自分たちが暮らす足もとの大地を「流域」という地形でとらえる「流域思考」。その「流域思考」の提唱者であり実践者が、慶應義塾大学名誉教授の岸由二先生です。
気候変動に適応しながら都市文明を維持してゆく。その手がかりとなる「流域」という大地のとらえ方について、YAMAP代表の春山慶彦が岸先生にお話をお聞きしました。
2024.05.13
YAMAP MAGAZINE 編集部
YAMAP代表 春山慶彦(以下、春山)
岸先生が提唱されている「流域思考」を知ったのは、養老孟司先生(解剖学者)と対談されている『環境を知るとはどういうことか』(PHP研究所)という本でした。
岸先生はこの本の中で、「生きものの体の単位が細胞で、細胞が分からなかったら生物が分からない。それと同様に、大地のことを知るためには、その構成単位である『流域』のことを知らなければならない」と強調されています。
こう述べた上で、岸先生は「Googleが、ワンクリックで地球の全表面を流域に分けるプログラムをつくってくれないかと常々考えています。そうしたら、全世界規模で大地の認識が激変します」と語っておられました。
私が読んだときから8年ほど前に出版された本でした。気になって、流域地図がすでにあるか調べてみたのですが、まだ誰もつくっていないようでした。
気候変動により豪雨災害、土砂災害が毎年各地で起きる現代において、流域思考は大変有用な考え方だと思います。また、自然と切り離されがちな生活をする都市住民が、足もとの大地を流域という生命圏でとらえ、地球に暮らす感覚を磨ける点でも、流域思考は画期的な考え方です。
流域思考は、YAMAPの企業理念である「地球とつながるよろこび。」とも通底するところがあります。そのこともあって、流域思考を社会に実装すべく、2021年夏から岸先生にアドバイスをいただきつつ、YAMAP社員の有志で流域地図をつくり始めました。
そして2024年5月、ついに流域地図をリリースできる運びとなりました。そんな節目のタイミングを前に、「流域」という概念がなぜ今求められているのか、あらためて岸先生のお話をお聞きしたいと思います。
慶應義塾大学名誉教授 岸由二さん(以下、岸)
私は神奈川県から東京湾に流れる鶴見川の河口の町で育ち、流域で暮らし、働いてきました。1958年に中下流域を中心に約2万軒が浸水被害を受けた狩野川台風をはじめ、1982年までの計5回の大水害を全て経験しています。
水害の経験が影響してか、昔から自分が暮らしている場所を人に伝えるとき、一般的な行政区分の住所を使うのが気持ち悪くてしょうがなかったんです。何かほかにいい方法がないものかと、いつも考えていました。
1991年に慶應義塾大学の教授になり、日吉キャンパス(横浜市港北区)の校舎に研究室を構えたある日、その住所を流域で捉えてみることをひらめきました。
つまり、日吉キャンパスを「日本列島の本州の、多摩三浦丘陵の、鶴見川流域の、矢上川支流流域の、松の川支流流域の、一ノ谷支流域の、一ノ谷北方」というように、ピッと特定したんですね。
そんな言い方で住所を伝えたって、ほとんどの人は分からない。だけど、私と同じ「足もとの生命圏とつながる感覚」を持つ人は川をたどって来ることができる。そう考えると、不思議とすごく安心できたんです。
こういう感覚がみんなの共有物になったら、街に暮らす我々は地球に再び紐づけられ、「自然と都市文明の共存」ができるのではないかと思いました。
春山
岸先生の著書『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書)によると、その感覚は生きものとしての「暮らしの感覚」ということですよね。
岸
そうです。「暮らしている」は、英語でインハビット(inhabit)。ハビタット(住み場所)の中にいるという表現になります。その暮らしている感覚、すなわち「センス・オブ・ハビタット」をうまくみんなと共有できるような形で、地球の構造とつながる必要があると思っています。
そして、地球での「暮らしの感覚」を認識する手段として一番良いのが、川や流域を使うことです。
春山
僕が岸先生の流域思考に出会って腑に落ちたのが、自分たちの住む場所を入れ子構造で認識することでした。
大宇宙>銀河系>太陽系>地球>日本列島>本州>関東>鶴見川流域
このように、宇宙から足もとまでのつながりを意識して暮らすのが「暮らしの感覚」なのだと理解しました。
私たち人間を含め生きものが生かされている生命圏を考えるとき、自分の足もとだけだと小さすぎるし、最初から地球というのでは大きすぎます。「流域」という中間領域を基本として考えると、私たちの暮らしと生命圏との関係が手触り感をもって認識できます。
岸
流域というのは、簡単に言うと雨を集める領域のことをいいます。
地上に一つの場を取って、そこに集まる水の範囲があるとすれば、それがその場の流域なんです。だから海を場とすれば、そもそもこの地球の陸地はすべて流域とも言えるんですね。
水の集まる流域は大小さまざまに入り込んでいますから、お庭をちょっとくぼませて流域の形にして楽しんでいると、地球の流域全部とシュッとつながる感覚が生まれます。どこも断絶しないし、ズームインもズームアウトも自在にできる。
その感覚が生まれると、どこか安心しませんか。なかなか共感が得られないのですが、僕はそれで安心しました(笑)。
春山
気候変動への対応が声高に叫ばれている今、「環境を大事に」という抽象論ではなく、大地に根ざした形で、自分たちの暮らしを整え、気候変動、日本の場合は特に豪雨災害に備えておく必要があると感じます。
地域活動に熱心に取り組んでいる方へ「地域の単位、地域の範囲をどう考えていますか」と聞いてみるのですが、定義は人によってバラバラでした。
例えば、YAMAPの本社がある福岡市で考えてみます。私たちの地域は九州という島で見るのが適切なのか。島ではなく、福岡県、福岡市、博多区などの行政単位で見るのがよいのか。地域の捉え方はあいまいで、人によって考え方が大きく異なります。岸先生はこの地域の範囲の定義について、どのように思われていますか。
岸
地域をうまく定義できないのは、地球の生命圏のリアルな構造と自己の存在を紐付けできなくなってしまった現代人ならではの問題です。
私たちのほとんどは、地べたの凸凹と関係のない平面的な地図に納得し、地球とつながっていません。里山と言ってみたり、森里川海と言ってみたりしていますが、そうした漠然とした範囲で考えていては、地域の合意形成ができない。ただ概念を言っているだけになってしまいますよね。
例えば、雨がたくさん降っても川が氾濫しないとき、その流域に暮らす全員が「源流の森が水を貯めてくれているから助かっているんだ」と簡単に認識できないことが問題なのです。
春山
まさしく今、岸先生がおっしゃった点、とても共感します。
九州地方では災害をもたらす集中豪雨が頻発しています。近場の山を登る中で、下流は治水対策をしても、上流にあたる山が荒れていたり、ハゲ山が広がっていたりするのを見て、治水は大丈夫なのだろうかと心配してしまいます。
気候変動による豪雨災害を回避するには、局所的な治水対策ではなく、山・川・街・海といった全体のつながりの中で治水対策をする必要があるのではないか。街と山を往復しながら、そう感じることが度々ありました。
岸
そうなんです。一般の人や行政職員、企業の人たちは水害の原因に対して共通の理解を持っていない。だから議論してもまとまらない。しょうがないから国土交通省とか権威ある学識者たちが、「総合治水対策が大切だ」とか「水マスタープランだ」とか一生懸命啓発している。
春山
「水害が起こらない、安心安全な街をつくりたい」。その思いはみんな一緒です。ダム賛成、ダム反対の議論の前に、地域を考える上での共通の世界観、共通の素地をつくることはできないだろうか。そんなことも考えていました。
岸
そうした議論に必要なものが「流域地図」です。単なる尾根で区切られた地図(分水嶺マップ)とは違い、その流域内にあるそれぞれのエリアの特色までもが、ある意味で身体感覚を喚起するような形で理解できる地図のことですね。
春山
治水をはじめ、生きものの生命圏を理解する上で有用なのにも関わらず、流域思考や流域地図が社会の共通項、共通認識にまでなっていないのはなぜでしょうか。
岸
それは旧約聖書に出てくるバベルの塔みたいな理由からですね。人間があまりにもどうしようもないから、神様が人間の言語をバラバラにして対話を不可能にし、塔の建設作業を止めた有名な話です。
僕らは共通の大地を忘れて、地球を忘れた個別利害に集中して、地図をバラバラにされてしまっている。いや、もはや自分たちでバラバラにしてきてしまった。どうにか地図をまとめられないかと苦心するんだけど、なかなかいい知恵がなくて困っています。
というのも、地形をグリッドで測っただけでは、生命圏は測れない。だから今の地図では、雨が降ったときに誰の家が水没するのかまでは、分からないのです。
問題の原因は生命圏の測り間違いだと思います。それを修正するために今頼れる唯一のものは、「流域」という視点だと考えています。
春山
治水という視点からみたとき、岸先生も密接に関わっている鶴見川流域は、たいへん上手に設計されています。ここまでのスケールで、しかも行政区分をまたぎながら、流域で総合的に治水対策できているのは、国内では鶴見川だけではないでしょうか。
岸
鶴見川がよその川と違うのは、ものすごい勢いで都市化が進んだことです。鶴見川流域は235平方kmありますが、1958年当時のデータでは、市街地は10%しかありませんでした。
ところが、市街地が30%、60%、80%と次第に広がっていき、今では90%にまでなっています。僕が大学生の頃は田んぼと雑木林だった場所が壊され、とんでもない勢いで市街地になっていきました。
それに伴って問題になってきたのが、大雨での市街地の水没です。市街化っていうのは、田んぼや森をコンクリートにしてしまうこと。同じ雨が降っても、水が土に染み込まなくなる。1975年の段階で、歴史的にいえばさして大きくない雨なのに、数千軒が水没してしまう状態になっていました。
当時、建設省のキャリア官僚だった近藤徹さん(現土木学会会長)は、「河川だけにいくら予算を注ぎ込んでも、市街化が止まらない限り鶴見川の治水対策は進まない」と見極めて、流域全体で治水を進める「総合治水対策」に着手しました。
雨の降り方が全然変わらなくても、このまま市街化を進めたら地獄になるという危機感のもと、動き出したところに特徴があります。
鶴見川は、国際的な治水のモデル河川として、豪雨災害に苦しむアジアの都市地域を救済できるポテンシャルがあると思っています。
私はJICA(国際協力機構)と横浜市に治水対策の考案を依頼され、大雨が降れば死者が必ず出るようなフィリピンの地域に4回ほど行ったことがあります。そこでも鶴見川での市街化と治水の事例が役に立ちました。同じように鶴見川の知見が役立つところは、都市化が急速に進むアジア地域にはいくらでもあると思います。
春山
もうひとつ、岸先生たちのお取り組みの中で象徴的なのが、神奈川県三浦半島にある小網代(こあじろ)をフィールドにした、流域一帯の保全活動です。
小網代流域に岸先生たちが関わるようになった経緯や、保全がうまくいった背景をお話しいただけないでしょうか。
岸
僕は1976年まで、横浜市の六大事業計画という大計画を批判する、かなり急進的な市民運動の事務局をやっていました。
横浜・金沢の海を大規模に埋め立てる計画を聞いたときに、「その埋め立てのやり方だと海が汚染され、あとが大変になる」という主旨で、流域思考に則った反対運動、正確には変更運動をやっていました。でも、それが政治団体や他の団体にもみくちゃにされてしまったんです。
そのときは慶應義塾大学で助手をしていたこともあって、1976年から市民運動から手を引き、市民運動は別のチャンスが来るまで一切やらないと決めました。
でも、結局7年しかもたなかった。1983年に慶応大学の同僚の藤田さんが、小網代の谷の上手に引っ越したのがきっかけでした。
藤田さんに「家の下が原生林だけれど、そこが大規模開発でゴルフ場にされるかもしれない。保全活動を手伝ってほしい」と言われたんです。私はもともと、都市計画をやりたかったので、「絶好のチャンス」と思って引き受けました。
そのとき私は、開発地域を大きく3つの流域に区切って、
「鉄道もどんどん通しましょう」
「道路はもっと豪勢なものを通しましょう」
「でもゴルフ場は止めにして、小網代の干潟や湾の生態系を守るために、70haの小網代の流域は丸ごと守りましょう」
という、当時の市民運動としては珍しい提案を書きました。
市民運動は企業や行政が言うことに「絶対反対」と言わないと認めてもらえない時代。私の代案は「開発には賛成するけれど、ゴルフ場だけはやめましょう」というものでした。
そうしたら京浜急行電鉄も神奈川県も三浦市も納得してくれ、ゴルフ場の計画はなしにすることが決まりました。
それと同時に、その区域を保全するにはどうしたらいいのか、そこの生物多様性を豊かにするには何をしたらいいのかも、考え始めたんです。
春山
岸先生が開発運動そのものに半ば協力する形で動いた結果、小網代が保全地域になったのですね。
岸
自然保護をやっているとよく言われますが、実は私は自然と共存できる都市の計画をやっているのです。都市地域で自然を守るということは、都市計画をやらなければできるはずがない。
「貴重な生き物がいるからここを守れ」と主張するだけではダメなんですよ。貴重な生き物がいても、その土地の価格が一坪1000万円で手に入るような場所では、どうしようもないですよね。
だから、都市計画というものがどういう仕組みで、どういう法律のもとに進むのかをある程度知っていなければ、都市における自然保護の計画は遂行できない。小網代の保全はそういうプロセスをよく知っている人間が別の開発を提案したのです。つまり、理詰めで自然共存型の都市計画の代案を提示したのです。
小網代の流域は大きくはないのですが、どこに水路を通すか、その水路をどう使ったら湿原を作れるかということは、流域の科学そのものです。大きな都市計画をやる楽しさとはまったく違う楽しさがありました。
春山
私も一度小網代にお邪魔させていただきました。流域全体が保全されていて、とても貴重な場所だと感じました。
岸
小網代は早足なら一周30分ほどで回れます。そんな短い時間でも、川の合流による地形の変化や、生態系の変化を勉強できる場所というのは、おそらく、日本でも小網代にしかないかもしれません。
でも、小網代のことをそういう教育的な価値のある場所として支援してくれる自治体や行政がなかなか出てこない。流域がどれだけ面白くて、いかに教育的に価値があるか気づいてもらえない。
小網代は40倍すれば鶴見川、100倍ぐらいすれば多摩川。雨が降って川ができれば、浸食・運搬・堆積という働きが作用するのは、どの川でも同じです。川と川が合流すれば地形と景観が変わって、生態系が入れ替わるのも同じ。これを面白く思わない人がいるのだろうかと、言いたくなってしまうくらいです。
春山
流域の成り立ちや仕組みを実体験する場所として、小網代は希少ですね。もっと多くの人に小網代の素晴らしさを体験してもらいたいです。
<後編に続く>
スタンド・バイ・ミーの年齢で母地図(マザーマップ)が決まる|「流域思考」の岸由二先生に聞く【Part 2】を見る
撮影:藤田慎一郎