日本の豊かな植生を形成している、山の植物たち。登山者にとっても、道中、心を癒してくれるありがたい存在ですよね。その植物たちが、昨今、「盗掘」や「踏み付け」といった危機に瀕しているのはご存知でしょうか? 自然ガイド・佐々木知幸さんに、山野草の魅力や、登山者として知っておきたい植物へのマナーについて教えてもらいました。
2021.06.21
佐々木 知幸
造園家・樹木医・ネイチャーガイド
はじめまして! みなさんは登山の途中で、足元に咲く小さな草花や、一面のお花畑、木々の緑といった植物に心打たれたことはありませんか? きっと、まったくそんなことないよ! という方のほうが少ないんじゃないかと思います。
日本の山は、たくさんの植物に満ち溢れていて、さまざまなことを語りかけてきます。植物の存在が、登山の魅力の大部分を形成していると言っても過言ではありません。
僕は、鎌倉や東京を中心に自然ガイドとして活動しています。自然観察会やガイドツアーを通して、自然の中、時には都会の街角を歩きながら、植物をはじめとした自然の豊かさ楽しさを少しでも伝えるべく試行錯誤の日々です。
また、単に伝えるだけではなく、雑木林のある公園の管理ボランティアとして森のお手入れをしたり、自治体の公園や緑地で多様な植物が暮らすための計画づくりをしたりするなど、植物を守るための活動も続けています。
この記事では、登山とは切っても切れない間柄の「植物」について、いろいろお話ししていきたいと思います。
最初に述べたように、登山の魅力のかなりの部分は植物のおかげといってもいいと思います。もちろん、そもそもそこに山があるということや、ダイナミックな尾根や谷といった地形が一番の基礎で、そのおかげで見晴らしの良さが生まれるわけですが、その地形を彩っているのが植物たちです。
当たり前のようですが、お天気、とりわけ雪と並んで、山々を覆う植物たちは風にそよいだり、雨に打たれたり変化します。さらには春夏秋冬で、新緑・開花・紅葉・枯れ姿と変化します。
確かに、風景の基礎は地形ですが、その表面で萌えたり色付いたり、賑やかに生命を謳歌している植物たちがいなかったら、山はどんなにか味気ないことでしょう。
足元の山野草は、季節ごとに咲く種類が変わっていきます。例えば春のスミレやカタクリ、夏のユリやキスゲ、秋のマツムシソウやトリカブト…どんなに下界でモノクロの日々を送っていても、山に登れば溢れ出す色彩の洪水に溺れてすっかり嫌なことを忘れてしまうはずです。その「カラフル」を作ってくれているのが植物たちなのです!
ところで、ひとくちに「山の植物」といっても、その中身はとても一言では言い表せないほど複雑です。場面場面でまったく違う植物が現れる日本の山は、登山の数だけ違う植物に出会える可能性があります。それってなぜなんでしょう?? その鍵は、「地形」と「時間」です。
まずは「地形」の話から。
海外旅行で、鉄道やバスで長距離移動をしながら「この真っ平らな景色はいったいどこまで続くんだ」と退屈したことってありませんか? もちろん、見慣れぬ景色に最初はわくわくしながらシャッターを切り、窓に貼り付いて車窓を眺めはするのですが、あまりにも変化がないとさすがに飽きてきます。僕は、中国とヨーロッパと南アフリカでその贅沢な退屈を味わいました。そう、大陸は何しろ広いからです。
それに比べて日本の鉄道や道路の忙しいこと! 僕はガイドツアーで、植物に関係があるという理由で地形の説明もするようにしているのですが、都心をスタートして目的地(房総だったり富士五湖だったり)に着くまでに、バスのマイクをバスガイドさんよろしく握りしめて「はい、そこ! そこに崖が現れました。あれは国分寺崖線です。多摩川が削った崖です」「今富士山が見えましたね? 右手は、かつて海に浮かんでいて何千万年か前に衝突した御坂山地、左手はどっかーんと噴火した富士山です!」と、解説しながら行くのですが、ちっとも休む暇がありません。ちょっと走ればすぐに地形のイベントが起こり、説明しないわけにはいかないからです。
このやたらめったらに起伏の多い地形が、(熱帯雨林には敵いませんが)温帯地域有数の生物多様性を育んでいると言われています。
起伏の多い地形が生物多様性に関係しているとはどういうことか? まず、大きな起伏は気温の変化を生みます。例えば、南アルプス。甲府盆地から、巨大な壁としてそびえ立つ姿は神々しいばかりなのですが、甲府盆地の中央道付近の標高が300m弱、そして南アルプス最高峰の北岳は実に3,193m…その標高差はほとんど3,000mです。気温は1,000m登るごとに6℃下がるので、温度の差はなんと15℃以上! そうなると、山を登れば変化する気温に合わせて植物も変化していく様子を目の当たりにします。
関東甲信地方に関していえば、平野部分でコナラやアカシデ、クマシデの森だったものが、標高を上げていくとミズナラやブナに変わり、ウラジロモミに変わり、シラベに変わり、ダケカンバやミヤマナラ、ミヤマハンノキに変わり、ハイマツに変わってとうとう森がなくなるという風に変化します。
もう一つは、川によって刻まれる尾根と谷です。尾根と谷とでは、育つ植物が実はまったく違います。
まず、尾根は水はけがよく乾燥気味ですので、それに耐えられるものしか生えません。関東山地ではやたらとアセビが生えますが、ツツジの仲間が多くなります。
一方で、谷は水が集まるので水分が多いかわりに頻繁に起こる鉄砲水で、おちおち暮らしていられない不安定な環境です。例えばネコノメソウの仲間やハシリドコロ、ヒメレンゲなどは谷らしい植物です。
こんなふうに地形を意識しながら植物を観察すると、闇雲に登場していたように見えた植物たちが何らかの法則にのっとって生えていることがわかってくるわけなのです。
もう一つの「時間」とは、日本列島が歩んできた「地史」、つまり時間の流れの中で起きる地形の変化という意味です。日本列島は、ユーラシア大陸の東に位置する「島弧」と呼ばれる島々です。絶海の孤島であるハワイ諸島と違って、氷河期などには大陸と繋がり、暖かい時期には大陸と離れるということを繰り返してきました。その結果、日本列島には樺太や千島列島、朝鮮半島、南西諸島という3つのチャンネルから繰り返し生物が渡って定着するということが繰り返されました。
しかも、渡ってきた植物たちが出会ったのはやたら複雑で迷路のような地形です。いつしか、日本の中には同じような姿のものが全国的に生える植物だけでなく、スミレやアザミ、マムシグサのように県が違えば種類が変わるというような非常に細分化した生態系が生まれました。そして、中には、キタダケソウやヒダカソウのように世界中で日本の特定の山にしか生えないような高山植物さえあるのです。
つまり、大陸から日本列島に渡ってきて日本中に広がったあと、温暖化で行き来ができなくなったグループがだんだんと違う種類に進化するといったことが繰り返し繰り返し起こったため、日本列島は世界でも有数の複雑な生態系を持つに至りました。いわば、日本だけでなく世界にとっての「たからもの」と言えるでしょう。
ところが、こうした精緻な日本の植物たちは重大な危機に直面しています。まだまだ行われている宅地開発(標高の低い地域)やメガソーラー開発による山林の伐採で物理的に破壊されるのはもちろん、山林に人の手が入らず真っ暗になったり、シカをはじめとした草食獣の「食べ過ぎ」が起こったりして、不毛な森が広がりつつあります。
そしてそれにとどめを刺そうとしているのが、心ない人々による行動です。具体的には、山野草を掘り取って持ち去る「盗掘」や、花を手折ってしまう「摘み取り」、登山道を外れて植生を踏みつける「踏み付け」、食料品の投棄や排泄物による「汚染」などが深刻な脅威となっています。
特に盗掘は、普通の登山者が出来心で掘ってしまうというだけでなく、プロによる営利目的の犯行が非常に厄介です。かつては、園芸ブームを背景とした価格高騰を背景としてそのような行為が横行し、例えば南関東の低山ならば普通に見られたエビネやアワチドリのようのランや、スハマソウ(雪割草の仲間)といった鑑賞価値の高いものは、壊滅に近いところまで追い込まれてしまいました。同じようなことが全国的に起こったのです。
もともと、日本には山から山野草を採集して栽培を楽しむ「山採り」の習慣があり、その行き過ぎた果てに乱獲が起こりました。近年は、山野草の栽培技術が向上した結果、山から採集しなくても良質の苗が安定的に供給されるようになり、山採りの必要性は薄れてきました。また、一部の心ある山採りを生業とする人々や愛好家は、持続的に利用できるよう、山菜と同じく採りすぎることを厳しく戒めてきました。しかし、栽培に適していないのにも関わらず「山採り」のものを珍重する「山採り信仰」は根強く、残念ながらいまだに後先考えず根こそぎ採って尽くし、売り尽くすという刹那的な人々による盗掘がまかり通っています。もちろん、買い手の存在を忘れてはいけませんが…。
さらに、昨今はヤフオクやメルカリなどのオークション/フリマサービスの普及に伴って、まともな流通には乗らないような盗掘品が売買される状況になっています。それでも、栽培できるものを掘っていた昭和の頃と違い、今ではキノコと共生しているような栽培が不可能なものさえ売られています。盗掘者が得る小銭と引き換えに、日本の自然は取り返しのつかない状態になろうとしています。
「いやいや、山にはお花たくさんあるんだから、一つくらいいいじゃん」と思ったそこのあなた。もう、そういう時期はとっくに過ぎてしまったんです。残念ながら…。
開発や森の荒廃、シカなどの食害が今ほど多くない頃であれば、褒められはしないものの「ちょっとくらいなら」を受け止める余裕が、日本の森にはあったように思います。
しかし、今進んでいる破壊はそんな余裕すら奪い取ってしまいました。どんなに「日本の自然は特別だぞ、えへん」とふんぞり返っても、どこにでもあった豊かな自然は限られた範囲に残された存在になりつつあるのです。そのわずかに残った楽園は、一方でとても魅力的です。だからこそ、僕らは登山をしてその楽園を目指すわけです。
僕はガイドとして、日本の自然がどんなふうに素晴らしいか、単に外見の美しさだけでなく物語として伝えようと試行錯誤しています。例えば、この写真のホテイランは日本のランの中でもトップクラスの美しいランです。
この写真を撮影した友人が、帰り道に同じ場所を通ると・・・以下の写真のように無残に穴が空いています。
希少で美しいホテイランを我が物にしようと、何者かが掘り取って持ち去ってしまったのです。ぐちゃぐちゃとした穴ではないところを見ると、スコップなどを使ったのでしょう。ぽっかりとした穴が目立ちます。
しかし、もしも、このホテイランが腐植に張り巡らされたキノコのネットワークに頼って花を咲かせていると知ったら、(悪意のオークション出品者はともかく)、果たして持ち去ろうとするでしょうか?
とんでもなく素晴らしい映画があったとして、主演俳優を誘拐して「さあ、あの映画をここで演じてみせろ」と言ったところで、(それでも彼/彼女は素晴らしい演技を見せるかもしれませんが)なんの脈絡もない、死んだ演技しかできはしません。
盗掘とはつまりそういうことです。山一つ、時には山脈一つを舞台とした主演俳優は、森の木々やキノコや行き交う虫や鳥の織りなすネットワークのなかでこそ、本当の意味で生きていける存在です。一人だけ誘拐しても、ただの自己満足にしかなりません。
でも、「そんなに大事な自然なら登山道を封鎖して、誰も入らないようにした方がいい」かというと、そんなことはありません。もちろん、オーバーユースは自然破壊につながりますが、抑制的で適切な利用ならば多くの人が自然に触れて楽しむことは絶対に必要なことです。しかも、多くの人の目があることで悪意の盗掘者の行動はずいぶんと抑制されます。もしも、盗掘を見かけることがあったら、いたずらに刺激せず警察や自治体に通報しましょう。
それから、実は誰でもできる対策は「情報に気をつける」ことです。かつての山採り師たちは、山を巡り歩き独自に資源のある位置を把握していました。現在の盗掘者たちはそんな素養はないことが多いので、ネットで情報を集めます。
楽しい登山の記録をブログやアプリ、SNS等で投稿して発信する方も多いと思いますが、その時の記事や写真情報が実は盗掘者にとっては宝の山です。「〇〇峠を越えて、××方面に下った岩壁に、△△ソウが花盛りでした!」なんて記事や、特徴的な木が写り込んだ状況の写真…果ては位置情報が丸見えの写真が彼らに見つかれば数日後にはそこには穴が空いて、そこにあった山野草は都会に送られ無残な最期を遂げるということが実際に起こっています。
登山アプリYAMAPにも写真投稿機能がありますが、位置情報と紐付けたまま投稿してしまうと、その情報が知らないうちに悪用されてしまうリスクもゼロではありません。設定で写真ごとに位置情報をオフにできるので、こうした機能を活用されるといいと思います。
SNSに子供の写真を載せないようにするのと同じくらいの危機感を持って、山野草の写真の位置情報はなるべく曖昧にしておいていただけるととてもありがたいです。それが、山野草を守ることにつながります。
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かつての輝きは失われつつあるとはいっても、日本の山の自然はまだまだ、本当に魅力的です。残された楽園を節度を守って楽しんでいきたいものです。
もし、ただそこにあるものを消費するだけじゃ嫌だなと思ったら、自治体やさまざまな団体が山野草や高山植物を守り育てる活動や登山道を整備する活動を地道に行っています。そうしたところへ寄付をしたり、応援したり、参加したりしてみるのもいいかもしれません。
自然がくれた素晴らしいギフトです。浪費するのも、守り育てるのも僕たち次第です。
参考文献
『日本列島の自然史』国立科学博物館編(東海大学出版会)
『日本の山と高山植物』小泉武栄著(平凡社)