2023年1月8日(日)にいよいよスタートするNHK大河ドラマ「どうする家康」。本企画は、低山トラベラー/山旅文筆家にして、熱烈な大河マニアの大内征氏が家康に訪れる人生の岐路に思いを馳せながら、妄想豊かに家康ゆかりの低山をさまよう放浪妄想型新感覚山旅エッセイです。虚実が交錯する妄想大河の世界をぜひ、ご堪能ください。
大内征の超個人的「どうする家康」の歩き方 /連載一覧
2022.12.28
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
2022年のクリスマスのことだ。ツイッターに突如として「#鎌倉殿の13人第49回」というハッシュタグが出現した。全48話で終結したはずの話題の大河ドラマに、なんと続きが存在するというのだ。よくよく調べると、鎌倉殿の13人ロスに耐えかねたファンたちによる“続きはどうなった大喜利”のことらしい。それと時を同じくして、主役の北条義時を演じた小栗旬と、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で主役を演じる松本潤とによる、時空を超えた“武家の頂点”同士の対談動画がNHKで公開された(以下、敬称略)。
本編が終わってしまい、ぼく自身もいささか寂しい気分になっていたところに飛び込んできた、かくも嬉しいクリスマスプレゼント。同じようにさっそく見た人はもちろん、後日あらためて視聴したという人も多いことだろう(※それぞれの大河ドラマ公式サイトで見ることができます)。
いま思うのは、あのドラマそのものが「どうする義時」だったということだ。世の中、結果にはかならず原因があるけれど、こと“歴史的な出来事”に関しては、描く側・演じる側・受けとる側とでその理由についての解釈が微妙に異なるものだ。それらの絶妙なる同時着地点こそ、義時の死という結果に対するあの姉弟のラストシーンだったように思う。歴史好きの賛否は割れたかもしれないけれど、想像の斜め上を超える結末というのは、まさにああいうことを言うのだろう。描く側も演じる側も、本当に圧巻のラストシーンだった。
徳川の始祖こと松平親氏が天下泰平を祈ったという愛知県豊橋市の天下峯にて
小栗旬と松本潤の対談の中でたびたび挙がっていた「話(わ)」というキーワードがある。ドラマとしてもっとも重要なターニングポイントを意味している。つまり、作品の成否の分岐点となる回でもあり、歴史上重要なシーンでもある。
たとえば小栗旬にとっては、佐藤浩市演じる上総広常が死んだ「第15回」がそれだった。あの回は演じる側にとっても衝撃的な結末だったそうで、そんな展開かんべんしてよーと、ぼくも涙を流した回だったことをよく覚えている。SNSでもかなり大きな反響を集めていた。いまでもツイッターに「#広常ロス」や「#上総介を偲ぶ会」といったハッシュタグが残っていることからも、非常に愛されたキャラクターだったことがわかるというものだ。小栗旬は、あの「話」が周囲から好意的に受け入れられたことこそ、ドラマをいいものにしていく大事なポイントだったと振り返っている。
描く側・演じる側としての力も試されつつ、世間の評価も問われるような「話」を乗り越えることの大切さたるや。そのコメントを受けた松本潤は、楽しみにしている2つの「話」があると語っていた。それがどんなエピソードで、どんなシーンなのか、想像するだけで楽しい。みなさんは、どう思う?
個人的に考える候補は、ざっと8つほどある。その中からいくつかのエピソードに絞って、実際に山をフィールドワークし、次回からここに綴っていきたい。名付けて、超個人的「どうする家康」の歩き方、である。
とはいえ、まだドラマの本編がはじまっていないだけに、内容によっては早々に方向転換を迫られる可能性も否めないけれど……。
静岡県浜松市天竜区水窪町にある山住神社。三河におけるオオカミ信仰の聖地のひとつだ
ところで、ここまで読んでくれた読者のみなさんに、家康と関係する山のエピソードをひとつ共有したい。
それは、1572年(元亀3年)におこった「三方ヶ原の戦い」の出来事である。家康が織田信長と組んで武田信玄と衝突した大きな合戦で、おそらくドラマでも描かれるだろう。武田軍に惨敗した家康が、命からがら逃げ帰った姿を絵師に描かせて戒めとした、というエピソードはよく知られている。しかしその陰で、オオカミのいる山に救われたという話は、あまり知られていない。
オオカミの山とは、静岡県浜松市の水窪(みさくぼ)山中にある山住神社のこと。南アルプスの西側に並行する中央構造線の長い谷筋の上にあり、長野県飯田市遠山郷との境に位置する山深い地域だ。現在、長野県との境には国道の未通区域で知られる青崩峠があり、車で通過するには兵越峠を利用するしかない。その険しい難所を、かつて秋葉神社の信仰の道と塩の道とが通っていた。
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三方ヶ原の合戦に敗れた徳川軍が、山住神社のある山まで逃げ込んできた。無類の強さを誇った武田軍の追手がすぐそこまで迫る。するとそのとき、地響きのごとき鳴動が山全体を包んだ。驚いた武田の軍勢は一目散に逃げてしまった。これにより、徳川軍は大きなピンチを逃れたという。
とまあ、いささか大げさに表現したけれど、だいたいこんな内容のエピソードが伝わっている。注目したいのは、その鳴動の正体こそが無数のオオカミの群れによる遠吠えだったということ。家康はこの山を護る山住神社に剣を寄進し、以来徳川家の守り神として大切に保護したそうだ。神社の神紋が葵なのは、そういういきさつがあるため。
面白いのは、家康がのちに治めることになる甲府の南西、裏鬼門に位置することだろう。さらにその先には家康が生まれた岡崎城もある。そちら側からすれば、山住神社は北東の鬼門の守護ということになる。そんな位置関係からしても、じつは水窪は“悪いものが入らない”ための重要な場所だったのかもしれない。
ちなみに、山住神社の北にある青崩峠は地質的にかなりもろく、名称にある通り崩れやすい難所である。深追いした武田軍が、この青崩峠の崩落に巻き込まれた可能性はないだろうかと、いらぬ想像をしてしまう。つまり、山の鳴動とかオオカミの遠吠えとかいわれる事象は、じつは崩落による地鳴りを意味する可能性……。あくまでぼくの“超個人的”な想像だけれど。いややはり、オオカミの方がロマンがあるなあ。
そんなことを考えながら歩く歴史の山旅は、やはりとてつもなく面白いと思うのだ。ゆえに、2023年の山旅を大河ドラマ「どうする家康」と掛け合わせて個人的に楽しむことは、間違いなく一年を充実させてくれる、はず。
関ヶ原の勝敗に大きな影響のあった南宮山。山上には、西軍大将のひとり毛利秀元の陣所があった
そんなわけで、まだ新しい年になったばかりだけれど、さっそく年間の山旅の計画を立てている。諸説ありの歴史物語を訪ねて歩きながら、2023年は超個人的な家康を巡る山旅を楽しんでいきたい。
なにかとエピソードの多い家康だから、とくに静岡、愛知、山梨あたりは大河ドラマが進むにつれて大いに盛り上がるに違いないし、後半になると関東も加わることになる。なんとも忙しい一年になりそうではないか。
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そうそう、いま振り返ると、大河ドラマをきっかけに低山を再発見していく思いで書いた「鎌倉殿の13座」が、思った以上に反響があったことを記しておきたい。
友人知人や山仲間など、楽しみにしているよと声をかけてくれたことが励みにもなったし、同じように今年も「大河ドラマ×山旅」の楽しさを分かち合えれば、これ以上嬉しいことはない。山歩きを楽しむヒントが、きっとあると思うのだ。
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家