低山トラベラーで山旅文筆家の大内征さんと、登山を愛するモデルの菖蒲理乃さんが行く「熊野古道 伊勢路」の旅も後編へ。絶景が広がる低山にも立ち寄りながら、古の人々も憧れた、人生に一度は訪れたい伊勢路の魅力をお届けします。
文=大内 征(低山トラベラー/山旅文筆家)
2024.01.12
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
前夜のお酒もほどほどに、爽やかな快晴の朝を迎えた旅の二日目。今日は尾鷲駅から相賀駅までをJR紀勢本線での鉄道移動からスタートする。テーマは「山を楽しむ伊勢路」。まずは昨日の“伏線”を回収しに行く。
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ローカル路線は旅情をかきたてるもので、日ごろは車移動のぼくも、よさげな路線は鉄道で移動するのが好きだったりして。そんなときに、故郷の仙台でよく使っていた仙山線を思い出す。乗るのが好きな“鉄分”が、ぼくの身体にはちょっぴり入っているらしい。
その一方で、車両の外観にカメラを向けている理乃さん。「わたしも少しだけ撮り鉄の気質があるのかも」と、また笑顔。なんだか今日も幸先のよさを感じさせる始まりではないか。
昨日よりも少しだけ登山装備を付け足して、ぼくらは今日、山の旅人になる。さっそく向かったのは、とっておきの聖地。なんの聖地かって、そのむかしそこから眺めた風景に疲れた心を励まされた、ぼくにとっての聖地だ。ずっと忘れられなくて、ようやくこの機会に再訪することができる。とても嬉しい。しかも理乃さんを案内できるというのが、もっと嬉しい。さて、旅の達人はどんな反応をみせてくれるだろうか。
その聖地というのは、“浅間さん”こと相賀浅間神社。ここからの眺めは、これぞ低山という素晴らしさだ。その低さゆえに生活の音が聞こえてくるほど相賀の町が近く、国内屈指の清流・銚子川が尾鷲湾に注いでいる河口もすぐそこ。もう10年近く経つけれど、あの日の風景とそう変わりはない。
駅から30分の山中で思わぬ絶景を眺めた理乃さん。ぱーっと明るい表情を浮かべて、鳥居からの風景に「あー!昨日からつながってるんだ!」と気がついてくれた。そう、昨日の出口と今日の入口をつなぐ、鳥居越しの海の風景。これにて伏線回収、完了!
眼下の銚子川は、透明度の高さで日本一になったことのある川。その清らかさは河口に至るまで持続しているのだから驚きである。浅間さんを後にして馬越峠の入口に向かう途中で銚子橋を渡るから、そこで川の様子を見下ろして、水質の良さを確かめてほしい。本当に感動レベルなのだ。
ところで、神社の名に「浅間(せんげん)」とあるように、富士山信仰がこの地域にもあったことを意味している。しかしながら、ここから富士山を見ることはできない。社の向いている方角は富士山ではなく相賀の町と熊野灘だから、あるいはふもとの暮らしを見守るような意味合いで、その当時流行した富士山信仰の社をお迎えしたのかもしれない。
こういうときは正しいことを求めすぎず、ただそこにある雰囲気を感じるだけでよいだろう。そう思うと、急にこの小さな神社に親近感がわいてくるではないか。鳥居をくぐった理乃さんが、その社の前でお辞儀をする。清廉な柏手が、そのとき山中に気持ちよく鳴り響いた。
馬越峠へと続く路は、往時の熊野古道の気分が色濃く残っており、じつに素晴らしい雰囲気を楽しむことができる。かなりの労力を払ったであろう、敷き詰められた石畳。数多の旅人が踏んだであろう、木の根が張った路。そして、整然と立ち並ぶヒノキの森。昨日の松本峠とはまた違った雰囲気があって本当に面白い。
高度を上げていくと、巨木や巨岩も目に入ってくるようになる。足下にシダ類と苔類が目立つのは、日本有数の雨量を誇る大台ヶ原が近いことも理由のひとつ。ちなみに、さきほどの銚子川の源流は、その大台ヶ原にある。深田久弥の選んだ日本百名山でもあり、最高地点の日出ヶ岳(ひでがたけ、1,695m)は三重県の最高峰でもある。
日本各地の山を歩いていると、峠の多くは馬が越えられず、荷駄を残して命を落としたと聞く。だから、そうした馬を供養する馬頭観音がひっそりと祀られている場合が多い。
ここ馬越峠は、その名から想像するに「馬でも越えられる峠」だったのではないか。伊勢方面から尾鷲に入る“境”であり、広い峠で産物が行き交い、熊野古道を旅する人々の交流が盛んな、伊勢路きっての峠の様子を空想してみる。
現代においては、尾鷲と相賀の町を結ぶ役割と、尾根でつながる便石山と天狗倉山の分岐地点でもある。いずれも地元ばかりか日本各地に名の知られた人気の低山ゆえ、伊勢路歩きと併せた山旅の計画をおすすめしたい。もちろんぼくもここから両方の山に登ったことがある。
馬越峠からいったん伊勢路を離れ、およそ30分で天狗倉山に到着した。ここは「てんぐらさん」とか「てんぐらやま」とか呼ばれる三重の名低山。標高は522mで、ちょうど尾鷲の町の北東に位置する。
町の鬼門にあたるだけに、山岳信仰を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)の力に頼って、邪悪なものを防いだという説はどうだろう。なにしろ山頂の巨岩の下には、その役行者が祀られる小さな祠がある。ちょっと神秘的な雰囲気が漂う山である。
その巨岩の上が山頂だ。鉄梯子で上がることができ、360度の絶佳を拝むことが可能。尾鷲の町、湾の様子、大台ヶ原だってよく眺められる。
山頂を示す木製のプレートは、登ってきた誰もが労をねぎらいながら写真を撮っていく場所だから、そこで居座って昼食をとるようなことは避けたい。個人的には、役行者の祠の横にある岩からの眺めがお気に入り。
そうそう、余談だけれど、役行者の左右の足元には鬼の夫婦「前鬼と後鬼」が一緒に描かれることが多く、ここから「鬼をも従える」という意味合いが生まれたといわれる。
しかし、じつのところ、鬼は悪ではなく素朴な“山の民”であり、不思議な力を持つ役行者を支え、ともに修行に励んでいく中で成長し、人間になったそうだ。ぼくはこの話が好きで、この説をとりたい。したがって昨日の鬼ヶ城も、きっと悪い場所では、ない。
天狗倉山から東にのびる尾根をさらに進むこと30分ほど。ここまで続いてきた絶景の数々を締めくくるのに相応しい展望スポットがある。それこそが「おちょぼ岩」だ。個人的に近隣第一の絶景だと思っている。その岩場に立ってみると、尾鷲湾がより立体的でスペクタクルに感じられるだろう。思いきりジャンプすれば海へダイブもできそうなくらいに、湾との距離は近い。
海を挟んだ“もうひとつの尾鷲”である須賀利町の入り江だってよくわかる。そこは尾鷲市の飛び地であり、深くえぐられた地形ゆえ、江戸時代のころは風待ちの港として栄えたそうだ。町名の“すがり”は、もしかすると「すがらないと船が風に流されてしまう」ところからきたのかもしれない。なーんて。
これだけ複雑で美しい海岸線を海のそばから斜俯瞰できる低山という意味では、日本広しといえどなかなかないだろう。入り組んだ海岸線の少ない関東から来るハイカーには、なおさら感動が大きいに違いない。理乃さんもまた、岩に乗り上げて大いに破顔した。じつにいい笑顔だった。ついでながら、撮影の恭子さんもYAMAPのスタッフも、そして三重県の職員の方もめちゃめちゃ笑っている。この風景を気に入ってくれたようだ。なんと素晴らしい雰囲気のロケだろう。最高か。
少し日が陰ってきたタイミングをみて、ぼくは愛用の保温ボトルに入れてきたお湯でコーヒーをいれた。おともの甘味は「おさすり餅」である。この地域のお菓子で、地元尾鷲の朝日饅頭本舗で買っておいたものだ。
柏餅に似ているけれど、使っている葉は柏ではなく、サルトリイバラの葉。そこから「いばら餅」とも呼ぶ。三重県の北部ではこっちの名称の方が通りがよい。お酒も好きだけれど甘いものも好きだという、われらにぴったりのコーヒーブレイク。
次第に太陽が沈みゆく角度が深くなり、山の向こうへ去りつつある。陽射しがなくなると急に寒く感じるのは、当たり前だけれど高山も低山も同じこと。山は山として、低くとも手抜きをせずに準備をすることが、山を旅する者の約束事。
ザックをおろして身支度をはじめた理乃さんに続き、ぼくも同じようにして薄手の手袋を取り出す。さあ、そろそろ「山を楽しむ伊勢路」を締めくくる時間だ。
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残す行程は、尾鷲駅で解散することだけである。下山しながら、ぼくなりに今回の旅の先達をふり返った。両日に共通しているのは「伊勢路」「岩」「海の絶景」という三つのキーワードの掛け合わせ。伊勢路の魅力をぼくなりに編んだ二日間は、常に天からの陽射しに照らされた素晴らしい空の下で終えることができそうだ。
旅の余韻を噛みしめながら静かに歩いていると、理乃さんがこの旅一番の笑顔でこう言ってくれた。「二日間とも岩が印象的でした!ここでしか見られない風景と、素晴らしい旅の機会をいただいて、本当に楽しかったし、嬉しかった」と。ああ、感無量。
たしかに、風土風景が好きな旅人にとっても写真が好きな人にとっても唸りっぱなしの光景が、これでもかこれでもかと訪れる最強のコースだったと思う。とくに“海”と“岩”は、いたるところで伊勢路らしい風景のアクセントとなり、石畳の印象が強い熊野古道とはまた違った、決定的な印象を残してくれた。菖蒲理乃さんはもとより、川野恭子さんがカメラ機材の重さを忘れるほど軽快に歩き回っていたことを、最後に書き加えておきたい。
そんなわけで、旅の達人も写真のプロも夢中にしてしまう伊勢路の絶景旅。ぼくの先達も、これにて結願なり。
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三重県立熊野古道センター
熊野古道の歴史や文化を学ぶことができる圧巻の展示棟は必見。じつは旅の前に“予習”に来ていた大内さんと菖蒲さん、予定以上の長い時間を過ごしていましたよ。
夢古道の湯
伊勢路を歩いて疲れた身体を癒しに立ち寄りたいのが、「夢古道の湯」。全国的にも珍しい海洋深層水を使ったお風呂が楽しめます。ミネラル豊富でやわらかなお湯は保温性・保湿性に優れていて、身体を芯から温めてくれますよ。
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現在、YAMAPを使って伊勢路を巡ると期間限定のデジタルバッジがゲットできる「熊野古道 伊勢路デジタルバッジキャンペーン」が開催中。条件をクリアした方には、オリジナル手ぬぐいのプレゼントも。ぜひ大内さんと菖蒲さんの旅も参考に、参加してみてくださいね。
加えて、三重県が主催の「歩きたくなる熊野古道フォトコンテスト」も開催中。三重県熊野地域若手ワーキンググループ「幸結び隊」の公式Instagramをフォローして、ハッシュタグをつけて投稿すると、東紀州の特産品・名産品など豪華景品が当たります。
2024年は熊野古道世界遺産登録20周年。メモリアルイヤーを記念して、伊勢から熊野までの約170kmを踏破する「熊野古道伊勢路踏破ウォーク」が開催されます。第1弾は、伊勢神宮から阿曽(大紀町)までを4日間で歩きます。伊勢路へ初めて訪れる方にも安心のプログラムです。ぜひチェックしてみてくださいね。
原稿:大内 征
モデル:菖蒲理乃
撮影:川野恭子
協力:三重県東紀州振興課