映画やドラマで繊細な役柄を巧みに演じ、芸術・歴史分野にも造詣が深い俳優の井浦新(いうらあらた)さんは大の山好きとしても知られています。誕生日をソロ登山で過ごすほど山を謳歌している井浦さんに「誰かと一緒に山へ出かけてみませんか?」と声をかけました。悩んだ末に井浦さんが誘った相手は、俳優の吉岡里帆さん。吉岡さんに声をかけるまでの逡巡や、山や自然に対する眼差しをお話しいただきました。
井浦新さん・吉岡里帆さんの、YouTube「山歩しよう #01」はこちら
2023.04.28
嘉島 唯
ライター
「山登りがお好きだと伺っていますが、御岳山への山歩(さんぽ)に誰かお誘いして、その様子を発信してみませんか?」
YAMAP MAGAZINE編集部から突然の打診を受けたのは、年の瀬も押し迫った2022年12月のことだった。
なんでも山歩とは、「山や、身のまわりの自然の中を歩くこと。大地を感じ、草木や、風の音や、鳥の声など自然の変化を体感しながら気持ちよく歩くこと」らしい。
御岳山は、都心からもアクセスは悪くないし、登山道も整備されているから、初心者でもチャレンジしやすい。企画の意図がなんとなく読めて「なるほど」と唸った。
ただ、この話が持ちかけられたときは、嬉しいという気持ちよりも「どうしよう」という気持ちが少し勝った。僕は、確かに登山が好きだけど、「一緒に山を登ろう」と声をかけることはほとんどないからだ。
「山登りは苦しい」と思い込んでいる人も少なくない。
急勾配な登り道や、岩壁に張られた鎖を伝って歩く鎖場、足場の悪い段差。歩き慣れない険しい道に「もう無理だ」と思ってしまうこともある。長距離を歩いて疲弊し、場合によっては足を痛める可能性もある。魅力を知る前にそういう経験をしてしまうと、山を楽しむ心は折れてしまうのだ。
僕は山へ行くときは大抵一人だ。家族で登ることもあるし、誰かを誘ったこともある。けれども、登山はとにかく「それぞれのペース」が大事だ。
年齢も体力も経験値も、価値観も人それぞれ。
だからこそ、誘う相手を選ばなくてはいけない。それが、良い時間を過ごすために必要なことだ。「山に“連れて行かされた”」という思い出だけにならないようにするハードルは高い。
では、いったい誰を誘えばいいのだろう。
頭の中の“知り合い名鑑”を検索しても、「この人だ」という閃きはなかなか訪れなかった。
自分はなぜ山に魅了されたのか。今では仕事が終わった夜に車を走らせて山へ向かうこともある。が、もともとは歴史や芸術を深堀りしていくうちに山へ行き着いたと言ってもいい。山登りが目的ではなかったのだ。
幼い頃から、考古学好きの父に連れられては、休みの度に遺跡を巡っていた。大人になってからも父から趣味を受け継ぎ、資料館などに足を運んでいたが、次第に縄文や修験道の名残を感じられる地で「実物」を見てみたいと思うようになった。これが山への誘いだった。
古(いにしえ)には、どのような習慣があり、死生観があり、何に祈りを捧げ、生活していたのか。自分の目で見て、肌で感じたい。自分の足で日本各地に残された文化の痕跡を探すようになった。
こんな動機だったから、当初はちゃんとした登山靴なんて持っていなかったし、特別なウエアやギアは何も持たないで入山していた。汗をかいた服は濡れて冷たくなり、寒暖差に驚いたり、素手で鎖場を登っては手が使い物にならなくなったり……。今考えると無謀すぎるが、初歩的な失敗を繰り返していた。
だからこそわかるのだ。登山は「得るもの」が見つからなければキツい行為であると。
「得るもの」は人それぞれだ。人里から離れることに魅力を感じる人の方が多いかもしれないが、僕の場合は、山に入ると感じられる人の気配が好きだ。古の人々の息づかい、と言ってもいいかもしれない。
登山道は人の手によって切り開かれてきた。巨石を削って足場を作ったり、祈祷のための祠を作ったり。「登山」に「山歩き」……そういった言葉が生まれるもっと前から、人は圧倒的な自然に心を動かされ、そして山に入っていたのだろう。それが今日の芸術や暮らしに繋がっているのだと思うと興奮する。
僕が山に登るときに感じるのは、古の人々の気配だけではない。自分の中に眠る野性の存在も強く感じる。
整備されているとはいえ、登山道では野生の動物と出くわす可能性もあれば、不安定な足場で怪我をしたり、崖から滑り落ちてしまうこともある。360度全てに対して意識を張り巡らせなくてはいけない。
普段、都市で生活しているだけでは、こうした緊張に身を置く瞬間はない。決まった電車に乗りさえすれば、ほぼ定刻に目的地に辿り着ける。コンビニに入れば、必要なものはすぐに手に入る。約束された安全のある暮らしも嫌いではないけれど、山に入ると普段使わない感覚が研ぎ澄まされていく。自分の中に本来あるはずの危機察知能力のメンテナンスに近い。
そう考えると、僕は山に入るという行為に対して「癒し」をあまり求めていないのかもしれない。野性の感覚を研ぎ澄ますことで、内側からヘトヘトになることを求めている。その日、疲労しきった体をベッドに沈ませるとき、初めて「癒し」を得るぐらいが丁度いい。
好きな山はいろいろある。群馬の妙義山は、特に「裏」が好きだ。裏妙義は修験の痕跡がいくつも残されていて、圧倒的な別世界へと誘われる。鹿児島県の開聞岳も気に入っている山で、一時期は自分のInstagramが開聞岳一色になったぐらいだ。ハードな登山道を這いつくばりながら制覇するのは、人生訓を見つけるようで本当に楽しかった。
屋久島の太忠岳も素晴らしかった。屋久島は洋上のアルプスとも言われるほどで、島全てが山といってもいい。その中でも太忠岳は、山頂に「天柱石」という巨石が鎮座していて神々しかった——。
ああ、そうだ。
屋久島の記憶を辿っていると、霧が晴れ、視界がひらけたようにとある人の名前が浮かんだ。この人と山に登りたい。
俳優・吉岡里帆さんだ。
吉岡さんには、以前に仕事で一緒になったときに『ミコとまぼろしの女王』(作:遠﨑史朗、絵:松本大洋、ポプラ社)という児童書をプレゼントしてもらった。この作品は「邪馬台国が屋久島にあったのではないか」という仮説を少女が解き明かしていくというストーリーで、僕が大好きな縄文文化について綴られている。
吉岡さんからは「井浦さんが絶対好きだと思って」と言われて渡された。
「なぜ自分に?」と思ったものの、読んでみるとすぐにわかった。縄文文化はもちろんのこと、太古への扉を開く高揚感が見事に描かれていたからだ。中でも印象に残っているのが「天柱石」だった。
信じられない大きさの岩の剣が、まるで、天から落下してきて、ぶっ刺さったかのように突っ立っていた。
これが、天柱石だ。『ミコとまぼろしの女王』より
本を片手に携帯を取り出して、検索窓に「太忠岳 天柱石」と打ち込む。小さなディスプレイには、まるでこの世のものとは思えない巨石と、その下に見える緑のコントラストが美しく広がっていた。「もう行くしかない」。物語を読み終わる頃には屋久島に旅立っていた。それぐらい素晴らしいプレゼントだった。
吉岡さんなら、山を楽しんでくれるかもしれない。そういう予感がした。
御岳山は平安時代から多くの修験者たちが厳しい修行をしてきた山岳信仰の場でもある。きっと良い時間になるだろう。根拠はない。けれども、きっと吉岡さんは知らない世界を夢中で楽しんでくれる人なのだと思う。そうでなければ、こういったプレゼントはできないと思うからだ。
山にも春の足音が聞こえてきた。
吉岡さん、「山歩」しにいきませんか。
*
写真=鈴木 千花、﨑村 昂立
井浦新さん、吉岡里帆さんの山歩@御岳山(東京都青梅市)の様子はこちらのYouTubeから。
*
井浦 新(いうら あらた)
1974年9月15日 東京都⽣まれ。
映画「ワンダフルライフ」(98/是枝裕和監督)に初主演。以降、映画を中⼼にドラマ、ナレーションなど幅広く活動。アパレルブランド「ELNEST CREATIVE ACTIVITY」のディレクターを務めている。近年は、「MINI THEATER PARK」の活動や、映画館のない地域へ映画を届ける『井浦新 自選映画上映会』などを主催。
環境にも人にも優しい自然由来のサステナブルコスメブランド〈Kruhi〉を22年に発表。