登山好きとしても知られるフリーアナウンサーの大橋未歩さんが、アメリカのロングトレイル「ジョン・ミューア・トレイル(JMT)」を歩いたときの”旅の記憶”を綴るフォトエッセイ。初回は出発前の準備の話から、予期せぬトラブルに見舞われた登山口へたどり着くまでの顛末について。夢と希望と食料と…大事なものをザックに詰めたら、いざ、冒険へと旅立ちましょう!
大橋未歩のジョン・ミューア・トレイルの山旅エッセイ #01/連載一覧はこちら
2020.07.31
大橋 未歩
フリーアナウンサー・"歩山"家
冷蔵庫の中身は日持ちのするものだけにした。
溜まっていた洗濯物も済ませてある。
新聞も止めた。
私はこれから、ちょっとのあいだ家を空けるのだ。
「じゃあ、先に荷物出しちゃおう」
夫が二つの巨大なバックパックをマンションの廊下に出した。
*
今回の旅では、どれだけ荷物を軽くできるかが勝負になる。歯ブラシは柄の部分が重いので子供用を買った。39歳の私は「アナと雪の女王」で29歳の夫は「ポケモン」。これで計6g軽量化できる。財布も小銭も重いから、クレジットカードと電子マネーのカードだけをジップロックに入れた。
食料は軽さとエネルギーと美味しさとのせめぎ合い。山の定番、尾西のアルファ米はもちろん、お中元でいただき消化しきれなかった素麺なども入れてみた。エネルギー源となる炭水化物たちはどうしてもずしりとくる。
化粧品はクレンジングと保湿液と日焼け止めだけ。眉毛も描かないと決めた。これは重さというより、メイクをしばらく捨てることに挑戦したかったから。大自然の中では小手先の美しさで外見を飾り立てて自分を守ることは意味を持たない。半分になった眉毛で、自然となのか、はたまた自分となのか分からないけど、ちゃんと向き合ってみたかった。
「忘れ物ないかな」私が聞くと、「何かしらあるでしょう」と夫が答える。
「パスポートだけ持っていればあとはどうにかなるよ」
初めての冒険を前に不思議と落ち着き払っている夫は、丸刈り頭という風貌も相まってちょっとした僧侶に見えてくる。
家の鍵を閉めて、廊下を塞いでいる巨大なバックパックに手を伸ばす。ショルダーベルトに片腕を通し持ち上げようとしたけど、いつもなら持ち上がるはずのバックパックは床からわずかに浮いただけだった。10kg以上を背負うの初めてだ。まず深くしゃがんで両腕を通す。そして呼吸を整える。曲げた膝と腰に意識を集中して、同時に弾みをつけた。「よいしょ!」の掛け声とともに一気に立ち上がった。
今日、私たちは2週間と少しの休みを取って、結婚3年目のハネムーンに出かける。目的地はアメリカ、カリフォルニア州。だけどワイナリー巡りでもなければ、アルカトラズ観光でもない。私は世界で最も有名なロングトレイル「ジョン・ミューア・トレイル(JMT)」を歩くのだ。
“ロングトレイルハイク”はいわゆる普通の登山とは少し違う。衣食住の全てをバックパックに詰め込み、山々をいくつも越えて、ただひたすら歩き続けること。山の頂上は目指さない。ただ、山で“過ごす”こと。歩くほどに変わる景色を吸い込みながら、その日の寝床を探して、水場を見つけたら浄水して水筒に詰め、湯を沸かしてご飯を食べる。それが、“ロングトレイルハイク”だ。
アメリカには、有名なロングトレイルが三つある。いずれも北米大陸を縦断するもので、西側からパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、アパラチアン・トレイル(AT)と名付けられている。どれも一つ歩ききるのに数カ月から半年を要する。三つ全てを踏破すると「トリプルクラウン」なんていう称号が与えられたりもするのだけれど、私はそんなものとは縁遠い。
今回はPCTの一部、自然保護の父と言われるジョン・ミューアの名が冠された世界で最も有名なトレイル「ジョン・ミューア・トレイル」の、さらにそのまた一部、約120kmを歩くのだ。一部のそのまた一部で120kmだから、そのスケールは並じゃない。
目的地はサンフランシスコだが、直行便は値が張るからロサンゼルス経由便にした。航空券の予約は私の担当。シュラフを新調した分を取り返さんとばかりに格安チケットを購入した。
座席に体をおしこみ、スマホを機内モードに切り替えるついでに何気なくヨセミテ国立公園の公式ツイッターを覗いた。
目を疑った。
実に端的な英語でこう書かれていた。
「山火事のため、タイオガ・ロードは全面通行不可」
ごくりと唾を飲む。
タイオガ・ロードはカリフォルニア市街からヨセミテへアクセスするほぼ唯一の道だ。私たちが歩くJMTは、ヨセミテ国立公園から始まる。さらに調べると、道路だけでなくヨセミテ周辺の鉄道も全面運行休止ーーそれはつまり、スタート地点へのルートが全て閉ざされているということを意味していた。
心臓が早鐘を打つようにバクバクと鳴る。
私たち夫婦の焦燥感をよそに、機体が重低音を響かせゆっくり滑走路を走り出す。
今からスタート地点や日程を変更するなんてできやしない。日本と違い、週末に思いつきで山へ行こうと思っても許されないのがアメリカの国立公園だ。私のサコッシュにパスポートと同じくらい大切に納められているこの入山許可通知書は、渡航の3か月前から申請をしてなんとか手にしたものなのだ。
この厳格な仕組みの背景には、徹底した自然環境保護の姿勢がある。自然へのインパクトを最小限にするため、トレイルヘッド(登山口)ごとに1日の入山人数が定められている。人気がある場所で1日45人ほど。入山希望者は空き枠が日ごと更新される国立公園のHPとにらめっこをして、自分の登山プランに合ったトレイルヘッドを探す。それが見つかれば、そこから始まる登山計画を書き込んだ申請書を提出し、審査に合格した者だけが晴れてJMTを歩くことができるのだ。
慣れない地図を広げて、ああでもないこうでもないと夫と話し合ってきた末に、やっと手にした合格通知。今から40時間以内にはヨセミテの登山口で、この合格通知と引き換えに入山許可証を受け取らなければならない。間に合わなければもちろん入山は許されない。数ヶ月かけて練りに練った計画が、今ガタガタと音を立てて崩れようとしている。飛行機代やサンフランシスコのホテル代も考えるとますます血の気が引いた。とりあえず気を紛らわせようと、機内食のパンを口に入れてみたけど味がしなかった。
心身ともに疲弊しきった私たちを乗せた飛行機は、夕暮れ前のサンフランシスコに降り立った。8月だというのに風が冷たい。あまりの寒さにバックパックからダウンジャケットを取り出す。溜め息混じりに天を仰ぐとサンフランシスコ名物の重い霧が空を厚く覆っていた。
まずは事前に予約してあったホテルに向かう。今夜はゆっくり西海岸のシーフードに舌鼓でも打って、明日から始まる旅の前夜祭とするはずだった。でもそんな時間の猶予はない。明朝には登山口に着いていなければならないのに、有効な手立てがないまま時間だけが過ぎていく。弱いWi-Fiを探り、慣れない英語で絶望的な情報ばかりを収集するのにも疲れ果てていた。何もかも嫌になり、ベッドの古びたブランケットに顔を埋め、現実逃避するかのように眠ってしまった。
「タイオガ・ロードが開通してる!」
夫の素っ頓狂な声で目が覚めた。
なんと、私たちが空を飛んでいる間に、道路が一部開通したらしい。
日本を発って初めてのいいニュースだった。
「UberかLyftならヨセミテまで行けるかもしれない!」
これが一縷の望みというやつか。
日本でもお馴染みになりつつあるUberの他に、アメリカではLyftというライドシェアが有名だ。鉄道はまだ運休中だが、道路さえ開通すれば車で登山口の近くまで行くことができる。Lyft のアプリで早朝5時出発の仮予約をする。日本のタクシーのように予約を確定させる仕組みはないから、朝のその時間になってみないと結果はわからない。サンフランシスコ市街からヨセミテ国立公園入口まで480kmの道のりを走ってくれるドライバーさんに出会えることをただ祈りながら目を閉じた。
「Lyft来てくれるみたいだよ」
またしても夫の声で目が覚めた。朝の4時。外は真っ暗だ。寝ぼけ眼で浴室に向かう。シャワーの蛇口をひねり、勢いよく飛び出したお湯を頭から浴びる。徐々に脳が冴えてくる。一度は諦めかけた旅の入口に立てるんだ。急に現実味が増してきて、体を入念にこすった。蛇口をひねれば熱いお湯が出る。このシャワーともしばらくお別れなのだ。山に入ったら、シャワーはもちろんトイレもない生活が待っている。
朝5時。荷物をまとめ、ホテルを出る。遠くの空がうっすら光を帯び始めている。昨日よりサンフランシスコの空気が軽く感じる。ホテルの前には地味な銀色の日産セダンが止まっていた。ドライバーの名前はアレクサ。大柄で優しそうな女性だった。
実は、予約できたのは上限金額いっぱいの200kmまで。ヨセミテまではその倍の距離がある。恐る恐る本当の目的地を伝えた。するとアレクサは「Why Not!(もちろん!)」と元気な声で答えてくれた。往復で10時間かかるというのに快諾してくれた彼女は、紛れもなくサンフランシスコの女神だった。
道中何度かガソリンスタンドに寄っては小さなドリンクを買ってきて一気に飲み干している。日本でいう『眠眠打破』みたいなやつだろうかなどと考えていたら寝てしまった。
肩をポンと叩かれて目を開けた。眩しい。いつのまにか昇りきった太陽が、窓の外に見える広大な湖面を照らしている。そのはるか奥には、天を突くように切り立った岩肌。時刻は10時前。いつのまにか、ヨセミテ国立公園に入っていたのだ。
ついに来たんだ・・・。
このスタート地点がどれほど遠かったか・・・。
車窓を流れる壮大な自然を眺めながら感慨に浸っていると
「乗った瞬間、寝てたよ」夫が嫌味を言ってきた。
国立公園の敷地に入ってから1時間ほど走ったところで、道路の右側に突然建物が現れた。看板には「Tuolumne Meadow(トゥラミ・メドウ)」とある。「Here!(ここだ!)」夫が叫んだ。
私たちは車のトランクからバックパックを引っ張り出し、アレクサと熱い抱擁を交わした。「本当にありがとう!」感謝の思いを一生懸命伝えると、アレクサは「私もヨセミテは来たことなかった。仕事で来させてもらえて嬉しいよ」と答えた。心底暖かい人だった。ちなみに、支払ったのは260ドル(29,000円程度)。素敵なアレクサとの出会いはこの旅の成功を予感させた。
が、甘かった。
このあと私は瞬く間に高山病に冒され、地獄の急登スイッチバックに落涙し、人生で初めてハンバーグの夢を見て、罪悪感に打ちひしがれながら可愛いリスの巣穴に用を足すことになるのであった。
そんな私をよそに、来る日も来る日も陽は昇り、そして沈んだ。
圧倒的に強く揺るがず美しい自然はどんな痛みも優しく癒してくれた。
そんなある夏の旅に、お付き合いいただけたら嬉しいです。
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