低山トラベラー/山旅文筆家にして熱烈な大河マニアの大内征氏が、家康に訪れる人生の岐路に思いを馳せながら、妄想豊かにゆかりの低山をさまよう放浪妄想型新感覚歴史山旅エッセイ。第3回では、家康が愛し、数々の歴史舞台ともなった駿府の街、そして家康も歩いたかもしれない低山「賎機山(171m)」を巡ります。虚実が交錯する妄想大河の世界をぜひ、ご堪能ください。
大内征の超個人的「どうする家康」の歩き方 /連載一覧
2023.06.05
大内 征
低山トラベラー/山旅文筆家
一般に、愛知出身で仕事人生の後半を東京で過ごし、余生を静岡で暮らしたという人の出現率は、いったいどのくらいのものだろうか。多数のパネルをもつマーケティングリサーチ会社に聞いてみたいところだけれど、ぼくの想像だけでいえば、それほど多くないような気がする(たぶん)。
ざっくりとしているけれど、これは言うまでもなく徳川家康のたどった人生である。岡崎に生まれた家康が江戸城を居城にしたのが49歳、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いたのが62歳のことだった。その2年後には秀忠にあとを任せ、66歳にして駿府に移り住むことになるわけだ。
じつは家康、生涯において三度もその駿府に暮らしている。8歳のころに人質となって駿府を本拠地とする今川義元のもとで暮らし、紆余曲折を経て45歳でふたたび駿府城に舞い戻った(天正期)。そして66歳から75歳でこの世を去るまでの期間も、やはり駿府で過ごしている(慶長期)。
駿府って、そんなにいいところなの?
と、そんなささやかな疑問から、今回は静岡駅を起点として街中と低山をつなぐ「縦走」を楽しむ。歴史文化をたどって駿府の魅力を発見する歩き旅の醍醐味がぎゅっと詰まったこのコースは、ぼくの個人的なお気に入り。実際に歩いたら、きっと家康が駿府を愛した気持ちがわかるはず(たぶん)。
静岡県庁のすぐ真裏にある駿府城。青空と水面に映える巽櫓(たつみやぐら)が美しい!
そもそも静岡といってもかなり広い。東から、沼津市を中心とする東部地域とその南に位置する伊豆地域、静岡市を中心とする中部地域、浜松市を中心とする西部地域で構成される。全国で13番目の面積を誇り、その64%を森林が覆う。
ハイカーとしてみると、県内には天城山や箱根の外輪山、間ノ岳や赤石岳をはじめとする南アルプス南部、日本一の富士山、そして魅力的な低山もたくさんあり、なにげに登山大国だ。さらには日本一深い湾・駿河湾を南に擁する絶好のロケーション。山・街・海のほどよい近さに、なんて自然に恵まれた大地なのだろうと、あらためて思う。
それぞれの地域で自然景観も文化も異なるし、歴史的背景だって違う。たとえば家康の時代に大いに発展した浜松と、頼朝の時代には遠流の地とされた伊豆の下田なんて、実際のところかなり遠い。ドライバーとしては、東名・新東名高速道路を走っていても、静岡県の区間が思いのほかながーく感じるんだよなあ。
はじめて静岡駅に降り立った人は、かなりの都会だと感じることだろう。駅周辺には魅力的な飲食店がたくさんあるから、黒潮の恵みを刺身やおでんでつまみながらサッポロビールの静岡麦酒を生でぐいっといく……これをご褒美に、さっそくフィールドワークに出かけたい。
駿府城本丸の近くにある徳川家康公の像。すぐ後ろの白い壁の向こうが、天正期・慶長期遺構の発掘現場
そんなわけで、最初に訪れるのはJR静岡駅から歩いて15分の駿府城。ここが開館する9時からスタートすれば、夕方には静岡麦酒を味わっていることだろう。
三重の堀で囲まれた曲輪は、内側から「本丸」と「二ノ丸」があり、城跡公園として市民の憩いの場となっている。その外側が「三ノ丸」で、静岡県庁をはじめとした行政機関や教育機関などの公共施設が立ち並ぶゾーン。城の敷地をうまく利用しているなあと感心してしまう。
天守台の発掘現場。好きな人にはたまらない光景!
駿府城は、家康の前に駿河国を治めていた今川氏の居城だった……という確証はないようだ。長篠・設楽ヶ原合戦の勝利と甲斐武田氏の滅亡のあとに信長から駿河国を与えられた家康が、天正13年に築城に着手した。この時期の天守台の遺構を「天正期の駿府城」とし、江戸幕府を築いたあとに移り住んでからの遺構を「慶長期の駿府城」として、それぞれ現地で発掘の様子が公開されている。
天正期と慶長期がわかるように工夫された見せ方。これ、とてもわかりやすい!
こうして目の前に往時をしのぶ城郭を見ることができるのだから、城好きな人には垂涎ものだ。発掘調査員の方がなにを話しているのかまで気になってしまう。少しずつ姿をあらわす城の輪郭に心を躍らせるファンも多いことだろう。近所なら、定期的に観察しに来てしまいそう。
敷地内の「発掘情報館きゃっしる」は、駿府城の基礎的な情報や発掘の過程で出土したものなどを見ることができ、駿府城を知るうえでとてもためになるから、ぜひ立ち寄りたい。中でも慶長期の天守台の大きさと日本各地の主要な城との比較図は、へー!の連発だ。それによれば、慶長期の駿府城は、とてつもなく大きい。へー!
駿府城と静岡浅間神社を経て南から山に入り、新東名高速道路の付近にある鯨ヶ池まで北上する
静岡市の地図をよく見ると、駿府城の北西に鎮座する静岡浅間神社を南端として、低山の連なりが北へ北へと鋭くのびている。ここは地元のハイカーやふもとにある県立静岡高校の山岳部がトレーニングで歩く丘陵地だ。新東名高速道路の下にある鯨ヶ池までの区間は、歩きやすさ、思わぬ絶景、歴史などのトリビアがあって楽しく、ぼくの気に入っている。
静岡浅間神社を構成する大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)。この近くに「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」がある
登山口となる静岡浅間神社は、東照大権現が祀られている神部神社のほか浅間神社と大歳御祖神社とを総称して「おせんげんさま」と呼ばれ親しまれる古社だ。ここから賎機山(しずはたやま)古墳を経て浅間山まで来ると市街地と山々を見晴らす構図となり、「浅間」の名の通り富士山を拝むことができる。
山の際に見える臨済寺は今川義元ゆかりの寺で、住職として迎えられた太原雪斎によって家康(当時は竹千代)が教育を受けた名刹。もしかしたら、義元の薫陶を受けた若き家康もここに登ってきたかもしれないなあと、当時の暮らしを想像する。いや実際に登ってこれる距離感だし!
山際に囲まれるようなかっこうに臨済寺。富士山が大きい!
このコースは標高200m程度の低い丘陵地の尾根にあり、とても気持ちのよい道が続いている。低山らしく街の様子が手に取るほどの高度感でありながら、遠くまでを見晴らすことができる抜群のロケーション。首都圏でいえば渋沢丘陵や湘南平のようなトレイル。
賎機山に向かう手前で大きくひらけた視界。安倍川とふもとの街、奥には南アルプスも
そんなたおやかな稜線を歩くこと1.5kmほどの地点で賎機山城の跡に出る。この山の読み方は「しずはたやま」といい、南北朝時代に築かれたと伝わる山城を巡って攻防があったそうだ。武田信玄の下に支配されたこともあったという。またの名を賎ヶ丘(しずがおか)とも呼び、これが「静岡」の由来とも伝わる。諸説あり。個人的には「はじまりの地・岡崎と終わりの地・賎ヶ丘の両方から一文字とった説」もあるかな、なんて。
袖振り合うも他生の縁。地元の方の話に耳を傾けるのも、低山歩きの楽しみのひとつ
この先をさらに6kmほど歩くと、ゴールとなる鯨ヶ池にたどり着く。その間、丘陵地のところどころで安倍川と南アルプス、富士山と竜爪山(りゅうそうざん)、谷津山と日本平、そして駿河湾と、駿府ならではの風景がどんどん変化していくのだから、これが楽しくないわけがない。
鯨ヶ池から安倍街道に出れば、駅まで行くバスがある。駿府城から歩くこと合計10km強の道のりを終えれば、ご褒美の静岡麦酒がもう目の前。帰りの時間に余裕があるなら、ぜひ一杯やっていきたいところだ。あ、バス時刻は要確認のこと。
一本杉から北を眺める。中央奥に高くそびえるのが竜爪山。遠くに富士山と南アルプスの展望も
ところで、一本杉から見る竜爪山は本当に見事で、いつかあの山も登ってみたいと思うハイカーがきっといるに違いない。“蛇足”ながら、つぎなる山旅に思いを馳せる読者のために、この竜の爪と書く山にも触れておきたい。
竜爪山は、文殊岳(1,041m)と薬師岳(1,051m)から成る双耳峰で、山頂には絶景が待っている静岡を代表する低山のひとつ。山名由来には諸説あり、たとえば昇竜伝説があったことからその名がついたとか、ふたつの山頂を瘤(こぶ=りゅう)と見立てて名付けたとか。あるいは、急登についた谷が竜の爪でえぐられたように深いとする説や、竜爪山から駿府城に向かって細長く伸びる尾根を鋭い竜の爪に見立てていると話す人もいた。それだけ地元の人に愛されている、シンボリックな低山なのだ。
今回のフィールドワークでは行かなかったけれど、鯨ヶ池から北は、ここまでとは打って変わる厳しい登りになる。そして、長い。YAMAPによれば、薬師岳までで4時間45分。ピストンで鯨ヶ池まで戻る場合はさらに4時間だから、丸一日の行程だ。挑むなら、しっかり計画と準備をしておこう。
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そういえば、山を歩いている最中、何人かの地元ハイカーに出会った。道案内をしてくれた方からはさまざまな地元話を聞くことができて思わぬ学びを得られたし、ぼくにとっては嬉しい出来事で。静岡高校の登山部のエピソードなんかも聴くことができた。
その中のひとりに、愛知出身で仕事人生の後半を東京で過ごし、余生を静岡で暮らしているという方がいた。本人は「家康と同じ人生とはいっても、あんな人徳は得られなかったなあ」と笑っていたけれど、こうして他所の土地からやってきたソロハイカーに気さくに話しかけてくれる人柄、めちゃめちゃ温かかったなあ。
というわけで、フィールドワークの「疑問」は解決。駿府って、ほんとにいいところ!
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文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家