YAMAPとクラブツーリズムが手がける新スタイルの登山スクール「YAMA LIFE CAMPUS」。中でも「低山ハイク編」は、低山や山麓を冒険しながら、ピークハントとは異なる文化的な山の楽しみ方を見つける人気の講座です。講師は、低山トラベラーとして全国を歩き、圧倒的な歴史知識と経験を持つ大内征さん。今回の記事では、熊野古道の玄関口としても知られる和歌山県田辺市で2022年10月〜12月に渡り開催された様子を大内さん自らレポートします。低山を旅する面白さ、奥深さをぜひご堪能ください。
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<執筆>
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
YAMA LIFE CAMPUS「低山ハイク編」講師
2023.01.31
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
まだ見たことのない景色を広く深く目にすることや、その先になにがあるのかわからない道を奥へ奥へと入りこむことは、日常をより刺激的なものへと変えてくれるチャンスとなる。きっとそういう景色を見れば感情を揺さぶられるだろうし、もしかするとその道を歩きぬくことによって、自分に欠けていた新しい気づきを得られるかもしれない。
……と、のっけからいったい何の話だと思われそうだけれど、これは山旅の話である(人生にも通じるけれど)。自然の中で未知との遭遇を楽しむことは、非日常を求めて山に入るハイカーたちにとってご褒美のようなもの。自分の力でそこにたどり着いた人にしか味わうことができない達成感と充足感が、たしかに山にはあるのだ。仕上げに温泉とビールがあれば完璧。ぼくらハイカーは、そんなことを飽きることなく何度も繰り返して楽しんでいる。シンプルに、山旅とは生きる喜びにほかならない。
その生きる喜びを“遠くにある高い山”ではなく、都市から近い低山や山の麓に求めて冒険をするのが、このYAMA LIFE CAMPUS「低山ハイク編」という講座。すでに関東では第4期まで修了し、現在は第5期を募集している。2022年10月から12月にかけては、憧れるハイカーも多い“古のロングトレイル”熊野古道や特徴的な低山がひしめく和歌山県田辺市でも講座を開催した。
*現在募集中の第5期の講座はこちら
YAMA LIFE CAMPUS「低山ハイク編」は、3ヶ月で3ヶ所のフィールドワークとオンラインの座学6回で構成した合計9コマの講座形式になっている。単発のツアーやイベントでは得られない“同期生”や講師との交流、山の知識や愛用する道具のリアルな話題など、同じメンバーとともにじっくりと内容に向き合っていけるのがこのプログラムの魅力だ。
とくに低山ハイク編では、低い山の歴史文化を旅するように楽しむ『低山トラベル』を提唱する講師として、ぼくなりの視点から「登山×○○」をテーマにした日本各地の山を幅広く紹介し、さまざまな角度から低山の魅力を伝えている。たとえばオンラインの座学では、山に伝わる神話や民話、古代史や戦国史から近現代の物語、衣食住に関わる暮らしの文化とグルメ、地質や地形などのジオ要素、祭りや温泉などの風土風俗、自然崇拝や山岳信仰、文学と音楽、アートとクリエイティブなどなど、さまざまなテーマをかけあわせた山旅の写真を用いてフォトツアーを行う。これがすこぶる評判がいい。
参加者にも「登山×自分なりの○○」を意識して講座に臨んでもらい、最終回で発表することをゴールとしている。みんなで同じ山に行ったにもかかわらず、各自の見ているところや感じたことが異なったり、発表する内容も人ぞれぞれというのが本当に面白い。自分にない視点や偏愛を知ることと、楽しみ方は人それぞれでいいんだということを、講座を通じて体感する仕組みになっている。
そんなわけで、田辺市では百間山渓谷(ひゃっけんざんけいこく)、熊野古道・中辺路、そしてひき岩群と岩屋山を歩いてきた。いずれも地域の歴史や魅力をひも解く「低山ハイク編」に最適な山ばかりである。講座に集ったのは、ちょうど登山をはじめたばかりの初心者、低山に今後の可能性を感じている熟練者、百名山と並行して個性的な低山も楽しみたいという探究者などなど。関西を中心に関東からの参加者もあって、大いに盛り上がったのだった。
参加理由を聞いてみると、未知なる和歌山の低山に対する興味とともに、ずっと憧れていた熊野古道を歩けることが参加の決め手になったという人が多い。印象的だったのは、YAMA LIFE CAMPUSの別の講座を受けてから、低山にも興味をもったという人がいたこと。これは嬉しいことだった。そんな風に学びの領域を広げていくことができるのも、YAMA LIFE CAMPUSの魅力だと思う。
紀伊半島の南部に位置する田辺市の最高地点は、和歌山県の最高峰でもある龍神岳(1382m)で、それ以上の高い山はない。半島はいまなおフィリピン海プレートに圧されていて、その圧力でシワのように折り重なった複雑な山と谷がめいっぱい大地に広がっている。そんな中で“谷”に注目して選んだ舞台が「百間山渓谷」だ。
すでにオンラインで顔合わせとコミュニケーションができている参加者たちが実際に対面をしたのは、10月に行った1回目のフィールドワークの前日のこと。少しのドキドキと事前に言葉を交わしていたという安心感とがないまぜになったぎこちない表情は、集合場所で互いを認識した途端に笑顔へと変わっていく。
そんな和気あいあいとしたムードで、初日は田辺市への理解を深めるべく文化と歴史をひも解きながらのまち歩き。夜は地元が誇る飲み屋街「味光路」での交流会を楽しんだ。黒潮の恵みたる田辺自慢の海鮮に舌鼓を打ちながら、いつしか地元の人も混じって話に花が咲く。そんなトークを肴に飲むビールは、実にうまい。山歩きをする前に、チームの雰囲気も整っていった。
しっかりと睡眠をとった翌日は、全長3kmほどの区間に数多の滝が連続して出現する、なんともスペクタクルな渓谷道を歩く。整備は行き届いており、いささか不安定な足場には補助となる鎖がしっかり設置されている。とはいえ、うっかり滑る場所もあるのだから、油断はできない。百間山渓谷の入口から千体仏のある山頂分岐までは約400mの標高を稼ぐため、ちょっとしたアスレチック感のある楽しい山行となった。
数々の見どころの中でも、雨乞の滝と犬落ちの滝は別格の存在感。雨乞の滝は狭い谷間から突然ひらけた空間にある、ぼくのお気に入りの滝でもある。場の雰囲気は優しく感じられ、落ち葉のたゆたう水はひやっと冷たい。その名の通り、日照りが続くと“雨乞い”の祈祷を行ったそうで、神楽が奉納されたのだとか。
このころから空模様が不安になりはじめる。渓谷で一番の落差を誇る犬落ちの滝で昼食をとっている間に、すっかり雨模様になってしまった。雨乞いをしたわけではないのだけれど……。
雨ともなると、犬落ちの滝から先の急な登りを、見どころの少ない地味な雰囲気の中で歩かなければならない。一方で雨足はだんだん強くなっていく。そんな中でも、冒険心と探究心をもった参加者たちの前向きな振る舞いのおかげで、苦行とはならず明るい山行になった。まだそこまで寒くはない10月という季節だったことも幸いした。
このメンバーにとって初の登山が雨だったということがかえって連帯感を育み、このあと2ヶ月続く講座を存分に楽しもうという、ひとつのパーティとして結束させてくれたように思う。雨乞いには雨だけではなく、そういう風に“場を潤す“恵みもあるのかもしれない。
熊野古道に憧れを抱くハイカーは多い。ところが、熊野古道の全貌を知っているハイカーは少ないように思う。
熊野古道とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社及び那智山青岸渡寺)に通じる蘇りの道であり、紀伊半島に点在する異なる宗教(高野山の真言密教、吉野山の山岳信仰、伊勢神宮)との共存を象徴する祈りの道だ。2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で世界遺産に登録された際の構成要素となった道でもある。
代表的な道は、京都と田辺を結ぶ紀伊路、高野山から熊野本宮大社を結ぶ小辺路、吉野から熊野本宮大社を結ぶ大峯奥駈道、伊勢神宮からの伊勢路、田辺と那智の海側を結ぶ大辺路、そして田辺から熊野三山を結ぶ中辺路がある。これらだけでも総距離600km以上。ここに含まれない古い道なども含めば1,000kmを超える長大なルートとなる。日本最古にして最長のロングトレイルのひとつだといえるだろう。
それだけに、そのすべてをスルーハイクすることは難しく、今回のような講座に参加して見どころの集中する区間を歩くセクションハイクにならざるを得ないのが実情だろう。そこで、11月に行った2回目のフィールドワークは、中核となる中辺路の中でもとくに熊野古道の雰囲気を歩いて感じられるふたつの区間に絞って歩くことにした。
1日目は、田辺で全員集合してすぐに歩きはじめ、高原地区から近露王子までを。2日目は伏拝王子から熊野本宮大社、そして大斎原までを。YAMAPによれば、距離にして合計16kmほど、獲得標高は850m強だった。
※この区間をちゃんと歩く場合は、滝尻王子から大斎原まで約37kmで計画しよう。獲得標高は3000mほどの、いささか険しい道のりとなる
道は歩く人がいて、はじめて完成する――。これは、熊野古道の観光促進を手がける田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田さんとの会話の中で出てきた言葉。ぼくはこの言葉に大いに共感する。というのは、人は動くことによって身体も、思考も、精神も育まれると考えているから。実際に歩いてみなければ感じることもできないし、考えることもできない。それと同時に、沿道の産業や文化を応援することにもつながるのだ。
だからぼくは自分の力で歩いてみたいし、たくさんの人に歩いてみようと伝えている。その意味で、ハイカーはみなその準備ができている。どんどん歩いて、感じて、考えてみるといいと思う。山のことも、人生のことも。なーんてことを、講座の中で話す。参加者のみなさんはとても優しくて、うるさいおじさんだなーなんて言わずに、うんうんと頷いて耳を傾けてくれていたのが救い。感謝感謝だ。
熊野古道は、長い樹林の中を歩き続けることになるため、自ずと自分の内面に向き合うことになる。黙々と歩いてじっくり心に語りかける時間と環境は贅沢だ。したがって、パーティで歩いているときにふと全員が沈黙する時間がたびたび訪れる。ぼくはそのとき、うっかりおしゃべりすることを控える。むしろ足をとめて、音を出さずに合図だけをして、目を閉じて耳を澄ましてもらうのだ。
これを読んでいるみなさんも、山でそういう時間を作っていることだろう。やったことがない方は、周囲が静かな環境なら、いまやってみてほしい。
……どうだろう。なにか感じただろうか。
中辺路のハイライトは、2日目に設定した。伏拝王子を過ぎて「ちょっとよりみち展望台」から眺める、大斎原の光景だ。なにもない山道をコツコツと歩き続けて、ようやく見えてきた熊野信仰の象徴。ここまで来れば、熊野本宮大社までは1kmほどの距離となる。もちろん大斎原にも立ち寄って、中辺路歩きを締めくくった。
そうそう、歩く前にとても大切な場所に立ち寄ったことを付け加えておきたい。それは扇ヶ浜という田辺市民に親しまれている浜辺で、そこで「潮垢離」をするためだった。垢離(こり)とは、身を清めることを意味する仏教用語である。
熊野三山を目指すとき、田辺においては4つの垢離があることを知っておこう。ひとつ目はこの「潮垢離」で、海水によって身を清めること。ふたつ目は「水垢離」で、川の瀬や滝において穢れを祓う。みっつ目は「湯垢離」で、これは熊野本宮大社の近くにあって日本最古ともいわれる湯峰の温泉で潔斎すること意味する。よっつ目は「酒垢離」である。文字通り酒による浄化。それならばと熊野詣でをする前夜は味光路で一杯やっておこう。おのずと酒垢離をしたことになるのだから。まあ、どうしても酒が飲みたい田辺っこが考えた言い訳なのかもしれないけれど。
12月に行った最後のフィールドワークの舞台は、田辺市街地からほど近い「ひき岩群と岩屋山」とした。田辺市を形成する特有の地形や、山独特の地質と植生、それを愛した博物学者・南方熊楠の存在、見渡す限り広がる田辺ならではの景観、霊場としての歴史などなど。田辺市を知るためのキーワードがたくさん散りばめられた魅惑のフィールドである。
最高地点が標高130m程度の低い岩山ながら、スリリングな山歩きが手軽にできるとともに、360度の素晴らしい絶景が広がっていることで知られている。巨大な岩の層がせりあがってできたケスタと呼ばれる地形の端っこは、まさに雨を待つヒキガエルたちが天を眺めているよう。これが「ひき岩群」なる名称の由来といわれる。
岩と岩の間に水が集まっていることも面白い。これは水が浸透しやすい岩質のおかげであり、ここ独特の植生と生物の棲息につながっているわけだ。かつて南方熊楠が足しげく通ったというエピソードがあるくらい、いまなお研究者にとっては魅力的なフィールドなのだ。
そうそう、個人的に助けとなったのは、YAMAPと田辺市が共催しているインタープリター(自然と人とをつなぐ役割をもつ案内人)の研修を終えた地元人がサポートについてくれたこと。じつは、初回からずっと帯同してもらっている。そのインタープリターによるひき岩群の解説もまじえながら、今回のフィールドワークをぼくなりに進めていった。
外からのファン目線で田辺の面白さを語る講師と、地元目線で田辺の魅力を内側から語れるインタープリターというタッグ。この体制、参加者にとってもよかったのではないだろうか。日ごろはトレイルランナーとして活動もし、龍神村でコーヒーのプロジェクトも手掛けているということで、話題の広がりにも一役かってくれたことは大きい。
締めくくりに訪れたのは、地元の市場。田辺市のさまざまな物産が集まっている中で、やはり人気だったのは梅干しとミカン。みんな持参のエコバックに詰められるだけのお土産を買っていた姿が楽しそうで。かくいうぼくは田辺市のミカンが大好きで、今回は5kgを箱買い。配送はせずに担いで帰りましたよ、特急と新幹線を乗り継いで。
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さて、こうしてふり返ってみると、本当に充実した和歌山県田辺市でのYAMA LIFE CAMPUS「低山ハイク編」だった。YAMAPと田辺市のタッグによる企画ゆえに運営していく上で安心だったし、現地インタープリター中川さんの存在も心強かった。そしてなにより、関西と関東の各地から参加してくれたメンバーの人柄と前向きな姿勢には、ぼくも大いに励まされ、学ぶことが多かった。終わってみれば、一番楽しませてもらったのは、おそらく講師のぼく自身だったのではないだろうか。ずっとしゃべって、ずっと笑っていたもんなあ。
そうそう、後日談も少々。
12月に修了してからも、メンバーの交流はとても活発だ。そしてそれは関東で行った講座の参加者も同じこと。そうした前のめりなメンバーを募って、年明けの1月中旬には番外編として伊豆の低山を旅する企画を実施した。
テーマは「新春 山はじめ」で、舞台は三島・修善寺・伊豆山稜線歩道の山々。くしくも紀伊半島と黒潮でつながり、関西からも関東からもアクセスしやすい地。新年らしく三島大社で山の神さまにご挨拶をして、鰻と地ビールと温泉を堪能するという、贅沢な1泊2日。富士山を眺めながら歩くはずの絶景の稜線は終日ガスの中だったけれど、また晴れたときに来いよってことかな。
ということで、講座が終わってなお続いていくステキなご縁。それぞれの歩む「YAMA LIFE」に、ぼくも低山を旅するスピンオフ企画を提案していこうと思う。そう、終わりははじまりなのだ。これも蘇りの地、熊野で学んだことである。
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家