上高地から海を目指す。8泊9日、親不知まで131kmの大縦走|YAMAP AWARDS ずっとの山部門・齋藤雅義さん

2025年末、YAMAPユーザーの中から、山の環境整備や活動日記で個性が光ったユーザーを自薦、他薦問わず募集し、YAMAP AWARDS推薦特別賞として表彰しました。

最優秀推薦賞(ずっと山部門)を受賞したのは、長野県松本市在住の齋藤雅義 (さいとう・まさよし)さん。上高地から親不知海岸まで8泊9日の大縦走で得たものは、初めて知る自分の体や感情に出会えたことでした。

齋藤さんに、入念な準備の様子と大縦走の苦楽を聞きました。

2026.07.16

米村 奈穂

フリーライター

INDEX

地図上で、上高地と海をつなぐ

東京都三鷹市在住。現在は長野県松本市に単身赴任9年目の会社員、齋藤雅義さん (51)。写真は縦走2日目の槍ヶ岳からスタートをきった直後のまだ元気な頃

── 最優秀推薦賞(ずっと山部門)の受賞おめでとうございます。北アルプスを登る人にとって、親不知の海と山をつなぐ道「栂海新道(つがみしんどう)」は、一度は思い描く憧れのルートです。きつい行程であるはずなのに、なぜか楽しさが伝わってくる齋藤さんの活動日記を参考にされた人も多いのではないでしょうか。
まずは、登山を始めたきっかけと当時の様子をお聞かせください。

齋藤雅義さん(以下、齋藤) 中学の同級生に誘われて登ったのがきっかけでした。10年ほど前に会ったときに山をやっていると聞いていたんです。私が松本に転勤したと伝えると、「松本にいるのに山をやらないのはもったいない」と言われたんです。会社にも山を始めた先輩がいたのでやってみようと思い、4年前に始めました。

山に登り始めて2年目の頃、同じように転勤で松本に来た方にそのルートを教わりました。その方はよく縦走登山をされていて、山に1週間ほど入るような、本当に縦走が好きな方です。

── うらやましい職場環境ですね。上高地から親不知まで歩こうと思われたきっかけは?

齋藤 勤続20年で5日間の休暇が取れることになって、前後を合わせると9連休取れたんです。ちょうど50歳になる節目の年だったので、この年齢でできることは何かと考えたとき、これ以上年齢を重ねると体力も落ちてこんなことはできなくなるかもしれない、今しかないと思いました。

1日目。槍ヶ岳山荘から見る、槍ヶ岳を染めるアーベントロート

── 連休が取れると分かったとき、すぐに山へ行こうと思われたのですか?

齋藤 最初は考えていませんでした。縦走好きの会社の先輩と連休をどう過ごすかと話していたとき、親不知の海と山をつなぐ栂海新道のことを教わりました。全く知識がなかったので調べているうちに、9日間でどこまで行けるだろうと考え始めたんです。

YAMAPで上高地から親不知海岸までを繋いで、いろんなルートを調べました。5つほどルートがあって、阿曽原温泉のところは通り抜けできないとか、消去法で残ったのがこのルートでした。途中でお風呂に入りたかったので五色ヶ原を通るルートも考えたんですが、10日間必要になるので諦めました。

── 山に登る時は計画を立てる時間も楽しいですよね。上高地から歩くことを思いついたときのワクワク感や、このコースにしようと決めたときの様子を教えてください。

齋藤 北アルプスは何度か訪れていたので、各地で得られた感動を再び味わえる期待と、本当に親不知まで行けるのかという不安が交錯していました。

栂海新道から白馬へ行ったときの話を会社の先輩に聞いてコースを調べるうちに、「上高地から親不知はどれくらいで行けるのか?」と興味を持って、それぞれをスタートとゴール地点にしてコースをなぞってみてワクワクしたのが始まりです。

過去に歩いた人の記録を調べているうちに、「自分でも歩けるのでは?」と無謀にも思い始めて、候補のコースを5つ作成して選んだのが今回のコースです。最後は会社の先輩に背中を押されて決意を固めました。

コースを作成するにあたって自分の中でルールを決めました。普段日帰りで登っているときも、2000mを超えるとやっぱりきついんです。まずは、1日の標高差2000m以下、歩行距離20km以下でコースを組んでみることから始めました。

歩くスピードが早い方ではないので、1日12時間以内で行けるように組んでいきました。そうして9日間であのコースが繋がった時は、いける!と思いました。水場も調べたんですが、北アルプスは小屋があるので大丈夫だと思いました。計画を立てている時間は本当に楽しかったです。

不安は入念な準備で取り除く

── 登山を始めて4年ということですが、かなりの距離を歩く大縦走です。不安はなかったですか?

齋藤 すごく不安でした。荷物もどのくらいの量になるのか分からなくていろんな人のログを調べたりして、結局行こうと決心したのは、出発の1ヶ月前の7月末でした。それまでは山で1泊2日以上したことがなかったんです。

それで、7月の頭に雲ノ平で2泊3日のテント泊をして、この重量で9日間歩くのは厳しい、北アルプスだったら小屋泊の9日で行けるだろうと思い小屋泊に切り替えました。

── 雲ノ平に行ってよかったですね。行ってなかったら途中で断念もあったかもしれないですね。

齋藤 テント泊にしていたら、今日は疲れたからここで1泊しようとなって伸びちゃうと思うんです。小屋だと予約しているためキャンセル料が発生するので、雷が発生しない限りは進もうと思っていました。テント泊に比べるとお金はかかりました。

── 交通費以外で山の中でかかった費用はどのくらいですか?
 
齋藤 ざっと14万くらいです。宿泊代が11万くらい。7日間が小屋泊で、8日目は避難小屋でした。あとは、あまりにもお腹が空くのでお弁当を1日に2つ頼んでいました。2つで大体3000円です。小屋代がおよそ1万2000円〜1万4000円くらいにお弁当代です。

途中で自炊もしたので少しは安くなっています。会社から奨励金も出たのでまあいいかと思って(笑)。

2日目。三俣山荘の後ろにそびえる鷲羽岳

── 毎日出発前に、翌日のルートの高低差のグラフを見て行程をイメージされていたそうですね。

齋藤 グラフを見ながら歩くと、これから登り返しがきついなとか事前に身構えておけるので、気持ち的に楽になります。これを毎朝みて「今日は登り一辺倒だな」とか「今日は大きな登り返しが2回あるな」とイメージを持って一日に臨みました。

── (手元のグラフを見て)これは何のグラフですか?

齋藤 すいません、これはヤマレコのグラフです。それを日毎に並べています。横軸が距離になっていて、残り500mだったらあと何分ぐらいかなとイメージがつくんです。北アルプスは道がしっかり整備されているところが多いので大きくは狂わないですね。

そうはいっても、距離と疲労でだいぶ狂ったところもありましたが、徐々に感覚が分かってきました。

── 事前準備としてのトレーニングもしっかりされていましたね。登山をする人は装備の準備は入念にするけれど、 他のスポーツに比べるとトレーニングは怠りがちな印象です。齋藤さんは野球部出身だそうですが、その影響もあるのでしょうか?

齋藤 とにかく不安が大きかったので、それこそ野球と一緒で、不安があればその要素である課題を解決するために練習しろというのが体に植え付けられています。今回すごく不安だったのは、体力よりも筋力が続かないことでした。

── 体力が足りないとはよく実感しますが、筋力が続かないとはどこで感じられましたか?

齋藤 心肺機能は疲れていなくても、足が前に出なくなるんです。自分の経験上、1500mぐらいの高低差だと大丈夫なんですが、1500mを超えた途端に体が重く感じて、急に足が止まったりするんです。

筋持久力を改善したいと思い、登るために必要な筋肉をどう鍛えるのかを調べて筋トレをやっていました。先輩に教えてもらったブルガリアンスクワットをやったり、ジムでバーベルを持ってスクワットをしたり、リュックを背負うので背筋や胸も集中的に鍛えたりもしました。

── それはかなり野球部っぽいですね。

齋藤 もともと20年ぐらいジムに通う習慣はあったので、太ももの内側に筋肉つける方法などを聞いて、山に向けた筋トレを取り入れていきました。ただ仕事が忙しくて時間が限られているので、ジムは1時間くらいで上がるようにして、あとは山で走り込みました。山以上のトレーニングはないですね。実践が一番いいと思いました。

週1回、近所の里山にトレーニングに行ったことで、筋力と体力がついたのを実感できました。ランニングでは心肺機能は上がるんですが、山を登り続ける筋持久力がなかなか上がりませんでした。山での走り込みを始めたら筋持久力の向上を実感できたんです。

ジムでは週2回フィジカルトレーニングをやって、体全体にバランス良く筋力をつけるために、背中、太もも、胸、腕など、走り込みでは得られない部位を中心に筋力トレーニングをしました。

2日目。鷲羽岳の上りでこの日のスタート地点槍ヶ岳を望む。縦走中、槍ヶ岳と劒岳の姿に励まされた

── トレーニングの成果はどんなところで実感されましたか?

齋藤 登るときに息があまり上がらなくなりました。今回はゆっくり歩いたというのもあるんですが、筋力がついているので、継続して歩けるようになりましたね。以前は登り返しになっただけで足が止まって休んだりしてしまっていたんですが、そのまま歩けるようになりました。

── では、縦走中に途中で断念しようということもなく、順調に進めたんですね。

齋藤 いやありましたよ。2日目〜5日目あたりが一番きつかったですね。2日目は槍ヶ岳から野口五郎岳までで、かなり距離がありました。

3日目は地獄でした。野口五郎小屋から船窪へ行くんですが、とんでもなく道が荒れていて、水場もないんです。烏帽子小屋で水を2.5リットル満タンにしたんですが、最後に足りなくなって、残り200mlぐらいでちょびちょび口の中を潤しながら歩きました。

3日目の朝起きたときに、「これ本当に歩けるのかな」と思って、七倉から大町に下りようかと思いました。4日目は船窪から種池まで14時間歩きました。だんだん体が慣れてきて意外と息が切れないんです。5日目ぐらいからだいぶ楽にはなってきましたね。でも5日目は最初雨が激しくて、低体温症になるんじゃないかと思うくらいでした。

── 低体温症の初期症状は自覚しにくいと聞きますが、よくご自身で気づかれましたね。

齋藤 ボーッとしてくると自分で分かるんです。思考能力がなくなって、同じことをずっと頭の中で呟いてる感じです。冬に中央アルプスの将棋頭山(しょうぎがしらやま)に登ったとき、20mを越えるような強風の中を歩いたんです。

山頂近くで考える余力もなくなって、頭の中は「帰りたい、帰りたい」しか浮かばなくなったんですが、行動食を取ると急に元気が出てきたんです。そのとき、これが低体温症の第一歩だと感じました。

今回は、爺ヶ岳を過ぎた辺りで雨に打たれて同じ症状が出てきました。雨が降ってきたんですが、暑かったのでレインウェアを着るのが遅れてしまったんです。半袖にアームカバーを着けた状態でスタートして、布引山の山頂ぐらいまではそれで歩きました。

その後、鹿島槍へ向かうときになんだかおかしいなと思ったんです。ちょっとボーッとしてくるんです。雪山のときと同じように思考能力がだいぶ下がっているのを感じて食べ物を口にしたら、すぐ復活しました。

3日目、船窪小屋にやっと到着

自分の体と向き合う登山

── 食べるって大事なんですね。

齋藤 今回は食事が大事だとものすごく感じました。4日目くらいからすごくお腹が空くようになったんです。小屋で晩御飯を食べて、お腹が空いて夜中の1時くらいに起きちゃったんです。それで弁当を2個頼んだんですが、それでも足りなかったですね。

食べても2時間くらいでまたお腹が空くんです。一番食べたのは朝日小屋の食事でした。ご飯を3杯、ラーメンを2杯、そのほかにつまみも食べたのに、2時間くらいでまたお腹が空いちゃうんです。すごい勢いでエネルギーに変わっているのを感じました。

── 自分の体を観察できておもしろいですね。いつもより体に負荷がかかる状況で自分の体と向き合ってみてどうでしたか?

齋藤 今まで見たことのない自分に会えた感じで、体の状態が変わっていくのを感じました。一番分かったのは山から下りて鏡を見たときで、お腹が割れかけていて体脂肪が3%くらい落ちていました。

もともと足裏が痛くなる症状もあったので、縦走前に整形外科で足形を取ってインソールをオーダーしました。それまでは、10キロ以上歩くとだいたい親指と人差し指の付け根が痛くなっていたんです。

オーダーメイドのインソールを準備したことで、縦走中は症状が出なかったです。足のアーチが崩れると症状が出ると聞いたので、縦走中は毎日夜に足の裏を伸ばしてマッサージをしていました。最近も痛くなることはなくなったので、縦走で得られた体の変化の一つですね。

── どんなマッサージをしていたんですか?

齋藤 足裏を柔らかくすることが大事だと聞いたので、足のアーチを復活させるために、足の甲の両側を持って内側に曲げたり、指を引っ張って広げたりしていました。縦走中怖かったのは、ケガをしたりして途中で下りるということでした。

もともと左足が捻挫をしやすかったんです。捻挫を放置して半年間痛みが続いたこともあったので、インソールをつくったのは、そこもケアするためでもありました。

事前に歩き方も直しました。整形外科で歩き方を見てもらうと、捻挫しやすかった左足が少し開いていると言われたんです。それで、普段から道路を歩く時、左足は歩行者道路の白い線に合わせて真っ直ぐ歩くことを意識していました。

そうすると、前によくつっていた太ももの内側がつらなくなりました。3、4ヶ月ぐらいしかやってないんですが、今でもそれが生きていて捻挫しなくなりました。

── メンテナンスはすればするだけちゃんと効果があるんですね。

齋藤 そうですね、ひとつひとつは本当にわずかなことなので、効果があるのかなと疑ってしまうんですが、継続すると効果を感じられるようになります。

── 体に負荷をかけないと、トレーニングの効果は感じられなかったりしますよね。あえて自分をそういう場所に追い込んで、体を見直すことはいい機会なのかもしれませんね。

齋藤 この縦走をしなかったら、そこまで自分の体を見ることはなかったと思います。

4日目。針ノ木岳から種池山荘に向かう稜線から黒部湖を見下ろす

── 装備だけでなく、体の準備もちゃんとされていたんですね。準備のことでお伺いしたいんですが、行動食でよかったものはありますか?

齋藤 ツルヤで購入したトレイルミックスです。ツルヤは長野県で人気のスーパーなんですが、オリジナル商品が結構あって、トレイルミックスはナッツとドライフルーツが入っていて、いろんな味が楽しめて食べやすいです。500mlのボトルに、それと柿の種を入れて持っていきました。

カロリーメイトも効率よくエネルギーを取れて腹持ちはいいんですが、水分を持っていかれるので、疲れているときは飲み込むのが大変でした。

── 喉越しのよいものがいいのでしょうか?

齋藤 喉越しがよいとなるとゼリーとかになりますが、それだと重いので、羊羹とかがいいのかなと思いました。

6日目。不帰キレットの先の天狗の大下りを前に、あれを登るのかとひるむ

── 軽量化で工夫したことはありますか?

齋藤 まずは、出発2週間前にテント泊縦走から小屋泊に切り替えたことです。食事に関しては、ドライフードやカレーメシの中身をジップロックに移して最低限の量にして、基本的には小屋での食事とお弁当を当てにしました。

ウェアは、アンダーウェアをファイントラックのドライレイヤーベーシックにしました。重さが45gと軽いので重宝しました。着替えは最低限の3日分だけ。それを着まわしました。

── ファイントラックのアンダーウェアは、重量以外の点での使い心地はいかがですか?

齋藤 すぐ乾きますね。水場で洗って、リュックにぶら下げて干しながら歩いてました。ズボンは替えの1本だけで合計2本。上はインナー3枚と半袖のTシャツを3枚で、水場があったら一気に洗っていました。

── 毎日早朝に小屋を出られていたということですが、早朝に小屋を出発する際に気をつけていたことはありますか?

齋藤 周囲の人を起こさないように、翌日の服に着替えて寝ていました。メガネ、モバイルバッテリー、お弁当以外は全てザックに入れておいて、起きたらそれらをザックに入れて出発できる状態にしておきました。

ヘッドランプは小屋内では電球色にして、人にまぶしさを感じさせないように気を遣いました。カサカサ音がするようなビニール袋は使わずに、基本的には全部ジップロックで済ませていました。パッキングも日に日に上手くなっていきました。

7日目。朝日小屋の名物女将、清水ゆかりさんと記念の1枚

── 縦走中に印象深い出会いはありましたか?

齋藤 蓮華岳の手前で、親不知から焼岳に向かって歩いてきた女性と出会いました。私がこれから歩く道を辿って来ていたので、登山道や水場の状況の情報交換が非常に参考になりました。テントを担いで10数日で焼岳を目指す勇気に、自分も頑張ろうと元気をいただきました。

私も最初は栂海新道から登ろうと思ったんです。でもあの標高差では体力が持たないと思って下りる方を選んだんですが、そこをテントを担いで上がって来られていてびっくりしました。1週間ぐらいで焼岳まで行くと言われていました。

結局途中で下りちゃったみたいですが、同志のような意識が生まれました。普段だったら話さないような年代のいろんな方と話せるのが山って面白いですよね。

朝日小屋では、最初に山に誘ってくれた同級生とその友達がカップラーメンとチャーシューとお酒を持ってきてくれて、一緒に飲みました。本人には言ってないんですが、すごくうれしくてちょっと泣きそうになりました。その同級生がいたからこの世界が見れたので、本当に感謝しかないです。

山の世界へ誘ってくれた友達からの差し入れに泣きそうになった7日目

── 縦走が終わる寂しさは感じられましたか?

齋藤 海が見え始めた辺りからもう終わりが近いなと思い始めて、今まで出会った人たちのこととか、話したこと、見た景色などを思い出しながら寂しくなっていました。

まだ見ぬ自分に出会う山

── 9日間という行程の長さは、数日の山行と圧倒的な違いがありますか?

齋藤 いつも山に登っているときは、下りたときの自分を想像しているんですが、8泊って想像できないんですよね。3日ぐらいだったら下りたときにゴールで感動するんだろうなとか、その程度は思いますが、8泊では全く想像できない自分が待っている感じになったんです。

行程の長さとは、そういう自分の想像を超えたものが生まれてくる気がします。体の変調では見たことのない自分も見れます。雪倉辺りでは、草花を見るだけで普段感じないような植物の生命を感じ始めたり、すごく頑張ってるなと思ったり。ちょっとおかしくなっている感じはしますけどね。

7日目。雪倉岳周辺のけなげな山野草の命に励まされる

── 体だけではなく心も変わっていくんですね。

齋藤 最後の方で鉄塔を見た時、久しぶりに文明の利器みたいなものを見て、現実の世界に戻ってきてしまったと思いました。もちろん山小屋にも電気は点いてはいるんですが、車の音とかが聞こえると、ちょっとびっくりしますよね。

── 何日ぐらいの山行からそういう心持ちになると思われますか? 今回はたまたま9日でしたが、何日目ぐらいからそんな自分になっていったと思われますか?

齋藤 4日目ぐらいからじゃないですかね。そのくらいから帰りたいという気持ちもありながら、続けたいという気持ちもあったりして、疲れもあるけど楽しくもなっていたりして。4日間ぐらい山の中にいると、文明から離れて、自然と一体とまでは行かないまでも、本当に自然を見るようになるんじゃないでしょうか。

8日目。朝日岳を越え、いよいよ栂海新道へ

── ご家族に9日間の計画を伝えられた時、心配はされなかったですか?

齋藤 妻からは本当に行くの?という反応で、肯定も否定もされませんでした。たぶんイメージが湧かなくて、返す言葉を失ったんでしょうね。

私には子どもが3人いまして、娘からは「気をつけてね」くらいだったんですが、高校3年生だった長男は事前準備の様子を見て、「めちゃ楽しそうだよね」と言っていて、帰ってきたときには「ひげ伸びたね、お疲れ様!すげー!」と言われました。

中1の次男とはよく一緒に山に行っていたので、どれだけきついか分かるのか、「本当にそれできんの?」みたいな感じでした。山に誘ってくれた友人からは「9日間⁈ それ遭難じゃん!」と笑われました。山に登る会社の先輩方とは、松本の居酒屋で報告会をして盛り上がりました。

── 報告会はどんな感じだったんですか?

齋藤 松本に、「さくら咲く」という山に登る人たちが集まる店があるんです。オーナーさんが涸沢ヒュッテで3年ぐらい働いてた方で、そこで報告会をやらせてもらいました。プロジェクターで写真を投影して、コースを辿りながら報告しました。

ちなみに、報告会に参加した会社の先輩方には縦走中にリアルタイムでも1日の報告を送っていました。私の縦走中は、先輩方もリアルタイムで登ってる気分だったと言っていました。

8日目。白鳥小屋から日本海を望む

── 最後に、人はなぜ山に登ると思われますか?

齋藤 山には無限の感動があると思っています。自然に笑いが出てきたり、涙が出てきたりと感情が溢れ出てくる機会は、なかなか得られるものではありません。今改めて思うと、いつもと違う感情が出てくるんじゃないかと期待して山に登っているところもあるのかもしれません。

自分はこんなことに感動するんだとか、いつもと違う自分を知ることができるという感じです。親不知海岸が見えたときは、勝手に涙が出てきて感情が高ぶっていました。その後に笑いが出てきたんです。何ともいえない、高校野球で甲子園が決まった瞬間と同じくらいの感情でした。

何が面白いのかも全然分からないんですけど、多分ここまで来た自分を褒めたいとか、よくこんなことをやってんなと自分を笑っているのかもしれないです。もう周りから見たら変な人ですよね。

9日目。ついに親不知海岸へ降り立つ

── 確かに、山には知らない自分を発見できる部分があるかもしれません。それが次の山に向かわせるのかもしれないですね。次の計画は立てられていたりするのでしょうか?

齋藤 今年は南アルプスの最南部の池口岳から、甲斐駒や仙丈の入り口の北沢峠までを7泊8日で歩こうと考えています。ただ南アルプスは、食事を提供していない山小屋が多かったり、水場がなかなか難しいんです。今度はテントを持って行くことにしました。

来年は中央アルプスを目指します。中央は4泊5日で、もうルートは作っています。でも、南も中央もほぼ1本しかルートがないんです。

北アルプスの魅力は、やっぱりルートを選べるところじゃないかなと思うんです。表銀座に裏銀座、奥黒部、いろんなところに登山口があっていろんな場所から山に入れたり下りられたりしますよね。だから北アルプスは何度も行きたくなるんじゃないのかなと。今年と来年で南と中央を歩いたら、多分また北アルプスに戻ると思います。

── 同じルートを歩きたいと思っている人へ、一言いただけますか?

齋藤 まずはイメージしながらルートを繋ぐことを楽しんで欲しいです。これほど楽しいものはなかなかないです。どこに水場があるのか、小屋があるのか、調べていると行きたい小屋もいっぱい出てくるので、楽しみがどんどん膨らんでいきます。

まずはルールなど決めずに単純にスタート地点とゴール地点を繋いでみる。自分でコースを動かしてみる。それが第一歩じゃないかなと思います。

日程:2025/8/30(土)〜9/7(日) 
登山口:上高地 下山口:親不知 
歩行距離:131.8km

行程
1日目 上高地〜槍ヶ岳山荘 
2日目 槍ヶ岳山荘〜野口五郎小屋
3日目 野口五郎小屋〜船窪小屋
4日目 船窪小屋〜種池山荘
5日目 種池山荘〜唐松山荘
6日目 唐松山荘〜白馬山荘
7日目 白馬山荘〜朝日小屋
8日目 朝日小屋〜白鳥小屋
9日目 白鳥小屋〜親不知海岸

***

地図上でルートをつなぎ、山でその答え合わせをする。その喜びが伝わってくるお話でした。どっぷり山に浸かって初めて感じ得る自分の体や心の変化。まだ見ぬ自分に出会えることも登山の魅力の一つなのかもしれません。知らない自分との出会いを求めて、齋藤さんのロングロングトレイルはまだまだ続きそうです。

齋藤雅義さんのアカウント
YAMAP:マサ

米村 奈穂

フリーライター

米村 奈穂

フリーライター

幼い頃より山岳部の顧問をしていた父親に連れられ山に入る。アウドドアーメーカー勤務や、九州・山口の山雑誌「季刊のぼろ」編集部を経て現職に。