サッカー日本代表を2度のワールドカップの舞台へと導いた名将、岡田武史さん。現在は愛媛・今治を拠点に、サッカーJ2のクラブチーム、FC今治のオーナーを務めながら、海と里山に囲まれたなかで、自然教育と地域の活性化に深くかかわっています。
幾度と日本中を歓喜させてきたサッカーというフィールドを持ちつつ、なぜ岡田さんは自然経験を重視するようになったのでしょうか。YAMAP代表・春山慶彦が今治のアシックス里山スタジアムを訪れ、その理由について聞きました。
2025.05.27
YAMAP MAGAZINE 編集部
株式会社今治.夢スポーツ(愛媛・今治)代表取締役会長と、学校法人今治明徳学園 FC今治高等学校 里山校 学園長を務める岡田武史さん(左)
YAMAP 春山慶彦(以下、春山): 本日はお時間ありがとうございます。昨晩、今治駅に到着し、街中を少し歩いたのですが、平日ということもあってか、駅周辺は人通りもほとんどなく……。この人口15万人の地方都市でサッカークラブを経営するという、経済合理性だけでは測れない、岡田さんの覚悟をあらためて感じました。
岡田武史(以下、岡田): そんな大層な覚悟は、全然なかったんです。最初はただただサッカーの日本代表が世界と戦うために何が足りないか、それだけを考えてきた結果、いろいろな縁に恵まれ、今治にたどりついただけなんです。
今の日本のサッカー選手たちはフィジカルも上がってきて、技術もあるし、頭も悪くない。でも一つだけ、足りなかった。それが「主体性」。監督に言われたことは、きちっとやる。でも、自分で判断してプレーするのが苦手だったし、驚くような発想が出てこないのが、世界の強豪と肩を並べるための課題でした。
「日本人の選手に主体性を持たせるには、どうしたらいいのか」と思案していたとき、ある有名なスペイン人のコーチに「スペインサッカーには『型』がある。つまり、原則だ」と教わりました。
彼らは型を16歳までにきちんと教え、それ以降は自由にプレーさせる。それを聞いて、「あれだけ自由奔放なスペインに型があるのか」とびっくりするとともに、「あ、俺たち日本の指導者は逆に、年代が上がるにつれて、ああしろ、こうしろと選手の自由を奪い、型にはめてしまっている」と気付きました。
日本でも世界で通用する「原則」を16歳までに教えたいと語っていたら、Jリーグの3チームぐらいが「育成をまかせたい」と声をかけてくれました。ただ、既存のチームでは、それまでのやり方もあるし、まっさらな場所で、自分たちの哲学で一から始められるところが必要でした。
そのとき、頭の中で、今治のことがふと思い浮かんだのです。2013年ごろでした。
春山:岡田さんは大阪出身ですが、もともと今治とはつながりがあったのでしょうか。
岡田: 今治には、飲食や小売業などを展開する「ありがとうサービス」という会社があって、社長が早大サッカー同好会の1年先輩にあたる井本雅之さんでした。もともと同社には教育担当顧問として定期的に訪れていて、彼がアマチュアの四国リーグのチームも持っていたので、「ここでやれるかも」と思って電話したのです。
指導モデルの構想を話すと、「面白いじゃん!ぜひやってみなよ」と言ってくれたまでは良かった。ただ、「株式の51%を取得してくれ」というのは想定外(笑)。赤字チームで債務超過してたから、自分のポケットマネーでなんとかできる金額で手に入って、気づいたらオーナーになっていた。
「これはもう、中途半端なことはできない。ちゃんと腰を据えてやらないとダメだ」と思って、今治に家を借りて住んでみた。そしたら、街のど真ん中にさら地がぽっかり空いている。商店街も昼間なのに誰も歩いていない。本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」ができ、瀬戸内海の島々を結んでいたフェリーがなくなり、港のにぎわいも人の流れもすっかりなくなってしまったわけです。
「これはマズい。俺がここでどれだけサッカーで成功しても、立っている場所そのものがなくなってしまう」と危機感を抱いた。だったら、街全体が一緒に元気になる取り組みをやらなければ意味がない、と気付きました。
最初はサッカーの「今治モデル」構想を語り始めることにした。少年団から高校、ジュニアユースまで、今治の全部のサッカーチームの指導者に声をかけ、「小さな街だけど、一緒に日本一質の高いピラミッド型の指導モデルをつくりましょう」と呼びかけた。
頂点にFC今治があって、強くなれば全国から若者が集まってくる。人が増えれば地域も活気づく。そんな夢を語ってた。でも、冷静に考えると、サッカーだけの移住では数十人しか来ないし、人口減少を補うには全然足りないことに気づくんだけど(笑)。
春山:ほとんど縁がないところから、今治で、立派なスタジアムを建設し、地域を巻き込みながら盛り上がっていくプロセスは、全国の地方都市にとって参考になりますね。
岡田: Jリーグに上がるにはスタジアムが必要になります。どうせ建設するなら「『複合型施設』にして、試合がない日も地域の人が集まるスタジアムを作ろう」といろんな人に夢を語っていたら、だんだん現実になってきた。
私が夢を語ると、みんなが「松山から遠い」「人は増えない」と心配する。ただ、調べてみると、今治には日本一の造船会社・今治造船(現在のエグゼクティブパートナー)などの名門企業がいくつかあって、工業生産額は県庁所在地の松山よりも断然上。「意外とお金持ちもおるやん」と気付いた(笑)。
偶然というのもちょっと違うけど、自分ひとりの実力ではなく、ご縁の積み重ねで、ここまで来てます。
春山:運営会社は社員6人からのスタート。サッカークラブのオーナーというより、ベンチャー企業の経営者と言ったほうが適切かもしれませんね。
岡田:普通、サッカークラブのオーナーは、お金持ちがなるもの。自分は全然お金もなかったのにオーナーになった。代表取締役も兼務して、お金を集めなければいけない。グラウンドでサッカーを見ている暇が全くない(笑)。
サッカーの監督時代も24時間働いているようなものだったけど、スタートアップで「働き方改革」なんて言ってたら潰れますよ。みんな泊まり込みで、死に物狂いで働きました。
最初の頃なんて、経理担当もいない。誰も経営者をやったことがないから、決算や取締役会もよくわかっていない。会社の通帳1冊しかなく、「3ヶ月後、給料払えないぞ」と言っている時期もあった。コーチは10人ぐらいいたけど、「もうコーチたちに給料払えないから、お金をもらいに行こう」と必死に営業を回って……。
もちろん、最初は今治の人には誰にも相手にされませんでした。「有名人がちょちょっとやって、すぐ帰るんだろ」という雰囲気はかなり感じましたよね。それでも、FC今治のポスターを自分の車にガムテープで貼って街中を走り回ったり、駅前でビラ配りをしてた。だけど、泥臭いことをしても、3年ぐらいは何をやってもダメ。試合に人も集まらなかった。
ある日、いつものように夜中の2時とか3時まで残業していて、「なんでこんなに相手にしてもらえないんだろう」って、疲れきった6人の仲間で話したことがありました。「今治に友達いるか?」と聞いたら、そこにいた誰一人いなかった。
「そりゃダメだ。来てくださいじゃなくて、俺たちが行かなきゃうまくいくわけないよな。残業は8時までにして、まずは友達を5人作ろう」と決めた。さらに、おじいちゃん、おばあちゃんに「困ったことがあったら何でも言ってください」と広報して、“孫の手活動”までやっていた。
育成の子どもたちやコーチ、私自身も何度も行った。重い物を運んだり、掃除を手伝ったりしていたら、「あんたたち、サッカーとかいうのをやってんのか。じゃあ一回観に行ってみるよ」と言ってくれる人が増えた。
里山スタジアムができる前に、アマチュアトップリーグ(JFL)に上がるための専用スタジアムを約3億円かけて建設しています。
日立製作所が建てた柏レイソルや、ヤマハ発動機が作ったジュビロ磐田のホームスタジアムと比較すると規模は違い、国内では企業主導で作った3つ目のスタジアム。「日本一ちっちゃいスタジアム」と言われたけど、これで今治でも「あいつら本気なんだ」と思ってもらえ、潮目の変化を感じることができました。
岡田:里山スタジアムを建てるときも、「設計図も業者も決まってます。あとは岡田さんが40億集めるだけです!」と言われたときは、ぶっ倒れそうだった(笑)。「集められなかったら命でお詫びするしかない」と本気で思ったぐらい、腹をくくった。
とはいえ、自分でさえ、「今治に投資してくれる人は、いないだろうな」と思っていた。でも、ラスベガスだって最初はただの砂漠。あれもストーリーがあったから、投資が集まった。
だから自分たちも、ストーリーで勝負した。これを「バリヒーリングビレッジ」と名づけ、「里山スタジアム」というストーリーを作った。結果、半年くらいで40億円が集まった。
春山:バリヒーリングビレッジとは、どのようなストーリーだったのでしょうか。
岡田:これからAI(人工知能)とかICT(情報通信技術)がどんどん発達してくると、人間はAIの言う通りに生きる人生を選ぶようになる。失敗のない、便利な人生。でも、それだけでは、人は幸せになれない。
失敗しても、そこから立ち上がって成長すること。誰かと助け合って生まれる絆──。
そういう「もうひとつの幸せ」がある。その幸せを提供できるのが、文化やスポーツやアート。つまり「目に見えない資本」なのです。
だから、普通だったらスタジアムの周りを全部駐車場にするところを、「里山エリア」にした。障がい者の通所施設、カフェ、ドッグラン、畑など、時間がたてば、どんどん緑が増えて、里山みたいになって、みんなの「心の拠り所」になり、癒やし(ヒーリング)の場となる。
そんな365日、誰かが集う場所を作ろうとした。ここまで話すと、聞いた人はみんな、コロッとしてくれます(笑)。
春山: 今治を含め地方都市は人口減少などの課題もありますが、取り組み次第で伸びしろも、独自性もつくれる可能性があります。スポーツに限らず、企業でも教育でも、いかに地域と一緒に豊かになっていくかは、大事なテーマです。
大都市だと、ひとつの企業や学校、個人がどんなに頑張っても、全体の中では数あるなかの一つになりがちで、「何かを変えている」という実感が得にくく、大きな波を起こせない。
でも、人口が20、30万人以下の街だと、ひとつの企業やスポーツチームの行動が、地域全体に波及する。夢を与えることもできるし、一体感も生まれる。その「適切な小ささ」が、すごく大事な価値だと思っています。
岡田: それは本当にあると思う。これからの日本人は、地方に住むようになると思っています。地球は現在、「活動期」に入っていて、気候変動もそうですが、地震や噴火とか、いろんな災害が起こる可能性が高い。
そんな時、地方には、海の幸、山の幸、そして水がある。資産、アセットがまだ残っている。これは人間にとって、すごく大きい。
実際に東日本大震災でも、年配の方たちが自分たちで沢から水をひいて、竹を割って火をおこし、宴会をして風呂にも入っていた集落があった。東京で同じことが起きたら、電気が止まった瞬間にコンビニやスーパーに人が殺到する。タワマンなんて水も出なくなるし、降りるのも大変でしょ。
地方には「生きるための知恵」と「資産」がまだある。今のうちにそれをつないでいかないといけない。そういう意味でも「地方創生」は、すごく重要です。
春山: 本当にそうですね。エネルギーとか食料とか命に直結することを、いかに地域でまかなっていけるか。自律分散型の街、レジリエンスの高い街のあり方が求められています。住まいも1ヶ所に定住する発想から、二拠点や、行き来するスタイルへと柔軟に変えていくことも大切になってきますね。
岡田: 今治に来て、本当にその通りだと感じます。なので、うちの企業理念は「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会づくりに貢献する」と掲げました。
春山: 物の豊かさは、GDPとか数字で測れます。でも、心の豊かさは測ることが難しい。信頼、感謝、共感──。そういった軸でも経済が回っていかないと、資本主義はいずれ行き詰まります。
岡田: そうそう、地球の資源は、有限だからね。
春山:物質的な成長だけでなく、文化的な成長にも価値を見出す必要があるんだと思います。スポーツやアート、山登りも含めて、そういった心の豊かさで幸せに生きる道をつくっていく必要があるのではないでしょうか。
岡田: 今の社会は資本主義が行き詰まって、格差が広がり、民主主義もポピュリズム化している。そんな時代だからこそ、お互いの衣食住を支え合うような、ベーシックなインフラを持った場所が全国各地にでき、人がそこを行き来する。人が軽やかに動く。それを支えるのがシェアや共助のコミュニティの仕組み。まるで石器時代のように何も持たずに暮らす社会。そういう未来を目指したいですよね。
そのモデルを、ここ今治でつくっている。それがFC今治であり、里山スタジアムなんです。これが、60あるJリーグのクラブや、50あるBリーグのチームを中心に、日本中に広がっていけばいい。
春山: 「遊動の時代」に入っているのは間違いありません。私は環境の変化とは、「水との付き合い方の変化」と考えています。ある地域では水が枯れ、ある地域では水が溢れる。水との付き合い方は、生存に直結します。
例えば、ヨーロッパの戦争やゲルマン民族の大移動も、背景には水不足や食料不足、飢饉があったと言われています。人類史において、水や雨量の変化が人間の行動に大きな影響を与えています。
九州も毎年のように水害が起こるし、雲の動き、水の動きが明らかに変わってきている。だから、今までみたいに「ここは安定してるから住もう」という発想が通用しにくくなってきています。
春山:自分にとっては、「地域」とか「ローカル」という言葉より、「ネイティブ」という言葉がしっくりくるんです。自分自身、20代のころにアラスカに2年ちょっと滞在して、イヌイットの人たちの猟に参加させていただいたことがあります。
岡田: すごいね、それ。
春山: 彼らと過ごす中で、言葉の重要性を感じました。例えば、彼らには雪の状態を表す単語がたくさんある。日本人は「雪」の一言で済ませますが、彼らには、いろんな雪の状態があり、それを示す雪の言葉があります。
岡田: それは、サッカーも一緒です。スペインには「縦パス」だけでも、状況に応じて違う単語がある。日本人は全部「縦パス」。「俺たちにはその言葉が必要だ」という感覚がなかったから、プレーの主体性を育む岡田メソッド(*1)では、必要だと感じる現象に対応する言葉を、こっちで作ることから始めました。
(*1)岡田メソッド:岡田氏が提唱・実践するサッカー指導法。プレーの原則を教えた上で、選手自身に考えさせるアプローチをとる。
春山: 日本語は、主語を省いても会話が成り立つ言語です。それは「空気を読む」とも言われるけど、逆に言えば、自ずと場に溶け込む力がつよい感覚優位の言語でもあります。
また、日本語という言語の成り立ちに関しては、「自然観」が多分に影響していると考えている。「もののあはれ」や「無常」などの言葉や価値観は、自然災害が多い土地だからこそだと思うのです。
YAMAPをつくった理由は、「山に行く人を増やしたい」というだけではありません。日本全国、地域ごとに大切に受け継がれてきた多様な『自然観』に光を当て、その価値を再発見したいのです。
岡田: 欧米で自然は「克服するもの」という発想。仏教は「ほどほどに」という考え方。人間の弱さとか曖昧さをちゃんと認めている文化です。
野外体験教育をやっているけど、野外でやると、夜に動物がガサガサ動いて怖くて寝られないとかありますよね。でも、朝方に東の空が明るくなってきたら、なんか感動する。そこで「あ、太陽が昇らなかったら、人間って生きていけないんだ」と体で感じる。
科学技術がどれだけ進んでも、自然と向き合うことは、「人間には絶対に勝てないものがある」と知ることなんだと思います。
春山: あらためて、自然との“付き合い方”を見直していくときなのが今なのだと思います。日本的な自然観を象徴する素晴らしい建造物だと思ってるのが「沈下橋」や筑後川の山田堰です。
自然を克服したり、自然にあらがおうとするのではなく、自然への畏怖や感謝を前提に、いなしながら受け入れる。
岡田: 地球っていうのは一定じゃない。守るだけじゃなく、人間が生き方を変えていくしかないんですよね、結局。
春山: 「野生の感覚」とか「大局観」、「メタ認知」も含めて、人間が弱いっていう前提の中でどう協力し合うか。それを自然の中では学べるんです。
山や海という自然環境は、そういう場でありながら、いまだに「アウトドア」や「レジャー」だけに閉じられていて、もったいない。だから、自然観を養う意味でも、自然体験をもっと広げていくべきだと思っています。
春山:そもそも、岡田さんはなぜ自然体験を事業や教育に組み込んで行うようになったのでしょうか。
岡田: それは、日本代表の監督を務めたフランスW杯アジア最終予選(1997年)の経験にさかのぼります。
日本サッカー協会がカザフスタン戦の引き分けの後に監督を急に更迭し、自分をいきなり任命した。当時、監督経験はゼロで、コーチしかやってなかった41歳の私にとっては、とてつもないプレッシャー。有名になるつもりもなかったから、当時は電話帳に名前を載せていて、脅迫状や電話が殺到。家の前には24時間パトカーが張り付くような状態でした。
日本のW杯初出場をかけたマレーシア・ジョホールバルでのイランとの決戦前。妻に電話で「明日もし勝てなかったら、日本に帰れない」と本気で伝えていた。
だけど数時間後にふと思った。「急に名将になれるわけない」「できるのは、今持ってる力を100%出すことだけだ」。「そもそも、これは俺のせいじゃない。選んだ会長のせいだ」と思った瞬間、完全に開き直った。
当時、遺伝子の研究で知られ筑波大の村上和雄先生(*2)が「遺伝子にはスイッチがある」と言っていた。人間には氷河期を生き延びた強い遺伝子があるけど、便利で快適で安全な社会ではそのスイッチが入らない。自分は、あの瞬間に遺伝子にスイッチが入った感覚があった。
(*2)村上和雄:分子生物学者、筑波大学名誉教授(1936-2021)。遺伝子研究の権威であり、「心と遺伝子研究会」を設立するなど、精神的な要素が遺伝子の働きに影響を与える可能性を探求した。
でも、今の社会はあまりに守られすぎていて、遺伝子にスイッチが入る機会が少なくなっている。公園でけが人が出たら、全遊具が使用禁止になる。人間が家畜化している。
まずは、「場」を整えなければいけないと思って、野外教育の社団法人を立ち上げた。最初は、早稲田の学生10人をカナダに連れて行った。言葉も通じない中で、泣くやつもいるし、喧嘩も起きる。でも最後にみんなで戻ってきた時、抱き合って泣いてた。あれはもう、完全に「遺伝子にスイッチが入った瞬間」でしたね。
そこで学んだのは、「自然には絶対に勝てない」「一人では生きていけない」ということ。無人島に送り出すときも、火をつけなきゃご飯も炊けないし、誰も助けてくれない。そういう状況で初めて、「あ、力を合わせなきゃダメなんだ」って気づいていく。自然の中に身を置くことで、人間が本来何をしなけばいけないかを思い出させてもらえる。
春山: 「遺伝子にスイッチが入る」という言い方もそうですし、「野生」と言いう言い方でもいいと思うのですが、自分の命の内側から湧き上がってくるときめきや熱さ、衝動をを今の社会や教育は、どちらかというと抑える方向にいってしまっている。
だから、生きていることのよろこびを解き放つような場所や機会が減っていると感じています。唯一、自然だけがいまだにそういう“フィールド”として残っているのではないかと思っています。
あとは「手は差し伸べないけど、見守る人の存在」が大事になる。セーフティーネットとして、見守り、受け入れてくれるひとりの人の存在。これがないと、人は冒険できない。微妙なあわいを、社会や大人がこどもたちにどうつくっていけるかが、すごく重要です。
岡田: それは本当に大事なことですね。FC今治高校 里山校(*3)という学校を始め、今年4月には二期生が入ってきました。そこでも「主体性」と「他者を認めること」という2つを、すごく大事にしています。
学校のルールはたった3つ。「法律に違反しない」「命に関わることはしない」「人の成長を妨げない」。
これ以外は、生徒たちが自分たちで全部決めていい。1か月半くらいで自分たちでちゃんと落としどころを見つけられるようになった。オープンスクールの企画運営も、生徒たちが主体的にやってのけた。本当に感動しました。やっぱり、あいつらはすごい。成長する力を持っている。
(*3)FC今治高校 里山校:岡田氏が学園長を務める私立高校。2024年開校。偏差値教育とは一線を画し、実学や探求学習、地域活動、自然体験などを通じて、主体性や生きる力を育むことを目指す。
春山: 今治という地域から、そのような学校が立ち上がっているってことに、希望を感じます。
サッカーという厳しい勝負の世界でのご経験だけでなく、40年以上にわたる環境問題への深い関心、そして今治での地域や人づくりへの情熱。それらが、自然体験や「心の豊かさ」というキーワードで見事に結びついていることに、感銘を受けました。
微力ですが、私たちYAMAPも、ジャンルや分野を越えて、自然体験や自然教育を広げていけるよう、尽力してまいります。
岡田: 人間は、自然に帰らなきゃダメですよ。「生きるってなんだ?」「出会いってなんだ?」 そういう、人生でいちばん大事なことを、自然は教えてくれる。ぜひ自然の重要性を一緒に広めていきましょう。
全編の動画はこちら:YouTube「岡田武史・サッカー元日本代表監督が語る「自然経験と地域の可能性」 |岡田武史× YAMAP 春山慶彦」を視聴する
FC今治高校里山校:公式サイトをみる