関東周辺の人にとってはとても身近な存在ですが、奥多摩・奥武蔵の魅力には、ただ歩いているだけでは気づけない奥深さがあります。普段と少し目線をかえてみると、見慣れた山の新たな魅力に気づくはず。五感をフル活用して楽しむ「山歩きのポイント」を、奥多摩・奥秩父のおすすめコースとその背景にあるさまざまなトピックスとともにお届けします。ナビゲーターは、奥多摩・奥秩父を知り尽くした東京の低山マイスター、田畑伊織さん。初回は同エリアの概論を中心に、西沢渓谷周遊コースを紹介していきます。
2019.11.26
田畑 伊織
かもしかの会東京代表・奥多摩植物誌調査プロジェクト世話人
関東近郊に住んでいて自然や登山、山歩きに興味がある人なら、奥多摩・奥秩父という山域はだれもが知っているなじみのある地域です。東京の人にとっては裏山的な存在と言えるでしょう。しかし全国的にみると、はたしてどれくらいの認知度があるものなのでしょうか。
両神山(1723m)、雲取山(2017m)、甲武信ヶ岳(2475m)、金峰山(2599m)、瑞牆山(2230m)、大菩薩嶺(2057m)。奥多摩・奥秩父には6座の百名山がありますが、それぞれの山は知っていても、それらが奥多摩・奥秩父に位置するということはあまり意識されないように思います。エリアとしてはあまり派手さのないところなので、特に地方の方たちにはそれほどなじみがないのかもしれません。
そこで、問題です。
Q1. 富士山、日本アルプス、八ヶ岳に次いで高い山域はどこ?
Q2. 東日本で一番高い山はどこ?
Q3. 日本で一番長い川の水源はどこにある?
じつは3問とも、答えはすべて奥多摩・奥秩父の中にあります。そう、このクイズは奥多摩・奥秩父の魅力に迫るためのもの。これから10回にわたってこのエリアの魅力をさまざまな視点から紹介していきますが、初回のテーマとして、まずは奥多摩・奥秩父がどういうところなのかを、クイズの答えを導きながら紹介していくことにします。
奥多摩・奥秩父の山域は、地域的には東京、埼玉、山梨、群馬、長野の1都4県をまたぐエリアです。地理的にいえば、奥秩父は、丹沢山地を除く関東山地そのもの。奥多摩は、関東山地が海に向かってだんだんと標高を下げていき、関東平野とぶつかるところ、つまり関東山地の東の端に位置します。
山域の名前というのは実は俗称のようなもので、例えば北アルプスは地図上では飛騨山脈、南アルプスは赤石山脈というのが正式な名前です。奥多摩とか奥秩父という呼び名も同じく、「多摩の奥」、「秩父の奥」という意味で呼ばれ始めたもので、その範囲もだいたいこのあたり……というモヤっとした認識でしかありません。当然ながら、奥多摩と奥秩父の境も明確な区切りはありません。奥多摩は町や駅の名前にもなっていますが、秩父駅はあっても奥秩父駅はない。都心により近く交通の便も良いことから、知名度的には奥多摩のほうが少し上でしょう。
関東山地は、八ヶ岳よりも広い範囲に及ぶ、首都圏にもっとも近い一大森林地帯です。標高の高い山岳地帯で、北、南、中央の日本アルプス、八ヶ岳に次ぐ高さ。したがって、「Q1. 富士山、日本アルプス、八ヶ岳に次いで高い山域はどこ?」の答えは、「関東山地」。しかもその中には奥多摩・奥秩父エリアがすっぽり入っているのです。奥多摩・奥秩父と聞くと、多くの人が樹林歩きをイメージするかもしれませんが、じつはアルプスの山々や八ヶ岳連峰の次に高い山域なんですね。
そしてなんと、東日本一高い山も、このエリアにあります。どこからどこまでを東日本と考えるかによって結果が変わりますが、関東山地を東日本に含めて考えると、北奥千丈岳(2601m)が東日本一高い山になるのです。
奥秩父の主脈から外れていることや、日本三百名山・山梨百名山として知られる国師ケ岳(2592m)の一角とも見られることから、知名度はそれほど高くありませんが、この北奥千丈岳こそが奥秩父最高峰であり、東日本最高峰なのです。北奥千丈岳山頂付近の眺望は抜群で、八ヶ岳から南アルプス、中央アルプスなどを見渡すことができます。
というわけで、「Q2. 東日本で一番高い山はどこ?」の答えは、北奥千丈岳になります。
このエリアの多くは、日本に現在34カ所ある国立公園のひとつ「秩父多摩甲斐国立公園」に含まれます。2020年に70周年を迎える歴史ある国立公園です。
日本には世界の活火山の約1割にあたる、100以上の活火山がありますが、「秩父多摩甲斐国立公園」には火山がありません。国立公園は日本を代表する美しい自然景観があるところが指定されるため、多くは富士箱根伊豆や阿蘇などのように火山地形の場所にあるのですが、山岳地帯の国立公園で火山がないというのは、このエリアの大きな特徴といえるでしょう。
火山がないということは、大げさにいえば「地面の下に、日本列島がどうやってできたかという歴史が詰まっている」ということ。長い年月の間に海の底に積もったものが、地上に盛り上がってきて、それが雨風に削られていくうちに、地層の硬い部分が残ってピークができるという、この土地の成り立ちの歴史が、地層・地形という風景の骨格として目に見えているのです。
また、噴火によってできた火山は、富士山のように遠くからでも麓からピークまでがはっきりわかることが多いのですが、 奥多摩や奥秩父の山は、高低差の少ないなだらかな尾根のなかにピークがあるので、それぞれが連続していて遠くから見分けづらいのが特徴です。
山としてはかなり古く、水の流れで長年しっかりと削られたV字の深い谷が多くみられます。年月を経て地形も比較的落ち着いているので、山域全体、特に沢沿いにも美しい森林がみられます。すぐお隣の神奈川県の丹沢山地は、地質も違いますが成り立ちがずっと新しい山なので、まだ地形が落ち着いていなくてザラザラと崩れやすいのが特徴。そのため特に沢沿いの森は、奥多摩や奥秩父ほどは発達していません。さほど離れていない場所ですが、対照的な環境になっています。
火山の山は土壌の発達が悪く、ザルのように水が抜けてしまうので、標高の高い場所で水が取れることはほとんどありませんが、奥秩父は土壌や植生が豊かで山が多くの水を蓄えていて、比較的標高の高いところにいくつもの川の水源が存在します。
代表的な川は、多摩川、荒川、富士川、信濃川の4つ。多摩川は山梨県の笠取山(1953m)山頂直下の「水干」というところを水源に、138㎞を流れて羽田沖まで続きます。荒川は、甲武信ケ岳の北側にある「真の沢」から埼玉県を流れて、同じく東京湾へ。日本三大急流の一つ、富士川の水源の一つともいえる支流笛吹川の水源も甲武信ケ岳の南側にあり、甲州盆地を通って駿河湾へと流れます。そして、「Q3. 日本で一番長い川の水源はどこにある?」の答えに関わる部分ですが、上流では千曲川と名前を変える日本一長い川、信濃川の水源もやはり甲武信ケ岳の北側にあり、長野、新潟を経て遠く日本海に流れ込みます。首都圏や大稲作地帯を潤す最初の一滴が、奥秩父の山から今この瞬間も生まれているのです。
奥秩父の盟主甲武信ヶ岳は、甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野 )の境に位置することからこう名付けられたのですが、富士川、荒川、信濃川と、それぞれの地域を流れる代表的な川の、3つの水源が集まっている場所でもあるのです。明治・大正期より、沢登りのメッカとして親しまれているのもうなずけます。
奥秩父に数ある峠のなかでも特に有名なのが、雁坂峠。奥秩父の主脈を東西に繋ぐ代表的な縦走路、雲取山と金峰山をつなぐルートのちょうど中間あたりにある、日本三大峠のひとつで、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷征伐の時に越えたという伝説もある歴史のある峠です。
奥秩父は、この雁坂峠を境に大きく東西に分けることができます。
先ほど奥多摩・奥秩父の特徴として「海の底に堆積したものが持ち上がってできた山」と説明しましたが、それは、主に雁坂峠よりも東のエリアのこと。西側は、「地下の深いところでマグマが冷えてできた岩石が持ち上がってできた山」で、成り立ち方が大きく違います。
その違いは景色にもはっきりと現れます。
たとえば西のエリアにある、甲武信ケ岳の近くに、東沢という沢登りで大人気のルートがあるのですが、ここは沢がとても明るいのが特徴です。この辺りの山が、白っぽくてきれいな「花崗閃緑岩」という岩でできているからで、谷も開けていて開放的な雰囲気があります。墓石によく使われる御影石と近い性質の岩なので、どんな色かがイメージできると思います。
一方、雁坂峠より東側にある奥多摩や埼玉県側の沢は、泥や砂が固まってできた黒っぽい岩で、谷も深く苔むしていて、ひっそりと幻想的な雰囲気があります。
また、山容も西のエリアは比較的険しく、東のエリアは比較的穏やかな雰囲気があり、峠の東と西で対照的な景色を見ることができるのも、この地域のおもしろいところです。
このように奥多摩・奥秩父は、全国的に見てもトピックスが決して少ないエリアではないのですが、アルプスのように、山頂に近づくにつれ岩稜が広がるアルパイン的なダイナミックさはなく、最後までずっと深い森の中を歩くスタイルは、地味なイメージがあるかもしれません。また、例えば屋久杉とか槍ヶ岳のような、その土地ならではの全国的に知名度の高いランドマークなどがあるわけではないため、大雑把にいうなら、「あまり捉えどころのない」山域とも定義できます。
けれども限られたエリアの中にたいていの山の楽しみが揃っていて、深い森と豊かな水が、首都圏のこんなに近くで楽しめるのはとても魅力的だと思いませんか? ぜひ皆さんにも、通好みで隠れファンが多く、知れば知るほど奥深い、このエリアの魅力を感じていただきたいと思います。
A1. 関東山地
A2. 北奥千丈岳
A3. 甲武信ヶ岳の北側
これから毎回テーマに合わせておすすめのコース紹介をしていきます。今回は手始めに、このエリアの名刺代わりとして、奥秩父の有名な観光地、西沢渓谷を紹介します。
前半は美しい広葉樹の森の中を流れる渓谷や滝を間近に、後半は70年代まで活躍した森林軌道跡を辿る、歩きやすい遊歩道を周回するコース。3時間くらいで気軽に奥秩父の山の雰囲気が味わえます。周辺には温泉や果物狩りができるところもあり、紅葉や新緑のシーズンはかなり混雑します(冬季は凍結のため、基本的におすすめしません)が、深い森林と豊かな渓谷や滝のある、この地域の特徴がよく現れたところだと思います。
混雑時は周回路が一方通行になるのですが、大きな荷物を背負って逆走してくる登山者とすれ違うことがあるでしょう。というのも、ここは奥秩父の重要な登山の拠点で、複数のルートの登山口になっているため、多くの登山者が山から下りてくる場所なのです。
そんなとき、ぜひその人たちの「顔」に注目してみてください。一般的な登山コースだけでなく、バリエーションルートの鶏冠山に登った人や、一般登山者は立ち入り禁止の東沢で沢登りをした人、瑞牆や金峰山から縦走してきた人など、きっとどの顔も生き生きしているはずです。彼らの表情を見れば、奥秩父のすばらしさ、バラエティに富んだ楽しみ方をさせてくれる懐の深さを感じてもらえるのではないかと思います。
渓谷を歩くだけでは物足りないなら、1日かけて黒金山まで足を延ばすのもおすすめ。山頂北側のガレ場(山頂標柱から北に藪を分けて少し進む)に、とても景色のいい場所があります。目線より上に、水源を取り巻く奥秩父主脈の核心部の山々が屏風のように広がる景色は、一見に値します。このコースから黒金山に登る人は多くないので、静かな山歩きを堪能できるでしょう。西沢渓谷の最も奥から、標高差のある急登を往復する登りごたえのあるコースになるので、余裕を持って朝早く出発してください。
【※】 台風19号による被害の影響で、2019年11月26日現在、黒金山コースは通行の確認が取れていません。
お出かけになる際は、あらかじめ確認ください。
取材・文:小川郁代
トップ画像:かみけんさんの活動日記より