圧倒的な山行日数を誇る山岳/アウトドアライターの高橋庄太郎さんが、知られざる【山の名・珍スポット】をご紹介。今回の舞台は北アルプス・船窪岳キャンプ指定地…の、なんと"水場"! 絶景に加えスリリングな水汲みが体験できるという、テント泊登山の穴場をお教えします。
高橋庄太郎の「いつかは行きたい!」山の名スポット、珍スポット #06/連載一覧はこちら
2020.07.28
高橋 庄太郎
山岳/アウトドアライター
「暗くなってからは行かないでください」。
水場へ向かうルートの入り口に、そんな看板が置かれた場所が北アルプスに存在する。北アルプス中央部、船窪岳キャンプ指定地(テント場)だ。僕はこれまで山中にある数百の水場を見てきたが、たしかにここは“危険度ナンバー1”。夜に水汲みに行こうとすれば、本当に事故を起こしてもおかしくはない水場なのである……。
ところで、登山中にいかに飲料水を確保するのかは、大きな問題だ。山全体が森で覆われているそれほど高くない山ならば、稜線上からでも沢水や湧水を汲みに行きやすいが、難しいのは森林限界を超えるような高山。例えば標高3,000m級の山々が立ち並ぶ北アルプスにある山小屋では、はるか遠くまでホースを延ばし、山腹から湧水をポンプで汲み上げたり、屋根に降った雨水を貯めた“天水”を飲み水に利用したりしているところは珍しくない。稜線上で湧水を得られる場所は想像以上に少なく、北アルプスの大半の山域では山小屋で水を買わなければ、登山が続けられないほどだ。
また、今年の山小屋は新型コロナウィルスの問題で、営業期間を大きく短縮したり、完全に営業を取りやめたりと、営業形式を大きく変えている。山小屋で水を買わなければ飲み水を確保できない場所では、それだけで登山が非常に困難になる。とくに数日かけて稜線上を歩く縦走スタイルの登山は非常に大変だ。だが、稜線上から簡単にアプローチできる水場を覚えておけば、新型コロナウィルスの問題というイレギュラーな状況下はもちろん、山小屋営業終了後の晩秋でも飲み水を得られるのだ。
さて、ここからが本題。まずは先に述べた船窪岳キャンプ指定地がどこにあるのか確認しよう。
以下の写真は、針ノ木岳付近から南側を見た様子で、ピンクの丸が船窪岳キャンプ指定地付近。巨大な北アルプスのなかでもいちばん東側の主稜線である後立山連峰の南部だ。
“船窪岳”キャンプ指定地といいながら、最寄りの山頂は七倉岳。船窪岳は少し離れているのがおもしろい。
七倉岳はあまり有名ではない山だが、この周辺からはすばらしい展望が得られる。針ノ木岳や蓮華岳に加え、立山連峰の眺めもすばらしい。そして、ここからは今回紹介する“水場”の雰囲気が少しはわかる。その水場がある“真っ白な斜面”が船窪岳方向を見たときに目に飛び込んでくるからだ。
七倉岳の直下には、船窪小屋がある。じつは以前からこの場所に立っていたわけではなく、以前はもっと船窪岳寄りだった。それを知ると、七倉岳が至近距離にありながら、船窪小屋という名前であるのもしっくりとくる。そして、その旧山小屋があった場所が、現在の船窪岳キャンプ指定地なのだ。小屋からは10分くらい離れていて、受付しに行くのは面倒なほど離れているが、ありがたいことに仮設トイレが置かれており、とても静かな雰囲気がすばらしい。じつはここ、僕のお勧めキャンプ地の筆頭格でもある。
件の“水場”は、このテント場の北側だ。看板の先に道が延び、稜線からわずかに斜面を下った場所にある。
では、“水汲みという冒険”に出ていこう。
テント場から水場への道は、ダケカンバなどが生い茂る森のなか。しかし数分も歩いていると崩れた斜面の真上に出る。遠くには台形型の立山がきれいに眺められる展望のよい場所だが、一歩間違えば滑落しかねない危ない場所でもある。
“水場”はこの下に位置する。年によって水が流れ出す場所(水を汲む位置)が変わるので、今年はどうなのかはわからないが、このときは上から見える場所にあった。
水場の位置は、数百mどころか1000m以上も下まで崩れていそうな斜面の上方。砂のような花崗岩の隙間から、水が流れ出している。この写真を撮った場所から、さらに下りていかねばならないので大変だ。
ハシゴさえ下ってしまえば、水場は目の前だ。だが足元が極端に悪い。足元の土や砂を崩しながら進んでいくと、花崗岩の隙間から水が出ているのが見えてくる。このときは雨どいのようなものを利用して、その水を汲みやすいように流していた。これが“水場”というわけだ。看板もないので、初めての人は一瞬、どこから水を汲めばいいのかわからないかもしれない。
この水場の水はキリリと冷たく、本当においしい! しかし流れ出した水によって足場は緩み、ますます崩れやすくなっている。バランスを取りながら水を汲むのは至難の業だ。
この水場はテント場から少し離れているので、何度も汲みに行くのは面倒だ。できれば複数の水筒やボトルを用意し、一度にたくさん汲んでおくといい。とくに夜になってから補充に行くのは危険極まるのだから。また、複数の水筒を使う場合、水を入れた水筒をうかつに地面に置くと、下まで転がっていき、回収不能になり兼ねない。面倒でも安全な場所までいったん置きに行かなければ、紛失必至だ。
僕は今のところ、この水場で事故が起きたとは聞いたことがない。だが、滑落とまではいかないとしても、きっと多くの人がここで何度も転び、ずり落ち、冷や汗をかいているに違いない。崖下に転がっていったボトルや水筒ならば、無数にあるはずだ。
この水場からは無事に水を汲んでこられるだけで“ミッション・コンプリート”という気持ちになれる。そんな水場は、ここ以外、日本には他にほとんどないだろう。
ところで、ある年の夏、僕はここでおもしろい登山者に出会った。詳しく話すと長くなるので、そのときの逸話を手短にお伝えしよう。
僕が水汲みを終えてテントの中でリラックスしているとき、若い登山者が船窪岳のテント場に到着した。かなり遠くから歩いてきたらしく、疲労困憊していたが、すでに受け付けは済ませてあり、あとはただ休めると思っていたようであった。しかし、水場のことを聞かれた僕が、その危険さを伝えたところ……。
“疲れ切った僕の足では滑落しそう、それならば面倒でも小屋までもう一度往復して水を買ってきたほうが安全で安心”というようなことを言い出したのだ。そこで僕は“小屋まで行くのは遠くて大変だし、水を買うとお金が必要。だけど、そこの水場ならタダ。若いんだから頑張って行ってきたら?”と話したのだが、どうしてもそんな水場には行きたくないというのだ。僕は続けて “小屋に払う水代の半分でもくれたら、僕が汲みに行ってきてあげるよ”と冗談をいうと、なんと“ぜひお願いします!”という言葉が!
そんなことがあり、僕はこの日だけで二度目の水汲みへ。若い人から本当にお金をもらうわけにいかず、もちろんサービスである。まあ、こうやって記事のネタにできるので、十分にモトはとっている気はするのだけど。
水を汲んでいるうちに水場はますます真っ白なガスで覆われていった。この急斜面は、どこまでも崩れているのがわかる、晴れたときのほうが怖いのか、下のほうがよくわからないこういう状況のほうが怖いのか? 僕の結論は“どっちでも怖い”である。
それにしても、なぜこの水場はこんなに危険な場所にあるのか?
この山域は北アルプスの中でも崩落が激しいことで知られる。近くにある燕岳や烏帽子岳のように風化しやすい花崗岩が主体であるのがひとつの原因だが、それに拍車をかけているのが真下にある高瀬ダムの存在だ。このダムができてから地下水位が上がり、地域一帯の岩盤の崩落が激しくなったといわれている。事実、七倉岳から船窪岳の間の登山道は崩れまくり、以前は登山道だった場所が丸ごと崩落してなくなったりしている。登山道が崩れきる前に別の場所へ付け替えをした場所も多い。そんな場所だから、水場のある斜面がどんどん崩れていっても、なんら不思議ではないのだ。
意外と知られていないが、このように崩落した岩石によって高瀬ダムは埋め尽くされつつあり、驚くほど浅くなっている。もはや壊滅的ともいえる状況になりつつあるのだ。これは非常に重大な環境問題であり、この件はいずれ改めて記事にしたいと考えている。
話を戻そう。
僕はこれまでにこの水場を何度も利用している。小屋閉め後の晩秋でも水を得られるので、シーズンオフに行くことも多い。しかしいつも思うのは、崩れやすい岩の斜面にあるため、状況が毎年異なっているということだ。今回ここで使用した写真はもはや過去の一例でしかなく、これからここへ行く人が見る水場はまた違う雰囲気になっているはずである。
さて、今年はもっと危険になっているのか、それとも拍子抜けするほど安全になっているのか? さらに再来年はどうなのか? そのあたりは、行ってみてからのお楽しみだ。もしもこれからますます斜面が崩落しても、水を汲めるような状態はいつまでも長く残ってほしい。
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