世界に知られる巡礼の地、熊野。その玄関口である和歌山県田辺市は都市圏からちょっとアクセスしにくい場所にあります。「熊野REBORN PROJECT」は、田辺市と熊野古道を舞台にYAMAPユーザーが「主体性のある絆」を作り、新しい価値を生み出そうという地方創生プロジェクト。
レポート後編では、第4期メンバーがいよいよ熊野古道に足を踏み入れます。田辺市の地域の人々と交流しながら熊野古道を歩き、自分ならではの「熊野との絆」を発表として形にするまでの過程をお届けします。
熊野リボーンプロジェクト2023|前編
2023.10.24
石塚 和人
ライター・編集者
ホテルを出発した熊野REBORN PROJECT(以下、リボーンプロジェクト)の第4期メンバーは、本日の起点である滝尻王子へと移動し、2日目の熊野古道歩きがスタート。歩いて高原熊野神社を目指します。
ここからはリボーンプロジェクトを支える中心人物、真砂 充敏(まなご・みつとし)田辺市長が合流。本プロジェクトのメンターである低山トラベラーの大内 征(おおうち・せい)さんとともに先達となり、「語り部」として熊野古道に関する様々な歴史や文化を語ってもらいます。
真砂市長はかつての和歌山県中辺路町(現在は合併により田辺市)出身で、熊野古道やその周辺の森林環境について語るのはお手のもの。この日もメンバーの先頭に立ち、プロ顔負けのガイドを当意即妙に披露してくれます。熊野古道を歩きながら、その独特のユーモアに富んだ市長の語り口を聞いていると、まるでプロの講談師の口上を聞いているかのような錯覚に陥ります。
滝尻王子を過ぎたところにある「胎内くぐり」では、真砂市長の語り部っぷりが爆発!
真砂市長:胎内くぐりをすると蘇るという言い伝えがあることから、熊野古道は「蘇りの道」とも呼ばれます。聖地は本来ケガレを嫌うものですが、熊野は何人もの参拝を受け入れ、上皇・法皇から農民や罪人、ケガレを持つ者でも参拝が可能でした。
「なぜ上皇、法皇がこぞって熊野を参拝したのか?」というメンバーからの質問にも、ユーモアたっぷりに回答。
真砂市長:院政を誇るためとか、僧兵を味方につけるため、鉱脈が目的だったなど諸説あります。こんなふうに不確かな話をする時には「知らんけど」と語尾につけるようにしています(笑)。ですから皆さんは、すかさず「知らんのかい!」とツッコんでくださいね。この一連の流れがあってこそ、話にオチがつきますので。
真砂市長:紀伊半島は、高山植物が低地にあったり、低地にある植物が高地にあったりと独特の植生をもっています。ただ、現在はその99%に人の手が入り、熊野も8割近くが杉、檜の人工林。多様性が少ない人工林は動物たちの餌になる植物の実も少なく、獣害の原因にもなります。間伐材は利益になりにくいため、伐採後は山の中に放置されているのも課題です。
田辺に伝わる先人の教えのなかには、山の上部3割に広葉樹を残す「天空三分」という言葉があります。田辺市ではこれを守り、自然の森を取り戻す努力をしています。目の前の風景と市長の話から、メンバーは熊野の森林環境にも大いに関心を抱いた様子でした。
2日目の熊野古道歩き後半は「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」からスタート。ここからは、本プロジェクトの案内人の一人である山里舎代表・「てっちゃん」こと金 哲弘(キム・チョルホン)さんと、田辺市の低山好き有志で結成され、普段から熊野古道を含む低山に親しむ「たなべ低山登山部」の方々が合流し、約7kmの道のりを下って熊野本宮大社を目指します。
下り坂が多いとはいえそれなりに険しい本宮大社への道ですが、大内さんからは「本宮大社は17時で閉門」とタイムリミットが提示されます。気をつけながらも、歩みを徐々に早めるメンバー。
熊野本宮大社まで残り1時間ほどというところまで来て、「伏拝王子(ふしおがみおうじ)」に到達。皆が疲れを感じ始めた頃、丘の上の展望台に辿り着くと絶景が待っていました。そして本宮方面の木々の間には何やらそびえ立つものが…。そう、キックオフの際にてっちゃんが語っていた、感動の瞬間の到来です。
大斎原の大鳥居が荘厳な姿で一同を出迎えてくれました。
「伏拝」という名前からもわかるように、ここから大鳥居を目にしたかつての巡礼者は、その神々しい姿を平伏して拝んだと伝えられています。
神々しいほどの絶景に癒され、皆の士気も一気に上がります。その勢いでしっかりと歩を進めていき、17時までには全員が熊野本宮大社に到着。無事に歩ききれたことへのお礼とそれぞれの祈願を胸に秘めて、熊野本宮大社への参拝を済ませます。
フィールドワーク2日目のクライマックスである熊野本宮大社参拝を終えたメンバーは、大鳥居のふもとに広がる水田の間のあぜ道に立ち、その風景を守るための田んぼ作業に思いを馳せます。
その後は大斎原周辺を散策しながら、高台から大鳥居越しに沈む夕日と、その光に照らされて揺れる青々とした水田を眺める一行。
この光景を目にすると、古道歩きの疲れを忘れて美しさについ見入ってしまいます。かつての巡礼者たちは、大斎原の風景をどんな思いで見つめていたのでしょうか。
感動の瞬間を脳裏に焼き付けたメンバーは、早朝からの大斎原の風景を守るための農作業に備えてフィールドワーク2日目を終えました。
風に揺れる大斎原の青々とした稲たち。その景色を眺めていると、昔ながらの平和な田園風景にも見えます。ただ、金さんの話によると、大斎原の耕作従事者の高齢化により、この豊かな水田を守り続けることが難しくなっているんだとか。
少しでもその助けになればと、メンバーたちは本格的に日が差す前の早朝から田んぼに集合し、雑草取りの作業を開始。まずはてっちゃんが慣れた様子で雑草抜きの見本を披露。
てっちゃんに続いて、おそるおそる裸足で田んぼに入り、慣れない手つきで雑草を手で抜いていく4期メンバーたち。
じりじりと照りつける太陽の下、地道な作業が続きます。田んぼでの農作業が初めてのメンバーにとっては、素足で田んぼに入ること自体が新鮮な経験。終わりの合図があっても名残惜しそうにしている姿も見られました。
少ない作業時間でしたが、「夏以降の稲刈りにもまた来たい!」と話すメンバーも多く、お米の収穫期を楽しみにしながら大斎原を後にしました。
熊野古道歩きの最後は「大日越(だいにちごえ)」に挑みます。大日越とは、熊野本宮大社から日本最古の温泉「湯の峰温泉」までを歩くルートのこと。
距離は約3kmと長くはないのですが、アップダウンが激しい山道。一部のメンバーはトレッキングポールを取り出し、慎重に歩みを進めます。
そして長かった今回の熊野古道歩きも、湯の峰温泉の湯煙が最終ゴールの目印。最後は征さんとのハイタッチで締めくくりました。
ここには世界で唯一入浴できる世界文化遺産の「つぼ湯」があり、浄瑠璃や歌舞伎の演目で有名な「小栗判官(おぐりほうがん/はんがん)」がこの地の薬湯で体を癒したとされる伝説が残っています。
「世界遺産 熊野本宮館」にて、旅の記憶が薄れないうちにこの3日間の振り返りをスタート。
大内さん:今回はテーマを地域課題より熊野古道そのものに寄せ、しっかりと中辺路を堪能した行程。それぞれこの3日間を振り返って、フィールドワークの印象、そして最終発表に向けて掴んだヒントをシェアして欲しい。
今回のフィールドワークは、第1〜3期のプロジェクトに比べて自分の足で熊野古道を踏みしめる時間が長かったせいか、各自が内省的な想いを吐露していました。「熊野とは何なのか、巡礼とは?」という答えのない問いについて考えていたり、まとまらない思いを素直に共有したり…。
真砂市長の話に感銘を受けたメンバーも多く、森林保全について興味をもったという感想も目立ちました。これも道沿いの人工林と天然林両方を観察できる、熊野古道ならではの学びです。
3日目の炎天下での田んぼ作業と、その汗を流すための川遊びなどを通して「おとなの夏休み」というキーワードを口にするメンバーも。
フィールドワークでの気づきと旅の余韻を大切に胸に抱き、名残惜しそうにそれぞれの帰路へ。自分なりの熊野との関わりを発表する1ヶ月後には、11人の体験と想いがどう発酵し、どんな形になるのでしょうか?
そして迎えた最終発表日。1ヶ月ぶりにメンバーが顔を合わせ、「熊野と自分の絆の形についての構想発表」をテーマに思い思いの形式でプレゼンをします。
トップバッターの岸本さんは、敢えて資料を作らず、自分の言葉で想いを綴る形式で挑みます。彼の「歩くのが好きで、歩いて旅することから人生の楽しみ方を見出した」という冒頭の一言で、すでに心をつかまれる思いがします。
「歩く旅をする中で『三十三観音巡り』という巡礼のあり方に出会い、スタートの地を熊野にしようと思い立った。この企画で味わった、峠を越える達成感、満ち足りた気持ち、木漏れ日に癒される充実感。その感覚から、熊野古道にはまっている自分に気づいた。もっと熊野古道を歩くことを実現するために、まだ歩いていない小辺路と大峯奥駈道を踏破したい。そして移りゆく熊野古道の様子を記録し、SNSを使って発信していきます」
その淡々とした語り口からは、歩く旅への情熱が直に伝わります。岸本さんらしい発表に思わず全員が拍手をしていました。
2番手は筑波大学の博士過程で熊野古道や聖地巡礼を研究している劉さん。まずは「巡礼」という行為を、先人の言葉を引用し定義します。
この宗教学者 山折哲雄氏の言葉の引用は、まさに蘇りの道、熊野古道にふさわしい表現。そして人口減少が進む現代では、聖地や巡礼というあり方も変容し、観光と融合し始めている、と劉さんは主張します。
「現代では巡礼の旅は、異空間、癒し、審美、心の旅、自己探究、気分転換といった意味合いをもつ旅に変容しています」
巡礼の旅がそんな変容を遂げる中、劉さんは聖地が聖地たり得る上での課題を指摘。
「場所の聖性は、特定の場所が実体的に自ら聖性の磁場を形成していることだけでは成り立たない。その力を各地に宣伝して回る媒介者の存在が不可欠」(筑波大学 山中弘 2005)
上の言葉を引用しながら、劉さんは聖地は人がいないとその聖性を保てない、だからこそ聖地と観光との融合は必然、と続けます。
これはなぜ田辺市が関係人口づくりに重きをおいているのか、なぜこのプロジェクトが続いているのか、その核心をつく指摘でした。
最後には、宗教と観光の融合の課題を提示しながらも、自らも研究者として田辺市の持続可能な観光づくりの一助となりたい、と発表を締めくくりました。
広田さんはプロマーケターなだけあって、キックオフでの「コンサルはいらない」「アイデアばかりはいらない」という言葉が心に刺さったようです。そこで「ヒロタ自身のスケールでできること」をテーマに発表してくれました。
「まず実行したのは『1日ひとつ田辺の梅干しを食す』『田辺市へのふるさと納税』『10月の宿の予約』の3つです」と、関係人口的アクションの紹介から発表をスタート。
次は関係人口になる一般的ステップを、マーケターらしく四段階に分解します。
ただし、ここからが本筋。マーケター的な視点ではなく、あくまで「個で」そのステップをなぞる過程を示すところが、リボーンプロジェクトらしいアプローチでした。
広田さん:フィールドワークで感動したことの一つは、市長の熊野古道に関する語りや征さんの神話に関する解説でした。それで気づいたのは、熊野の価値は情報付加で何倍にもなるということ。そこで熊野の魅力を『私の言葉』で伝達する手段として思いついたのがGoogleマップの活用です。
なんと今回のGoogleマップへの投稿で80,000viewを達成したとか。さらにSNSによるアプローチだけにとどまらず、社内で熊野古道ワーケーションを提案し、役員決裁まで完了。
マーケターとしての視点と、個としてのアクションを掛け合わせた発表、お見事でした。
書家である小川さんの発表タイトルは「文字にみる、古のひとびとの神(自然)への畏怖・敬意・祈り」。冒頭では、迫力のある「大斎原」の画像を掲げます。
発表冒頭では古代文字や漢字の歴史と熊野の歴史を紐解いた結果、「そこに関連性はない」としながらも、中辺路の道中で出会ったたくさんの文字や地名の「オト(読み)」が持つ「マルチミーニングの妙」に焦点を当てます。
最終発表での書の新作として、中辺路の王子の名称を中心に描いた「曼荼羅」を披露。
この曼荼羅内の文字を読み解いた、小川さんによる解説のほんの一部をご紹介します。
・大…立っている人の正面形
・斎….髪飾りの形。かんざしをつけてものいみして祭事にのぞむ意
・原….崖下に泉が出る形。すべての根源
この解説を聞くと、「大斎原」を少しおどろおどろしく書き上げたことに納得がいきます。
そして一番最後に「音無川」という漢字と音についての考察。
・音 おとなひ(訪)神はみずからものを言うことはない、音は神意のあらわれ
・無…神楽舞、本来は舞の意
「『おとなふ』とはつまり『おとづれ』。音無川は水がない、『熊野側と音無側の合流地点』ということががその名前の由来とあったが、実は『おとなひ(訪い)』が由来ではないのか?」という独自のロマンあふれる見解を披露。これには聞いていた一同が唸らされました。
田中さんは現在、和歌山大学修士前期過程で観光をテーマに勉強中。そして今回の発表のテーマは「リボーンプロジェクトを足がかりに自らの活動を循環させる」こと。
その発表は「知る」 「ライフワークとしての学業」「最後に」の3つから構成。田中さんはライフワークとして観光を深層的に学ぶことで、現在の社会変化に対応する有効な手段になるのではと考え、学業のためも兼ねて和歌山に移住した経緯を説明してくれました。
そして田中さんの現在の研究課題は「観光者と観光地の相互学習モデルの研究」。その中でもとくに「観光者」にスポットをあて、観光者の学習プロセスの解明をしたい、と語る田中さん。
「ライフワークとしての学業を通して、これからの文化観光の可能性を研究するため、今まで以上にチャレンジをしていきたい」という研究者らしい決意表明で発表を締めくくっていました。
千葉在住の会社員である宇佐美さんは、登山歴12年。彼女がこの企画に応募したのは、八経ヶ岳(はっきょうがたけ)登山の帰りにGoogleマップ上に現れた熊野本宮大社がきっかけ。そんな宇佐美さんの最終発表は、悩んだ過程を正直に伝える、とても率直な手書きスライド。
この「うーん」に実感がこもっています。ただし、その後フィールドワークを経て、少しずつ変化が現れます。そして宇佐美さんの中でついに出た関わり型の答えは、この2つでした。
葛藤を経て、フィールドワークで出会った人々を通して答えがまとまっていく過程をみせる形式はまさにリボーンプロジェクトならでは。
今後のロードマップによると、来年GW には、大斎原のてっちゃんの宿「はてなし」でワーケーションを実施予定。そして二年後にはどんぐり植林ツアーと、そこにはまさに自身が描く持続的な関係人口像がありました。
山口さんは、「熊野と自分との繋がり=ロードバイク」という答えを見出して発表を構成。台湾滞在中にロードバイクという趣味に出会い、その後よく和歌山に走りに行っていたとか。
今回の発表には、「ロードバイク」という要素を通して、今後熊野とどのように関わっていくかという明確な答えがありました。
まず、「自転車仲間と行く田辺熊野 輪行泊ツアー」を企画することを手始めとし、すでにフィールドワーク後に下見も完了させたという行動の早さには驚きます。
また下見の中で、田辺において輪行泊ツアーをすることのメリット・デメリットも分析。メリットとしては、標識やトイレなど、輪行に欠かせないインフラがすでに整っていること、デメリットとしては、輪行だとトレッキングと比較して、少しストーリー性が失われるという点などを挙げていました。
このような課題をふまえた上で掲げたのは、「24年夏までに一泊二日の輪行泊ツアーを実行する」という目標。
加えて「WAKAYAMA800」というロードバイクスタンプラリー参戦をメインに、田辺市内を走り熊野の魅力をSNS発信、という目標を掲げて発表を締めてくれました。
露本さんの発表タイトルは「私の熊野詣」とド直球。また明確な数値目標「後白川上皇の熊野詣回数を越える35回」を設定して最終発表に臨みます。
冒頭では、登山と古道トレッキングを比較しながら、旅の魅力を再定義。旅の魅力は見知らぬ環境に飛び込むことから得られる体験、人との出会い、土地の魅力にある、とのこと。そして山登りは「ピークハント」であるのに対し、熊野古道の魅力は「人それぞれの動機」があること、と言います。
そして個人として、短期、中期の目標を設定。季節に合わせたトレッキングだけではなく、企業向けの研修旅行をクライアントに提案しようという辺りは、さすがコンサルタントらしい計画。
究極の長期目標「後白河上皇越えの35回参詣」は実現がかなり先になりそうですが、この企画で熊野古道ならではの楽しみ方を知った露本さんなら、ひょっとしていつか達成するのでは?、と期待させられます。
最後には自ら非公認エヴァンジェリストを拝命し、発表のまとめとしていた露本さんでした。
梅原さんは、ソフトウェアエンジニアやwebサービス開発の経験もあるIT系エンジニア。彼がフィールドワークで最も印象的だったのは、裸足での田んぼ作業だったそうです。
ただ、今回のフィールドワークでいくつかの熊野古道の課題にも気がつきました。「外国人が結構歩いているにも関わらず、日本人が少ない。熊野の魅力が十分に伝わっていないか、もしくは計画段階でつまづいているのでは?」と仮説を展開。
そこで自分の得意なITの分野と熊野を掛け合わせて、熊野古道を快適に歩けて、またリピートしたくなる仕組みをつくることが、自分らしい熊野との関わり方だという結論に至ります。
今回考えた仕組みとは「ウォークマップとスタンプ帳の機能を兼ね備えたスマホアプリの開発」でした。
このアイディアのすばらしい所は、観光客の利益だけでなく、観光地側として観光客の行動データ蓄積にもなること。まさにWin-Winのアプリ開発です。
「熊野古道を歩きたい人にとって必要な情報を全て集約し、イベントやお得な情報の配信も可能な田辺市公認アプリを目指したい」と展望を語るうめさん。
最後には開発スケジュールも公表し、さすがITのプロというプレゼン内容でした。
ライターである東京在住の久保田さん。彼女は今回のプロジェクト参加をきっかけに「note」というメディア上にアラフィフ向けウェルビーイング情報を発信する、シリーズエッセイを連載することを決意。
背景として、高齢化社会からくる若者の負担増が懸念されること、そして自分自身の問題として、子供がいない久保田さんとしては「ずっと健康でいられる努力を続けなければ」と考えたそうです。
特にその課題を意識したのは、偶然にも以前の取材で耳にした「高齢者自身もできることはやって欲しい」という高校生の切実な声。
久保田さん:このエッセイのターゲットは自分自身。メディアプラットフォーム『note』上で、健康で居続けるためのエッセイを発信し、健康の悩みがある人にヒントを提供したい。
登山よりもさらにハードルを下げるために、あえてタイトルは「森と道と」にしたそうです。
連載開始日をメンバーの前で宣言し、最終発表を締めくくりました。
そしてトリを飾るのは、東京在住のキャリアコンサルタント、芳森さん。
フィールドワークから日常に戻った後「自分に何ができるか?」を冷静考え、ここに辿り着いた、と落ち着いた語り口でプレゼンをスタート。発表タイトルは「熊野・田辺と都会の若者を繋ぐ」。
旅好きの芳森さんにとっても「今回のフィールドワークは特別な体験。その理由は魅力的な田辺の人たちとの出会いと、知的好奇心溢れる歴史的・地理的学びにありました」と、まずは参加者としての感想から。
この楽しさと、大斎原の景観の価値を伝えるためになにができるか?と自身に問いかけた結果、どんな答えが出たのでしょうか。
芳森さん:田辺で知った熊野の森の現状、豊かに暮らす田辺市の移住者、本気で遊ぶ大人の姿。フィールドワークで印象に残ったことをそのまま都会の若者に伝えたい。この発表を持続的な活動にするために、修行中であるキャリアコンサルタントとしての活動と、田辺市の魅力を伝える活動をミックスすることを思いつきました。具体的には学生や若者が所属する組織に、ワークショップや体験の企画を提案したいと思っています。
そして具体的にこの活動を訴求する団体名と、スケジュールまでを皆にシェア。所属企業が11年関わり続けている「若者きずな塾」との関係性をもとに、田辺市と江戸川区を繋ぐ、地方自治体を越えたプロジェクトがここに誕生しました。
自身のキャリアと熊野・田辺市を掛け合わせた発表で、第4期最終発表会のラストにふさわしい締めでした。
それぞれのキャリアや持ち味が色濃く反映された、11人分の「熊野と自分のつながり」。
このレポートを書いている僕自身、「課題」ではなく、熊野古道トレッキングと大斎原の景観という「魅力」から取り組んだ今回のテーマを聞いた瞬間から、「どんなドラマが待っているのだろう?」という期待しかありませんでした。
最終発表を終えてみると、中辺路を本格的に歩く試みは、参加者の中にかけがえのない経験とこれから持続的に続く「熊野・田辺との絆」を生み出したようです。
その絆は、今、この瞬間にも少しずつ芽吹いています。ライターのマリーさんは実際に10月からnote上での連載を開始。他の皆さんも最終発表後に熊野古道へ再訪して「てっちゃん」の田んぼで収穫作業をお手伝いするなど着実に熊野との関係性を築き始めています。
また、最終発表会は関東組、関西組とそれぞれ第4期のメンバーが地域ごとに集まって発表に臨んでいたことからも、フィールドワークを経て育まれた参加者同士の連帯感が伝わってきました。
こういった運営側も予想のつかない波及効果が生まれるのも、このリボーンプロジェクトならでは。
真砂市長の解説にもあるとおり、熊野古道は何人でも受け入れる「蘇りの地」。自分と熊野のつながりを新たに見つけてみたい、という方はぜひ次回のリボーンプロジェクト開催をお楽しみに。熊野古道を歩くことで、ひょっとしたら新たな自分が見つかるかもしれません(真砂市長ならここで「知らんけど」と付け加えるのでしょうか)。
リボーンプロジェクトも、毎年テーマと参加者が入れ替わりながら、つまり「蘇りながら」続いていく予定(次回開催は未定。最新情報はYAMAPアプリ等でお知らせします)。今後も熊野・田辺の地を中心にゆるやかに広がっていく関係人口の輪に、引き続きご注目ください。
文章:石塚 和人
写真:横田 裕市
協力:和歌山県田辺市