長野・常念岳 遭難事故の記録|命を救ったスマホ

かつてはドライブ中に眺めるだけだった遠い日の山々。富士山登頂の達成感に魅了され、2年前から本格的に登山を始めた山岡和也さん(50代・仮名・首都圏在住)。

まだ雪が残る2025年4月、北アルプスの常念岳から蝶ヶ岳へと向かう道中で滑落。抗っても抗っても止まらない“ジェットコースターのような”状況下、スマートフォンは離れることなく胸ポケットに。「経験が活きた瞬間だった」と語ります。
「誰かに役立つなら」と、当時のことを話してくださいました。

山の事故、山岳遭難のリアルに迫る、特集・遭難ZERO。遭難救助事例や遭難者体験談をもとに、事故の舞台裏をお伝えします。今回の舞台は長野県、常念岳。

遭難ZERO 〜登山遭難事故 救助事例・体験談〜 /シリーズ一覧

2025.07.31

YAMAP MAGAZINE 編集部

INDEX

4月25日

ーー当日のことについて、お聞かせいただけますか。

和也さん(以下、敬称略):午前3時に三股(駐車場)を出発しました。

活動日記より。常念岳、蝶ヶ岳を周回する「三股サーキット」を去年から心待ちにしていた。左下の軌跡が途切れているところが滑落地点

和也:去年の夏に歩いた蝶ヶ岳の稜線が本当に最高すぎて。雪の北アルプスを見てみたい気持ちもあり、去年から計画していました。早出・早着を意識した登山計画を立て、前週には下見にも来ていて、まさに満を持して迎えた当日でした。

しかし想像以上に雪が多く、中腹から前常念岳に向かう道中でペースがガクンと落ちてしまいました。

活動日記より。前常念岳に向かう道中

トレース(踏み跡)もない雪の急登は本当にキツく、ハイマツ帯は道がなく、迷う瞬間も多々ありました。

さらに、強風による汗冷えの怖さも感じたため、汗をかかないことを意識し、一層ペースが落ちました。全体的にペースを落としすぎたと思います。

ーーどのくらい遅れてしまったのでしょうか。

和也:計画には余裕をもたせていましたし、休憩も普段から余裕をもって見積もるようにしています。事前の休養も十分に取っていました。でも、雪山はなかなか読み通りにはいきません。

滑落した場所の南にある「蝶ヶ岳ヒュッテ」への到着を15時予定にし、経由地の常念岳には10時までに着く計画でした。ところが、前常念岳の時点ですでに1時間強の遅れ。ペースを落としたこともあって、休憩もろくに取っていませんでした。 そして常念岳に向かう道中でシャリバテしてしまい、「もう無理だ」「ビバークしようか」「引き返そうか」とまで考えるようになっていました。

ただ、ここまで登ってきた急斜面を戻るのも怖く、無事に帰れるかどうかも不安でした。もし日帰りであれば止むを得ずピストン(往復)を選択していたかもしれませんが、それは“たられば”の話です。予約した小屋を「もったいない」と思う気持ちと、前週の下見の際に稜線上に雪がほとんどなかった記憶も重なり、最終的には「進んだ方が安全だ」と判断しました。

ーー滑落された時の状況を教えていただけますか。

和也:常念岳を過ぎ、小屋に何度か遅れる旨の電話を試みたものの通じず、そのまま岩場を下っていきました。そして登り返しの地点に到着。そこに雪があることは遠目にも分かっていましたが、いざ着いてみると、まさかの「踏み抜き地獄」だったんです。片足がズボッと埋まり、もう片方もズボっと埋まるほどの積雪は、生まれて初めての経験でした。寝転がりながら復帰を試みるだけで、ものすごく体力が奪われる状況でした。

活動日記より。踏み抜き地獄

30分の行程を2時間ほどもがきました。その結果ヘロヘロになってしまって、正直もうこの辺りでビバークしようと思っていました。しかし、たまたま歩けそうな場所を見つけ、そこに向かおうとした瞬間、足元がズッと崩れ落ちました。

ピッケルで止めようとしても全く止まらない。何よりうつ伏せになれず、イメージ通りにピッケルを使うこともできませんでした。体感的には10m、もしかしたら20mくらい滑落していたかもしれません。たまたまクラックに落ちたことで、ようやく止まりました。

見上げると60°はありそうな急斜面。自力で這い上がろうにも顔を出している枯れ木はボロボロで、ひどい疲れもあり、すぐに「もう自力復帰は無理だ」と。

でも、その時、スマホの電波が繋がっていたんです。これは本当に助かりました。

ーーザックに入れていたんでしょうか。

和也:いえ胸ポケットです。留め具でしっかりと閉じていました。ヘッドランプはどこかに飛んで行ってしまいましたが。

実は去年の4月、群馬の四阿山(あずまやさん)で滑落した経験があります。その時もスマホは胸ポケットに入れていたのですが、留め具(ボタン)が開けっぱなしだったので飛ばして失くしてしまいました。自力で復帰できたからよかったものの、その後すぐに携帯ショップに行ってケースだったり、防水仕様のものに変えてもらうなどしました。そこからはもう「命より大事なスマホ」なので、今回も胸ポケットにしっかり。何かあったらボタンを閉じる。何があっても閉じる、を徹底していました。モバイルバッテリーも2つ持ち、充電の心配もなく心は落ち着いていました。

滑落して10分後くらいかな、YAMAPの緯度経度を警察に伝え「明朝救助に向かいます」「あまり動かず、スマホのバッテリーは切らさないように」などと会話し、低体温症にならないようクラックに潜り込み、無理矢理おにぎりを口に押し込んで夜明けを待っていました。

4月26日

活動日記より。早朝5時に撮影

和也:ヘリでの救助は、自分の所に真っすぐ飛んできてくれて、あっという間に完了しました。手際が良く10分もかからなかったと思います。引き上げられている時に見た北アルプスは、本当に綺麗でした。不謹慎ですが。

ーーそのまま松本市の病院に向かわれたと。

和也:はい。右足首の骨にひびが入っていて骨折と診断されました。アドレナリンのせいか痛みはなく、ただの捻挫だと思っていたので驚きました。車で帰らないといけなかったので松葉杖ではなく薬で痛みを抑える一次処置を受けました。

その後、タクシーで三股駐車場に戻り、立ち寄った温泉から蝶ヶ岳を眺めながら「ああ、あそこで落ちたんだな」「生きて帰れて良かったな」って。

救助費用の約12万円はYAMAPの山歩保険で全額補償され、大変助かりました。私が加入していた別の登山保険では、アイゼンやピッケルを使う登山が補償の適用外だったんです。補償内容をよく確認せず「何となく加入していたな」と、事故が起こって初めて痛感しました。

万が一の時のため、家族のためにも保険には入っておこうと考えていましたが、まさか自分が本当に保険を使うことになるとは思ってもいませんでした。このあたりは、実際に経験してみないと分からないものです。

ーー一連の出来事について、活動日記でも書かれていました。

和也:普段の活動日記は自己顕示欲じゃないですが、正直「俺の釣った魚見ろ」と同じ感覚ですよ。ありのまま、思うがままを綴っています(笑)。でも今回の件は自分が大事に至らなかったからこそ書ける部分もあると思って書きました。当たり前の反省点ばっかりですけどね。

でも、やっぱり当たり前のことをしないといけないと思います。無事に帰らないといけません。今回はたまたま言わずに済みましたが、自分が本当に心配をかけたくない母親には「怪我をした」としか言っていません(笑)。

ーー「当たり前の準備」を怠らない。どんな点がポイントになりますか。

和也:やっぱり体力は大事ですね。疲労で思考や判断能力が落ちるのは雪山では特に顕著です。休憩とコースタイムの想定と把握は当然です。あと、自信のない時は行っちゃダメですね。直感的に「あかん」と思ったら「あかん」。

そして、山はやっぱり行程の途中まで1回試して次が本番みたいな心持ちで行ったほうがいいと思います。情報だけだとどうしても盛る人もいるし、「楽勝だったよ」みたいな感じで書いたりね。自分が身体で感じたものを参考にする。

そして何よりスマホです。滑落経験からその重要性を痛感していたことは非常に幸いでした。それでも想定できるリスクはゼロにはできないんで、どこまで減らせるかを常に考えて計画を立てることが大切だと思います。

これからの山

ーー 今回の件の以前・以後で、山との付き合い方に変化はありましたか。

和也:遭難事故に関するニュースは、以前にも増して目に留まるようになりました。ビビりも少し入ったのだと思います。痛い目に遭うと、やはり慎重にならざるを得ませんね。

でも、この経験をトラウマにはしたくないんです。以前に滑落した群馬の四阿山も、吹雪で撤退した屋久島(宮之浦岳)も、自分の中に悪いイメージを残したくない。もちろん山に対しても。だからすぐリベンジに行くようにしてきました。

今回も、まだ前みたいに「はいはい」みたいな感じではないですが、いつかはリベンジしたいと、そう思ってます。

ーー 富士山もリベンジだったと伺いました。

和也:40代の初め頃、仲間内で「富士山ぐらい登っとかな」って話になり。ただ、8合目を越えたあたりで高山病にかかり、全く動けなくなってしまって。その時の記憶も飛んでしまうほどで、それが少しトラウマになっていました。

でも、もう歳も歳なんで登っとこうと思い直して、2年ほど前に行ってみたら登れたんです。それが私にとって初めてまともに登れた登山だったんですが「登れるやん」ってなって。

その後に登った「大菩薩嶺」や「谷川岳」も無事に登れて「ああ、よし」と本格的に始めた感じです。

ーー 自然な流れですね。

和也:はい。もともと車が好きで、大阪にいた頃、中央道とか東名とかよく走ってたり、ビーナスラインとか渋峠とか、山道も通るじゃないですか。運転中に山が見えるとやっぱり気になるわけです。「あの山なんやろ」みたいな。多趣味というか、多芸は無芸で、気が多いんですよ。日本百観音も車で巡りましたし。

今回も、周りからは「もう雪山禁止」とかね、色々言われましたけど。日本百名山目指してこれからも頑張りますよ。しっかり準備してね。

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ヤマップグループの登山保険「山歩保険」と「外あそびレジャー保険」はスマホで簡単に加入でき、いざとなれば遭難救助費用や、ご家族が駆けつけるときの交通費や宿泊費も補償(あわせて最大300万円)。他の登山保険では補償対象とはならないケースもある、アイゼンやピッケルを使うような山岳登攀も補償対象に含まれています。

あなたの帰りを待つ大切な人のご負担を軽減します。ぜひご検討ください。

承認番号:YN25-228
承認日:2025年7月25日

YAMAP MAGAZINE 編集部

YAMAP MAGAZINE 編集部

登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。