【山の仕事ガイドブック】山岳医|「登山技術を備えた医師として、山でのリスクに医学で立ち向かう」特別公開 VOL.2

山に関わる30人の仕事を紹介する『山の仕事ガイドブック』(学芸出版社)
が、このほど発売されました。

山小屋の人はどのくらいの頻度で山を下り、大量の食材をどう調達しているのか。家族、収入、山以外の生活、勤務体系はどうなっているのか——。

山を登っている人が感じる素朴な疑問の答えと、なかなか知ることのできない山の仕事のリアルが赤裸々に綴られて、都市部での進路や生き方に悩む現代人の選択肢を広げ、そっと背中を押してくれます。

今回はその中から、山岳医・大城和恵(おおしろかずえ)さんの章を特別公開。日本人初の国際山岳医となり、山岳医療に挑み続けるひとつの生き方をご紹介します。

2026.02.02

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

大城 和恵(おおしろ かずえ)さんについて

救急室での大城和恵さん 

1967年長野県生まれ。医学博士、国際山岳医。いずれも日本人初となる、2010年英国で国際山岳医に認定され、2016年に米国野外医療学会(Wilderness Medical Society)Fellowを取得。

2011年北海道警察山岳遭難救助アドバイザーに就任、日本初の山岳救助に制度としての医療導入を実現。2012年に山岳医療救助機構を立ち上げ、医療救助情報の発信、山岳遭難防止に注力。

医学的アプローチを基盤に、日本の救助と登山者の自立した安全を革新的に発展させ、社会課題の解決に取り組むユニークな事業を展開している。

山岳医療救助機構Facebook:@sangakui.jp
山岳医療救助機構X:@Mt_med_rescue
Instagram:@oshirokazue

日本人初の国際山岳医になるまで


遠征テントで心停止に備えた救命訓練の様子 ©KENRO NAKAJIMA

長野県で生まれ、山に囲まれて育った私は、3歳からスキーに親しみ、雪山はごく身近な存在だった。小学生のころ、通院をする母の姿を間近で見た経験から、医師を志して医学の道に進み、全身を診ることのできる〝General Physician〞と呼ばれる内科医を目指していた。

山岳医になろうと思ったのは医師になってからのことだ。ヒマラヤを一人でトレッキングした際に、重症の高山病患者に遭遇し、応急対応を行った。この経験をとおして、大学でも医師になってからも、山の医療を体系的に学ぶ機会がなかったことに気付き、山岳医療を学びたいと思った。

ちょうど、インドの学会で出会ったスイス人の医師から、〝Diploma in Mountain Medicine〞という履修コースが欧州で開催されていると聞き、英語で同じカリキュラムを学べるイギリスでの受講を決めた。こうして私は、日本人初の国際山岳医となった。

自分が好きな「山」というフィールドで、目指していたGeneral Physicianを体現化できることはとてもエキサイティングなことであるが、当時は前例がなく、何をすれば良いのか手探りだった。逆に考えれば、何をしても良い、自分で道を切り拓くことができると気付いた。ビジョンを持って進めば、新しい道は必ず拓けると。

山岳医は、山にいること以外の仕事も重要

エベレストBCにてシェルパの診察

山岳医療とは、山で起こる病気や怪我に対応する医療を指し、高山病や低体温症といった分野の発展を通じて、山に訪れる人の安全を守る役割を果たしている。

山岳医とは、山岳地で起こる生理学的変化や傷病について、病態・治療・予防に関する知識を習得し、研究や臨床を実践できる医師であり、山岳地では自らの安全も確保できる技能を備えていることが特徴である。山に登れること以上に、最も求められる資質は、医師としての高い専門性である。

「山岳医」と聞くと、山岳遭難現場に駆けつけてその場で治療を行う、というイメージを持たれることがあるが、日本にそのような制度はない。実際には、研究や教育、予防という地道な活動こそ、遭難件数が増加する今、山岳医の大切な役割と言える。

医師としての研鑽を積み続けることは不可欠であり、病院勤務は私の主な仕事である。一方で、山に関する仕事の多くは、勤務時間外に行っている。研究、新しい知見の取得、情報発信、全国を回っての山岳医療の教育と普及活動、さらには日本からの知見を世界に発信することなどである。

死因調査から始まった命を守るための4つのアプローチ

道警と開発した低体温症救助の訓練風景

私が行った日本の大規模な山岳死因調査では、548名の死亡例を分析した結果、死因の第一位は外傷死、第二位は低体温症死、第三位は心臓死であった。この調査は2015年までのデータを基にしており、やや古いものであるが、注目すべきは救助隊が接触した時点で生存していた人の割合がわずか3・5%であったという点である。

この結果は衝撃で、「医者が遭難現場に駆けつける」「山のどこかで傷病者を待っている」というスタイルでは、命を救うのは難しく限られたケースにとどまることが分かった。だからこそ、山岳医療は科学的根拠に基づいて行う必要があると改めて痛感した。また、山岳遭難では人的・公的資源が投入されることから、命の重さと同時に、救助や医療における社会的負担という課題も抱えている。

この調査結果を受けて、登山に関わる全ての人が山の医療を共有し、命を守る力を育むことが重要であると考え、4つのアプローチに取り組むことにした。

①救助隊との協働により、現場から病院搬送までのプロセスに医学的知見を統合する
救急医療は重症になるほど医療者一人でできることは限られており、早期に医療機関に搬送し、適切な医療を提供することが懸命である。

私はこれまで、ヒマラヤ遠征のように隔絶された場所では、単独で医療を担ってきたこともあるが、少なくとも救助隊が到着できるような場所では、早期に病院で確実な診断をつけ治療を開始できることが重要である。そのため、生存者の発見後に、いかに生存の可能性を高めて搬送できるか、を救助隊とともに追求してきた。

中でも北海道は、死因の第一位が低体温症という、全国の中でも特徴のある山域である。北海道警察山岳遭難救助隊と構築した「低体温症ラッピング」は、医学の知識を救助に取り入れ、低体温症患者の復温と搬送を実践する手法である。これにより、医療救助として人命を救う実績を残し、論文として世界に公開され、高い評価を得た。

北海道警察と共同で開発した低体温症救助法

②登山者自身が応急処置を実施する能力を育てる
山で病気や怪我をした場合、救助隊の到着までには一定の時間がかかる。現場にいちばん近い登山者自身が応急処置を行うことは、命を救い、体のダメージを小さくする上で重要である。これは無治療時間(Treatment Free Interval)をいかに短くするか、という課題に応える取り組みである。

「山岳医療」の学問を支えるのは医療者や研究者だが、実際にその現場で担い手となるのは、山で活動する一人一人である。医療というと難しく構えてしまい医療者だけのもののように思いがちだが、応急処置をもっと分かりやすく身近なものとして、多くの人が実践できるように伝える努力が必要だと考えた。

このため、欧米のガイドラインの導入や、国内医療、国内救助との整合性をとった、山岳地で実践できる応急処置カリキュラムの標準化をはかり、2012年から講習会を継続している。多くの登山者に実践的なスキルを提供し、嬉しいことに、その技能を活かして、自らの力で下山できたことや、人の役に立てたという報告も届くことがある。登山者という最大の担い手の力を底辺から支えることが極めて重要だと思う。

講習会で指導する様子(右のピンク帽子が筆者)

旭岳での夏の啓発活動

③心臓死の予防に注力する
調査によると、心臓発作から心停止までは非常に急速に進行するため、救助隊がほかの傷病よりも早く現場に駆けつけたにも関わらず、生存していた人はたった1.4%であり、極めて救命が困難であった。

心臓死の予防は重要なテーマであり、私は2010年から札幌の勤務先である札幌孝仁会記念病院で日本初となる登山外来を開設した。心臓病の予防と治療、どんな登山をしたら良いかという指導、海外から帰国した重症高山病や、山岳地での凍傷症例も受け入れている。

実際、受診者の4分の1が積極的な治療を必要とし、放置していたら、山中のみならず、平地での生活でも生命を落としかねないケースがいくつもあった。「最近登山中に胸が苦しいが歳のせいなのかと思った」と体力不足だと誤解している例も多かった。加齢による生理的変化と、病気による症状の見極めは難しい場合がある。北海道まで本州からの受診も多いことから、2022年に東京の日本大学病院でも登山外来を開始した。

エベレスト山頂から登山者の安全を目指す

④「山岳医療」を科学としてさらに発展させる
日本の救助隊と協働して、医学的視点を取り入れた救助活動を進めると同時に、海外のガイドラインづくりに参画し、日本の山岳地での知見を発信している。また、山岳医療で蓄積された低体温症の知見は、災害時にも応用可能であり、山岳という特殊環境を超えて、人々の広範な安全対策に寄与できるようになってきた。

これら4つのアプローチを通じて、山岳医療がより多くの命を救い、人々の安全を支える存在となることを目指している。

山岳医療現場での忘れられない出来事

救助隊との合同訓練の様子

北海道の最北に位置する利尻島は、冬季になると天候が荒れ、孤立することがある。その島には、利尻富士と呼ばれる美しい独立峰がそびえている。ある年の3月、20代の男性が友人と2人でこの山に登った。しかし、登山中に悪天候に見舞われ、山中で身動きが取れなくなり、救助を要請する事態となった。彼の様子は、明らかに低体温症の症状を呈していた。

しかし、天候の悪化によりヘリコプターは飛べず、救助隊も現場に向かうことができない状況であった。そのため、同行者に電話で低体温症から身を守るための具体的な処置方法を伝えた。この方法は、私たちがこれまでに築き上げてきた低体温症救助の医学知見と実践に基づいたものである。

時間が経過するにつれ、彼らが持っていたお湯を沸かす道具も底を尽き、孤立した状況がますます厳しくなっていった。正直なところ、この状況では救助が間に合わないかもしれないと覚悟したが、それでも現場に希望を託す以外になかった。そして、わずかな晴れ間を縫って救助ヘリコプターが出動。救助要請から56時間が経過した後、ついに彼を救出することができた。

救助された彼は意識が朦朧としており、いつ心停止が起きてもおかしくないほど危険な状態であった。しかし、救助隊はこれまでに構築してきた低体温症救助の手順を的確に実践し、彼を無事に病院まで搬送することに成功した。結果として、彼は高度の低体温症から生還を果たした。

この出来事は、非常に厳しい条件下であったにもかかわらず、私たちが積み重ねてきた救助方法が人命を救えることを証明する一例となった。そして、現場で冷静にそれを実践してくれた同行者にも心から感謝している。生還した彼が見せた、はにかんだ笑顔は今でも心に残っている。人を生かし、助けることができるという事実は、何よりも尊いものである。

最後に伝えたいこと

北アメリカ大陸最高峰の山・デナリのハイキャンプ(5,200m)にて

山で働こうと考えている方へ。山は、美しさと厳しさが共存する特別な場所である。気象の変化が激しく、怪我や病気が発生しても、すぐに医療機関に頼れない環境であるため、自分の身を守る力が欠かせない。ファーストエイドは、登山技術の一つとしてぜひ身につけてほしい。山で働くための第一歩として「生きて還る力」をつけること。それが自分自身だけでなく、周囲の命を守る力にもなる。

山岳医を目指す方へ。現場で直接活動することに魅力を感じる人もいるかもしれないが、山岳地そのものを主な活動の場とすることが、必ずしも最も効果的な医療や遭難防止につながるわけではない。現場にリソースを集中させることは一時的な解決は得られるが、長期的な視点で事故を防ぎ、安全を向上させるには限界がある。

医療者として果たすべき重要な役割は、学問を築き、その知見を通じてより多くの命を守るための基盤を広げていくことにある。特に、予防に注力することこそ、山岳医療の本質的な価値を社会に根づかせる上で重要だと私は考えている。

標高7000mのテント内からの眺め

山の世界は、挑戦と可能性に満ちた魅力的な場である一方で、重い責任を伴う世界でもある。だからこそ、その世界に足を踏み入れる人々が、その責任を果たす力を備えるように支えていくことが、山岳医療に求められる本質的な貢献ではないだろうか。

山岳医療がどのように社会に根付き、未来に貢献していくか、長期的な視野を持って進んでいってほしい。それは歴史の浅い山岳医の未来にとって大きな意義があると思う。

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YAMAP MAGAZINE 編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。