20代・脱サラお遍路が行く|四国八十八ヶ所「歩く旅」

サラリーマンを辞め、自然を求め山小屋で働いていた西村友邦さん(27)が旅立った先は、四国八十八ヶ所お遍路の旅。ふと思い立ってスタートした1,300kmの旅も、「お接待文化」という人の優しさに触れるうち、いつしか「自分は人に歩かせてもらっている」と気づいたそう。そんな西村さんの、42日間に及ぶ「歩く旅」の一片を覗かせてもらいました。

2023.02.25

西村 友邦

山岳収集家

INDEX

2022年11月26日|不安と安心がないまぜの初日

1番札所の徳島県・霊山寺

1番札所である徳島県の霊山寺(りょうぜんじ)を出発。寺まで送ってくれた友達に見送られ、ぬるっとスタート。こんなものか? スタートした途端、自分も「お遍路さん」になる。なんだか恥ずかしい。1番所の辺りでは、体験お遍路の人達もたくさん見かける。全身バッチリ決めてはいるけど、僕も初心者です、と言いたい。

今思うと、2021年9月に槍ヶ岳で地震に遭って、「人生は何があるかわからない、やりたいことは早めにやらなくちゃ」と思ったのが始まりだった。勤めていた会社を辞めた。山が好きだったから山小屋で働くことにした。そして小屋が閉まった晩秋、思い立ってお遍路のスタート地点に僕は立っていた…。

お寺に着くとまず、本堂と大師堂で2回お経を読む。読まないといけないわけではないけれど、せっかくだから全箇所で読もうと思ったのだ。しかし、最初はぎこちない。こんなものでいいのかなぁ…と思いつつ終了。鐘があれば挨拶がわりに一突きし、お遍路さんの名刺代わりでもある「納め札」を納める。

初日はアスファルトの道が続く。荷物の重さは13kgくらい。歩き始めてまだ5kmくらいの3番所辺りで既に足が痛い。最後まで歩き通せるだろうかと不安がつのる。

初日の難関は、最初の寝床にたどり着くこと。今日の寝床となる6番札所の安楽寺には18時過ぎに到着。釣鐘堂の中の通夜堂(つやどう)をお借りする。鐘の下に寝袋を広げて寝るというなかなかできない経験。

初日の寝床は、6番札所安楽寺の釣鐘堂の中

これから始まる日々への不安と、とりあえず壁のある寝床にたどり着けた安心感とがないまぜになった夜。寝袋に入るとすぐ記憶がなくなった。ひとまず、難なく初日を終えられた。

▼振り返りメモ

・「通夜堂」とは、お寺さんがお遍路さんのために用意してくれている寝られるスペースのこと。利用する際は事前に連絡を入れる。お寺によっては、朝の6時〜7時に行われるお経を読む勤行に参加しなければいけない場所もある。

・通夜堂の位置は出発前にGoogle mapにピン留めしておいた。

6番札所の安楽寺釣鐘堂。左奥に見える階段を登った先に、寝られるスペースがある

11月28日|お接待文化に助けられた3日目

裏ルート?でテントを張らせてもらったゲストハウスの車庫

今日は初めて山に入る。標高938mの焼山寺山(しょうさんじやま)の8合目にある12番札所、焼山寺までの道は、「遍路ころがし」といわれるほどアップダウンが続く道。5時間ほど山道を歩く。この日は山中の適当な場所でテントを張ればいいかと思い、寝床を決めていなかった。しかし張れそうな場所がない。

山から下りたところで待合喫茶を発見。休憩がてらお邪魔する。地元の方に近くに寝られる場所がないか尋ねると、ゲストハウスの車庫に格安でテントを張らせてもらえるかもしれないとのこと。連絡してみると泊めさせてもらえることに。夕飯とお風呂までいただく。

3日ぶりのお風呂は、これまでの疲労を和らげてくれた。夜はほかの宿泊者と情報交換もできた。地域の人が提供しているお遍路さんの無料宿、「善根宿」(ぜんこんやど)の存在も教えてもらった。

東京から歩きに来ていた人は、「区切り打ち」(四国八十八ヶ所の札所を何回かに分けてお参りすること)で歩いて既に4周目という。4周するほどのめり込ませるものが、この道にはあるのか? たった3日目の自分にはまだ分からない。

歩いている仲間に出会えると安心感が増す。そして、お風呂に入りさっぱりして寝袋で寝れることが、どれほど嬉しいことか。

翌朝、街で喫茶店の方に声を掛けられお接待いただく。身長は足りないが、孫に似ていたらしい

待合喫茶のオーナーさんも、ゲストハウスのオーナーさんもお遍路を歩いたことがある方だった。声をかけてくれたり、お接待をしてくれたりする人は、自分も歩いたことがあるという人が多い。お遍路さんにお接待をすると、巡り巡って自分に返ってくるという、人の思いが巡るお接待文化。

別の日、モーニングを食べに入った喫茶店で、お店の人から「これは、あちらのご夫婦からのお接待なのでお代はいりません」と言われたこともあった。初めてドラマのバーカウンターのような体験をした。こんなこと、本当にあるんだ!

そのご夫婦も、お遍路を歩いたことがある人だった。改めてお遍路の文化が根付いていることを知る。

▼振り返りメモ

・お風呂に入るとスピードが遅くなるので、3日に1回入るくらいを目処にした。

・着替えは2日分を取っ替え引っ替えして、コインランドリーで洗濯。

・お遍路の周り方には、「通し打ち」「区切り打ち」「一国参り」の3つがある。「通し打ち」は一度に全てを回る。通し打ちの中にも、1番から88番までを時計回りに順番に回る「順打ち」と、88番から反時計回りにあるく「逆打ち」がある。閏年に逆打ちをすると、順打ちの3倍効果があるとか。「区切り打ち」は数回に分けて歩く。「一国参り」は各県ごとに分けて区切り打ちをする。お遍路同士の自己紹介も、「通しですか?」「区切りですか?」という感じ。

12月2日|お経の声でお遍路歴が分かると知った7日目

境内で別れたご夫婦と駐車場で再会。僕がアメをあげると、今度はミカンと納め札をいただいた。初めて見る赤いお札

21番札所の太龍寺(たいりゅうじ)では、境内で声を掛けられたご夫婦と一緒にお経を唱える。最近は車で回っているけれど、昔は歩き遍路をしていたとのこと。「今は何も持っていないから…」と、お接待としてだろう、1,000円を渡された。

生まれて初めて、見ず知らずの人から現金をもらう。これはもらっていいものなのか? かといって厚意を無下にもできないし…。日常ではありえない出来事にアワアワする。しかし、ありがたくいただくことに。

そのご夫婦にもらった納め札が赤色で驚く。赤の納め札は、お遍路を8〜24周している人が持つもの。一緒にお経を読んだ時から感じていたご夫婦のかっこいい声の質は、こういうことだったのか。まだ合計42回しかお経を読んでない僕とは比較にならないくらい、厳かで深みのあるお経だった。お遍路歴は声に表れるんだ。

自分の声の質は分からないけれど、お経は日を追うごとに頭に入っていき、お札やお線香、蝋燭の減り具合で日数の経過を実感できた。最初は意味も分からず、読み上げるたびに小っ恥ずかしく感じていたお経も、今では読み続けていてよかったと思う。

▼振り返りメモ

・事前にネットで用意した白の納め札は200枚。本堂と大師堂にそれぞれ1枚ずつ納め、それが88か所分。お接待のお礼や、出会った人との交換を想定していた。最後は足りなくなってしまった。

・納め札は出世魚のように色が変わっていく。4周までは白、7周までは緑、24周までは赤、49周までは銀、99周までは金、それ以上は錦色といわれる。

12月4日|「雨が降ったら休めばいいさ」と言ってもらえた9日目

アランシェさんの2歩は僕の3.5歩。しかし、雨とフランス人って、なんかオシャレでずるい

今日は、66歳のフランス人のアランシェさんと途中まで一緒に歩いた。昔、バスを使って遍路道を歩いたことがあるらしい。現在はフランス在住で、日本に滞在している1週間ほどで回れるだけ歩いているそう。一緒に歩いてみたものの、大柄で歩幅が広くてついていけなくなり、先に行ってもらう。

雨が降り出したので、ポンチョを着て歩いていると、雨宿りをしていたアランシェさんに追いついた。「雨が降ったら休めばいいさ」と声をかけられる。

これまで、山道を含む20km超の道のりを毎日7〜8時間、足が痛くなるくらい歩いていた。少ししんどくなっていた僕の気持ちを、この何気ない一言が軽くしてくれた。急ぐ必要はないんだと楽になれた。

次の日からペースは落ちたけど、不思議と足取りは軽くなった。捉え方次第かもしれないけど、人との出会いのタイミングは偶然なのか、必然なのか、不思議だなと思う。

▼振り返りメモ

・1日の終わりには1時間くらいかけてマッサージをした。アスファルトの道は想像以上にこたえる。

・このお遍路の旅で、靴はアルトラの「オリンパス」にした。アスファルトを歩くロードもあるし、山道もあるので、クッション性を重視して正解だった。

12月16日|人の優しさに泣いた21日目

一緒に歩いたショウタ君。長い道のりを歩き続けられたのは彼のおかげ

前日の37番札所・岩本寺から足摺岬までは、2日間で90キロ移動した。結構辛かった。最後は音楽の力に頼って、ZARDの『負けないで』とか、ファンモンの『ちっぽけな勇気』を流しながら歩く。

この2日間を一緒に歩いていたのは18歳の高校生ショウタ君。小、中学校時代は、時間を見つけてはお父さんと「区切り打ち」をしていたそう。高校時代の最後に、ついにひとりで歩きに来たそうだ。ショウタ君に聴きたい曲を聞くと、米津玄師をリクエストされた。世代の違いを感じる。

最終地点でショウタ君を宿まで送る。民宿にはなるべく泊まらないようにしていた僕は、そこからさらに30分くらい歩いた先の遍路小屋で寝ることにしていた。そのことを民宿の女将さんに伝えると、寒いからと言って、おでんとおにぎりのお接待を持たせてくれた。

冷めていたけど温かかったおでんとおにぎり。食べ物は最強

遍路小屋に着いた頃には、おでんは冷めていた。冷めているはずなのに、どこか温かいおでん。おにぎりはまだ少し温かかった。人の優しさってすごい。寒いのに心はポカポカする。自然と涙がこぼれる。これから先、人に悪いことはできないなと思う。悪いニュースを見ると、みんな、お遍路歩いたらいいのにと思う。

▼振り返りメモ

・登山のときの癖で、最初は食料をけっこう持って歩いていたけど、山に入る時以外は街が多いので、その都度補給できる。なるべく軽くした方が楽。水も同じ。

・予算はだいたい1日2,000円、全日程でかかった費用は10万円程度だった。クリスマスの日に、久万高原で観測史上最大の積雪になったときだけ民宿に泊まった。それ以外はテント泊か通夜堂、もしくは善根宿に宿泊。

・ペグを打たなくても設営できる自立式のテントを持って行ったので、コンクリートの場所でも張れて便利だった。


2023年1月2日|ゴールが見え、思考を巡らすばかりの37日目

写真は12月30日に新居浜市で泊まった善根宿。管理人のおじいさんは、利用者の納め札が増えていくのを楽しみにしていた

終わりが近づくにつれて、ここまで歩いて良かったと思う反面、このお遍路で何を得たんだろうと考えてしまう日が続く。でも、これといった答えは出ない。寝床や食事の不安も少なくなり、荷物も軽くなってきて余裕が出てきたのか。考え込んでしまうことが多くなる。

そんな中、73番札所の出釈迦寺(しゅっしゃかじ)で突然男性から、「お兄ちゃん、いい顔してるね。清々しい顔してるよ」と声を掛けられる。初めて会った人。スタートの時と比べれば少しは変われたのかな。自分の中の小さな変化と自信に気づくことができた。たった一言で、モヤモヤは晴れ、気持ちが軽やかになる。

自分も、お遍路だけじゃなくて、ヒッチハイクや日本一周をしている人がいたら、これからは絶対に話しかけようと思う。自分がしてもらったことを返したい。

最終日、1月7日|ゴールは始まりだった

42日間、1,300km。ついに四国遍路一周完歩。

最初は、1,300kmを歩き切ってやるという、自分に対する気持ちが強かった。けれど、日を追うごとに自分のためではなく、お接待をしてくれた人やインスタにメッセージをくれた友達、自分に元気をくれた誰かのために歩こうという気持ちが強くなっていった。それが力にもなり、歩き切れた。四国の海の景色もきれいだったけれど、それ以上に人の優しさに感動した42日間だった。

ゴールした1月7日は、たまたま僕の1万日目の誕生日だった。自分が新しく生まれ変わる気分。また新たな1万日が始まる。次の1万日目の誕生日は54歳。これからの27年間はどんな年月になるんだろう。八十八ヶ所のゴールは、ゴールでもあり、また次のスタートにもなった。

もし、少しでも歩いてみたいなと思う人がいるなら、まずはスタート地点に立ってみたらと伝えたい。通し打ちじゃなくてもいい。1日でも、3時間でもいいから歩いてみてほしい。四国のお遍路文化はここにしかないものだから。そして、一歩一歩の積み重ねが、ゴールへ続く道になるから。

▼これ良かったメモ

・お遍路装束など、事前の準備はほぼ「いっぽ一歩堂」で揃えた。

・お遍路さん用のガイド本『四国遍路ひとり歩き同行二人』は、宿に着いたあとゆっくり見られていい。次のお寺まで何kmとか、ここで休めるとか、詳細情報が載っているので、先の予定を立てるのに便利。

・お遍路さんの定番スタイルとも言える菅笠(すげがさ)は、軽い雨を除けられるのであってよかった。

僕の「歩く旅」の正装。多くの方に声をかけていただいた

・装束の決まりは特にはないようだけど、お遍路さんと分かりやすい身なりをしていた方が声を掛けられやすいし、相手に不安も与えないかもしれない。輪袈裟(わげさ)など、少しだけでも分かるものを身に付けていた方がいいと思う。

・ザックカバーはポンチョがあればいらないと思った。12日目に、使う頻度が低い荷物をまとめて実家に送った。登山装備とはちょっと違って、街で調達できるものは減らして、なるべく荷物を軽くして正解だった。

今回の「歩く旅」の全装備

西村 友邦

山岳収集家

西村 友邦

山岳収集家

山好きな先輩に誘われたのがきっかけで、気がつけば仕事を辞め、山小屋で働く。最近は、頂上を目指す登山より、長く歩くロングトレイルに魅力を感じています。写真、コーヒーが趣味。サクッと低山も好きです。