YAMAPフォトコンテスト2021で「Adobe賞」を受賞した武澤廣征さん。ご両親の影響で物心ついたときから登山をしている武澤さんは、奥穂高の「馬の背」に魅せられて通い詰めたことがあるのだとか。大好きな山について、さまざまなエピソードを熱く語っていただきました。
2022.05.13
YAMAP MAGAZINE 編集部
―登山を始めたきっかけを教えてください。
初めての登山は生後10ヶ月くらいのとき、父か母の背中で体験しました。もちろん記憶はないんですけど。自分の足で初めて登ったのは、両親はいわく一歳半くらい。今思うと、とんでもないことする親だなと思います(笑)。
―すごい! それはどちらの山ですか?
福島です。地元が福島で、よく近くの山に連れていかれました。その後、小学校に上がる前に名古屋に転勤になり、日本アルプスに行きやすくなって、小学校1年生のとき初めて立山に行きました。その頃になると記憶が残っていて、登山者の人たちに「ちっちゃいのに頑張ってるね!」と褒められたのを覚えています。それからも毎年のようにアルプスを楽しんでいましたね。その後また福島に戻ったんですけど、社会人になって上京し、アルプスに登るようになりました。
―物心ついた頃からずっと山に登っているんですね。
はい。僕にとって登山はライフワークです。
―子どもの頃に登山をさせられると、山を嫌いになっちゃう子もいると聞いたことがありますが……。
そうなんです。僕は山にハマったけど、姉は山嫌いのインドア派になりました(笑)。そんな姉も、母親になった今は家族でキャンプやハイキングをしているんですよ。それはやっぱり、子どもの頃の思い出があるからだと思います。
―子どもの頃に親から受けた影響は大きいですよね。
僕は山のことをぜんぶ両親から教わったんです。地図の見方も、登山道のルールも。小さい頃、山で石を投げてしまったことがあるんです。今思えばとんでもないことなんですけど、その頃はなにが危険なのかもわかっていなくて。そうしたら両親にものすごく怒られて、落石がどれだけ危ないことかを教えられました。
あとは、縦走中に雷雲の中に入ってしまったことがありました。そのとき初めて雷が真横を走るのを見たんですが、姉の髪の毛が逆立って、岩が地響きでジリジリ鳴るんです。あと5分くらいで山小屋に着くんですけど、「その5分の間に雷に打たれるリスクを考えたら停滞したほうがいい」と両親に教わりました。山の雷の怖ろしさを肌で感じましたね。
―頼りになるご両親ですね。
はい。時間帯による天候の変化とか、上りと下りで靴紐の結び方を変えると疲れないとか、両親からはいろんなことを教わりました。両親は山の先輩です。
―ご両親は今も現役で登山をされているんですか?
だいぶ膝が弱っているので頻繁には登っていませんね。3年前、母親が涸沢に行きたいと言うので、1年かけて身体作りをしてもらいました。そうして母を涸沢に連れて行ったら、ものすごく綺麗な星空とモルゲンロートを見ることができて。昔は両親に連れていってもらったけど、今は僕が親をアテンドするようになりました。少しは親孝行ができたかな。
―山で撮影した写真は、ご両親に見せますか?
見せます。今回もYAMAPフォトコンテストに入賞したと伝えたら喜んでくれて、「でっかいパネルにして送ってくれ!」と言われました(笑)。
―受賞作「Wind in lonely ridge」は奥穂高岳の馬の背から撮影した景色ですよね。作品コメントで「馬の背を初めて見てから魅了され、何年も通い続けました」とおっしゃっていましたが……?
奥穂高は、子どもの頃に新穂高ロープウェイで行ける展望台から見ていました。ジャンダルムも名前だけは知っていたんですが、海外の山だと思い込んでいて(笑)。人間が登っちゃいけないような危険な山だと思っていました。
大人になって初めて奥穂高に行き、ジャンダルムを目の前で見たとき、山というよりも「物体」って感じで圧倒されました。僕の知ってる山とはぜんぜん違う。景色が日本っぽくなくて、すごく異質で不思議で、だけどかっこいい。「なんだ、このかっこよさは!」と気になって仕方なかったです。
―魅了されたんですね。
はい。それで2回目に奥穂高に行ったとき、ジャンダルムに行きました。「馬の背」を通過しなきゃいけないんですけど、ここがものすごくナイフリッジに切れ落ちていて、やっぱり圧倒されました。
その光景に感動して写真を撮ったんですけど、当時は今より技術がなくてぜんぜんかっこよく撮れなくて。「この場所をかっこよく撮りたい!」と思い、何度も通って試行錯誤しました。
―そうして撮れたのが受賞作なんですね。受賞作は光の当たり方が印象的ですが、撮影した時間帯は?
ちょうど日が沈む時間帯です。5時半くらいから日が沈むのを待ちました。この日はガスがかかっていて、ときどき後ろのジャンダルムがちらっと見えるくらいだったんですが、ちょうどこの時間帯にパッとガスが抜けてくれたので「今だ!」と。無我夢中でシャッターを切りました。
―写真を始めたきっかけを教えてください。
東日本大震災がきっかけです。僕は福島で被災したんですが、そのとき日々の記録を残したくて、スマホで街や日常の写真をたくさん撮るようになりました。それで、よりちゃんと残すためにカメラを買ったんです。
―最初は山の写真を撮るつもりはなかった?
最初は日常ばかり撮っていました。でも、あるとき山に登っていたらふと「こんなに綺麗な景色をその自分だけで見るのはもったいない」という気持ちが芽生えて。写真って、いろんな理由で山に登れない人にも景色を伝えられるじゃないですか。そのことに気づいて、本格的に山の写真を撮りはじめました。それからはもう、もっと上手くなりたい一心で撮りまくっています。僕、始めるととことんハマっちゃう性格なので。
―東京にお住まいとのことですが、よく行く山はどこですか?
アルプスにもよく行きますが、回数で言えば一番登っている山は高尾山です。年間、たぶん10回くらいは登っていますね。
―遠出できない週末は高尾山?
そうですね。高尾山は江戸時代から伐採が禁止されていて巨木が多く、自然に囲まれる感じが好きです。家から登山口まで1時間もかからないので、サクッと登ってご飯を食べて帰ってきます。
あと、高尾山は植物の種類がものすごく多いんです。すみれだけでも五十種類くらいあるんだとか。
―植物はお好きなんですか?
「花の師匠」のような人がいて、その人と一緒に高尾山に行って、花の名前や咲く時期を教えてもらいました。実は僕、師匠に花について教えてもらうまでは高尾山を舐めていたんです(笑)。どうせ都会から近い低山だろ、って。だけど、こんなにも花に恵まれた山なんだと知ってからは、頻繁に高尾山に行って花の写真を撮っています。
たとえば、春はハナネコノメ(花猫の目)という小さくて可愛い花が河原に咲くんですけど、これは毎年撮っていますね。師匠と出会ってから、花鳥風月というか、自然を愛でる心を知りました。
―お若いのに風流ですね。
師匠のおかげで知ることができましたね。言われないと気づかない花もたくさんあるんですよ。高尾山にはあたり一面に二輪草が咲く場所があるんですが、それを教えてくれたのも師匠です。山岳写真の撮影に疲れたら、高尾山でリラックスしています。
―山岳写真は疲れるんでしょうか?
やっぱり全力でいい構図を探すから疲れますね。昼間は夕景のことを考えて撮影ポイントを探すし、夜は星を撮るから寝る間もない。冬はマイナス15度くらいの中でシャッターチャンスを待つこともザラですし。なかなか過酷なので、下山すると疲労困憊です。好きでやっているんですけどね(笑)。
―山小屋がお好きだそうですね。
僕らが安全に登山できるのは山小屋があるからだと思うんです。山小屋って、登山客の受け入れ以外にも荷揚げや登山道整備など、登山者の安全を確保する拠点になってるじゃないですか。
とある山小屋の方とお話する機会があったんですが、コロナ禍でお客さんの人数を今までの半分以下に制限しているそうです。そうなると当然そのぶんの売上が下がり、山小屋の存続に関わってくる。山小屋をいかに維持するかが、今の課題なのかなと思います。
―たしかにそうですね。
だから、わずかでも山小屋でお金を使うことが、僕にできることなのかなと。なるべく宿泊したり、テント泊のときでも山小屋でドリンクを買ったり。小さなことでも、登山者一人ひとりが積み重ねれば効果はあると思います。
―心がけます!
山仲間とよく「僕らが未来の山にできることってなんだろうね?」と話すんです。僕らの子ども世代が安心して登山を楽しむために、今なにができるかなぁって。行政が変わらないとできないこともあるけど、率先して山小屋でお金を使うとか、自然を壊さないように気をつけるとか、できることから始めています。あと、僕が写真で発信することで、少しでも山小屋を利用する人が増えたらいいなと思っています。
文章:吉玉サキ
写真提供:武澤廣征さん
YAMAP MAGAZINE 編集部
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