登山の様子を愛らしいイラストエッセイで表現する人気イラストレーター、ヤマガスキナダケさんが手がける連載「ヤマガスキナダケの”NO PEAK 山遊び論”」。歴史巡りや渓流遊び、巨木探訪など、ピークハント以外の様々な山の遊び方について、お届けしている本企画。第3回のテーマは「巨木巡り」。山中にひっそりと佇み、数百年・数千年の時を重ねてきた「山のヌシ」との出会いを楽しむ方法について、お伝えします。
ヤマガスキナダケの”NO PEAK 山遊び論” #03/連載一覧はこちら
2021.07.29
ヤマガスキナダケ
会社員イラストレーター
数年前、ある山域の奥地を歩いていた時、コース上に次から次へと巨木が現れ、ついには目的地にその日一番の大杉が忽然と現れたことがありました。
太い根を縦横無尽に地に這わせ、多くの植物を着生させた幹の周囲はゆうに10mを超え、何本もの枝を空高くに突き上げる姿はまさに「山のヌシ」のよう。
特に印象的だったのはその剛腕を見せつけるかのように、うねりながら横方向に伸びる一本の重量感のある太い枝。その佇まいはどこか仁王像を思わすような威風堂々たるものでした。
目的地に着いた達成感とラスボスのような登場シーンに私は大きな衝撃を受けたのです。この山のヌシとの出会いこそ、巨木を巡る登山を私が始めるきっかけとなりました。
「山中で巨木を見つけると、理由もなく立ち止まってしみじみ眺めてしまう」という方も多いと思います。そう、巨木には説明不要の感動と魅力があるのです。
私はというと、登山を始める前から、神社や植物園などで巨木に出会う機会はありました。でも、自分の足で山を歩いて、偶然巨木に出会った時の感動は一味違います。山中に人知れず佇む巨木には、理屈抜きの壮厳さがあり、冒頭の一件以来、私はその魅力にすっかり取り憑かれてしまったのです。
私よりずっと以前にこの世界へ生まれ落ち、数々の自然災害を乗り越えてきた堂々たる姿は、見合う表現が思いつかないほどの迫力です。
その別格の存在感は言うなれば山の象徴、まさしく山のヌシといっても言い過ぎではないと思います。
山で野生動物に出会える可能性は低いが巨木ならいつでも会いに行ける
言うまでもなく巨木は昔から特別なものとして扱われ、その一部は御神体として祀られてきました。苔むしたその姿から発せられる圧倒的な生命力を目の当たりにすると、太古から人々が「神の依代(よりしろ)」として巨木を崇めてきたことにも納得がいきます。
しかし同時に巨木は、木材としての価値の高さから伐採の対象ともなってきました。近年では開発や獣の食害によってもその数を減らしています。巨木を取り巻く環境は決して、穏やかなものではないのです。
時に祀られ、そして時に切り倒され…。多くの巨木は人々に振り回されてきたとも言えるでしょう。
それでも、その一部は人の目を逃れ、今もひっそりと山奥で生き続けています。人間の都合や時間を超越し、深山で静かに年輪を重ねていく巨木。その神秘性と逞しさこそが、巨木の魅力だと私は思うのです。
パワースポットという言葉では足りないほどの存在感を放つ山寺の門番
そもそも「巨木」の定義をご存知でしょうか。環境省の調査活動では基準が設けられており「地上から1.3mの幹周が3m以上の樹木」と定められています。
国内の山で見られる代表格は、スギ・ブナ・トチノキ・カツラ・ミズナラ・モミなど。私が山中で出会った巨木たちもおそらくこのいずれかな“はず“。
”はず”というのも私自身、巨木は好きですが種類や生態を答えられるほどの知識も無く、ただそこにある巨大な樹木を前に「うわ!すごい!でかい!」しか言えないレベルです。
とはいえ巨木を楽しむのに専門知識は必須ではありません。その迫力と幾星霜を重ねてきた歴史を感じ、感動すれば良いのだと思っています。
日本の巨木のことを詳しく知りたい方は環境省の「巨樹・巨木林データベース」を覗いてみてください。面白いですよ
前出の通り、巨木には一定の定義があるものの、定義ばかりを気にしては感動も薄れてしまいます。巨木かどうかの数値的な線引きはあくまでもひとつの基準。「でかい!」と感じればそれは巨木でいいのです。
私の思う「巨木」は、数値的な大きさではなく、そのインパクトや感動の大きさです。つまり、「存在が大きな木」というわけです。
落雷を受け空洞になったこの巨木はその名も「雷杉」。初見のインパクトは忘れない
巨木には言うまでもなく、それぞれに違った個性があります。その個性とは分類学的な木の特徴だけでなく、その木が育った環境や歴史が醸し出す風格のようなもの。その唯一無二の個性こそが巨木の最大の魅力です。人に例えると「キャラ」のようなものだと思います。
分類学的な種類や特徴を知らなくても、キャラだと考えれば身近に感じて愛着も湧きやすくなるはず。
一本の巨木と対峙し、生きてきた環境や歴史を想像する。周りの植物や地形を観察し、その巨木を育んだ山全体の歴史にまで想いを馳せる。巨木との対峙は、山の歴史との対峙でもあるのです。
例えば、明るい尾根上の巨木にはどこか堂々たる自信のような印象があり、薄暗い谷の巨木には物静かな落ち着いた印象があります。
湿地帯や断崖絶壁や沢など地形的なバリエーションもあれば、神社のような人工物のバリエーションもある。そういった周辺環境が巨木のキャラに色を添えます。
それに加え季節、天候、時間帯、そして見る人の心情次第でも変わるとなれば、まさに巨木のキャラは千差万別! ひとつとして同じ巨木はないのです。
枝が落ち、幹が空洞になってもなお、巨木は生命で溢れている
お馴染みの登山道でいつも我々を出迎えてくれる巨木も、朝靄の中だとより魅力が増す
どうなったらこんな樹形になるのか
急斜面に一際存在感を放つ「剛腕の巨木」。厳しい環境でここまで育ったことに言葉が出ない
そんな巨木に出会えれば、汗をかいて山に分け入った価値もあると言うもの。いつからか、私は巨木に会うことを目的にルートを考えるようになりました。
ここまで読んで「巨木に興味津々。ちょっと見に行ってみたい」と感じてくださった方もいらっしゃることでしょう。
そんな「巨木初心者」の方に、まずおすすめしたいのが御神木です。言わずもがな神社の境内などにあるため、アクセスがしやすい点も初心者に向いています。
御神木は、その名の通り「神が宿る木」。そのため伐採から守られてきました。中には、切ろうとしたところ祟りがあったと言う逸話が残るのも。手始めに巨木を巡るならこういった御神木が一番おすすめです。しっかりと管理されてるので気高い美しさを感じることができるでしょう。
そして、御神木ならではの魅力といえば、その情報量。樹齢や種類はもとより、伝説なども丁寧に説明されており、木のキャラを想像しやすいものが多くあります。
国内に現存する杉の中で1位、2位、5位の高さ誇る圧巻の存在感「花背の三本杉」 ※所在地:京都市左京区花脊(はなせ)大悲山中
しかし、ある程度の巨木経験値を重ねた方にお勧めしたいのは、やっぱり極力人の手が入っていない自然の中の巨木だと思います。
言うまでもなく、巨木と呼ばれるようなサイズになるには、生まれた場所の環境が大事。さらには何百年という長い時間の中で、数々の自然災害や虫食いなどの脅威をかいくぐり、生き残らなければなりません。
いわば自然の中にそびえる巨木は過酷な生存競争を生き抜いてきた、歴戦の強者でもあるわけです。御神木のように人に守られてきたわけでもなく、山の奥深くで逞しく生き続けてきた奇跡的な人生(いや木生か…?)にこそ、その魅力があるのです。
野性味あふれた堂々たるその姿は水や土や風、そして時間までをも凝縮したような圧巻の姿。
当然このような巨木があるのは、人里離れた山の奥であり、情報量は決して多くありません。登山MAPなどに記された「⚫︎大杉」などのポイントを頼りに足を運んでみると良いでしょう。
また、意外とオススメなのが道の駅に置いてあるようなローカルMAP。地元の人にひっそり愛されてきた巨木の情報などが載っていることも多いので、ぜひチェックしてみてください。
どこか優しい雰囲気の漂う巨木たち。巨木どうしの会話が聞こえてきそう…
巨木と向かい合ったなら目を閉じ大きく息を吸い込み、深呼吸をする。
植物や土や水が混じり合う「山の匂い」を全身で味わい、ゆっくりと息を吐いていけば自分の存在が山に吸い込まれ溶けていくような感覚を味わうことができます。
未来とも過去とも言えない異次元を旅しているような、身体も記憶も全てが飲み込まれていくような不思議な感覚。もしかするとあれこそが、無の境地なのかもしれません(笑)。
木々の緑に囲まれて感じる「癒し」とはまた少し違った、神仏を前にして感じる「尊さ」みたいなものに近いなと個人的には思っています。
私はスピリチュアルな感覚が鋭い方ではありませんが、巨木には数百回、数千回の春夏秋冬を生き抜き、凝縮してきた生命力が宿っているのだと感じます。それは、哺乳類や爬虫類など、山で出会う他の生き物たちとはまた違った重みなのです。
そうして、巨木を訪ねて回るうちに「あ、この木の下にいると落ち着くな」「この木からは強い何かを感じるな」といった特別な木にあなたも出会えるはずです。
人と人に相性があるように、人と木にも相性があると私は思います。もしシンパシーのようなものを感じる木を見つけたなら、それはあなたにとって運命の出会いかも知れません。木の大小にこだわらず、その木陰でゆっくりと過ごしてみると良いでしょう。
朽ちて倒れようとも存在感を放ち、新たな生命を宿す巨木からは学ぶことが多い
この記事の冒頭でご紹介した大杉に出会った翌年、私は再びあの大杉に会いに行きました。すると、勇姿を誇ったあの太い剛腕が無惨にも折れ、根元に横たわっているではありませんか。
原因はこの年に西日本を直撃した大きな台風。少し嫌な予感はしつつも「まぁ、あの太くて力強い木なら大丈夫だろう」と思っていたのですが…。予感は的中したのです。
遠目にその無惨な姿が見え、驚きと落胆を感じつつ近づいたその先にあったのは、しかし、私の想像を裏切る堂々とした姿でした。
自慢の剛腕をもがれてもなお動じる様子はなく、天に向かって堂々と幹を伸ばし「どうした?何かあったか?」位にしか感じていない様子。今思えば、あの杉の巨木はまさに、私にとって運命の一本だったのだと思います。巨木の魅力を教えてくれ、そして泰然自若とした逞しさをも身をもって教えてくれたのです。
おそらく私が生まれる数百年前からあの地に根を下ろしていたであろう大杉。その長い生命の歴史の1ページに立ち合い、そしてその生き様を感じられたのは本当に幸せなことです。
今もどこかでひっそり生きている山の大先輩たちからこれからもたくさんのことを学ぶため私の巨木訪問はまだまだ続きそうです。
関連記事:登山ついでに美しい川も楽しむ”NO PEAK渓流遊び”のススメ
関連記事:絶海の孤島で楽しむ濃厚な自然“NO PEAK離島遊び”のススメ