関東周辺の人にとってはとても身近な存在ですが、奥多摩・奥武蔵の魅力には、ただ歩いているだけでは気づけない奥深さがあります。普段と少し目線をかえてみると、見慣れた山の新たな魅力に気づくはず。五感をフル活用して楽しむ「山歩きのポイント」を、奥多摩・奥秩父のおすすめコースとその背景にあるさまざまなトピックスとともにお届けします。ナビゲーターは、奥多摩・奥秩父を知り尽くした東京の低山マイスター、田畑伊織さん。第4回目は東京都最高峰の雲取山をご紹介します。
2020.01.27
田畑 伊織
かもしかの会東京代表・奥多摩植物誌調査プロジェクト世話人
初回は奥多摩奥秩父の概要、2〜3回目は奥多摩の山を紹介してきました。そして今回からはいよいよ奥秩父エリアについて。奥秩父エリアを代表する “森の山” として、「雲取山」についてお話します。東京都最高峰であり、百名山にも数えられる雲取山は、奥秩父の東の端に位置する、穏やかでしっとりとした女性的なイメージの山です。
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奥多摩の一番奥で、2000mを超える尾根を東西に50㎞つなぐ奥秩父主脈。その東の玄関口である雲取山は、なんといっても山頂からの展望が最大の魅力でしょう。南側には富士山がドンと構え、東側には筑波山から丹沢まで関東平野が見渡せます。日の出の時間には多摩川と荒川がキラキラと光り、東京湾から相模湾、その奥に房総半島が横たわっている。その手前に見える東京都心のビル群は、ここから見ると、ちょうど手乗りサイズです。反対の西側に振り向くと、南アルプスから奥秩父の山々など、大都市東京側とは真逆の、両腕を広げても収まりきらないありのままの大自然の眺め。ここに立つといつも「この先、どちらの風景の中に進む?」と、なにかに問われている感じがします。
標高2017mの雲取山は、2017年に百名山標高年の山として大ブームを起こしました。それをきっかけに、早朝に出発して日帰りで登る弾丸登山をする人が激増しましたが、ただ山頂に立つことだけを目的とした登山をしていると、山は使い捨てになってしまいます。魅力がたくさんある山なのに、それではもったいない。たくさんの山頂を踏むのも楽しいですが、同じ山に季節を変えて通う楽しさも、ぜひ味わってほしいと思います。
このコースは僕自身100回以上歩いていますが、いまだに毎回新しい発見があると言っても過言ではありません。季節がめぐるたびに気になって足を向けてしまう、そんな魅力の秘密を簡単にご紹介しましょう。
雲取山へのルートはいくつかありますが、全体の8割の人が利用するのが鴨沢コース。奥多摩湖沿いにある、山梨県丹波山村の鴨沢集落が登山口です。
鴨沢と雲取山山頂の標高差は約1400m。北アルプスでいえば、上高地から穂高稜線の標高差と同じくらいです。登り始めの標高が低く南斜面を登っていくので真夏はそこそこつらいのですが、冬は雪がつくのが遅いので、無雪期の山を長く楽しめます。また、風景や森の色づきに着目すると、春は登るにつれて季節が逆戻りするように芽吹きが浅くなり、秋はだんだんと冬に向けて季節が進んでいくようなタイムトリップ感が味わえます。
さらに標高差があることのメリットのひとつは、新緑も、花も、紅葉も、ある程度時期を外さなければ、必ずどこかで見ごろに出会えるということです。
たとえば桜の開花は、奥多摩湖畔で4月中旬から、山頂では6月上旬まで、種類の違う桜が咲き続けます。紅葉の見ごろは山頂付近で10月の中旬、奥多摩湖畔では11月いっぱい。
つまり、多少時期がずれても山頂までのどこかで見ごろを迎えているので、ピンポイントで当たらなくても、残念な思いをしなくて済むのです。これはなかなか嬉しいポイントです。
他にも、春の花の代表であるスミレは種類が豊富で、3月から6月中旬にかけて、20種類ほどのスミレが種類を代えながら、白やピンク、黄色、紫など、色とりどりに出迎えてくれます。またカエデも20種類ほどが生育しているので、色づきかたや形の違いを見ながら歩くのも楽しいと思います。
日本の気候は、寒い、涼しい、あたたかい、暑いの4つに大きく分類できます。自然科学的な言い方をすると、
・「亜寒帯」(寒い)
・「冷温帯、暖温帯(合わせて温帯)」(涼しい・あたたかい)
・「亜熱帯」(暑い)
という気候区分で大きく表現され、それぞれの気候帯に対応する植物が育つ森がつくられます。
日本全体を平面的に見れば、当然北に行くにつれて寒くなります。一方で、標高が100m上がると気温は約0.6℃下がるため、標高0mに近い東京都心と雲取山山頂とでは、平均気温が12℃近く違う計算になります。東京都心の年間平均気温は15℃ほどなので、雲取山頂付近では、年間平均気温が6℃を下回ることになります。
実際に雲取山山頂付近には、シラビソ・コメツガなどの森があります。これは、年平均気温6℃以下の寒い地域に育つ「常緑針葉樹林」の森で、東京から1000㎞近く北に水平移動した、北海道東部と同じタイプの森ということになります。つまり、東京で2000m垂直移動すると、北に1000km水平移動した場所にあるのと近い気候があり、そこにはその気候に応じた森(植生)があるということなのです。
実は東京都は、日本にある亜熱帯から亜寒帯までのすべての気候帯が揃っている、全国で唯一の都道府県です。厳密には、亜熱帯に含まれるのは伊豆諸島や小笠原などの諸島だけですが、東京都であることは間違いありません。東京都に亜高山帯のシラビソの森があることも含め、これは全国的にはあまり知られていないことかもしれません。
街から雲取山に向かっていくと、電車やバスの車窓からは多摩川沿いにシラカシなどのあたたかい地域の森が見え、山の麓につくころには涼しい地域の森に変わり、山頂付近では寒い地域の森と一通りみることができ、これが生き物や景観の多様性につながっているのです。
雲取山は、東京、埼玉、山梨の3つの都県境に位置します。山梨との県境を南にたどると「七ツ石山(1757m)」が、埼玉との県境を北にたどると「芋ノ木ドッケ(1946m)」が、それぞれ歩いて1時間ほどのところにそびえています。
七ツ石山は、山頂付近にある神社の裏に7つの大岩がある(本当に7つか数えてみて!)ことから名付けられたとも言われています。この岩は、黒っぽくて角ばったチャートという種類の岩です。
一方、芋ノ木ドッケには、白っぽい石灰岩がゴロゴロしています。
そして雲取山の山頂で足元を見ると、赤い石が転がっています。これは海底火山の噴出物が固まってできたもので、このあたりの登山道沿いでは雲取山頂付近で見つけることができます。
七ツ石山のチャート、芋ノ木ドッケの石灰岩、雲取山山頂の赤石。と、隣り合う3つのピークがまったく違う石でできているということこそ、「奥多摩・奥秩父エリアを最も象徴するトピックス」と言っても過言ではないのですが、少し話も長くなるので紹介はまたの機会としましょう。興味が湧いた方は、ぜひ現地で観察し、麓のビジターセンターなどで尋ねてみてください。
いずれにしても、日帰りなどといわず、足元の石ころや森の色を愛で、あたりの景色や空気を満喫して、じっくりとこのコースのよさを楽しんでください。ここは奥秩父の入り口、かつ世界に誇れる豊かな「東京の森」なのですから。
鴨沢から雲取山山頂への距離は12~13㎞。宿泊地の雲取山荘までだと片道14~15㎞を歩きます。距離が長い分道がなだらかで、特に技術的に難しいところや危険なところはなく、体力があって適切なスケジュールであれば、安心して登れる穏やかなコースです。
鴨沢コースは青梅街道のアスファルト道路から始まります。集落の裏側にある植林のスギ・ヒノキ林をひたすら1.5~2時間ほど歩くと水場がありますが、その付近に平らな場所があり、よく見ると石を組んだ炭焼き窯の跡があります。このあたりは昔燃料として使われていた、炭や薪をとるために人が手を入れていた山で、コナラやミズナラなどのどんぐりの木が多く生えています。
そこを過ぎてどんどん進み、七ツ石山の直下の巻き道あたりまで来ると、あたりはブナの森になります。このあたりは関東山地の自然がそのまま残された森です。場所としては山梨県ですが、明治時代に東京が土地を買い取って、水源林として管理してきました。今は東京都の飲料水は利根川水系がメインですが、高度成長期以前は、多摩川が東京の水を支える貴重な水源でした。江戸の町が栄えたのも、横浜が開港して異人街ができたのも、東京に人口が増えたのも、多摩川の飲み水があったことが理由のひとつといわれています。
七ツ石の巻き道を過ぎると、雲取山から奥多摩駅まで背骨のようにつながる石尾根になります。この尾根は山火事の類焼を防ぐために木を伐採した防火帯が続いていて、見晴らしのいい明るい尾根を、富士山を横に眺めながら歩きます。
防火帯沿いの森はカラマツの植林で、10月中下旬ごろは黄葉がとてもきれい。初夏にはお花畑が広がります。かつてはいろいろな種類の花があったのですが、現在残っているのはシカが食べない「マルバダケブキ」というキク科の花1種のみ。8月ごろには黄色の花を咲かせ、色とりどりの大型のチョウが蜜を吸いにやってきます。あたり一帯が黄色の花畑になり、思わず「ヒマワリ畑!?」という登山者もいます。大きくて丸い葉っぱは、春に芽吹いたときはレタスやキャベツのように丸まっていて、しだいに大きく葉を広げていきます。花が終わる秋には、タンポポの綿毛をずっと大きくしたような種をつけます。
雲取山山頂のまき道や、山頂から雲取山荘に降りていく北側の道は、シラビソやコメツガといった針葉樹の生える亜高山帯の森になります。シラビソはとてもいい香りのする木で、あたり一帯に針葉樹独特の、甘くさわやかな香りがプーンと漂ってきます。例えるならばジンの香り。五感を使って山を歩くと、その場所のよさをたくさん感じられるでしょう。
ここから奥秩父の奥にかけて2000m以上の場所は亜高山帯の常緑針葉樹の森が広がっていくわけですが、東京都に属するのは雲取山山頂周辺のわずかな範囲のみ。登山道の周りはコケに覆われていて、5、6月になるとバイカオウレンやオサバグサなど亜高山の花も咲きます。メボソムシクイやルリビタキ、時にはホシガラスやオコジョなど、亜高山〜高山の生き物たちも姿を現します。
宿泊地は雲取山の北面にある雲取山荘で。ここは奥秩父の稜線部では唯一、通年営業している小屋です。
2日目のコース取りはいろいろあります。来た道をそのまま戻るのでもいいし、南側に下ったところにある「三条の湯」を目的にするのもいいでしょう。石尾根を縦走し、奥多摩駅に降りるという手もあります。
最も一般的なのは、秩父の三峰方面に抜ける縦走ルート。三峰には、オオカミ信仰の本拠地で、近年パワースポットとしても有名な三峰神社があります。入浴施設や飲食店もある大きな神社で、観光地としても大変人気があります。三峰までは結構アップダウンがありますが、ゆっくり注意深く見ていくと珍しい野草が次々に現れるすてきな道です。西武線西武秩父駅までのバスは本数に限りがあるので、時間に余裕を持った計画・下山をしてください。
12月からは軽アイゼン必携。本格的な積雪は近年は年が明けてからですが、3月まではドカ雪で膝上まで積もることも年に数回あります。最も注意が必要なのは、都心でサクラが開花する頃。春のつもりで登ってきても、山頂付近はまだ冬景色。特に北斜面の登山道は積雪が溶けてツルツルの凍結道になっていることがしばしばあり、ゴールデンウィークが終わるまでは軽アイゼンは手放せません。
【※】2020年1月27日現在、本記事で紹介した登山コース周辺は、台風19号の影響により一部被害が発生しています。当エリアへの登山を検討する際は、事前に登山道情報のご確認をお願いします。
■ 登山道情報
雲取山荘HP
七ツ石小屋HP 雲取登山の注意点
取材・文:小川郁代
トップ画像:まゆえみさんの活動日記より