「山は日常の一部」登山家ならぬ歩山家!?大橋未歩アナの超自然派な素顔に迫る

テレビ東京の“顔”として活躍後、フリーランスに転向したアナウンサーの大橋未歩さん。アナウンサーとしてキャリアを重ねる都会的なイメ−ジとは一転、自然を愛し、登山愛好家の一面を持つ大橋さんによる新連載がこのほどYAMAP MAGAGINEでスタートします!ということで連載始動に先駆けて、ご本人を直撃。そこには、自然に溶け込むように調和したいと願う大橋さんの素顔がありました。

大橋未歩さんインタビュー前編
後編記事:山オタクの夫と聖地JMTに挑戦! 大橋未歩流ノーストイック登山とは?

2020.07.17

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

登山口近くで育った幼少時代、山は一番楽しい遊び場

ー大橋さんが山や自然、登山に興味を持つようになった原体験について教えてください。

大橋:私は神戸・須磨区出身で、実家のマンションのとなりに登山口があったんです。だから登山は趣味というよりも、子どもの頃から山自体が日常の一部でした。

小さい頃はよく、祖父に山で遊んでもらいました。祖父母の自宅近くに須磨アルプスの板宿八幡神社登山口があって、そこからよく祖父と山を登っていました。登山口に丈夫そうな枝がたくさん置かれていて、その中から祖父が私の背丈にぴったりの枝を選んでくれるんです。それが私のストックになります。いつも不思議と握りやすくて、そんな1本を選んでくれる祖父を信頼していました。私にとって山は日常の記憶として身体に浸透しているんです。

ーInstagramでも幼い頃、山で“別世界”ごっこをして遊んでいたという投稿を拝見しました。

大橋:山に『別世界』と名付けていたんです(笑)。世代的にゲームで遊ぶことももちろんありましたけど、当時は山で遊ぶのが一番楽しかったですね。山って遊び場として無限大なんです。たとえば木登りをしたり、階段を作りたいと思ったら土を掘れば階段ができたり。楠のツルでターザンごっこをしたのもいい思い出です。

それから枯れ木などを組み合わせて基地を作ったこともあるし、ヤマモモの実もしょっちゅう食べていました。もちろん、木の実を揃えておままごともしましたね。山にはあらゆるものが揃っているからなんでもできて、それがすごく楽しかった記憶があります。

多忙な局アナ時代の葛藤、不測の病をきっかけに自然への原点回帰

ーそもそもオリンピックに行きたくてアナウンサーを目指したという大橋さんですが、社会人になってから早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科で学んでいます。スポーツをアカデミックに学びたいと思った理由は何でしたか?

大橋:スポーツニュースをずっと担当してきて、その役回りが後輩に変わったことで時間に余裕ができたこともありますが、焦りもあったんじゃないかと思います。もちろん、業界的にもスポーツニュースである程度キャリアを積んだら、若いアナウンサーにバトンタッチするのが慣例なので納得はしていたのですが、これまで学んだことはたくさんあったのに、年齢だけで区切られるのは不自然だなとも思ったんです。そこで、別のかたちでスポーツと付き合っていきたいと思ったのが学ぶきっかけでした。

ー数あるスポーツの中で、大橋さんが登山に惹かれる理由は何ですか?

大橋:たとえば、光の射し方、小川によって削られた石のかたちなど、自然は一瞬たりとも同じ瞬間がありません。風や太陽とともに変化していくのが自然です。だからこそ登山は飽きないし、おもしろいなと思います。

実は私、飽きっぽい性格なんです。でも、自然は緑の色ひとつとっても季節によって全然違って、見ていて飽きません。体を動かすのが好きなので、以前はヨガなどにもトライしたのですが、どうしても室内だと飽きてしまって、スタジオの会員になったもののすぐに解約して、外を走るようになりました。

ーテレビ東京でアナウンサーとして活躍した後、独立して今に至りますが、登山は趣味としてずっと続けてきたのですか?

大橋:全然です(笑)。局アナ時代はずっと働きづめで忙しかったこともあって、登山に行く機会はなかなかありませんでしたね。久々に登ったのは、7年前に脳梗塞のために会社を休んで実家で療養したときのことです。地元の須磨浦公園から久しぶりに登りました。

ー病気をきっかけに原点回帰したわけですね。

大橋:そうですね。自分の体が悲鳴を上げたことをきっかけに、自分の人生やこれまでの生活リズムを見直すきっかけにもなりました。それから当たり前のことなんですが、生命ってすごいなと改めて思わされましたね。

提供:大橋未歩/原点回帰後はオフを利用して山登りを楽しむように

脳梗塞になった直後、脳の細胞が4カ所壊死して体が麻痺したのですが、なんと15分後には再び元どおりに動けるようになったんです。壊死した部分は元には戻らないのに、ほかの生きている細胞が死んだ部分の機能を代替してくれて動けるようになったということを先生から聞いて感動したんです。私たち人間に備わっている生きる力ってすごいなと。生命の偉大さに驚かされました。

その命の営みを、植物も当たり前にやっているんですよね。そのことに改めて気づいたというか。
療養中の春先に、ふと木々のつぼみを眺めていたら、まだ寒いうちにこうして養分をためて、やがて春になって花を咲かせるまで待つんだなという、命をつなぐ自然の営みにいたく感動してしまって。長期間会社を休んで療養しているから、余計心に沁みちゃったんだと思いますが(笑)

脳梗塞を乗り越え、自分に正直な生き方へシフト

ー病気を機に多忙なライフスタイルから一転、長期休養に突入し、それまでの生活とのギャップが大きかったと思いますが、ご自身の中で何か変化はありましたか?

大橋:自分がいなくても会社も社会も回るという事実を突きつけられましたね。そしてその当たり前のことを忘れていたなということにも気づかされました。

もちろん会社は人材を大事にしてくれますし、「君の代わりはいない」といったやさしい言葉もかけていただき、私もそう思い込んでいたところがあるのですが、組織はむしろ代わりがいる方が健全です。

そんな経験から、仕事ももちろん大事ですが、ちゃんと休むことの大切さを実感し退社後に思い切って長期の休みをとりました。倒れるまではスケジュール帖が埋まっていないと、どこか不安な自分がいました。

あと、病気をして以来、「死」というものを意識して生きるようになりましたね。誰しも確実に死ぬのであれば、「じゃあ今、何をしたい?」と自分に問いかけて、自分のやりたいことに正直に生きるきっかけにもなりました。

ーワーカーホリックな状態のときに、自然への渇望感はありましたか?

大橋:倒れて以降、渇望するようになりました。仕事が順調だったとしても、生命や自然の営みを目にすると、いつも「かなわないな」と思うんです。例えば桜は当たり前のように花を咲かせますが、そのためには葉が散ることが大事だし、散ることで幹に水分や養分をためているわけですよね。

脳梗塞は血管が詰まる病気で、血は滞りなく流れることが大事です。そうした循環が大事なのだと身をもってわかると、当たり前のように循環する自然の偉大さがより感じられるようになりました。

ー療養後は、これまで以上に登山をしたい気持ちが高まったのでしょうか?

大橋:もともと体を動かすのは好きで、スキューバダイビングは資格をとって楽しんでいましたが、脳梗塞になったのでスキューバはやめて、夫の影響もあって登山に行く機会が増えました。

ちなみに夫は、趣味の域を超えた“登山オタク”でして(笑)。彼は学生時代から、テント泊をしながらアラスカで3週間のトレッキングを強行するような強者なんです。これまで夫と一緒に、楽しみながら雲取山、瑞牆山、陣馬山あたりを登りました。

後編につづく。
大橋未歩さんのインタビュー後編は【7/24(金)公開】を予定! 後編では、大橋さんが直近で歩いたアメリカのロング・トレイルの聖地「ジョン・ミューア・トレイル」で得た感動をはじめ、価値観が様変わりした体験についてたっぷりとお話を伺います。

関連記事:大橋未歩さんインタビュー後編 山オタクの夫と聖地JMTに挑戦! 大橋未歩流ノーストイック登山とは?

お話を伺った人


大橋未歩(おおはし・みほ)
フリーアナウンサー/パラ卓球アンバサダー/防災士
1978年兵庫県神戸市生まれ。上智大学卒業後、早稲田大学大学院スポ−ツ科学研究科修士取得。2002年テレビ東京に入社し、スポ−ツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組にて活躍。2013年に脳梗塞を発症して休職するも、療養期間を経て同年9月に復帰。2018年3月よりフリーで活動を開始し、パラ卓球のアンバサダーに就任。レギュラー番組に、『大橋未歩 金曜ブラボー』メインパーソナリティー(ニッポン放送)、『PARA SPORTS NEWSアスリートプライド』MC(BSスカパー)、『5時に夢中!』アシスタントMC(TOKYO MX)がある。

編集協力/EDIT for FUTURE
写真/駒田達哉

YAMAP MAGAZINE 編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。