島旅と山登りを楽しめると、今、密かなブームになりつつある「離島登山」。新潟県「佐渡島」も、登山者の間で人気の島のひとつです。そんな佐渡ですが、花の名所として知られ、登山者でにぎわう「ドンデン高原」の景色が失われてしまう可能性があるとの知らせが…。
今回YAMAPでは、ドンデン高原の美しい景観を未来に繋ぐべく、登山道周辺の景観整備を行うツアーを企画。地元の方々と一緒に整備に取り組んだ充実のツアーの様子をレポートしながら、ドンデン高原の自然や、全国各地が抱える保全の問題をお伝えします。
2023.09.29
池田 菜津美
ライター
「すっきりした〜! 草原がだいぶんきれいになったね!」「こんなにたくさん杭が埋まっていたなんてすごい」
大量に集まった鉄の杭を見ながら、ツアー参加者のみなさんが汗をぬぐっています。
ここは佐渡島にあるドンデン高原。1時間ほど前から、稜線の草地にささった鉄の杭を抜く作業を行っていて、今はひと休みの最中です。草地に埋まっていた鉄の杭は、長さが50cmほど。手に持ってみると、ずっしりとした重さがあります。引っこ抜いた杭はざっと数えてみても500本はありますが、まだ高原に点々と残されています。
今回、YAMAPで企画したのは、ドンデン高原で登山道周辺の景観整備を行うツアー。ドンデン高原では昭和から平成にかけて、植生が乏しくなった土地を回復させるため、芝生を定着させる治山工事が行われていました。高原にささっていた鉄の杭は、芝生を固定するために使われていたのですが、それが現在まで残されているのです。
「このあたりも機械で草刈りをしたいのだけど、杭がたくさんあって入れないんだ。だいぶなくなったから、草刈りも楽になりそうだよ」とお話してくれるのは、ドンデンファンクラブの俵 建(たわら たつる)さん。ドンデンファンクラブは地元の登山愛好家や登山ガイドたちの集まりで、ドンデン高原の景観を守ろうと2004年に結成されました。
「YAMAPさんのツアー企画の話を聞いたとき、とても驚いたんだ。地元の人に『ドンデンの草刈りに行こうよ』って誘っても、高齢化が進んでるし、なかなか難しいんだよね。それなのに、わざわざ島外から佐渡島まで来て、ドンデン高原の整備を手伝ってくれる人がいるっていうんだから、おもしろいなぁと思って。でもすごいね、人の力って。今日一日でこんなに杭が抜けるとは思わなかったよ」と俵さんが話してくれました。
その隣で、伊豆野 純也(いずの じゅんや)さんと、榎 治(えのき おさむ)さんが杭を袋に詰めながら「おじさんたち、歩荷でもうヨレヨレだよ〜」「みんな、もう抜かなくてもいいよ」と冗談を言い合い、参加者さんたちも「いや、まだまだいけますよ」「ひと休みしたらもう一本引っこ抜いてきます!」と笑い合っています。
米袋に詰められた杭は20本ほど。背負子に載せると持ち上げるのもひと苦労です。「こうして遠くまで来てもらって、手伝ってもらって…。ほんとにありがたいことだよ。さてと、もう一往復いきますか!」と、伊豆野さんと榎木さんは背負子をかつぎ、登山道を引き返していきました。
ドンデン高原は一帯の山を指す総称で、名の由来は山頂が頂の丸い山を意味する「鈍嶺(どんでん)」がその名の由来だと言われています。周辺は、開放感のある草地や、ドンデン池などの湿地が見られ、島外の登山者だけでなく、地元の人にも愛されるハイキングコースです。
今日は朝からあいにくの曇り空。高原は霧に包まれていましたが、作業を進めるうちにチラホラと青空が見え始めました。「あれ、海じゃないかな?」「ほんとだ! 港っぽいものも見える」と参加者さん。足元の峰の先に、うっすらと海が見えています。「天気がよければ、ここからは大佐渡(佐渡島の北側に連なる山地)の山々や日本海が一望できるんですよ」と、今回のツアーにご協力してくださった塚本八重子さんが教えてくれました。
塚本さんは佐渡山歩(さんぽ)ガイドクラブにも所属し、佐渡の山を楽しみながら保全活動を行っています。「幼いころから山登りが好きで、特にドンデン高原は大好きな場所で何度も歩いているの。高原ののどかな雰囲気がすてきでしょう?」。
「ドンデン高原はみんなの憩いの場なんです。でも、その景観をつくっている草地は減っていく一方。かつては稜線一面が広大な草地だったんですよ」と語るのは、新潟大学名誉教授の崎尾均先生。
専門の森林生態学の調査で佐渡へ通ううちに、多様な自然に魅了され移住し、大学退官後もこの地で研究・保全活動を続けてきました。今回のツアーではドンデン高原の自然について特別講義を行ってくださり、整備のお手伝いにも来てくれました。
「今では草地が離れ小島のように点在するだけ。日本は温暖湿潤だから、放っておけば、あっという間に森林になっちゃうんです」。実際、草地の脇はススキやナツグミなどの低木が入り込んでいて、数年放置するだけで草地はかなり狭まってしまいそうです。
じつは、このドンデン高原の草地は古くから人の手で維持・管理されてきたもの。その歴史は古く、記録によると平安時代初期には林間放牧が始まっていたそうです。江戸時代には総延長120kmの大垣をつくり、毎年2,000頭もの牛馬を放っていたため、稜線付近には広大な草地が形成されていました。昭和のはじめごろまでは牛馬が草をはむ、牧歌的な風景が広がっていたといいます。
ところが戦後に入ると、全国各地でこうして人の手で維持・管理されてきた「半自然草原」は衰退をはじめます。ここドンデン高原でも1950年代後半から牛馬の頭数が減少し、半自然草原の面積は急速に縮小しました。衰退の理由のひとつとして挙げられるのが、農業の近代化です。化学肥料の利用が増え、厩肥(家畜の糞尿とわらによる肥料)がいらなくなり、農機具の発展で牛馬が労働力として使われなくなったため、放牧地が利用されなくなってしまったのです。ドンデン高原も同様で、2015年にはすべての放牧が中止されてしまいました。
崎尾先生は「草地は多面的機能をもつ環境なのに、こうして失われてしまうことはとても残念」と語ります。その機能のひとつは、生物の多様性を保つこと。
草地がなくなってしまうと、そこを生息場所とする生きものや希少な草花が行き場を失ってしまうことになります。「加えて、こうした草原は観光資源としての一面ももちます。牧歌的な景色や、四季を通じて楽しめる多種多様な草花などが喪失してしまうのは、登山者だけでなく、島の人たちにとっても大きな損失になるんです」。
俵さんは霧に煙るドンデン高原を見つめています。「ここを守りたいという気持ちがある一方で、放っておけば自然の力で森林に戻っていくのを、草地として保つことにどれだけの意味があるのかなという気持ちもあるんだ。でも、ここで遊んで、自然を楽しんできたから、それがなくなってしまうのは悲しいことでさ」。
「エゾリンドウ、ウメバチソウ、センブリ、ミヤマコゴメグサ、イブキジャコウソウ。ここではいろんなお花が咲くの。こういう小さなお花は、丈がある草で隠れちゃうとダメになっちゃう。こういうお花が見られなくなっちゃうのも、さみしいもんね」と塚本さんもうなずいています。
ドンデン高原にかぎらず、半自然草原は全国各地で縮小の一途をたどっていて、かつては国土面積の20%を占めていたのが、現在は1%まで減少しているそう。こうした状況を食い止めるために、2022年から環境省などの後援で「草原の里100選」というプロジェクトが立ち上がり、未来に残したい草原を選定し保全活動を後押しにする取り組みもはじまりました。ドンデン高原もそのひとつに選ばれていますが、人手も資金もなく、保全活動がなかなか難しいという現状があるのです。
作業がひと段落したところで、ドンデン高原の散策へ繰り出します。「ミヤマコゴメグサやイブキジャコウソウみたいに小さな植物は、牛馬の採食を逃れたもの。踏圧にも強い植物なんですよ」「ヒロハヘビノボラズにはするどいトゲが、レンゲツツジやハクサンシャクナゲには毒があって、牛馬は食べない。だからポツポツと島状に残っているんです」など、崎尾先生の特別講義付きの贅沢な時間です。
参加者さんからも質問が飛び交います。「この植物はなんですか?」「これはハマナス。普通は海岸沿いに多いのですが、タネが牛馬の糞に混じって運ばれたという話もあります。ここらへんで見られるコハマナスは、ノイバラと交雑した種だといわれています」。
標高940mの尻立山を超えてしばらく進むと、周囲を覆っていた霧が薄れ、眼下にドンデン池と赤い屋根の避難小屋が見えました。ドンデン池の湖畔まで下りると、無数のトンボが舞っています。「40年前は、池の周りがキャンプ場になっていたんですよ」と崎尾先生。「そうなんですか! すてきなキャンプ場だったんだろうなぁ」「ぜひ復活させてほしいです!」と参加者さんたちが盛り上がっています。
俵さんに聞くと、当時はこの周辺も放牧地として利用されていたそう。「朝起きると、牛に囲まれたりして。キャンプする場所も、牛と取り合いだったんだよ」と笑っていました。現在は年に一度、草刈りをして草地を維持していますが、面積は少しずつ狭まっているそうです。
今回のツアーに参加したYAMAPユーザーのみなさんの感想は、ドンデン高原の自然を深く知れて、保全のお手伝いもできて、「大満足」との評価。そして、みなさん揃って、「ドンデン高原のことを大事に思っている佐渡の人たちと出会えてよかった」と話してくれました。
「ツアーを終えて、ドンデン高原や佐渡の自然にますます興味を持つようになりました。それは、佐渡のみなさんがそれを大事に思っていて、わたしたちに紹介してくれたから。逆に、わたしは地元のことを全然知らないな、こんな風に紹介できないな、と反省しました」
「目の前の自然は、刻々と変化しているものなのだと実感しました。そう感じられたのも、長年この景色を見て、向き合ってきた方々からお話を聞けたからだと思います。時の流れと景観の変化や、人と自然の関わり方など、いろいろなことを考えさせられました」
そんなみなさんの感想を聞いて、俵さんはこんなふうに話してくれました。「今回の活動が今後につながっていくと感じます。こうした取り組みを島内外の方に呼びかけて手伝ってもらうという方法もあるんだなと驚きました。山好きの人が集まってドンデン高原の登山道整備に協力してくれることだけで、すごくうれしかった。しかもそれが、想定以上の成果に結びついたのも、すごく意味のあることだなと思います」。
そして最後にひとこと。「しばらくしてみなさんがドンデン高原に遊びに来てくださったとき、『あ! 残りの杭もなくなって、ドンデン高原がきれいになってる!』って思ってもらえるように、がんばらなくちゃ。ここで歩みを止めちゃって、『あれれ? まだ杭が残ってるぞ』って結果にならないようにね」。
原稿:池田菜津美
撮影:西條聡
協力:佐渡市、ドンデンファンクラブ、佐渡山歩ガイドクラブ、サンフロンティア佐渡(株)、佐渡トレッキング協議会