圧倒的な山行日数を誇る山岳/アウトドアライターの高橋庄太郎さんが、知られざる【山の名・珍スポット】をご紹介。今回は北アルプス・槍ヶ岳の隠れた名所、「赤沢岩小屋」をご紹介します。
高橋庄太郎の「いつかは行きたい!」山の名スポット、珍スポット #09/連載一覧はこちら
2021.11.15
高橋 庄太郎
山岳/アウトドアライター
山を歩いていると、「岩屋」や「岩小屋」と呼ばれるような場所にときどき遭遇する。その多くは巨大な岩によって屋根のようなひさしが自然にできていて、ある程度の風雨を避けられる場所であり、よく見ると実際に野宿をしたような形跡が見られることもある。無名のものも多いが、北アルプスのようなメジャー山域には地名としても残された有名な場所も点在している。また、自然の地形を生かしつつ、さらに人工的に岩を積み上げることで、より居住性を高めたものも岩小屋と呼ばれることがあり、その岩小屋を基礎として現代的な山小屋を作り上げている場合も珍しくはない。
おそらく日本でいちばん多くの登山者が実際に見たことがある岩小屋は、北アルプスの槍ヶ岳の殺生平にある「坊主岩小屋(坊主の岩小屋)」だろう。ここでいう「坊主」とは、槍ヶ岳を開山した播隆上人のことであり、この岩小屋は別名「播隆窟」とも呼ばれている。播隆上人はこの岩小屋に寝泊まりしながら槍ヶ岳に登り、1828年に槍ヶ岳を開山したという。また、播隆上人は都合5回、槍ヶ岳に入っているが、4回目のときはこの岩小屋で53日間も念仏を唱えて続けていたらしい。
そのように有名な「坊主岩小屋」だが、上高地から槍ヶ岳へ向かっていくルート上には、歴史的な岩小屋がもうひとつ存在することは意外と知られていない。YAMAPを含む多くの登山地図にも表記されているのに……。
それが「赤沢岩小屋」だ。坊主岩小屋以上に、こちらこそが今回紹介したい“知られざる”「名スポット」なのである。
赤沢岩小屋が位置する場所は、テント場があるババ平と、槍沢ロッジの中間地点。どちらかといえば、ババ平寄りである。
槍沢ロッジから歩いていけば、登山道の左側。時間にして25分ほど。ババ平から向かっていけば右側で、時間にして15分くらいだ。かなり古いながらも標識もあり、それさえ見逃さなければ発見できるはずなのだが……。
地図にも「赤沢岩小屋」という名称は記載されている。岩小屋の前には標識すらある。それなのに実際に見たことがある人は、非常に少ない。僕の知りあいの槍ヶ岳登山のハードリピーターでも「どこにあるのかわからなくて、結局見たことがない」というありさまだ。しかもそういう人はけっこう多いのである。
じつは赤沢岩小屋は、意外なほど登山道の至近距離。だが、岩小屋までアプローチする登山道(というか、踏み跡)は非常に不明瞭だ。これは登山者がほとんど足を踏み入れていないことを示している。
同じ場所を年間に100人程度が歩き、地面を踏みしめていけば、そこは踏み跡として次第に明瞭になり、いずれ登山道のようなルートと化していくという。そういうことを考えると、赤沢岩小屋を見に行く人は年間100人に満たないのかもしれない。ここを通過する登山者の数は北アルプスでもトップクラスで、おそらく数万人が赤沢岩小屋の前を素通りしているはずなのだが、少し不思議なことだ。
では、赤沢岩小屋の全体像をお見せしていこう。
内部に入るとわかるが、近くを通る登山者が雑談している話の内容がすっかりわかるほど、赤沢岩小屋と登山道は本当に近い。それなのに、この岩小屋を見逃していて通過しているとは、なんとももったいないと思う。
昔の山の本を読んでいると、北アルプスに山小屋がほとんどなかった時代、赤沢岩小屋に寝泊まりして槍ヶ岳を含む周辺の山々へ登ったという話がときどき出てくる。かの有名なウォルター・ウェストンも赤沢岩小屋で野宿したという記録があり、日本の山岳史を華々しく飾る古の登山家たちも繰り返し利用していた。もしかしたら播隆上人も坊主岩小屋に入る前に、赤沢岩小屋でも1泊していたかもしれない。
もともと岩小屋は、野宿や緊急ビバークに使われていた場所だ。いまも山小屋が存在しないような場所では岩小屋を使って登山をしている人もいる。だが、北アルプスでは今はもう赤沢岩小屋に寝泊まりして登山をする人はいない。なにしろ、その前後には槍沢ロッジとババ平のテント場があり、赤沢岩小屋を利用する理由はとくにないからだ。むしろ昔よりも格段に登山者が多い今の時代は、自然環境を守るためにトイレもない岩小屋に泊まるよりも、山小屋やテント場を利用することが推奨される。だから、僕も赤沢岩小屋に泊まったことがなく、それが残念で仕方ない。
坊主岩小屋と赤沢岩小屋の位置関係はこちらの地図を参照してほしい。
ほぼ同じ山域となる穂高岳に至る横尾と涸沢の間にも、昔は「横尾岩小屋」というものがあった。しかし現在の地図上の名称は「横尾岩小屋“跡”」である。天井となる岩が崩落してしまい、今はもう以前の面影はなく、木々の茂みにうずもれているのだ。赤沢岩小屋の付近もときどき岩盤の崩落があり、いつか土砂に埋もれてしまう可能性がないとはいえない。そもそも、岩小屋を形成する大岩も、遠い昔にどこかから落ちてきたものなのだ。
次に上高地から槍ヶ岳を目指す際には、ぜひとも赤沢岩小屋へ立ち寄ってみてもらいたい。多くの人が立ち寄る坊主岩小屋とは異なり、知る人が少ない赤沢岩小屋であれば、のんびりとストーブでお湯を沸かし、温かい昼ゴハンを食べて休憩できる。時間をかけて岩小屋の雰囲気を楽しめば、きっと北アルプスの歴史を素肌で感じられるはずだ。
関連記事:これを売っても大丈夫? 霊験あらたか、七面山・一ノ池の「おつち」