分水嶺(ぶんすいれい)。それは山に降り注ぐ雨水が異なる方向に流れ、それぞれの水系の境界線となる峰のことです。そのため、私たちの生活圏である川の流域の周縁を構成しているのが分水嶺ということになります。
近くの街でも川や橋を越えたら上流の分水嶺は別という場合もありますし、日本海側・太平洋側など気候や文化が大きく異なる地域でも同一の分水嶺で隔てられていることもあります。
多くの山は2つの川の分水嶺となっていますが、3つの川さらに4つ以上の川の分水嶺となっている珍しい山も。今回はYAMAPがリリースした「流域地図」を見ながら、東日本(北海道・東北・関東・中部・東海)で3つの河川の分水嶺となる山を紹介します。
2024.10.11
鷲尾 太輔
山岳ライター・登山ガイド
山や、そこから派生する稜線に降った雨は、両側の斜面に流れ落ちて沢(川)を形成するため、基本的にすべて分水嶺となります。南北に延びる稜線であれば東西の川の分水嶺に、東西に延びる稜線であれば南北の川の分水嶺となるのです。
例えば、高尾山(たかおさん・599m)の場合。南を流れる案内川と北を流れる南浅川の2つの川の分水嶺となっており、これが浅川、そして多摩川へと合流します。
今回はさらに、2つではなく比較的著名な3つの河川(もしくはその支流)の分水嶺となっている珍しい山を紹介します。
北海道では石狩川に次ぐ2位、そして全国では6位の流域面積(9,010㎢)を誇る十勝川。ニジマス釣りが盛んな阿寒川、シシャモが産卵のため遡上する清流・庶路川。
これら3河川の分水嶺となっているのが、阿寒富士(あかんふじ、1,475m)です。
阿寒富士は日本百名山・雌阿寒岳(1,499m)を構成する8つの小さな成層火山群のひとつで、主峰・ポンマチネシリ(1,499m)の南に連なっています。
深田久弥の随筆『日本百名山』では、阿寒湖を挟んで東側の雄阿寒岳(おあかんだけ、1,370m)と雌阿寒岳を総称する「阿寒岳」の名称で登場します。
雌阿寒岳のほうが登頂する人が多いですが、この山は今なお噴煙を上げる活火山。著者である深田久弥も、火山活動のため雌阿寒岳へは入山できず、阿寒湖を挟んで東側の雄阿寒岳にしか登頂することができませんでした。
阿寒富士は雌阿寒岳から火口壁の東側を通って縦走し、雌阿寒岳麓にある周囲2.5kmの神秘的な湖・オンネトーへと下る周回コースが一般的です。
オンネトーの西岸から見上げると、なだらかに横たわる雌阿寒岳と秀麗な円錐形の阿寒富士が澄んだ水面越しに仲良く並んでおり、オンネトーのPRポスターにも使用されるほどの絶景を楽しむことができます。
コース情報【雌阿寒温泉登山口-雌阿寒岳-阿寒富士-オンネトー登山口 周回コース】
コースタイム:6時間50分
歩行距離:11km
累計標高差(上り):1,153m
累計標高差(下り):1,153m
仙台平野に暮らす人々のホームリバーである名取川、さまざまな伝承や史跡が残る七北田川、ササニシキの発祥の地でもある大崎平野を潤してきた鳴瀬川。
これら3河川の分水嶺となっているのが、北泉ヶ岳(きたいずみがたけ、1,253m)です。
北泉ヶ岳の南東に連なる泉ヶ岳(いずみがたけ、1,172m)は日本三百名山の一座です。仙台周辺の人々にとってのホームマウンテンとして親しまれており、冬季にはスキー場も開設されます。
七北田川の支流のひとつであるヒザ川上流の泉ヶ岳スキー場から名取川・七北田川の分水嶺を歩いて北泉ヶ岳だけを目指すコースもありますが、表登山口から泉ヶ岳とあわせて登るのもおすすめ。仙台周辺のホームマウンテンと流域の分水嶺をたどれば、地元の山への愛着も深まるでしょう。
コース情報【泉ヶ岳-北泉ヶ岳 往復コース】
コースタイム:約5時間10分
歩行距離:7.3km
累計標高差(上り):987m
累計標高差(下り):987m
東北地方では北上川に次ぐ第2位の流域面積(7,040㎢)を誇る最上川、「平成の名水百選」にも選定された新潟県北部を流れる清流・荒川(埼玉・東京北部を流れる荒川とは別の河川)、鮭が遡上することで古くから知られ世界初の鮭の人工増殖にも成功した三面(みおもて)川。
これら3河川の分水嶺となっているのが、西朝日岳(にしあさひだけ、1,813m)です。
朝日岳は日本百名山の一座であり、最高峰の大朝日岳(おおあさひだけ、1,870m)だけをめざすのであれば、北東の古寺鉱泉からの往復が最短となります。しかし、このコースでは最上川の流域しか通過しません。
複数の流域を実感しながら歩くのであれば、日暮沢小屋からの周回コースがおすすめです。前半は東北有数の大河川である最上川と荒川・三面川の分水嶺を歩きます。
3年連続で水質日本一となった荒川や、村上の鮭文化を支えてきた三面川などの清流の源にふさわしく、稜線にはお花畑や池塘(ちとう)も点在しています。
コース情報【清太岩山-ユーフン山-竜門山-西朝日岳-大朝日岳-小朝日岳 周回コース】
コースタイム:約12時間20分
歩行距離:20km
累計標高差(上り):2,079m
累計標高差(下り):2,079m
日本最長の流路延長(約367km)を誇る信濃川の源流のひとつである千曲川(ちくまがわ)、利根川に次ぐ日本第2位の流域人口(約1,019万人)を持つ荒川、南アルプス鋸岳(のこぎりだけ、2,685m)から駿河湾へ注ぐ大河川である富士川の支流・笛吹川。
これら3河川の分水嶺となっているのが、日本百名山・甲武信ヶ岳(こぶしがたけ・2,475m)です。
甲武信ヶ岳はその山名の通り、山梨県・埼玉県・長野県の境界線にそびえており、分水嶺となる河川もすべて著名な大河川です。
北側の毛木平(もうきだいら)からの往復(信濃川水系の千曲川流域)、南側の西沢渓谷からの往復(富士川水系の笛吹川流域)が一般的ですが、分水嶺を歩くのは山頂付近のみとなります。
より分水嶺を満喫するのであれば、いずれも荒川と千曲川の分水嶺である、大山(おおやま・2,219m)・武信白岩山(ぶしんしらいわやま・2,271m)・埼玉県最高峰でもある三宝山(さんぽうやま・2,483m)を経て登るコースがおすすめ。途中の十文字小屋周辺はシャクナゲの名所(見頃は例年5月下旬〜6月中旬)としても有名です。
コース情報【毛木平-十文字峠-大山-武信白岩山-三宝山-甲武信ヶ岳-大周回コース】
コースタイム:約9時間
歩行距離:14.8km
累計標高差(上り):1,365m
累計標高差(下り):1,363m
日本百名山・乗鞍岳(のりくらだけ、3,026m)も、3河川の分水嶺となっています。
木曽三川のひとつである木曽川の支流・塩蔵川(しおぞうがわ)、日本最長の河川・信濃川の上流・梓川のさらに支流である小大野川や伊奈川、富山湾へと注ぐ神通川の支流・沢之上谷川(さわのうえたにがわ)。
木曽川は伊勢湾、神通川は富山湾、信濃川は日本海へ注ぐため、乗鞍岳は太平洋側と日本海側へ注ぐ川を分かつ中央分水界にも位置しており、最高峰である剣ヶ峰は日本で最も標高の高い中央分水界として認定されています。
標高が高く独立峰でもある乗鞍岳から流れ出る川の上流部は急峻で、滝も数多く存在します。小大野川が流れる長野県側の乗鞍高原には、三本滝・善五郎の滝・番所大滝などが点在しています。
岐阜県側の沢之上谷川上流部に広がる五色ヶ原は、乗鞍岳の北西山麓約3,000haに広がる森林地帯で、布引滝・久手御越滝(くてみこしだき)などが点在する秘境です。
自然保護と利用の両立のため、入山規制や利用料金制等のほか、ガイド同行での入山が義務付けられていますが、ガイドの案内のもと安全にトレッキングを楽しむことができます。
コース情報【乗鞍岳 畳平から山頂ピストンコース】
コースタイム:約2時間50分
歩行距離:5.5km
累計標高差(上り):424m
累計標高差(下り):424m
東京都と神奈川県の境でもある大垂水峠から高尾山口駅へ縦走するコースには、大洞山(おおぼらやま・536m)から草戸山(くさどやま・364m)など7つの山が連なっており、「南高尾セブンサミッツ」とよばれています。
北側にある高尾山(たかおさん・599m)より静かな山歩きを楽しむことが可能で、初心者でも縦走気分を味わえる人気コースです。
南高尾セブンサミッツは多くの山頂が樹林帯の中で、眺望はよくありません。中でもひときわ地味なのが榎窪山(えのくぼやま、420m)。電波塔が設置された平坦な広場という景観で、標識がなければ山頂であることすら気付かないほどです。
しかし分水嶺の観点から見ると、多摩川の支流・案内川のさらに支流である入沢川、相模川の中流に造られた津久井湖へ流れ込む沢、境川の支流・本沢渓谷に造られた城山湖の、3つの河川の分水嶺となっているのです。
スタートの大垂水峠・ゴールの高尾山口駅とも、東京都民のホームリバーである多摩川水系の案内川流域ですが、稜線上からは神奈川県民のホームリーバーである相模川の中流にある津久井湖や、境川源流の城山湖を見下ろすことができます。
コース自体も東京都と神奈川県の境界線の稜線を歩くため、分水嶺で隔てられた2つの流域という感覚を、手軽に実感することができるコースなのです。
コース情報【大垂水峠から南高尾山稜 縦走コース】
コースタイム:約4時間40分
歩行距離:8.9km
累計標高差(上り):582m
累計標高差(下り):787m
分水嶺で隔てられた流域は、現在の行政区分とは必ずしも一致しません。ただし山国でもある日本では、分水嶺を越えることで、自身が暮らす流域に隣接した別の流域(生活圏)を訪問することになる場合が多いです。
例えば小仏峠は多摩川の支流・南浅川と相模川の支流・底沢の分水嶺に位置しており、かつての武蔵国と相模国の境界線であったのです。分水嶺の存在を意識して越えれば、現代でも手軽なプチタイムトリップを楽しむこともできます。
執筆=鷲尾 太輔(登山ガイド)
トップ画像=ikethhyさんの活動日記