山道を歩いていると、ふと足元にかわいらしいお花。そんなとき花の名前や特徴を知っていると、山歩きの楽しさがぐんっと広がります。特に春〜初夏にかけては山でもたくさんの花や野草が見られる季節。そこで、花の図鑑などの編集を手がけるライターの池田菜津美さん、植物に関する著作の多い多田多恵子先生(監修)に、ハイキング&山歩きで見られる「春の花」「春の野草」を教えていただきました。さて、あなたの知っている植物はいくつあるでしょうか?
2020.05.26
池田 菜津美
ライター
片栗
ユリ科カタクリ属
花期/3〜5月
芽吹いて間もない新緑の森で、うつむきがちな淡い赤紫色の花を咲かせる。春の訪れを感じさせる花といえば、カタクリを思う人は多いはず。早春(春本番までの短期間)に地上に姿を現す花を「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と呼びますが、その代表的な種類がカタクリです。花は、ほんの2週間ほどの間に一斉に咲いたあと、種子と地中の球根を残して、来春まで「ぐっすりおやすみなさい」。まさに春の短い期間にだけ活動する「春の妖精」です。
奥多摩の御前山や、新潟県の坂戸山、栃木県の三毳山などは、斜面を淡い赤紫色の花が覆い、見事な群生を観賞することができます。
ところで、カタクリが群れて咲くのは、その種を運んでくれるのが小さなアリンコだから。種にはアリの大好物のゼリーがくっついていて、せっせと巣まで運んだり、途中で落っことしたりと、カタクリの子たちを周囲に広げてくれているのですね。
一輪草・二輪草
キンポウゲ科イチリンソウ属
花期/ともに4〜5月
繊細な葉っぱの上に、細い花茎を伸ばして白い花をつけるイチリンソウとニリンソウ。緑の絨毯の上に、ポツポツと可憐な花が浮かび上がる様子は、春の森を一層清らかに仕上げます。じつはこの白い花びら、「萼(がく)」という部分で、本当の花びらではないんです。萼は花を支える緑色の部分のことで、普通は花びらの下側にあって目立ちません。この部分が大きく白くなって、花びらみたいになっちゃったのだから、おもしろいです。
さて、イチリンソウとニリンソウ、それぞれその名前の通り、花茎を1本伸ばして1輪咲くのがイチリンソウ、2輪咲くのがニリンソウ…とは限りません。イチリンソウは大きめの花をきまって1輪だけ咲かせますが、ニリンソウは2輪や3輪の花やつぼみをつけて結構気まぐれ。出会ったら、何輪咲いているか数えてみてくださいね。
猩々袴
シュロソウ科ショウジョウバカマ属
花期/4〜5月
ピンク色の花びらはひらひらで、とっても華やかな印象の花です。ショウジョウは「猩々」と書き、猿に似た想像上の動物で酒好きと言われています。ほろ酔い姿の猩々は、緑色の葉っぱを袴のように広げています。この袴の先っぽをよく見てください。小さな子苗の「ミニ袴」がついていることがあります。低山では早春の花で、水が滴る苔むしたような場所に咲きますが、高い山では夏が近づいてようやく雪田の雪が解けたところなどに咲いているのを見かけます。
雪の舌、雪の下
ユキノシタ科ユキノシタ属
花期/5〜6月
5〜6月の初夏に咲く花なのに「ユキノシタ」とはこれいかに。名の由来は雪の下でも葉が枯れないとか、葉っぱの白い斑点を雪に見立てたとか、風が吹くと2枚の花びらがちろちろと揺れるようすから「雪の舌」とか、いろいろあってはっきりしないそうです。茎の先に、2cmほどの小さな花をたくさん咲かせます。花の形は変わっていて、ピンクの冠と白いスカートがとってもキュート。
この白いスカートは、蜜を吸いに来た小さいハチがしがみつくのにちょうどよく作られているんだそうです。古くは薬草として人家の近くに植えられていたことから、石垣や人家の庭などでもよく見られます。今でも園芸植物として人気のある花です。
山猫の目草
ユキノシタ科ネコノメソウ属
花期/4〜5月
この仲間の花は、ほんとにほんとに小さな花なので、目をこらして探さないと見つけられないかも。でも、ぱっと開いた葉っぱに囲まれた黄色い花が、とってもかわいらしいんです。
ネコノメソウという名前は実の形からつけられました。名前に何もつかない「ネコノメソウ」という種は、実が裂けると猫の目のような形になり、中には茶色い種がぎっしり並んで、猫の細い瞳にそっくりなんです。一方、このヤマネコノメソウは瞳孔がぱっちりひらいた夜間の猫の瞳みたい。それにしても、花が終わったあとの実が名前の由来なんて、やっぱり相当見つけにくいのかも。
甘野老
キジカクシ科アマドコロ属
花期/5〜6月
クリーム色から薄緑色のグラデーションが、なんともシックな色合いの山野草です。ピンク色や紫色の、華やかな花もすてきですが、こういった渋い花もすてきです。花を2個ずつつけ、小さなベルを並べたような姿もかわいらしい。ベルにはマルハナバチがぶら下がって、蜜を集めて花粉を運んでくれるそうです。ようやく訪れた春、花から花へと虫たちは大忙し。じっと観察していれば、ハチが器用にぶら下がっているようすを見られるかも。
一人静
センリョウ科チャラン属
花期/4〜5月
4枚の葉っぱは、両腕を伸ばして一生懸命にバンザイしているよう。木漏れ日が少し入る薄暗い林でひっそりと咲く花で、健気な姿に愛おしさを感じます。
咲き出たばかりのころの背丈は10cmたらず。そのてっぺんに集まって咲く白い花をよく見てみると、白い紐のようなものがたくさん出ています。この白い紐の正体は、おしべの一部が変化したもの。この花には花びらも萼もなく、見れば見るほど、不思議な形をしています。
ちなみに、花を2〜3本つけるフタリシズカという植物もあり、こちらのおしべは白い紐ではなく、丸っこいタカラガイのような形です。
蝮草
サトイモ科テンナンショウ属
花期/4〜6月
たくさんつけた朱色の実も秋の林床でよく目立ちますが、その花も一度見たら忘れない奇妙な姿。すっと伸びた茎の上に細長い壺。それはまるで食虫植物のような姿ですが、マムシグサの壺は虫を食べたりはしません。が、この中に虫を呼び込むという点では同じです。
マムシグサの花を見つけたら、壺と茎の境目をよく見てください。小さな穴があったらオスの株です。この小さな穴は壺から虫が脱出するための抜け穴。花が出すキノコのにおいに誘われて、壺の中に入った虫は花粉をつけて小さな穴から脱出し、メスの株へと花粉を運ぶというしくみだそうです。よく考えられていますよね。植物の知恵に脱帽です。
九輪草
サクラソウ科サクラソウ属
花期/5〜6月
水辺や湿地など、水っぽい場所で見かける植物で、日光の千手ヶ浜や、兵庫県のちくさ湿原などの群生地が有名です。長い花茎を伸ばして、緋色〜濃いピンク色の花の冠を段々になってつけているので、目立つし覚えやすい花です。
最近、YAMAPの活動日記を読んでいると、「クリンソウを保護しているのかな?」「クリンソウが増えた気がする!」という声がちらほら。じつは、他の植物が減って少なくなって、クリンソウだけが残って増えているのです。
その原因はシカ。クリンソウはシカにとっては有毒な植物で、食べ残されて増殖しているんだそうです。こんなにきれいな花が増えているのに、うれしいような困ったような。複雑な気持ちです。
水芭蕉
サトイモ科ミズバショウ属
花期/5〜7月
ミズバショウは「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」という歌から、夏の花だと思われがちですが、雪解けと共に咲く春の花です。標高の低いところでは4月から開花します。
ところで、ミズバショウの花はどこにあるでしょう。白い部分は葉っぱが変形した仏炎苞というもので、花びらではないんです。正解は、真ん中のトウモロコシのような部分にくっついた、小さなプツプツたち。がくも花びらもない小さな花が集まって咲いているんです。
花が終わると葉がぐんぐん伸びて、トウモロコシの部分も緑色に熟した実の集まりになります。これがクマたちの大好物だそうで、ミズバショウの群生が踏み荒らされているのを見かけたことがあります。花が終わったあとの巨大化したミズバショウは、清楚な白い花と同一人物とは思えない姿をしていますが、青々とした葉っぱが茂るようすは初夏の湿原らしくて大好きです。
銀竜草
ツツジ科ギンリョウソウ属
花期/5〜8月
真っ白な体に、紫色の大きな目玉がひとつ。幽霊のような、妖怪のような、はたまたSF小説に出てくる植物のような。ちょっと変わった見た目ですが、れっきとした植物です。
体が真っ白な理由は、葉緑体がないから。光合成をしないので、普通の植物のように栄養をつくって自活できません。どうやって栄養を得ているかというと、キノコの菌からいただいているそうです。花が終わると紫色の目玉の奥に丸い実が白く熟すのですが、この実は森にすむゴキブリやカマドウマが食べて、種を運んでいるのだとか。植物界きっての不思議ちゃんですが、よくよく見ると、半透明の花びらに、退化した鱗片状の葉っぱなど、繊細で美しいつくりです。
監修
多田多恵子
東京大学大学院博士課程修了、理学博士。現在、早稲田大学・立教大学・東京農工大学・国際基督教大学非常勤講師。植物の繁殖戦略、虫や動物との相互関係などを調べている。NHKラジオ子ども科学電話相談や観察会など啓発活動にも力を注いでいる。近著に『したたかな植物たち・春夏篇』『同左・秋冬篇』(筑摩書房)、『美しき小さな雑草の花図鑑』(山と溪谷社)など多数。