YAMAPユーザーが地域創生に協力|熊野リボーンプロジェクト2021前編

日本屈指の巡礼路「熊野古道」。和歌山県田辺市は、その主要ルート「中辺路(なかへち)」の玄関口として、平安時代より栄えてきました。「熊野リボーンプロジェクト」は、田辺市の人々とYAMAPユーザーのふれあいを通して、熊野に新しい風を起こし、参加者みずからも新しい生き方を見つけていこうと2020年から始まった地域創生の取り組み。この記事では2年目となる2021年の活動の模様(前編)をお伝えします。

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2022.02.18

Jun Kumayama

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熊野リボーンプロジェクトとは?

熊野本宮大社の鳥居ごしに、かつて本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)の大鳥居を臨む

「こんなにキツいとは思わなかった。でも楽しかった」と振り返るのは、熊野リボーンプロジェクト2021に参加したとあるメンバー。

熊野リボーンプロジェクトとは、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち、熊野古道・中辺路(なかへち)の大部分と熊野本宮大社を擁する和歌山県田辺市での地域創生の取り組み。

平安時代より熊野三山の参詣道として栄え、最盛期の江戸時代には「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど多くの巡礼者でにぎわった田辺市ですが、そのロケーションはやや辺鄙。空路こそ東京から1時間半の距離ながら、陸路でアプローチしようものなら新幹線と特急を乗り継いでも東京から5時間以上かかるのです。

田辺市は紀伊半島南部に位置し、近畿最大の面積を誇る自治体。1,000平方キロメートルを超える面積の実に9割を占めているのが森林です。しかし、かつて田辺市の一大産業であった林業は衰退傾向。他の地方都市の例にもれず人口も減少傾向で、山林は徐々に荒廃し、熊野古道を支えてきた里山の営みは今、少しずつ失われようとしています。

和歌山県田辺市は、紀伊半島の南に位置し、近畿最大の面積を誇る

しかし、この厳しい状況下でも懸命に熊野の文化を支え、美しい自然を次世代に残そうと活動している地元有志がいます。

熊野リボーンプロジェクトは、そんな和歌山県田辺市の人々と、都市に暮らしながら自然を愛するYAMAPユーザーの間に絆をつくり、「衰退する里山に新しい風を起こす」「都市に住む人々が地方とつながり『新しい生き方』を見つける」ことを目的に2020年から始まった地域創生のチャレンジなのです。

初年度となる2020年には、関東エリアのYAMAPユーザーを中心に、ファンドマネージャーからコンサルタント、カメラマン、デザイナー、広告プランナー、俳優など個性あふれる総勢13名がフィールドワーカーとして参加。オフライン・オンラインで3回のミーティングを経たのち、3日間にわたり田辺を訪れ「林業」「農業」「狩猟」「観光」の現場を目の当たりにしました。

フィールドワーク後は、それぞれの得意分野や興味関心をもとに熊野古道・田辺市の地域活性化案をプレゼンテーション(詳しくは第1期活動レポートをご覧ください)。プロジェクト終了後もメンバーが熊野古道を再訪するなど、さまざまな交流が続いています。

熊野リボーンプロジェクト2020でのひとコマ。みかん農家での収穫体験

第2期となる2021年はテーマを「林業」にしぼり、田辺市で活躍する林業事業者を講師に迎えた全3回のオンラインミーティングに、3日間の現地フィールドワーク、そして活動を締めくくるオンライン発表会を実施しました。1期と大きく異なるのは、参加者の募集を関東だけではなく、全国へと広げた点。コロナ禍ならではのオンラインでつながる強みを活かし、さまざまなバックボーンをもった参加者同士の化学反応も期待しました。

この記事ではそんな熊野リボーンプロジェクト第2期のレポートをお届けします。なお、レポーターは第1期のいち参加者であった私、ライターの熊山准。そう、参加者同士や、参加者と田辺市の人々の交流はもちろん、「熊野リボーンプロジェクト」の名のもとに集まったフィールドワーカー同士の世代を超えたつながりもまた、この取り組みの妙味なのです。

林業の過去・現在・未来をあますことなく伝える第2期。写真は現地林業従事者が導入している物資運搬用の最新ドローン

個性豊かな2期生たち

熊野リボーンプロジェクトで参加者の案内人となるのは、第1期からメンターをつとめる低山トラベラーの大内征さん。日本各地の低山霊峰を旅する大内さんにとって、山々が折り重なり「熊野三千六百峰」とも称される田辺は、ご自身も大好きで何度も訪れているフィールド。企画、司会進行、フィールドワークの実施まで、半年以上にわたるプロジェクトだけに思い入れもひとしおとのこと。

フィールドワーカーとともに林業体験に従事する、低山トラベラーの大内征さん

田辺市からは現地事業者として、観光事業に長年携わってきた田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田稔子さんと、同市で次世代の林業を実践している株式会社中川の中川雅也さんが参加。さらに、熊野古道歩きでは田辺市長の真砂充敏さんも語り部としてご同行いただける特典付き。

左から株式会社中川の中川雅也さんと、田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田稔子さん

そんな講師陣のもとに集まったのは、第1期以上に濃厚な個性とカラフルなバックボーンをもったフィールドワーカーたちです。

コロナ禍ゆえ貴重な2期メンバーのマスクオフショット

大阪の大手電気メーカーでエンジニアをつとめる傍ら、メディアアートのクリエイターとしても活動している平田智也さんは、夫婦いっしょに応募したところ、見事2人揃って合格しました。コロナ禍で登山を始めたばかりという平田夫妻。とりわけ奥様の尚子さんのご職業は生花店だけに林業との関わりも少なくなさそうです。

横浜から参加したのは、天然素材を積極的にもちいるリフォーム会社でプランナーを担当する竹内怜実さん。木材の生産現場を巡る今回のプロジェクトにぴったりのフィールドワーカーと言えるでしょう。

同じく横浜からは、シューズメーカーへの入社を機に運動習慣ゼロからトレランを始め、わずか数ヶ月でレースにエントリーするほどまでにハマってしまったコピーライターの菅原瑞穂さん。自社メディアを通じ、田辺や熊野古道の魅力を発信したいとのこと。

今回もっとも遠方から参加したのが愛媛県出身の三宅洋平さん。2018年の西日本豪雨をきっかけに、気候変動や里山のエコシステムに興味関心を持つようになった彼は、安定した鉄道会社勤務という立場を捨て、脱サラ覚悟で林業をはじめたいと、誰よりも前のめりです。

広告代理店でプランナーをつとめるのは甲斐千晴さん(愛称やまちーこ)。都心から自然豊かな茨城に移住したばかりの彼女は「30代最後に熊野の神々に婚活の願掛けをしたい」と笑います。また、会議やワークショップをイラストで可視化するグラフィックレコーディングの技術をもつ彼女だけに、そのレポートにも関係者から大きな関心が寄せられました。(甲斐さんのグラレコインスタグラムアカウントは@grarecochiharu)。

左から右に、平田夫妻、竹内さん(上段)。菅原さん、三宅さん、甲斐さん(下段)

仏教について学んだ経験があり、一時は高野山に住んでいたこともある最年少のユエンさん。高野山と熊野は小辺路でつながる土地ながら、また新たな視点で熊野を勉強しなおしたいとのこと。普段、テントを担いで北アルプスを旅する山ガールだけに古道歩きにも積極的です。

三重県の小学校で教鞭をとっているのは藤原愛里さん。小学5年生を受け持ち、林業や農業についても授業で教える立場になったという、そんな彼女の目下の課題は経験不足。生徒に教える立場として、みずから林業の現場を学びたいという殊勝な動機からのご参加です。

鈴木久子さんは東京の編集プロダクションで実用書を中心に編集・ライティングをおこなっているメディア関係者。ここ数年登山をたしなみ、東京オリパラのボランティアなどの活動にも関わった経験のある彼女は、大の梅好き。南高梅の一大産地・田辺はもちろんのこと、自身の鈴木姓のルーツである和歌山県を一度訪れてみたかったと語ります。

同じく東京から参加の松井美樹さんは図書館司書のかたわら、プロダクトとしての書物をこよなく愛し、みずから草木染めした布を用いて本作りに勤しむクリエイター。関西に住んだ経験もありながら、熊野古道を歩いたことがないという彼女は、田辺の草木で和紙を染めてみたいとか。

かつて職場の人間関係に疲れたとき、熊野古道のソロハイクで救われたというのは愛知県出身の看護師・角野しずさん。熊野古道を愛するがあまり、もっと気軽にアクセスしたいと奈良県・和歌山県限定で結婚相手を探したという彼女は、熊野古道の持つ不思議な魅力を解き明かしたいと、結婚後の拠点・奈良県からのご参加です。

デザイナーの永井里沙さんは千葉県からのエントリー。昨年「たなコトアカデミー」という田辺市と雑誌『ソトコト』の地域創生の取り組みに参加していたそうですが、コロナ禍により現地フィールドワークが叶わなかったとのことで、今回はいわばリベンジ参加。

左から右に、ユエンさん、藤原さん、鈴木さん(上段)。松井さん、角野さん、永井さん(下段)

以上12名が、第2期フィールドワーカーの面々。1期に比べると女性比率がずいぶん高めですが、選考は「志望動機に思いのたけを書き連ねた熱い人を選んだ結果」とのこと。志望動機、大事です。次回以降参加希望の方は、ぜひ参考にしてください。

座学で熊野古道・田辺市を知る

熊野リボーンプロジェクト第2期。一同は10月中旬のキックオフミーティングを経て、本格的なワークショップが始まる第2回目のミーティングに臨みます。

東京・新宿のメイン会場と、各地のメンバーをオンラインでつなぎ開催したキックオフミーティング

第2回ミーティングは、オンラインで11月初旬に開催。田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田さんと、株式会社中川の中川さんをゲストスピーカーに迎え、「熊野の歴史文化と林業」に関するプレゼンテーションが行われ、その後、フィールドワーカー個々人が現時点でどのようなテーマに興味関心があるのか、自由にブレインストーミングが行われました。

観光の達人から学ぶ熊野古道・田辺市の魅力

田辺市の観光に携わる多田さんから伝えられたのは、同市の歴史文化や見どころ、そして観光面での課題です。

多田さんが資料の中で取り上げていたのが、近年フォトスポットとして注目を集めている田辺市の天神崎。ウユニ塩湖のような鏡映しの絶景が撮れると話題の場所ですが、かつて大規模な別荘開発が計画された際、自然の景観を守ろうと日本で初めてナショナルトラスト運動(市民が自己資金で自然や歴史的な環境を買い取って守り、次の世代に残す取り組み)が起こった場所でもあります。

「このような市民の姿勢には、明治期の博物学者であり、熊野の森の保護活動に熱心に取り組んだ南方熊楠の思想が影響している」と多田さん。

インスタグラムでも話題の天神崎。気象条件が合えば、鏡写しの夕焼けが楽しめる

続いて、熊野古道中辺路の起点である、田辺市中心部の魅力も紹介。とりわけ大小200店舗以上の飲み屋が軒を連ねる「味光路(あじこうじ)」では、モチガツオ(死後硬直する前の新鮮な本ガツオ)の刺身やウツボ料理といった地元の人々に愛される味覚が楽しめるとあり、画面越しながら早くもフィールドワーカーたちのザワツキが伝わってきます。

そして田辺のキラーコンテンツといえば、「やっぱり熊野古道と熊野本宮大社」と多田さん。

多田さんが会長を務める田辺市熊野ツーリズムビューローは、2004年の世界文化遺産登録後に立ち上がりました。発足以来、観光開発によって地域住民の生活や自然環境が損なわれることを懸念し、持続的で上質な観光地づくりを目指してきました。そこで、ターゲットにしたのが欧米豪のFIT(外国人個人旅行者)、目的意識をしっかりと持ち世界中を旅する人たちです。

とりわけ力を入れたのが、英語で表記された看板や標識の整備。また、外国人旅行者と地元の人々が英語を介さずともコミュニケーションが取れるよう、エリアマップや指さしツールなどを作成。地元事業者を交えたワークショップを実に60回以上も開催し、外国人旅行者の移動・食事・宿泊をサポートする態勢を地域に作りあげました。

「ブームよりルーツ」「乱開発より保全・保存」「マスより個人」など田辺市熊野ツーリズムビューローが掲げる観光戦略の基本スタンス

その甲斐あってか熊野古道の観光客は順調に推移し、2019年に外国人宿泊数は年間5万人を突破。同社の旅行事業の売上に占める外国人宿泊数の比率は9割にも迫り、その先進的な試みは国内外問わず、多くの人々からの注目を集めました。

しかし、新型コロナウイルスで状況が一変、外国人旅行者はほぼゼロに。かねてより外国人旅行者偏重は課題だったそうですが、突然やってきて居座り続ける逆風を前に、マーケットチェンジを余儀なくされました。

そのなかで可能性を見出したのが、団体旅行ではなく個人で、短期ではなく中長期でじっくりと田辺に滞在し、古道歩きやワークショップを楽しむ日本人旅行者の誘客です。自然や文化、歴史が好きで、山歩きも好き。まさに今回のフィールドワーカーのような人々がターゲット。

「フィールドワーカーの皆さんには、独自の視点で田辺の新たな魅力を掘り起こしてほしい」とのメッセージで多田さんのプレゼンテーションは結ばれました。

熊野三山に祀られている「八咫烏」をモチーフにしたダルマ。熊野古道周辺では、あちこちで八咫烏に出会う

森づくりの達人から学ぶ「新たな林業」

続いて登壇した株式会社中川の中川雅也さんからは、家業のガソリンスタンドを畳んで林業に転換した経緯や現在、手がけているビジネスについて語られました。

インドネシアで貿易の仕事に就いていた中川さんは、現地でデング出血熱にかかったことを契機に地元田辺へとUターン。たまたま見つけた森林組合の求人に応募し林業に携わったことで、林業の収益性の低さ、ひいては後継者不足と里山の荒廃を目の当たりにし、その現状を変えようと起業を決意したそうです。

波乱万丈な中川さんの半生。ガソリンスタンドを畳んで木を植える、一人カーボンニュートラルの人生だとか

社のコンセプトは「木を伐らない林業」。

現在、全国的に問題となっているのが、木の伐採後に何も植えられず荒れ山となった「植栽放棄地」です。新たな木を植えなければ次世代の林業従事者が収益をあげることができないうえ、山林がもつ天然のダム機能が失われ土砂災害も発生しやすくなる。山に棲む生き物たちの食べ物も不足し、農作物への食害も広がります。しかし林業は慢性的な後継者不足。木材売却のための伐採が優先され、植栽に割く人手が不足しているのです。

そこで株式会社中川は山林の持ち主を相手に、植栽を中心とした育林事業に特化した林業を展開。とりわけ昔ながらの豊かな広葉樹の山を再生させるため、動物たちのエサとなるどんぐりを拾い集めて自社で発芽・植林することで、生態系の多様性を復活させようとしています。

さらに林業の労働環境にもメスを入れます。フレックスタイム制や自由出勤制といった柔軟な働き方や、働き盛りの世代ほど高収入になる給与システムを導入。ドローンなどを積極的に活用することで、3K(きつい、汚い、危険)のイメージがつきまとう林業を効率化し、安全な産業にしようと奮闘しています。

それら持続可能なビジネススタイルは広く注目を集め、県外からの移住希望者も続々と入社、離職率ほぼゼロの組織運営を行っているのだそうです。

中川での働き方事例も紹介。Wワークしたい従業員が働きやすいよう労働環境を整備しているとのこと。写真は東京から田辺に移住した25歳の新入社員兼新米社長!

「家業のガソリンスタンドでさんざん二酸化炭素を排出した分、今はひとりカーボンニュートラルやってます」。そう笑いながら話す中川さんの徹底した生き様に、参加者一同は驚きと尊敬の眼差しです。

中川さんのプレゼンでみんなの気持ちは一気に熊野へ。写真はかつて熊野本宮大社があった大斎原

その後、多田さんと中川さんのプレゼンをもとに、グループに分かれて本日の感想や、参加者各人が熊野でやりたいこと、関わりたいことなど「熊野×??」をテーマにディスカッション。

「熊野×サウナ」「熊野×香り」「熊野×アーティスト」「熊野×シェアビレッジ」などアイデアの数々が矢継ぎ早に発言されていました。果たしてこのアイデアの種が現地でのフィールドワークを経てどのように芽吹くのか。そして、記事冒頭で触れられた「こんなにキツいとは思わなかった。でも楽しかった」の発言の真意とは? 後半はいよいよフィールドワーク本番についてお届けします。

→後編に続く

Jun Kumayama

WRITER

Jun Kumayama

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ライター/アーティスト。好きなものは山と旅とアート。ライフワークは夕焼けハント。アバターぬいぐるみ「ミニくまちゃん」でぬい撮り活動も。現在は、東京と沖縄の二拠点生活中。