も見ることができた。

朱色の太鼓橋を渡って照島へ。秦の始皇帝の使いとして、徐福が上陸したとされる場所

この日は風が強く、海が時化ていた。秦の時代の船がどんなものだったか分からないが、日本にたどり着くまでも大変な旅だっただろうということは簡単に想像できる。

風が強く、波が岩場に打ちつけられていた

冠岳信仰の要、「鎮国寺」へ

照島を出発し、冠岳方面へ車を走らせた。もう一つ立ち寄っておきたい場所がある。それは、登山道の途中にある「鎮國寺」だ。
日本一の徐福像から登山スタートし、鎮国寺へと続く参道に入る。途中、「冠嶽八十八ヶ所」と書かれた札所を見つけた。ここはお遍路の道なのだろうか。10分ほど続く階段と坂道を登り切ると、静謐な空気に包まれた鎮國寺にたどり着いた。

全長6メートルの「日本一の徐福像」。冠岳のシンボルとなっている

きれいに手入れされた庭で、住職・心拓さんとその妻、ヤエルさんが出迎えてくれた。

聞くところによると、かつての鎮國寺は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で消失。今ではその全容を知ることは困難となっているが、昭和58年から先代住職が入山し、少しずつ再建したのだそう。イスラエル出身のヤエルさんは、当時から再建に携わり、今やお遍路巡りの魅力を伝える先達(せんだつ)として活躍している。

住職夫妻に出迎えていただいた

御堂に移動し、鎮國寺と冠岳の山岳信仰の歴史をお聞きすることに。

心拓さんが当時の絵図を広げながら、「この一帯は神仏習合の地だったんです。明治の廃仏毀釈以前は、広い敷地内にたくさんのお寺と神社があったそうですよ」と教えてくださった。

「私たちが山に入ったのは昭和58年でした。それから整地し、石垣を作るのに長い年月がかかりました。石は、全てこの山にあったものです。一つ一つ、ゆっくりと作り上げていきました」。

お寺の周辺はとてもきれいに整備され、昔は何もない野山だったなんて信じられない。一体、鎮國寺再建までにどれだけの苦労があったことだろうか。また、再建に伴い、お遍路巡りの人々も徐々増えていったそうだ。

「鎭國寺に始まり鎭國寺に終わる冠嶽八十八ヶ所は、仏様、神様、お大師様を身近に感じながら、全長約60キロメートルを歩くお遍路です。白装束を身につけ、冠嶽から麓の里を3泊4日かけて巡拝しているんですよ」。

以前の鎮國寺の様子が描かれた文献を見せてくださった

私はお遍路が一体どういうものなのか、詳しくは知らない。だけど次の住職の言葉を聞いて、とても素敵な旅なのかもしれないと思った。

「お遍路の道中は、誰とも話してはいけないんです。心の中で対話しながら、お大師様と二人だけで歩く、特別な時間ですから。お遍路さんたちが白装束を身につけて山に消えていく後ろ姿……それはそれは、とても美しいものですよ」。

鎮國寺から見上げた冠岳(西岳)

最後に、徐福の不老不死の薬について尋ねてみた。

「冠岳には、徐福による不老不死の伝説があると聞いたんですが……」と切り出すと、「そういう仙薬はどこかにあると思いますよ」と心拓さんはにっこり。

「実は、私は大学で漢方薬を専攻していたんです。植物の70〜80%は薬か毒になる。若い頃は、好きな薬草を採りに行っては煎じていたものです」と続ける。

「西洋は錬金術の技が優れていると言いますが、東洋は不老不死の技があると言われているんですよ。昔のお坊さんは、薬草に詳しかったんです。徐福さんも詳しかったんだろうと思います。昔も今も、求めるものは同じ。不老不死とは、ずっと変わらない人間の欲望なのでしょうね」。

なるほど……。ここに来るまで「若さを保つには」ということばかり考えていたのだけど、急に恥ずかしくなってしまった。今も昔も、人間の煩悩は変わらないんだなぁ。

「ありがとうございました」とお礼を伝えて歩き出そうとすると、心拓さんが「山頂から『おーい』と叫んでくださいね。返事しますから」と付け加えてくださった。「やってみます!」と返事をし、山頂に向けて出発した。

鎮國寺はお遍路スタートの地でありゴールの地でもある

不老不死の薬草を求め、いよいよ冠岳へ

ゆるやかな斜面を登り、まずは西岳へ向けて歩き出す。登山道にはシダ植物が多く見られ、温暖な地域ならではのみずみずしい緑の風景が広がっていた。

南国らしさを引き立てるシダ植物がたくさん生えていた

冠岳には、徐福が求めていた不老不死の薬草が本当にあるのかもしれない。よし、これはせっかくの機会。煩悩に従って、それらしいものを探してみよう。そんな気持ちになり、物珍しい雑草や木の実が落ちていたら、写真を撮ったり触ったりしてみた。

しかし、手にした植物が一体何なのか、全く分からない……。

雑草や木の実など、「それらしい」ものを探してはみるが正体が分からない

岩が何枚にも重なった天狗岩を経て、あたりをキョロキョロしながら長めの階段を登り切ると、すぐに冠岳最高峰・西岳へ到着した。

鎮國寺からスタートして約30分で西岳に登頂。距離的にそんなに離れているわけではないが、高低差は100m以上ある。「声が届かないんじゃないか」と内心思いつつも、大きな声で『おーい!』と叫んでみた。

鎮国寺に向けて「おーい」「やっほー」と何度かと叫んでみる

何度か繰り返し叫んだけど、返事はない。風も多少あったため、「声がかき消されちゃったかな」と諦めてご飯を広げようとした。するとその瞬間……

「おーい」という声が下から突然聞こえてきた。びっくりして、こちらもまた「おーい」と返事をする。そしたら「エイエイオー!」という掛け声に変わり、びっくりした。こんなにはっきり聞こえるなんて。思いがけないエールが届き、美味しいお昼ごはんタイムとなった。さて、ゆっくり休憩した後は材木岳へ。

西岳からいったん下って登り返し、経塚経由で材木岳へ辿り着くと、そこにも札所があった。冠岳登山は、お遍路の道なのである。神聖な気持ちで手を合わせ、歩みを進める。ここからは、鎖を使いながらの下りが続き、なかなか楽しい山道になってきた。

鎖場がちらほらと登場。時折視界が開ける場所があった

だいぶ下ったところに、「煙草(タバコ)神社」という変わった名前が書かれた看板を発見。不思議な形をしている岩場に囲まれた、タバコの葉の自生スポットだった。

誰が植えたというわけでもなく、昔からこの場所に生えているのだという。やっぱり、この山には不老不死の薬草がどこかに生えているんじゃないか……。タバコの葉を見ながら、そんな気持ちになった。

面白い岩の形をした場所に、タバコの自生ポイントが。もちろん盗掘はやめよう

さらに岩場を下ると緩やかな傾斜になり、雰囲気のある石畳へ降りてきた。そこからすぐに車道へ。舗装された道をまっすぐ辿ると、ついに「日本一の徐福像」に辿り着き、無事下山! 2時間ほどの周回コースはあっという間だったが、岩場、鎖場など面白いポイントや、木々の隙間から景観を楽しむことができ、充実した山行となった。

西岳山頂からいちき串木野市方面を眺める

名前も分からない木の実や雑草があるにはあったが……とうとうそれらしい薬草を見つけることはできなかった。草花のことを知るには、知識がもっともっと必要なのだろう。

それでも、冠岳はさまざまな植物が自生している、貴重な自然にあふれた山だということがしみじみ分かった。「人間はいつか死んでしまうが自然はいつまでも残る。だから自然を傷つけず大切にし、後世に残していかないといけない」という住職の言葉を思い出しながら、山を後にした。

極上の癒しタイム。下山後は麓の温泉でまったりと

さて、冠岳の麓に「冠岳温泉」という看板を見つけたので、下山後立ち寄ってみることに。

今日は山でずいぶんリフレッシュしたが、目の前の緑の木々を眺めながら、ゆったり露天風呂に浸かるのはまた違った幸福感。アルカリ性単純温泉のサラリとしたお湯は、自律神経を整える効能もあるそうだ。肩までゆっくり浸かると、「ふぅ〜」とため息が自然にこぼれた。

360円という良心的な価格が嬉しい

敷地内には食事処もあり、国産小麦100%使用の自家製うどんがいただける。天ぷらも人気だということで、どちらも食べることができる“天ぷらうどん”をオーダーした。ダシをズズッと啜ると、体の中がじんわりと温まる。麺はもちもち、天ぷらはサクサク! 「あとはもう何もいらない……」と、極楽浄土にいるような、満たされた気持ちになった。

山と温泉の余韻に浸りながら食べた“天ぷらうどん(並)”860円

いつかお遍路の旅へ

今回は「不老不死」というキーワードを聞きつけてやってきたのだが、道中でお遍路のことを知り、たまたまコースの一部を歩くことができた。実際のお遍路では、緑豊かな山間部から、道路脇や田んぼのあせ道にもあるお寺や神社、お堂などを巡拝するという。

冠嶽八十八ヶ所を回るには少し日数が必要だが、さまざまな自然を育むこのいちき串木野市をゆっくり歩いてみたいと思った。冠岳の知られざる自然、そしてお大師様との心の対話。ここにはまだまだ知らない世界が広がっている。徐福が探していた薬草も、どこかにひっそりと生えているのかもしれない。

「老いたくない」という煩悩はなかなか捨てられないかもしれないけど、心の平安の方が大切だとも思った今回の旅。「修行とはなんぞや」ということすら分かっていない身としては、まずは住職のいうように、身の回りの自然を愛で、大切にすることだと思った。これを忘れずに続ければ、不老不死以上の幸福にたどり着けるかもしれない。

道中に出会ったお遍路の札所

今回の登山ルート

YAMAPの該当地図はこちら

上川 菜摘

エディター

上川 菜摘

エディター

九州・熊本在住。地元の出版社に編集者として所属し、冊子編集・ライティングから企画や広告の立案まで幅広くクリエイティブに携わる。2020年独立。九州ローカルの冊子編集や取材に従事。登山愛好家でありアウトドアライターとしても活動中。興味関心は持ち物の軽量化、国内外を歩いて旅すること。