登山のインフラ的存在である山小屋が、今、新型コロナウイルスの影響によって様々な変化や対応を迫られています。実際に現場で働く山小屋の人たちはこの状況をどう捉え、何を考えているのか? 雲ノ平山荘の伊藤二朗さんと槍平小屋の沖田拓未さん、甲斐駒ヶ岳七丈小屋の花谷泰広さんをお招きし、withコロナ時代の山小屋について語っていただきました。
※座談会は2020年5月27日にZOOMを活用しオンラインで行われました。
2020.06.04
YAMAP MAGAZINE 編集部
ーご自身が主人を務める山小屋について教えてください。
伊藤:雲ノ平山荘は北アルプスの最奥地にある溶岩台地、標高2,600m付近にある山小屋です。地理的には岐阜と富山と長野の県境から少し富山側に入ったところ、「黒部源流地帯」と呼ばれる場所に建っています。
雲ノ平山荘の完成は1961〜1962年頃、最後の最後まで開拓が行き届かないようなこの場所に「山小屋を立ててみたい」と、僕の父・伊藤正一が野心を抱いたのが始まりでした。自ら道をつくるところから始めて(現在の「伊藤新道」)、約15年越しのプロジェクトで建設したのが今の雲ノ平山荘です。当時は物資輸送の手段は歩荷(ぼっか)だけだったようで、困難を極めたようですね。
沖田:槍平小屋は岐阜県から槍ヶ岳を目指す途中にある小屋です。蒲田川の「右俣」という沢に沿って槍ヶ岳の飛騨沢の方に突き上げるようなルートを歩いていきます。上高地からの方が槍ヶ岳の表玄関として知名度もあるんですが、岐阜県側の方は比較的静かで、静かな山歩きを楽しめるような雰囲気があります。
僕は槍平小屋の4代目ですが、最初は山小屋という場所をあまり好きになれませんでした。小学生の頃は無理やり小屋へ連れて行かれて、その場で宿題をやらされてましたから…。おまけに夜は真っ暗で怖いし、トイレは汲み取り式だし、虫も多いし…。でも社会へ出て働くようになって、やっぱり登山文化って素晴らしいなと思うようになったんです。その頃は仕事が終わって夜10時頃から夜通し車を走らせて、登山口で仮眠をとって登る…という登山をしていました。後を継ぐと決めて戻ってきたのが7年前。槍ヶ岳山荘での修行を経て3年前から槍平小屋に入っています。
花谷:僕は南アルプス・甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根(7合目)にある七丈小屋の運営を2017年からやらせてもらってます。他のお二人と大きく違うところは、小屋の所有者が地元の行政(北杜市)であることですね。その運営を、私の経営する民間会社が担当しているという位置づけです。
昭和30年〜40年代の登山が盛んだった頃、日本三大急登として知られる黒戸尾根には6軒の小屋が営業されていました。今、黒戸尾根エリアに建っているのは七丈小屋一軒のみで、これは戦後、地元山岳会が青少年育成のために山登りを奨励する動きを受けて建てられたものだと聞いています。さらに歴史を遡ると、黒戸尾根の7合目に初めて小屋ができたのは100年以上前、信仰登山をする人たちが行き交っていたんだそうです。
おすすめポイントは、やっぱり黒戸尾根という登山道が持つ魅力ですね。里山があり、山岳信仰があり、そしてアルピニズムがあり…。山としての魅力が非常に豊富な場所だと思ってます。
ー山小屋は「宿泊・休憩施設」としてだけでなく、「遭難救助」や「登山道の維持管理」など、実に多くの役割を担っています。山小屋の仕事について、現場でのエピソードを聞かせてください。
沖田:し尿問題は大きいですね。小屋開けで山に入ったらまずやる仕事に、雪解けとともに小屋周辺に現れる「人のいたしたもの」を拾い集めることがあります。それくらいし尿の処理は重要な仕事の一つなんです。トイレはポンプで汲みとったものをタンクに詰め、ヘリで下ろす方法をとっています。1キロあたり送料400円程度かかります。ヘリの料金は10年スパンで見ると高騰していて…。し尿処理が実は一番ダイレクトに小屋の経営を圧迫している、というのが現状です。
伊藤:し尿処理も登山道整備も遭難救助もそう。登山インフラを公的に管理する仕組みが、日本の場合、残念ながらまだまだ弱い。その結果として、山小屋や民間の方々がインフラ的な役割を担ってきました。僕は、山小屋の最も本質的な存在意義は「人と自然の関係性を生み出す前線基地」だと思っています。そして山は、無垢な自然と出会うことで、根源的な美しさとか調和や創造力など様々な学びを得に来るところ。だから山小屋は「人間社会のひとつの窓」となり、自然の存在を知らせるために、人が訪れる環境を維持するー。これが、根本的な山小屋の役割の一つだと思います。山小屋がなければコンスタントに安定した形で自然を理解することは難しいですよね。
ーなるほど。人間が自然と関係をもつ上で、山小屋は非常に大きな役割を担っているのですね。
伊藤:登山道整備など物理的に登山インフラを整える役割がある一方で、山小屋には、学術研究の基地、行政の方々の活動拠点としても機能する側面があります。個人的には今年から「アーティストインレジデンス」をはじめており、いろんな形で自然のエッセンスを社会に下ろしていくことが、僕らの仕事かなとも思っています。
花谷:僕はこの3人の中で一番小屋に入って日が浅い人間ですし、幼少期は山小屋とはまったく無縁の環境で育ちました。登山家になってからもテントやビバークがほとんど。そんな僕が山小屋経営を経験してあらためて感じるのは、やっぱり山小屋の持つ公共性、インフラ的な役割です。たとえば水の確保。どこの小屋でも非常に苦労して、水の確保をやられていると思うんですが、小屋の宿泊者はもちろん、日帰りの方や小屋を通過していく方のために多大な労力をかけています。そうやって確保した水を飲んで、登山者の皆さんが「美味しい」「生き返った」と喜ぶ姿を見ていると、山小屋のインフラ的な役割の重要性を感じますし、純粋に嬉しい気持ちになります。
ーゴールデンウィーク中はコロナの影響がどれだけ出るか、またコロナという疫病自体の感染力、死亡率が不透明でした。そのため過ごし方としては「ステイホーム」や「自粛」の意識が強かったと思います。4〜5月を振り返って、新型コロナウイルスはご自身の山小屋や登山文化にどんな影響をもたらしましたか?
伊藤:コロナウイルスの問題は今も過渡期で、状況は常に変化しています。世の中的にも、状況としてはまだ学んでいる最中。最適解はまだどこにも存在していないし、これが正解だと言える措置はおそらくないでしょう。今後再び発生する人間の密集が経済の再開にどういう影響をもたらしてくるのかについても、今、まさに注視しているところですよね。山小屋は大部屋中心の部屋割だったりして有利なものではないことは自覚しています。ただ山の環境としては、コロナウイルスがそこかしこに飛び回っているような状況は少ないです。可能な範囲で、山小屋の活動をどこまでできるのか模索しています。
ー雲ノ平山荘は例年7月から営業開始ですね?
伊藤:はい。ですので実践的な取り組みはまだ始まってません。山小屋内の密集状況を回避するために、今まではかなり敷居の高いこととされていた「予約制」を、ほとんどの山小屋が取り入れるなかで、僕らもそれを取り入れる。定員70人程度のところを20〜30人に絞ってみようかな、なんて具合に、さじ加減はそれぞれですが、みんな探りながら決めている状況です。あとは一般的な衛生管理を一層強化すること。正直、この段階で答えを出すことが正しいこととは思ってませんので、今後のケーススタディを参考にしながら、逐次学びながら持続可能な形を構築していきたいなと思ってます。
花谷:七丈小屋はこの中で唯一通年で営業している小屋です。コロナウイルスの騒ぎが始まったのは年明け2月頃からですが、僕自身が影響を肌で感じたのは3月に入ってからですね。地元行政から注意喚起はあったものの、営業に関しては管理者に任されてる状態でした。うちの小屋はもともと冬の間は定員30人でやらせてもらっていたので、コロナのあるなしに関わらず予約制を採用していたんですが、3月からは段階的に数を絞っていって、三連休後はほぼ自粛状態に入っていきました。最終的には定員10名まで絞りました。4月になると市の方から休業要請があり、5月の中旬、山梨県で緊急事態宣言が解除されるまでずっと休業を続けていました。
ー休業期間中、何か困ったことはありましたか?
花谷:困ったのは、休業要請が出たからといってすぐに小屋を閉められないという点です。冷凍庫の中にはまだ食材がたくさん入っているので、電気の保守や雪かき作業もある。いきなり(スタッフの常駐を)止めるわけにもいかず切り替えが難しいわけです。なので休業中もスタッフには通常通り小屋に待機してもらって、裏方作業や維持をお願いするという状況が続いてました。小屋を開けずとも日々の維持管理に人が要るのでその分コストもかかる…。そんな2ヶ月間を過ごしていました。
沖田:私たち槍平小屋は期間営業、しかも3〜4ヶ月の短期間なので、まだ考える猶予があります。3月からずっとコロナの動向や周りの反応にアンテナを張って情報収集をしてきましたが、まだ考え続けてるような状況です。ただ、一つ確実に言えるのは、山小屋をひとくくりに語ることはできないということだと思います。
ーというのは?
沖田:例えば水ですね。槍平小屋は水源よりも下に位置していて、小屋の近くに水を確保できる箇所があるおかげで水が豊富に扱えます。しかし、稜線の小屋ではそうはいきません。雨水を集めてそれを生活用水にしているところもあるわけです。水だけではない。物資調達でも週に数回歩荷ができる小屋、ヘリを週に1回飛ばせる小屋がある一方で、シーズン中2回程度しかヘリの利用ができない小屋もある。水の確保も物資調達も、それから掃除の仕方だって、小屋の立地や設備、環境などによって大きく変わってくるわけです。そういった視点を踏まえて、今一度、槍平小屋の良さを突き詰めながら、自分たちがやるべきこと、できることを模索していきたいと思っています。
※後編につづく
※この記事は、2020年5月28日に配信した対談の内容を文章・画像で読みやすく編集したものです。