登山にナイフを持っていく理由|ナイフで切ったパンと手でちぎったパンの違いとは?

釣り人やキャンパーならば、必ずと言っていいほどアウトドアに持参するナイフやハサミですが、「登山者」となると、持参していない方も多いのではないでしょうか? しかし、万が一の怪我の処置はもとより、さまざまなシーンで登山をより快適にしてくれる必須アイテムなのです。今回の「大内征の旅する道具偏愛論」では、そんなナイフやハサミの深淵たる世界を覗いてみたいと思います。

低山トラベラー大内征の旅する道具偏愛論 #09連載一覧はこちら

2021.10.27

大内 征

低山トラベラー/山旅文筆家

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ナイフで切ったパンを差し出されて

突然の雨なんて山においては珍しいことではないけれど、晴れ予報だったその日、ちょっと油断していたことは事実だった。雨具はもちろん持っていたし、行動食もいくらかあったものの、ボトルに入っているのはスポーツ飲料。水は昼食でほとんど使ってしまったため、それほど残っていない。

「まあでも一杯くらいは、あたたかいコーヒーを飲めるかなあ」

なんてことを独り言ちながら避難小屋に駆け込み、雨宿りがてらコーヒーを淹れる。ふわっと漂う白い湯気が、外の雨の冷たさを物語っていた。じわっとしみ込んでくる魔法の液体にほっと一息つく。いささかさみしいのは、コーヒーに添えたい甘い食べ物を持ち合わせていなかったことだろうか。

と、そのとき、ちょうど居合わせていた女性が「よかったらどうぞ」とパンを差し出してきたのだ。小さなカッティングボードにのせられたパンは美しく4つにカットされている。レーズンやクルミが入っている高級そうなパンだったが、まあ言ってみれば単なるパンだ。しかし、その切断面の美しさに味は保証されているように感じ、気遣いに感動をも覚えて、以降のぼくらの会話は弾んだのだった。照れくさそうに笑いながら「実は買ったばかりなの!」と言って、オピネルのナイフを見せてくれたことが、すごーく印象に残っている。

ということで、今回のテーマは刃物にしようと思う。中でも「小さなナイフ、小さなハサミ」は、携帯しておきたい偏愛道具として筆頭に挙げたいアイテムでもある。ブランドだとか、スペックだとか、形状だとか、そういうことは専門書に譲りたい。ここではハイキングシーンにおける用途とナイフの特徴について考察していこう。

出番は少ないけれど、肝心な場面で役に立つのがナイフとハサミ

たとえば、めちゃくちゃ手が汚れているけど食材をカットしなければならないとき。いつもは自宅であらかじめカットしておくのだけれど、その日はたまたま肉を塊のまま持ってきてしまった…。

たとえば、登山の前に購入した食材のパッケージが開封しにくいとき。指が滑るのか、あるいは袋の方が滑るのか。力任せに開けようとすると、中身が飛び散る大惨事。これ、経験ある人も多いのではないだろうか。ぼくはポテチなんかでよくやりますがね…。もちろん屋内でね。

たとえば、果物や野菜の皮をむきたいとき。実家から大量のリンゴが送られてきたから、ちょっと重いんだけれど、山仲間に振る舞おうと思ってたくさん持ってきた。なのに、肝心のナイフを忘れてしまった。丸ごとかじるか…。

とまあ、ぱっと思いついただけでも、これらの状況は考えられるものだ。その多くは調理シーン。登山の初心者でも熟練者でも、だいたいの人は山行中になにかを食べるわけで、その意味ではあらゆるハイカーに起こる可能性があるだろう。

渓流釣りや沢登りのあとに野営をする人や、長期山行の経験者なら、その多くがなんらかの刃物を山に持っていくに違いない。魚を捌いたり、釣り具や山道具の手入れ、ヤブ漕ぎ、枝払い、薪割り、そしてロープの切断などなど、山で刃物が必要になる状況はたくさんあるのだ。

一方で、いわゆる整備された登山道を歩く日帰りハイクの範囲では、実際のところナイフが活躍する場面はそうあるものではない。というよりも、ナイフを使わずとも済むような準備をしておけば十分だったりする。

とはいえ、冒頭に触れたような微笑ましいエピソードがあったり、いつやって来るかわからない“肝心なとき”に備えて、やはり野外活動には刃物を携帯しておきたいのも事実。そこで、まずは大振りなものではなく、携帯に優れた「小さなナイフ、小さなハサミ」にフォーカスしようと思う。

ナイフの用途と種類

いわゆるナイフというと、折りたたまずそのまま鞘におさめるタイプのものが挙げられる。このようなナイフを「シースナイフ」と呼ぶ。中でも、握りの部分まで刃の鋼材がつながっている丈夫なものを「フルタングナイフ」という。重さもあるから、薪を割ったり固いものを切断する用途に合う。ただし、使う度に鞘にしっかり収納しておかないと危ない面も。鞘から抜けていることに気がつかず、うっかり触れてしまい大ケガをする可能性がゼロではないのだ。

一方で、ナイフの刃の部分を折りたたんで収納するタイプは「フォールディングナイフ」と呼ぶ。折りたたみ部分にストッパーがついていて、飛び出したり急に折れ畳んでしまわないようにできている。携帯しやすいため、登山にはこちらのタイプが合っているだろう。食材を切る、ビニールを開封するといった軽作業にもちょうどいい。ただし、丈夫さには欠けるため、薪割りなどハードな用途には向いていない。

と、まだまだ細かい仕様など刃物の特性を知るために必要な知識はあるけれど、まずは「日帰りハイクで、食材を切ったりビニールを開ける」くらいを目安に、ぼくが使っている小さなナイフとハサミを紹介したい。

小さなナイフ(フォールディングナイフ)

背面のストッパーを押すと刃を折りたたむことができる「フォールディングナイフ」の一例だ。かなり小さいもので、広げても手のひらに収まるサイズ感。

食材をカットする程度ならオピネルの折り畳み型などを使うことが多いけれど、袋の開封やロープや雑草を切ることを想定して、ギザギザした波刃のナイフも使っている。開封は刃先の直刃(真っ直ぐな刃)の方を使い、ロープや枝などは波の部分をノコギリのように引いて使う。その切れ味はぞっとするくらいだ。錆びにくいH-1鋼(ステンレス)なのも◎である。

小さなハサミ(マルチツール)

こちらも刃の部分を折りたたんで内側に収納することができるタイプ。短いナイフや爪ヤスリなども付いているマルチツールである。

ハサミは意外と使いたくなる状況が多い。袋の開封はもちろん、糸やテープ、布を切ったり。たとえばケガをした際に傷口を直接圧迫止血法でおさえる場合など、手ぬぐいやタオルを切りたいときに役に立つ。

ということで、小型のナイフとハサミを日帰りハイクで携帯しておくと、ここぞというときに便利このうえなし。テント泊縦走など、より自然の中で過ごす時間が長いときは、なおさら欠かせない道具のひとつでもある。

それと、最後に重要なことについて触れておきたい。

これらの刃物は、登山やキャンプなどの野外活動で刃物を使う(調理や材木の加工など)ときや社会通念上の正当な理由がある場合に限って、携帯することが法律で許されている。それ以外の場合は、どんな理由があろうとも携帯していることそのものが取り締まりの対象になるので注意しなければならない。

ちなみに、刃体の長さが6cmを超える刃物がいわゆる「銃刀法(銃砲刀剣類所持等取締法)」の対象となり、それより小さな刃物であっても携帯する理由によっては「軽犯罪法」に違反する可能性がある。当たり前だけれど、護身や防衛が理由にならないのは言うまでもない。

そういえば、お昼ごはんを忘れてしまいお菓子で空腹をしのいでいたぼくに、山仲間が手作りサンドイッチを分けてくれたことがあった。ナイフがないからと、気がついたら手でちぎって差し出していて。もちろん食べたし美味しかったけれど、お昼ごはんを忘れてもナイフは忘れなかったのだから、せめて自分のナイフを貸せばよかったなあと、後から思ったものだった。

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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家

大内 征

低山トラベラー/山旅文筆家

大内 征

低山トラベラー/山旅文筆家

歴史や文化を辿って日本各地の低山をたずね、自然の営み・人の営みに触れる歩き旅の魅力を探究。ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみ方について、文筆・写真・講演などで伝えている。 NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」コーナー担当、LuckyFM茨城放送「LUCKY OUTDOOR STYLE~ローカルハイクを楽しもう~」番組パーソナリティ。NHKBSP「にっぽん百名山 ...(続きを読む

歴史や文化を辿って日本各地の低山をたずね、自然の営み・人の営みに触れる歩き旅の魅力を探究。ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみ方について、文筆・写真・講演などで伝えている。

NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」コーナー担当、LuckyFM茨城放送「LUCKY OUTDOOR STYLE~ローカルハイクを楽しもう~」番組パーソナリティ。NHKBSP「にっぽん百名山」では雲取山、王岳・鬼ヶ岳、筑波山の案内人として出演した。著書に『低山トラベル』(二見書房)シリーズ、『低山手帖』(日東書院本社)などがある。宮城県出身。