クマの「人間を盾にした子育て」が軋轢の原因に|ドングリ凶作は一要因【クマとの共存。vol.4】

近年、日本各地で人が襲われるなど、人とクマの軋轢は増加しています。2023年は北海道で53年ぶりに登山者がヒグマに襲われて死亡するという痛ましい事故も起きてしまいました。本州でも東北や甲信越で登山者がツキノワグマと遭遇して襲われるケースが相次いでいます。新聞社のクマ担当記者として事故現場や専門家を取材した経験をもとに、人身事故が相次ぐ背景について考えてみます。

2024.03.07

内山岳志

北海道新聞クマ担記者

INDEX

クマと人間の軋轢

人とクマとの軋轢が増えた理由は何か。シンプルに言ってまずクマの数が増えたことで、遭遇確率が上がったと言えるでしょう。野生動物の正確な生息数を把握することは非常に困難です。

本州では10年で生息数は3倍に

クマ出没注意の看板(PIXTA)

北海道はヒグマの推計生息数について、2020年時点で1万1700頭(中央値)としており、30年前から倍増しています。本州のツキノワグマについては、全国的な集計数はありませんが、5万頭前後とみられており、こちらも10年ほどで約3倍に増えたとみられています。

農村部での過疎化による森の回復

地方で広がる耕作放棄地のイメージ(PIXTA)

また、急速に人口減少社会に入った日本では、特に農村部で過疎化が進んでいます。耕作放棄地も増えました。そして、かつては薪や木材利用のため、はげ山だったような山も、鬱蒼とした木々が茂り、森は豊かさを増しています。

クマが増えたのは、森が回復し、養えるだけの豊かさを取り戻した結果とも言えます。かつては、人里にクマが出てくると「山に餌がないからだ。可哀想に」と同情的な見方が強かったです。

ドングリ大凶作は数ある要因の一つ

ドングリが凶作になることで、クマが市街地に出没するようになるのは一要因。クマが増えすぎたことなど複数の要因がある(PIXTA)

確かに2023年の東北地方のように、ドングリ類が大凶作となるなど山の餌が乏しくて、市街地に大量出没することはこれまでもありました。

こうした特異年を除いても全体的な傾向としては、増えすぎたクマたちが、畑の作物や、庭の柿の木を狙って、徐々に人里への侵略を繰り返している、と言える状況です。「野生動物たちの逆襲」が始まっているとも感じています。

通用しなくなった「これまでいなかった」の常識

次に増えたクマは、生息域も拡大させました。クマのいなかった森にも、新天地を求めたクマたちは入り込み始めています。100年ぶりに伊豆半島でクマが捕獲されたように、環境省の2018年の調査では津軽半島、能登半島、男鹿半島、阿武隈などでも確認されました。

数が増えて、遭遇確率が上がった上に、これまではいなかったような山林にも出没するため、「まさか、こんなところに」と油断もあって襲われるケースが続出しています。

今や北海道内では、「どこの山にもクマがいてもおかしくないと思え」というのが、クマ関係者の常識となっているほどです。大半が深い森につながった秋田県も同様です。

雄グマを避けた「人間を盾にした子育て」

知床の登山道に現れたヒグマの親子(PIXTA)

最後にクマならではの習性についても紹介します。それは、「雄による子殺し」です。春から初夏にかけてはクマの発情期にあたり、雄グマは交尾をするパートナーを求めて、森を徘徊します。

そして、子連れの母グマにとって一番恐ろしいものが、この雄グマなのです。雄グマは子連れの母グマを見つけた場合、子連れの母グマは発情しないため、雌の発情を促すために子グマを襲って食べてしまうというものです。

これは、ホッキョクグマや海外のヒグマなどのクマ類では報告されていましたが国内で確認されたことはありませんでした。

それが、近年の研究で国内のツキノワグマとヒグマについても同様の行為が確認されたのです。

ツキノワグマに関しては、クマ対応を請け負う特定非営利活動法人ピッキオ(長野)などによって2016年5月に撮影されました。

自動撮影カメラには、母子グマの冬眠穴に雄グマが現れ、母グマと激しく争った後、ぐったりした子グマを連れ去る映像が残されていました。子どもを守ろうとした母グマも、大けがを負い、その後死んでいるのが見つかりました。

北海道のヒグマについても、北大ヒグマ研究グループが2017年4月末に、雄グマのものとみられる糞の中から子グマの爪や歯が見つかり、初めて子殺しが確認されました。クマを襲う天敵のいない日本において、母子クマたちの最大の敵は、雄グマなのです。

そのため、母グマは奥山にいる雄グマに見つからないよう雄を避け、近寄って来にくい市街地のすぐ近くで子育てをしています。実は母グマにとっては市街地近くの方が安全だということです。

これは市街地に住む人間を盾にして子育てをすることから、海外では「ヒューマン・シールド(人間の盾)」と呼ばれています。札幌市でも市街地近くの山林で、子育てをする母グマが増えています。

国内でも市街地から500mで子育ての衝撃

クマの子育てが複数確認された札幌市中央区の藻岩山。ほぼ街と隣接している(PIXTA)

札幌市中央区の藻岩山では、複数の雌グマが子育てをしていることが確認されているほど。

札幌市西区の三角山でも、登山道からも近く、市街地から500mほどしか離れていない場所で冬眠し、子グマ2頭を育てていて、「こんな近くで」と研究者の間にも衝撃が走ったほどです。

こうして、市街地近くで子育てをしていると、人の目にも触れやすく、人慣れも進み、市街地に出没するクマを育てていることにもなります。この市街地のすぐそばで暮らすクマが、2023年のユーキャン新語・流行語大賞のトップテンにも選ばれた「アーバン・ベア」です。

ただ、こうした行動も、クマの数が少ないときには市街地近くで繁殖するクマなどいなかったわけで、生息数が増えてきた影響の一つともいえるでしょう。

市街地近郊のほうが多くすんでいる?

札幌市西区の山に隣接した街並み。市街地近郊の山の方がクマが増えている?(PIXTA)

ここまで説明してくると、一つの疑問が浮かんできます。

「もしかして山奥よりも、市街地近郊の方がクマは多く棲んでいるのでは」という疑問です。

これに関する調査結果はまだありませんが、個人的にはそうではないかと考えています。

雄グマは、近親交配を避けるため、育った場所から離れる習性(分散)がありますが、雌グマは育った地域からあまり離れません。母グマから、せいぜい数十km離れたところで暮らすので、人里近くで育った雌は再び人里近くで独立し、子育てをするということです。

つまり、おっかない雄がいる奥山ではなくて、市街地近郊での密度が上がっていくという、考えです。

さらに人里で畑の作物や手入れされていない放棄果樹、生ゴミなどクマを誘引する食べ物があったらなおさらです。

こうしたクマの習性や生息状況を理解しておくと、これから増えるであろう都市近郊の低山での遭遇や、近所に出没するクマ問題にも、冷静に対応できるかもしれません。

クマの暮らす場所に「お邪魔する」

生物多様性を維持する観点からも、登山などの野外活動の安全のために、クマを絶滅させればいいという話ではありません。登山者は、クマの暮らす山や森に「お邪魔させてもらう」という意識で入山することが大事です。

クマたちは、山での我々の行動をよく見ています。きちんとした準備と知識と心構えを持って、そして複数人で入山しましょう。市街地にでも出るのですから、山で「まさか自分が」は通じません。

内山岳志

北海道新聞クマ担記者

内山岳志

北海道新聞クマ担記者

北海道新聞東京報道センター記者。2004年から報道記者として、中標津支局で世界自然遺産に登録された知床など自然環境をテーマに取材。函館報道部などを経て、2018年から本社の報道センターでヒグマや新型コロナウイルスなど自然科学分野の取材に取り組む。国内でも珍しい新聞社のクマ担当記者。熊スプレーと鉈を腰に週末登山にいそしむ。