「しれとこ100平方メートル運動」の歴史と今、これからを紐解く|DOMO講演会レポート

世界遺産に認定され、希少な生態系を育む知床半島も、かつては乱開発の危機にさらされた歴史を持つ地域でした。1914年に始まった知床での開拓政策は社会の変化とともに終わりを迎え、1965年頃には残された開拓跡地にリゾート開発業者からの買い取りの手が伸びたのです。そんな知床で、原生の豊かな森を再生するために1977年から始まったのが「しれとこ100平方メートル運動」です。

YAMAPはこの運動を応援するために、循環型コミュニティポイント「DOMO」を活用した「知床の森をつくる in 北海道」プロジェクトを立ち上げ、2万人以上の方々から、約550万円に及ぶご支援をいただきました(2021年12月にプロジェクト終了)。この記事では運動のキーマンを招き、知床の歴史や現状、今後についてお聞きしたオンライン講演会の様子をお伝えします。

編集協力/庄司真美(EDIT for FUTURE)

2022.03.10

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

▼講演会の動画はこちら

(登壇者紹介)
斜里町役場 環境課長 南出康弘さん
公益財団法人 知床財団 保護管理部参事 中西将尚さん
公益財団法人 知床財団 自然復元係主任 草野雄二さん

(モデレーター)
YAMAP 代表 春山慶彦
YAMAP 小島慎太郎

|世界的にも稀有な、知床の豊かな自然

知床岬(左上)と、知床に生息する生き物たち

明治時代に始まった北海道の開拓・移民政策、それに続く高度成長期の乱開発の危機。近代化の波に翻弄されてきた知床半島は、1964年に国立公園に指定され、2005年には世界遺産にも登録されました。

そんな知床の自然の特徴について、「川・海・陸で生物の相互関係が原生的に残されているからこそ、豊かな生態系が実現している」と説明するのは、知床財団の草野さん。中でも、知床の生態系で重要な役割を果たすのは、毎年1月下旬頃にやって来る流氷だといいます。

流氷が起点となる、知床の生態系と食物連鎖の様子

草野「荘厳な流氷が望める漂着地として知られる知床ですが、流氷には植物プランクトンが張り付き、着岸して春先に爆発的に繁殖することで、それをエサとする動物プランクトンも増殖し、最終的にはオジロワシや鯨類のエサとなる食物連鎖に繋がっていきます。さらに知床はヒグマの生息地としても知られ、海で栄養を蓄えて川へ遡上するサケを食べにやって来ます。流氷はそうした陸上生物の命も支えているのです」

ところが、流氷に代表される希少な自然現象によって保たれていた生態系は今、エゾシカの増加によって危機的な状況にあるのだそうです。天敵であるオオカミの絶滅や気候変動による降雪量の減少など、その理由はさまざま。人間活動の影響で、知床の自然はかつてないスピードで変化しています。

知床半島で急増するエゾシカの群れ(左)、樹皮剥ぎをするエゾシカの様子(右)

知床の自然環境が大きく変化した要因のひとつに、1918年から始まった岩尾別の開拓が挙げられます。

当時はまともな道もなく、地層が岩盤のため井戸を掘るのさえ困難。トノサマバッタの大量発生などで開拓民が撤退したこともあったそうです。それでも断続的に開拓は進められ、自然はその姿を変えていきました。状況が大きく変わったのは昭和の中盤、1964年の国立公園指定です。

1964年に指定された知床国立公園(黄色エリア)と、岩尾別開拓跡地(赤色エリア)

国立公園内にある860haにおよぶ開拓跡地について、草野さんは当時の生活に思いを馳せます。

草野「開拓民たちは知床連山を背後に控えた過酷な環境下で、風衝地であることすらたくましく利用していました。櫓(やぐら)を建てて風車をつくり、風力発電を利用しながら生活していた痕跡が伺えます」

開拓された農地が放棄され、ササ地に変わっている様子

しかし時は流れ、離農後の開拓跡地は草原やササ地と化します。森があった場所では知床連山から吹き降ろす強風によって森林の更新は妨げられ、かろうじて芽生えた稚樹はエゾシカによって食べられて、自然の力で昔の姿に戻すことは難しい状況になってしまいました。

|イギリスのナショナルトラストをヒントに「しれとこ100平方メートル運動」が始動

生態系が豊かな知床本来の森のイメージ

高度成長期以降の知床が乱開発などから逃れ、自然環境が保護されてきた背景には、1963〜79年にわたって斜里町長だった藤谷豊氏が提唱した「しれとこ100平方メートル運動」が大きく関わっています。

この運動のヒントとなったのは、イギリス発祥の「ナショナル・トラスト運動」。これは、人々が出し合った会費や寄付金をもとに土地や建物を買い取ったり、寄贈を受けたりして、貴重な自然や歴史的価値のある建物などを保護し、次世代に残す活動です。

「しれとこ100平方メートル運動」は斜里町が主体となり、開拓跡地を知床本来の森に戻す活動として1977年に始まりました。当時、乱開発の波は知床にも例外なく押し寄せており、多くの土地が開発事業者に渡る可能性があったといいます。

知床への支援を呼びかけた結果、全国約5万人の支援者から20年間で約5億円もの寄付が集まりました。

その寄付金を元手に斜里町による土地の買収が進められ(2010年にはすべての開拓跡地の取得が完了)、1998年からは本格的に森林再生の活動がスタート。現在に至るまで活動は続けられています。森の再生は世代を超えた持続的な取り組みが必要です。今回、YAMAPではその一助になればと「DOMO」の仕組みを使い、「知床の森をつくる in 北海道」というプロジェクトの名のもとで、「しれとこ100平方メートル運動」を支援させていただきました。

岩尾別開拓跡地の農地だったエリアが、森へ遷移している様子が1974年(上)と2019年(下)の差から伺える

|「しれとこ100平方メートル運動」が目指す知床本来の森とは?

植樹対象地となるササ地・草地(黄色エリア)とアカエゾマツ造林地(赤色エリア)

「しれとこ100平方メートル運動」が実施する植樹の対象エリアとなるのは、岩尾別開拓跡地のササ地とアカエゾマツ造林地の2種類の土地。今までもこれらの土地では、知床で採取した種子を利用し、苗木を育て、植樹する活動が続けられてきました。

北海道では、一般的に、標高の低い場所は落葉広葉樹林、標高が高く寒い場所は針葉樹林となる傾向があります。一方、知床はそれとは異なるそう。「知床本来の森は、標高の低い場所から落葉広葉樹林と針葉樹林が混ざる“針広混交林”。私たちはその状態を目指し、森づくりをしています」と説明する草野さん。本来の森の姿に戻す難しさについても触れられました。

機械で人為的にササ地をかき起こし、他の植物が生育できるような環境をつくる

草野「ササ地では、根の深いササを掘り返し、あえてササを根から枯らせてから植樹を進めています。ササは密生しやすく、他の植物が生えなくなるという特徴があるため、人為的な植生の変換が必要です。一方、アカエゾマツ造林地はもっと複雑です。針葉樹のアカエゾマツと合わせて広葉樹のシラカンバ、ミズナラなどを約36万本植樹してきましたが、エゾシカの食害により消失。その対策として、アカエゾマツを間伐してギャップを人工的につくり、そこに落葉広葉樹を植えて防鹿用ネットで囲むという方法がとられています」

アカエゾマツ造林地の中に、自然攪乱を模した人為的なギャップをつくり、樹種多様な森を目指す

登山をされる方ならば、各地の山でシカの食害痕を見た人も多いのではないでしょうか。90年代後半頃から増加のピークを迎えたエゾシカによって、知床の希少な植生は大きな被害を受けたそうです。現在では被害の拡大を抑えるため、国によるシカの捕獲をはじめ、防鹿柵や樹皮保護ネットのほか、生態系を俯瞰的に捉えた上で実施する対策がとられています。

エゾシカの食害を防ぐために、防鹿柵や樹皮保護ネットで対策を行う

草野「知床の生態系は森や海、川の動植物が相互に深く関わり合っています。河川環境を豊かにすることは森づくりにとっても重要。そのため、今では見られなくなってしまったサクラマスを復元しようという取り組みもあわせて行っています。そのほか、『子どもたちが自然を愛するようになれば、未来はよりよいものになるはず』という想いから、知床をフィールドに環境教育やサマーキャンプも実施しています」

|「知床の森をつくる in 北海道」プロジェクトの活動内容について

講演会では、YAMAPの循環型コミュニティポイント「DOMO」の仕組みを利用した「知床の森をつくる in 北海道」プロジェクトで集まった資金の使い道についても、具体的にご紹介いただきました。

中西「対象地域内には、20箇所にシカの侵入を防ぐ防鹿柵があるんですが、そのうち、とくに柱の老朽化が激しい2箇所を市民ボランティアの協力を得ながら補修していきます。既にある木製の支柱の間に鉄柱を打ち込んで、あと30〜40年は使えるようにしたいと考えています」

防鹿柵の内側(左)と外側(右)で、シカの食害による植生への影響が顕著に現れる

防鹿柵の中と外の差は一目瞭然。防鹿柵の内側では苗木がすくすくと育ち、外ではせっかく樹の種子が飛んで来て苗が生えてきても、端から鹿に食べられてなくなっていることがわかります。この状況はあと10年以上続く見込みだと分析する中西さん。

中西さんはさらに、「人力で運べる中型の広葉樹の苗を、アカエゾマツを間伐したところに植えることで、多様な森を目指したい」と語ります。

植樹前2004年と、植樹後2019年のギャップの差がわかる(左)。ギャップに広葉樹の中型苗を植える作業の様子(右)

植樹前の2004年と植樹後の2019年のギャップを比べると、明らかに緑化していることがわかります。また、支援金は、森づくりの過程で発生する間伐材を有効利用し、遊歩道に敷くウッドチップにすることにも使われます。

今後、何百年もかかるプロジェクトのイメージを語る中西さんの言葉がとても印象的でした。

中西「何百年がかりの取り組みのため、常に森がどのように変わっていくかをイメージしています。将来、原生の森に戻る姿を今生きている私たちは誰も見ることはできないし、人はほんの小さなことしかできませんが、森がもとへ戻ろうとする再生産能力を最大限に活かしながら挑戦を続けていけたらと思います」

|「しれとこ100平方メートル運動」を長い間続けてこられた秘訣は?

具体的な活動内容が紹介された後、さまざまな方向から質問が飛び交いました。「自治体とパートナーが協力し、半世紀近く長続きする取り組みは珍しい」と感想を述べるYAMAP代表の春山。長く活動が続く要因はどこにあるのでしょうか? 多くの方の関心事だったこの点について、斜里町役場の南出さんほか、知床財団のお2人が答えます。

南出「そもそも知床財団は斜里町の出資で1988年に設立され、国立公園の解説普及などの事業を町と連携して手がけてきました。2002年には現在の名前に変え、100平方メートル運動地の現地管理、森林再生事業、企画調査は知床財団、統括運営は町というすみ分けで運営しています。また、町から知床財団に人員を派遣するなど、一蓮托生でやってきたことが長く続けてこられた要因ではないかと思います」

と、お話いただきました。次に、取り組みが長く続く理由としてお三方が挙げられたのが、支援者との関係づくりについてです。

南出「1977年にイギリスのナショナルトラストをヒントに『しれとこ100平方メートル運動』が始動した際、地域を超えて広く呼びかけ、『しれとこで夢を買いませんか』というキャッチフレーズを好意的に報道いただいたおかげで支援者が増えました。支援者には現地で実際に作業いただくほか、定期的な報告を続けることで関係が継続していくようにしてきたことも大きいです」

中西さんは「知床自然教室も40回を迎えていて、支援者のお子さんに受け継がれているケースも多くあります」と、子どもの頃に自然教室に参加した人が親になり、そのお子さんが同じく自然教室に参加するという事例も紹介してくださいました。なお、寄付者の7割はリピーターで、長年応援してくれている人がほとんどだそうです。

斜里町や知床財団のみなさんが取り組む「しれとこ100平方メートル運動」。自然環境という共有財産をいかに管理していくかという課題に、あらためてこの取り組みが大きなヒントや光になるのではないでしょうか。

YAMAPでは、DOMOを通じた寄付や登山企画だけでなく、より深く自然や森に関われる体験プロジェクトなどを通じて、知床を活性化させる企画を予定しています。

ぜひ今後もDOMOの活動に関心をもってシェアいただけたら幸いです!

|「知床の森をつくるin北海道」についてさらに詳しく知りたい方は…

今回の記事ではご紹介できなかった話を含め、講演会の模様を下記YouTubeにて配信しています。ぜひご覧ください。

▼講演会の動画はこちら

▼YAMAP「知床の森をつくるin北海道」プロジェクト
https://yamap.com/support-projects/133

▼斜里町ホームページ
https://www.town.shari.hokkaido.jp/

▼知床財団ホームページ
https://www.shiretoko.or.jp/

YAMAP MAGAZINE 編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。